第50話
痴話喧嘩の一つでも仲裁してやるか、と思った――鎮神が夢見ている、平和な家庭とやらを守るために。
そして有沙は初めて、艶子の部屋に自分から足を踏み入れた。
「邪魔しますよ」
事後承諾式で声を掛ける。
法衣を繕っていた艶子は、手を止めて困惑している。
「どうしたの、有沙さん。私に御用?」
「艶子さんが落ち込んでるみたいだったから話聞きに来てあげたんすよ。
じめじめしたツラのまま一緒に飯食われるのもウザいんで」
有沙は、文机に――古めかしいそれを床几と勘違いして腰を下ろし、話せとばかりに艶子を顎でしゃくった。
艶子の顔からはどんどん血の気が引いていく。
「貴女、真祈に言われて来たの……?」
「違いますよ。
真祈には艶子さんが悲しそうだって事実すら見えてないんだから、心配すらあいつには出来ないでしょう」
そう言ってやると艶子は暫く考え込み、渇いた唇を一舐めしてから話し出した。
「……ええ……いくら何でも、こんな秘密を一人で抱えていることなんて無理。
何を聞いても口外しないと、誓ってくださる?」
面倒なことになった、と直感した。
しかし鎮神のことを思えば、引き下がろうという考えにはならなかった。
家の中に不和があれば、彼はきっと心を傷める。
想像していたよりも事情が複雑そうなら、尚更だ。
「ああ、誓う」
そう宣言してもまだ逡巡があったが、やがて艶子は青ざめた口を開いた。
「深夜美に、安荒寿を教えてしまったのです」
なんて秘密を背負わされたのだろう、と、有沙は恐れのあまり苦笑を浮かべた。
色欲に負けて、本尊や聖遺物を売り払うに等しい罪を艶子は犯した。
そしてその罪は、どの教えが説くよりも重い。
真祈がこのことを知れば、あれは艶子と深夜美を、息をするのと同じように殺す。
肉親に対しても一切の躊躇いは無く、ただ『空磯のためにある宇津僚真祈』の世界から有害は切除される。
「夫婦で心中でもしたくなったか? いかれてるな」
「元はといえば私のせいです……
私が荒津様と不倫なんてしたから」
いきなり出て来た荒津の名には呆れるしかなかった。
もはや何時からどういう経緯で不倫関係に至ったのかなど、想像する気力さえ湧かない。
「それが深夜美にバレて……愛しているなら安荒寿を教えろと言われて、従った……。
でも、後になって怖くなってきた。
私の彼への愛って、こんなものだったのかしらね……そんなはずはなかったのに……」
艶子の言葉に、有沙は引っかかるものを覚えた。
「待て、なんで深夜美さんが安荒寿の存在を知ってる?」
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