第37話

「深夜美さん」

 こんな美しい人が二人と居るはずもない。


 庄司が呼び掛けると、赤黒い瞳がこちらに向けられる。


「ええ。貴方は士師宮庄司さん?」

 深夜美に名前を知れていたことに、庄司はぎょっとする。


「どうして私のことを……」

「真祈様と鎮神様がお宅にお伺いした時に、庄司さんと、私のことを話していたと聞いたので。

 うちの子たちがお世話になっております――あは、うちの子、だって。

 こんなこと初めて言っちゃいました」

 深夜美はお道化たように体を捩って苦笑する。

 口では所帯じみたことを言っても、どこか浮世離れした雰囲気が付き纏っていた。


「歌がお上手だと噂で聞きました。良ければ一曲お願い出来ませんか」

 歌わせて生活感のある話題から離れさせれば、深夜美の真の美しさが発揮されるに違いない。

 それを、見てみたかった。


「噂ぁ? 誰から聞いたんですか、それ」

「狭い島のことですから、いかようにも広まるものです」

 噂を聞いたというのは嘘だった。

 噂を交換するような相手は庄司には居ない。

 情報源である真祈はただ、歌っているという事実を述べていただけだ。

 

 涼やかに細められる瞳に、嘘を見抜かれたかとも思ったが、深夜美は納得してくれたらしい。

「よし、じゃあ歌っちゃおう。リクエストあります?」

 深夜美が立ち上がってマイクを持つと、店主と常連客が囃し立てた。


「え……いや、深夜美さんのお好きなものを歌ってくれていいですよ」

「そうですか? じゃあちょっと懐かしいしんみりしたやつにしようかな」


 偶然なのか合わせてくれたのか、庄司の年代の流行曲を歌いだす。

 田舎のスナックの安いマイクにも関わらず、甘やかな低音が場を貫いた。


 しっとりとした声に、皆肩の力を抜いて聴き入るが、庄司だけは逆に肩を力ませていた。


 形の良い手を時折差し出し、赤い瞳はギャラリーとは交わらず、天や宇宙と繋がるかのように、ここではないどこかを見つめている。

 喉仏は震え、前髪から覗く白い額に細い血管が浮き出て張り詰めている。


 彫刻のような美しさと、有機物の生々しさを併せ持つ青年を、自分が感じたままにキャンバスに表現したい。

 表現、などと生易しいものではない、五感を画面に叩きつけたいという欲望ですらあった。

 深夜美の姿を描くのに、神話に仮託する必要など無い。

 彼こそが神話だ。



 約五分間、自分が生きて居るという感覚さえ宙に浮いたままであった。


 他の客に奢って貰ったアイスクリームを手に深夜美が戻って来て、やっと意識が帰る。

「深夜美さん、私の絵のモデルになってはくれませんか。

 タダとは言いません」

 深夜美が席に着くなり、周囲に聞かれないように、しかし力強く頼み込む。


「へえ……なんだか面白そうだし、良いですよ」

 深夜美は軽く即決した。

 これだけの美青年なら、絵やら写真やらのモデルを頼まれることには慣れているのかもしれない。

 しかし、そのどれよりも誰よりも、深夜美の崇高な魅力を描きだす自信があった。


「面識も無いのに私のことをお祝いしたいって名指しして、真祈様に色々と訊かれていたでしょう? 

 士師宮さんってばちょっと怪しかったものですから、私のストーカーじゃないか、なんて疑っていたのですよ。

 でも優しそうな方で良かったです」

 からからと笑う深夜美に合わせて、庄司も苦笑する。

 確かに深夜美に接近したいばかりに、怪しい挙動もあったかもしれない。


 すると深夜美はカウンターテーブルの下で密かに、しかし庄司にだけは見せつけるようにワイドパンツを捲り上げた。

「本当に良かった……ですよね」


 垣間見える太腿に巻かれたレザーのレッグシースには、ナイフが仕込まれていた。


 もし本当に相手がストーカーだったなら、彼はナイフを振るうつもりだったのだろう。

 あまりにも堂々とした笑顔は、それが単なる脅しでないことを物語っている。

 下卑た手が伸ばされることを良しとしない、天使のような高潔さは、あまりにも庄司好みだった。


 絵を描く士師宮、と言えばかつては皆が庄司の事を指した。

 今ではその称号は団のものだ。

 画壇に拾われなかったというだけで、誰よりも絵を愛していたとしても、庄司は「画家の士師宮団の父親」にしかなれないのだ。


 しかし深夜美という存在は、無限のインスピレーションを与えてくれる。

 この神と共に、息子を#射殺__いころ__#してやりたい。

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