第6話
「私は
不気味なまでに均整のとれすぎた姿は、紫色の大きな瞳と朗らかな口調で、無機質な印象を打ち消している。
真祈と名乗ったその人は、鎮神の傍らにしゃがむと、鎮神を観察するかのように鼻や前髪が擦れるほど顔を近付けてくる。
麝香の香りは、真祈の体から放たれていたようだった。
鎮神は布団を蹴って、壁まで退る。
「ここはどこなんですか……? ちょっと状況がよく分からないんですけど……」
「実は私も今しがた仕事を終えたばかりで、よく状況が分かってないんですよね」
真祈は、与半と宮守に振り向く。
そのなりで仕事しているのかとか、今自分がどこに居るのかすら把握していないおれと困惑の程度を一緒にするなとか、色々思うことはあるが整理できない。
「しかし察するに、少々手荒なやり方で連れてくることにしたようですね」
「はい、玖美様が、その方がやりやすいだろうと仰るものですから」
真祈と与半の会話の意味を受け入れかねているうちに、真祈に手を引かれた。
「喉渇いたでしょう。客間にいらして、ゆっくり話しましょう」
確かに、夏の暑さの中で何時間も眠りこけていた体は、汗に湿り、その代わりに内側の水分を失っていた。
真祈の言葉を聞くなり、与半は立ち上がって小走りに部屋を出て行った。
そろそろと立ち上がると、真祈がよろめく身体を支えてくれた。
鎮神が寝かされていたのは、二階だったらしい。襖には淡く色付けされた花鳥が描かれているが、それでも建物そのものの陰気さは拭えない。
部屋には小窓しか無かったが、廊下には大きな窓があり、そこから見える空は青白い早朝のものだった。
最後の記憶が昼過ぎということは、昨日の夕方や夜は丸々眠りこけていたことになる。
高い庭木と深い朝霧が邪魔して外の景色はよく見えないが、畔連町では聞こえるはずのない海鳴りが微かに大気を震わせた。
「本当にここはどこなんですか……おれ、攫われて……」
強い語調で真祈に迫ろうとするが、咳き込んでしまう。
「無理に喋らないで。お茶を御用意させますから、そこで落ち着いて話しましょう」
真祈はおっとりと言うが、どこか感覚がずれている。
鎮神の恐怖や焦りは真祈には一切伝わっていないようだった。
階段を降りると左手に玄関、右手に続く廊下の先に客間があった。
古く広い、風雅な日本家屋といったところだ。
客間は二階よりもさらに豪華な造りで、出入口は色つきの硝子障子、中庭と前庭に向けて大きく開かれた窓があり、シックな調度品がレトロかつ爽やかな雰囲気だ。
中庭には花園と、池に浮かぶ東屋がある。
澄んだ美しい庭だが、コの字型の家屋に囲まれており、縦線の部分が東側で太陽を背にしているせいで水底に居るのかと思わせるほど薄暗い。
二人はテーブルを挟んで、ゴブラン生地のソファに向かい合う形で座った。
すぐに小太りの中年女性がお茶を置いて出て行った。
先ほど走って行った与半から、真祈が茶を御所望だ、とでも伝言を受けて用意したのだろう。
「遠慮せずに飲んでください」
そう言って自身も優雅に茶を飲む真祈を、鎮神は睨みつけた。
「馬鹿にしないでください。
おれは畔連町のアパートに居たはずなのに、いつの間にかここにいた。貴方たちに攫われたと言ってもいいんですよ。
このお茶だって、何が入っているんだか……」
すると真祈は鎮神の側に置かれたコップを手に取り、口を付ける。
確実に中身の減ったコップが再び鎮神の手元に返ってきた。
「毒なら入ってませんよ。これには、ね」
そこまでされては仕方なく、鎮神も喉を潤した。
それを見届けてから真祈が喋りだす。
「改めまして、私は宇津僚真祈。
ここ二ツ河島で、吾宸子……まあ、祭司のようなことをしております」
「二ツ河島……って、あのオカルトの!?」
「あ、ご存じでしたか?」
真祈がくだけた感じで笑うと、髪の放つ光がその形を変える。
見惚れると同時に、まずった、とも思った。情報源である翔のことは、彼女には隠しておいた方がいいかもしれない。さもないと、翔に累が及びかねない。
しかし二ツ河島とは、畔連町からはずいぶん離れた所まで連れて来られてしまった。眠っている間は丸々移動させられていたのだろう。
そしてやはり、母のメモはこのことと関係がある。
「えっと……たぶん知ってると思うけど、おれは諏訪部鎮神です」
「ええ、存じ上げています。
私が鷲本と宮守に、貴方を二ツ河島まで連れてくるよう命じました。
彼らも二ツ河島の住人なのです。
そこから先のことは彼らに丸投げしていたので私もよく知らないのですが……鎮神はどこまで自分にあったことを理解しているのですか」
「昼飯を食べてからすぐ、眠たくなって、目覚めたらここに居た。それだけです!」
「では睡眠薬を盛られたのでしょう。
玖美さんは、こちらの事情を話したところで鎮神がおとなしく二ツ河島へ来てくれるとは考えなかったということです」
「母がおれに薬を盛ったって言うんですか……!」
頭の中に浮かんだのはメモのことだ。
とても信じたくはないが、一時に鷲本、宮守と待ち合わせて、睡眠薬で眠らせた鎮神をナンバーが777の黒い車で二ツ河島まで運ぶ――そういう意味なのだろう。
久々に母の手料理を食べて、自分が作るのとは異なりやや濃い目の味付けを懐かしんでいた十数時間前の心が、一気に罅割れていく。
「では、まず関係性の説明から。
鎮神、貴方と私は異母きょうだいなのです。
私はあなたの父親とその本妻の間の子」
真祈のアレキサンドライトのように光る髪は異様だが、ベースは同じ銀髪だった。
父の血から受け継いだそれが、何よりの証拠なのだ。
「私と鎮神の父、淳一は既に故人です。淳一の血を引くのはこの世に私たち二人だけ」
自信に満ちた瞳。輝く髪。朗らかな声。なにもかもが眩しい。
「今更おれを探し出して、どういうつもりですか?
父は亡くなってるって言いましたよね……おれに遺産を奪われたいんですか?
それとも、罪滅ぼしでもしたくなりました?」
「遺産を奪い合う必要も、貴方に贖罪する義理も、私にはありません。私と鎮神は夫婦となるのですから」
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