第46話

「鷲本与半さんですよね」


 ふいに降ってきた声に顔を上げる。

 

 初対面ではあったが、目の前の相手が誰かはすぐに分かった。

 派手な格好に、中性的な美しい容姿。

 艶子の後夫の、深夜美だった。


「初めまして。宇津僚艶子の夫の、宇津僚深夜美と申します。

 いつも家の者がお世話になっております。

 ……ここ、座ってもいいですか?」


 娘がこんな女男を婚約者として連れて来たら、絶対に追い返すだろうな、と思っていたため、意外な好青年ぶりに面食らった。

 正面の席を指されたので首肯すると、深夜美はそこにトレーを置いた。


 彼は漬けまぐろの丼を注文したらしい。

 暫くは味の感想くらいしか話すことなく静かに食事を摂っていた。

 茶で後味を爽やかにしている段になって深夜美が話しかけてきた。

「相談に乗ってもらっていいでしょうか……。

 確か鷲本さんってお子さんいらっしゃいますよね? 

 私も二人の子の親ってことになったのですが、年齢が近すぎて今流行りの友達親子っていうんでしょうか、そういうのになってしまってる気がして……。

 真祈様はともかく、鎮神くんにはまだ父親らしい父親が必要なんじゃないかと思うと、私はこのままで良いのか不安で」


 深夜美は真剣に悩んでいるように見えた。

 今の自分に、父親として答えることができるのか少し疑問はあったが、与半はぽつりぽつりと口を開く。


「年齢が近いことは変えられない事実なんですから、親しげになるのはある程度仕方ないでしょう。

 叱らなくてはいけないときに叱ることさえ出来ていれば、父として機能しているのではないですか」


「なるほど、そういうものなのですね、父親って……」

 不自然な物言いについ眉が寄る。

 それに気づいたのか、深夜美は寂しげに微笑んだ。

「私の父は、とても参考にしていい人物ではありませんでしたから……」

「そうでしたか、失礼しました」

「いえ、気にしませんよ」


 派手な青年に陰が見え隠れする様に、目を奪われる。

 男にも関わらず髪を伸ばし、都会的な服を着ている異質な人物が、だんだん自分と地続きの人間なのだと実感出来てきた。


「深夜美様は、どうしてわざわざこの島にいらしたのですか? 

 きっとここよりも豊かな土地にいらしたでしょうに」

 与半はつい訊ねていた。

 深夜美はどう見たって、都会の空気を纏った若者だ。

「二ツ河島は母の故郷なんです。

 母が骸を埋めようと望んだ土地があって、その景色を見ていられる。

 そういう想いを度外視しても、穏やかで神秘的で、良い所ですから」


 小町も二ツ河島を美しいと思っているのだろうか。

 

 胸に何か痞えたような痛みがある。

 それが何か理解できずにいるうちに、深夜美は話を続けた。


「鷲本さんは立派に子育てなさってて凄いですね。

 実は、鎮神様はまだこの島に連れてこられた悲しみが癒えていないようで、気丈に振る舞ってはおられますがやはりお辛そうで……。

 それに対して、仮にも親として何もできないのが悔しいのです」


 それを聞いた与半は、顔を引き攣らせ、縋るように深夜美を見た。

 薄暗い食堂で、赤い双眸だけが異様に輝き、沈痛な面持ちを彩る。

 赤黒い闇が与半の意識を捕え、流れ込んできた。

 その赤は忌まわしい嗤いを浮かべていて、蛇のように執拗な動きで精神の隅まで這いずってくる。


 脳裏に、血塗れで眠る真祈の身体に手ずから火をかける自分の姿が見える。

 やはり若者に二ツ河島は似合わない。似合ってほしくない。

 鎮神のような哀れな者を救いもしない神のために、欲望、誅罰、罪業が繰り返される――

 こんな島は、二ツ河島は、滅んだ方がいい。


 だが出来るはずが無い、宇津僚家に歯向かうことなど。


 食堂の風景と冷静な思考が戻ってきたときには、深夜美は席を立っていた。


「では、そろそろ失礼しますね。相談に乗っていただいて、ありがとうございました」


 与半は呆けたように、その後ろ姿を見送る。

 まだとても家に帰れる気分ではない。

 もう少し時間を潰さなくては、と油に汚れた天井を見上げた。





 頬が熱く、足取りがふわふわと現実感に欠けるまま、鎮神は真祈の部屋へ走る。

「真祈さんっ」

 勢いよく襖を開くと、真祈は文机に向かって封筒を破いているところだった。

 しかし手を止めて、すぐに振り向いてくれる。

「どうしました?」

「あの、さっき報告書を受け取って……

 おれがデザインした服とか小物、ちょっとずつだけどちゃんと売れてるみたいなんです」

 すると真祈も心底嬉しそうに破顔した。

「それは良かった! 

 私も嬉しいです。

 ルッコラちゃんも喜んでいるように見えます」

「ルッコラちゃん?」

 真祈の目線を追うと、ベッドの上に鎮座している、白い毛並みに紫の瞳の『ヤミィちゃん』へ行き当たった。

 

 ヤミィちゃん初号はいつの間にか真祈の独特のセンスにより、野菜の名を固有名詞として冠していた。

 あくまでもヤミィちゃんは商品名なので、名を付けて可愛がってくれるのはありがたいことだ。

 無表情に作った、当然動くことなどないぬいぐるみだが、それ故に持ち主の感情を反映するのかもしれない。

「鎮神にも分かりますか、ルッコラちゃんの歓喜が」

「まあ、多分、多少は……」


 そのままの流れでなんとなく、ベッドを背もたれにして座り込んで他愛ない話を続けた。

 次に作ろうとしている服のこと。

真祈の手指の関節が甲につくほど柔らかいということ。

 鎮神はアンデルセン童話が好きということ。

 真祈は卵を電子レンジで温めて爆発させたことがあるということ。


 真祈の放つ麝香の香りが悲惨な運命の象徴ではなく自らの一部になって久しい。

 まだ少し怖いが、嫌ではない。


 脚を伸ばすため身じろぐと、手に何かが擦れた。

 見ればそれは開封後に打ち捨てられた封筒で、差出人は鬼村錬司という男性らしき氏名が記されており、本土のどこかであろう知らない町から送られて来ていた。

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