第7話 幼馴染とのやり直し

「ほらテルくん、早く早くっ!」


 六華に手を引かれ、俺たちは砂浜を駆けていた。


 ──海に行きましょう! なんだか、海が恋しくなってきました!


 という、六華のリクエストに応えた結果である。


 俺たちが生まれ育ったのは、海沿いの街だ。

 だからまぁ、その気持ちもわからなんでもない。


「んー、潮の匂いっ! やっぱりこれを嗅がないと調子出ないですねー!」


 オフシーズンの砂浜には他に人影もなく、見渡す限り俺たち二人だけ。


「……懐かしいですねー」


「……あぁ、そうだな」


 子供の頃、二人でよくこうして意味もなく砂浜を駆け回ったもんだ。


 もっとも、今とは前後が逆。

 あの頃は、俺が六華をあちこちに引っ張り回していた。


 まさか六華に引っ張り回される日が来ようだなんて、あの頃は思いをもしなかった。


 再会してから何度も感じていることだけど、こうして昔と同じようなことをしているとより顕著に実感出来る。

 本当に……六華は、あの頃とは大きく変わって。


 なんとなく、置いていかれたような気分になってくる。


 俺はまだ、三年前のことを引きずったままだから。


 あの時から、まだ踏み出せていないから。


「ふぅっ……!」


 満足したのか、六華のペースが徐々にゆっくりになっていく。


「やっぱり、失敗やら何やらでモヤモヤしてる時は運動するのが一番ですねぇ!」


「……お前、そんな体育会系だったっけ?」


 むしろ、インドアの局地って印象だったんだけど。


「あれ、言ってませんでしたっけ? 私、中学では陸上部ですよ?」


「初耳だな……」


 かつての六華の印象からは程遠い。


 けど、今の六華なら運動部所属だと言われても納得出来る。


「……おろ?」


 ふと、六華が俺の腕に目をやった。


「テルくん。そこ、怪我してますね?」


「うん……?」


 そこに目を向けると、確かにちょっと出血していた。


「ここまで来る間に、どっかの枝にでも引っかけたかな……?」


 言われるまで気付かなったレベルだし、痛みも特にない。


「ちょーっと待っててくださいね。今、手当しますから」


「別にいいよ、これくらい」


「駄目です! こういう小さな傷だって、バイキンが入ったりして危ないんですから!」


 語気を強めて返してきながら、六華は自分のポーチを探る。


 かつて、何度も繰り返された類のやり取り。

 普段は気弱で引っ込み思案なくせに、こういう時は頑として譲らないのが月本六華って女の子だった。


 こういうとこは、変わってないんだな……。


「じゃじゃん!」


 効果音を口にしながら、絆創膏を取り出す六華。


「ふふっ、テルくんったら昔からすぐにあちこちに傷を作っちゃってましたからね。こんなこともあろうかと、ちゃんと持ち歩いていたのですよ」


「流石にもうそんなヤンチャ坊主じゃねぇよ……」


「でも、こうして傷作ってるじゃないですかー」


「まぁ……」


 それを言われると、否定しづらい。


「それじゃ、ジッとしててくださいね」


 六華は、俺の腕を持ち上げて。


 チュッ、っと傷に口付ける。


「っ!?」


 思わず、ビックリして腕を引っ込めてしまった。


「あっ、ジッとしててって言ったじゃないですかー!」


 不満げに六華は眉根を寄せる。


「いや、お前が急に……! てか、何してんだよっ!?」


「何って、消毒ですよ。流石に消毒液までは持ち歩いてませんので」


「そういうことじゃなくて……」


「? 昔は、よくこんな風にしてたじゃないですか」


 六華は何が問題かわかっていないようで、疑問顔だ。


「今度こそ……これでよしっ、と」


 それが、俺の傷に絆創膏を貼っつけて満足げなものとなった。


「あのな……」


 ここは流さず、ちゃんと釘を刺しておくべきだろう。


「いいか? お前は……」


 もう大人の魅力を備えた女性なんだから、そういうことはやめろ。

 そう口にしかけて、寸前と思い留まる。


 なんか恥ずかしかったし……あと、ちょっとキモいというか。

 六華は純然たる医療行為として行ってくれたのに、それをエロいものと見做してる感が出てしまうというか。


「私は……何なんですか?」


 途中で言葉を止めたせいで、六華は不思議そうに首を傾けていた。


「んん゛っ」


 咳払いを一つ挟む間に、どう伝えようか考える。


「……お前は、もし逆の立場で俺がさっきと同じことをしたらどう思う?」


 結局、ちょっと日和った感じの伝え方になった。


「別に、逆の立場であっても……」


 今度は、六華の言葉が途中で止まる。


 かと思えば、何を想像しているのか見る見るその顔が真っ赤に染まり始めた。


「テルくんのえっち!」


 そして、なぜか俺の腕がペチンと叩かれる。


「そんな、ペッティングなんて……お外でそれは流石にレベルが高すぎです!」


「直接的な単語を口にすんなよ……ていうか、そこまでは言っていないわ」


「くっ……手当てに託けてペッティングさせるとは、あの純情だったテルくんがすっかり上級者に育ってしまったのですね……!」


「俺がやらせたみたいに言うのやめてくれる!? ていうかその台詞、そっくりそのまま返すわ! 純情だった六華ちゃんが今やこんなだよ!」


「あ、それはちょっと間違いですね。純情な六華ちゃんなど最初から存在しませんでした。私は当時、ムッツリだっただけです」


「何度もその事実を突きつけてくるのもやめろ!」


「今にして思えば、傷を舐めるという行為に若干のエロスを感じていた気もします」


「思い出まで汚してくんなよ!?」


 ていうか、海にまで来て何を言い合ってるんだ俺たちは……。


「とにかく!」


 この不毛な話を打ち切るべく、語気を強める。


「あんま、無防備にこういうことすんなよ? 俺はまぁわかってるからいいけど、他の奴はそうはいかないんだから。男なんて、ちょっとしたことで勘違いする生き物……」


「テルくん」


 言葉を遮ると共に、六華は俺の唇に指を当てた。


「それも、間違いですよ」


 ちょっとムッとしたような表情だ。


「というか、少し心外です」


 口にしたのも、そんな言葉。


「私がこんなことをするのは、誓ってテルくんにだけなんですから」


 それは……たぶん、『幼馴染だから』だとかじゃなくて。


 だからこそ、俺はなんと返せばいいのかわからなくて。


「……そうかよ」


 結局、ぶっきらぼうにそう言うのが精一杯だった。


「はいっ、そうなのです!」


 六華が、嬉しそうに微笑む。


 昔はレアだったけど、今はよく見せてくれるようになったこの笑顔。

 今も昔も、否応無しに心音が高鳴った。


 最初は、六華の変化を少し寂しく思ったりもした。

 なんだか、俺の知っている六華が遠くに行ってしまったみたいで。


 だけど、結局のところ六華は六華だってわかってきたから。


 六華の、昔と変わらない部分を見ても。

 六華の、昔と変わった部分を見ても。


 どっちも、等しく俺の鼓動を速める。

 知れば知るだけ、ドキドキしていく。


 それをを自覚する度に、実感する。


 俺は、昔と変わらず……いや。


 昔よりも、今この瞬間にも、六華のことをもっと好きになっているんだって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る