第11話
門の脇に付いた遠見番所の二階に昇りながら、鎮神は真祈に問うてみた。
「宇津僚家の信じてる神って、何ですか」
翔は、太古から続く独自の信仰だと言っていた。
真祈は吾宸子という祭司のようなものと称しつつ、神のことを全く語らない。
真祈はさっきから癖のように、訊かれなければ答えない、嘘は吐いてない、といった話し方を貫いている。
独自の宗教そのものに関する話題はその最たるものだろう。
知られてはまずい、鎮神が真祈と結婚しなくてはならない理由というのも、そこにあるはずだ。
訊かれなければ答えないなら、訊けばいいのだ。
返ってくる情報は真相に辿り着くには足りないが、嘘ではないだろう。
「一応、多神教ってやつです。海たる母、
彼らは光の舟に乗って降臨した、銀色の夫婦神。
あとは――ああ、ほら、見て」
話し終える前に二人は階段を昇りきってしまい、真祈は見知っているであろう眺望にはしゃぎながら格子窓へ駆け寄る。
長い銀髪が跳ねて、萌黄色の光を放つ。
『光の舟、銀色……神だって? だけどそれじゃあ、まるで』
そう言いかけてやめてしまった。
薄暗い番所、仄かな朝日の中、真祈は余りにも無邪気に鎮神を手招いていたからだ。
怖ず怖ずと真祈の横に並んで、窓の外を見遣る。
宇津僚家が小高い所にあるため、二ツ河島全体が一つの窓枠の中に収まってしまう。
面積の小さい島だった。港の片隅にある灯台が頭一つ高い以外は、並べて背の低い民家。
砂浜があるような地形ではないらしく、港として整備された一角の他は断層が取り囲み、さらには水平線に島影の一つも無い。
絵に描いたような孤島というわけだ。
「二ツ河島は、島全体が二ツ河村という村です。
この宇津僚家がある詩祈山が島の北端。
屋敷そのものは山の麓に立っていて、神殿には山の頂上から入れるようになっています」
「神殿……帝雨荼と阿巫守の?」
「阿巫守はもう、この世には居ない。
詩祈神殿には帝雨荼が封印されているだけです」
真祈の答えに、鎮神は疑問を持たずには居れなかった。
「封印って……。
そんな、魔物みたいな扱いしていいんですか?
真祈さんたちの信じてる神なんでしょう」
「存在を信じることと崇めることは必ずしも同義ではありませんから。
神は私たちのために在るのではなく、そこに在るだけ。
命を持つという以外は天災と何ら変わりない、単なる現象。
たとえ神が我らを恵み、我らが神を愛していたとしても、神はときに禍神となり、尊ぶ対象から、畏れて鎮めなくてはならない対象となる」
「……生贄、とかで?」
さりげなく言ったつもりが、思いの外、声が震えてしまった。
真祈はそれを嗤うこともなく、淡々と答える。
「幸い、二ツ河島はそういう面倒な神と関わりになったことはないのです。
吾宸子である私が毎朝神殿へ赴き、
それを聞いて鎮神は、拍子抜けした。
歌を捧げるだけでおとなしく封印されていてくれる禍神とは、えらく可愛いものだ。
もちろん、翔の生贄云々が例え話というのは理解していたが、逆らえば母を殺すなどと脅されては相当に血腥い宗教なのだと身構えるだろう。
しかしどうやら本当に真祈は生贄として鎮神を連れて来たのではないらしい。
惨い殺され方をするのではないと思えばひと安心だが、ならば結婚というのは何のためなのか。
真祈の意図はますます分からなくなる。
「詩祈山が源流になって、南北に島を縦断している二本の川は、東側の川が
二ツ河島という名はこの二本の川が由来です。
その川の間、島のほぼ中央の森は
真祈の解説は続く。
広く浅い二本の川は、銀糸で刺繍をしたように、灼けた瓦や新緑の木々の中でただ二条、涼しげに輝いている。
真祈が珍間と言って指した森はとりわけ暑苦しく、ビリジアンのペンキをぶちまけたような様相だった。
「港があるのは
今は無人灯台ですが、もっと一族の者が多かった頃は宇津僚家から灯台守を出していたらしいです」
宇津僚家が島の北端であれば、港は北西の海岸にあたる。
停泊する漁船、水産加工工場にフェリーの券売場に、小さなコンテナターミナルまである。
勝手なイメージで、もっと閉鎖的な雰囲気だと思い込んでいたが、よく考えれば星奈は二ツ河島をルッコラの産地として認識していたのだから、外部と人や物の交流はあるのだ。
「その南は
中学生は三人で、小学生は居ないから小学校は休校です。
総人口が二百人に満たないくらいなので子どもは非常に少ないですし、最近は高校とか大学に進学して、就職も島のソトでするって若い人も多いので」
二百人といえば、鎮神の通う高校の一学年の定員より少ない。
小中校の小さな木造校舎、体育館、教員住宅が家屋に埋もれそうなほどこじんまりと纏まっているのが見えた。
「珍間の北は
神門地区は、一階が商店で二階が住居という造りが多いのか、他に比べると背の高い建物が散見される。
反対に魞戸地区は、土色とルッコラの黄緑、それに天然の花畑らしいパステルカラーを綴った大地が広がる。
「珍間から南は
その向こうに、弓羅川の支流として
布陣川から向こうは、死の世界」
「死の世界……?」
「単に死を司るものが布陣川の向こうに集められているということです。
確かに島の南端には、詩祈よりもずっと低いが、島の五分の一ほどを占めるであろう山がある。
それが地下の集団墓地というわけらしい。
「荒鏤山の麓にあるお宅が、
冥府の主とでもいうべき一族です」
「冥府? えっと……閻魔大王みたいな?」
「閻魔信仰とは少し違うと思いますよ。
荒鏤は地獄じゃないし、荒津様は死者を裁いたりしません。
そもそも私たちに地獄という考えは無いのです。
死は眠りに過ぎない。どうせ行きつくべきところは空磯ただ一つ。でも、寝床は必要でしょう?」
二ツ河島は死生観まで独特であるようだった。
「荒津さんは、寝床を死者の魂に提供してる……ってこと?」
「そうですね」
閻魔信仰を理解していて比較対象に出来ている以上、信仰の独自性に自覚はあるらしいが、真祈の語り口はあっさりとしたものだった。
「これで粗方説明は出来たかな。
後は、診療所が魞戸にあることと、金曜日にフェリーで移動販売車が来ることくらい知っておけば、生活で困ることはないでしょう」
真祈は潮風を受け、小さな孤島を見下ろすが、その視線に住民や自然への慈しみなるものは感じられない。
真祈は島民を、神の僕のそのまた僕と言った。
与半は、宇津僚に対し罪を償うべき身と言った。
真祈の輝かしい紫色の瞳の中は虚無だ。しかし同時に、全なる絶対的なものを捉えているのだろう。
つまり、空磯を。
鎮神には、ある考えが浮かんだきりこびりついて、離れなかった。
『光の舟に乗った、銀色の神……? まるで、UFOに乗った宇宙人……』
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