第10話 幼馴染に対する想い③

 その日の夜。


「おい弟、湿度が高いぞ」


「はぁ?」


 リビングで寛いでいたところ、姉ちゃんから謎の因縁を付けられた。


「別にそんな湿気高くも感じないけど……エアコンくらい自分で付けろよ」


 文句を言いつつもリモコンを手にとってしまうのは、弟の悲しいサガってやつである。


「そうじゃなくさぁ……いつまでも辛気臭い顔してんなってお話よ」


 けれど、次の言葉でギクリと顔が強張ったのを自覚する。


「……うるせーな、この顔は生まれつきだよ」


 この程度の憎まれ口が、精一杯の反抗だった。


「んなことないっしょ? 小さい頃は、ねーしゃんねーしゃんって笑顔でいつもアタシの後についてきてたじゃん。あの頃は可愛かったのにねぇ」


「そんな可愛い照彦くんはとっくに死んだんだっての」


 実際、この姉を慕っていたという事実は割と黒歴史だと言える。


 いやまぁ、別に今も嫌いではないんだけどさ……。


「六華ちゃんの件、いつまで保留し続けるつもりだ?」


 ただ、無駄に俺の心を正確に見抜いてくるところは厄介に思っている。


 ていうか、いきなり核心に踏み込んできやがって……。


「……姉ちゃんに、何がわかる」


「ぶっちゃけ、大体のことはわかってるつもりだけどぉ?」


「そんなわけ……」


 ないだろう、と続けるより前に。


「三年前、六華ちゃんから告白されたお前はそれを断った。時は流れて現在、お前を追いかけてきた六華ちゃんは大きくイメチェンしてお前にアタック中。三年前にフッた手前もあって、自分にそれを受け入れる資格があるのかわからず悩んでる……って、ところか?」


「……クソが」


 あまりに正確な現状認識をお出しされて、思わず悪態が口を衝いて出た。


「……俺が」


 けど、それで逆に諦めがついて。


「三年前、六華をフッた理由は」


 その言葉を皮切りに、話を始めた。


「俺が、弱かったから」


 三年前の、俺の想いを。


「姉ちゃんは、知ってるだろ? あの頃の俺が、キャラを演じてた・・・・・・・・ってのは」


「あぁ、ピエロやってた頃な?」


「ま、傍から見りゃそうだったろな」


 苦笑気味に同意する。


 当時の俺は、『明るく社交的な自分』というキャラを演じていた。

 勉強も運動も大して出来ないチビデブが学校で平穏に過ごすための、子供なりの知恵ってやつだ。


「そんな俺を、六華は好きだって言ってくれた」


 それ自体は、嬉しかった。

 本当の本当に。


 だけど。


「いつも皆を笑わせようとしていて」


 それは、俺の擬態だ。


 馬鹿みたいにおちゃらけることで、本当に馬鹿なのを隠していただけ。


「失敗を笑われたって怒らなくて」


 それは、俺の逃避だ。


 なんでもないことみたいに振る舞って、卑屈に誤魔化していただけ。


「いつだって笑顔で」


 それは、俺の仮面だ。


 心に渦巻くネガティブな感情に、蓋をしていただけ。


「誰にだって優しい」


 それは、俺の恐怖だ。


 誰からも嫌われないよう、八方美人をやってただけ。


「六華が好きだって言ってくれたところは、見事に俺が演じてる部分ばっかだったよ」


 苦笑が深まったのを自覚する。


「六華は、俺のことを好きだって言ってくれた。だけど、六華が好きになったのは俺であって俺じゃない。俺が作り上げた、俺の虚像でしかない」


 六華が言葉を紡ぐ度に胸が痛んだのを、昨日のことのように覚えている。


「そんな俺に、六華の告白を受け入れる資格なんてない。自分を偽っている俺が告白を受け入れるだなんて、六華に対しても失礼だろ。そう思って、断った」


 その想いは、今だって変わらない。


「あの時の選択が間違ってたとは、今でも思ってない」


 仮に時が戻ったとしても、同じ答えを返すと思う。


「でも」


 けれど。


「俺が自分を偽ってたせいで……素の自分を晒せなかった俺の弱さが、六華を傷付けてしまったことは……本当に……」


 申し訳ないとか、心苦しいとか。


 そんな言葉では言い表せないくらい、後悔している。


「こんな想いを、六華に話すべきなのか……どう謝ればいいのか……いや、そもそも謝るのもなんか違う気もして……でも、何も触れないってわけにもいかないと思うし……」


 どうするのが正解なのか、ずっとわからずにいる。


「今でも、六華は俺のことを好きだって言ってくれる」


 本当に、意味がわからないくらい幸運なことに。


「けど」


 だからこそ。


「俺は……この三年で、それなりに変われたつもりでいた。見た目もそうだし、中身も……今は、何も演じてるつもりはない。自然体で誰とでも接してる……つもりだ」


 少なくとも、峰岸や鈴木相手に対してはそう出来ていると思う。


「でも、六華と接してるとどんどん自信がなくなってくる。六華の変化を実感すればするほど、自分は全然変われてないんじゃないかって気がしてくる。結局、六華相手には本音も晒せないで……それは、自分を演じてたあの頃と何が違うんだ? 本当に、俺は変われたのか? 変われてないなら……」


 話しているうちに感情が高ぶってきて、くしゃっと自分の髪を握る。


「俺はやっぱり、今でも六華を受け入れる資格なんてないんじゃないか? 俺はまた、六華を傷付ける結果に終わらせてしまうんじゃないか?」


 結局のところ、それが一番の悩みだった。


「……って、思うんだよ」


 気がつくと、思っていたよりずっと踏み込んだ内心を吐露してしまっていて。


 今更ながらに、恥ずかしさと気まずさが訪れる。


「なるほどな?」


 それでも、姉ちゃんから何かしらの答えがもたらされるのであれば。


 この時間も、無駄ではなかったと言えよう。


「一通り聞いて、アタシから言いたいことは一つだな」


 さて……どんな答えを示してくれるのか。


「知らんがな」


 オッケー、完全に無駄な時間だったみたいだ。


「おま、こんだけ長々と語らせといて……!」


「いや、勝手に語ったのはそっちじゃん?」


「そうだけども! 焚き付けたのは姉ちゃんの方だろうがよ!」


 姉ちゃんの横暴は昔っからではあるけども、流石にこれは看過し難いレベルである。


「つーかさー、弟よ」


 あーはいはい、もう後は聞き流そう。


「お前、何をずっと過去についてグチグチグチグチ言ってんの?」


「……そりゃ、過去に端を発する出来事なんだから過去に立ち返るのは当たり前だろ」


 そう思ったのに、ついつい反応してしまう。


「六華ちゃんが、それを望んでるのか?」


 それはたぶん、姉ちゃんの言葉が正しいと直感的に理解してしまっているから。


「謝ってほしいって、言ったのか? 断った理由を教えてほしいって、言ったのか? 過去のことを清算してほしいって、一言でも言ったのか?」


 ザクザクと、心に突き刺さる。


「六華ちゃんは、未だに過去を見てるのか?」


 ──あっはー! テルくん、過去は振り返っちゃ駄目ですよ! 今を生きましょう!


 再会直後に、六華が言っていた言葉。

 ぶっちゃけ、ボケの一部だと思ってたけど……そこに、六華の本心が含まれていた……のか……?


「アタシはそうは思わない。あの子はとっくに今を生きてる。お前との未来を望んでる」


 たぶん、そうなんだと俺も思う。


「だったら、お前が向き合うべきか過去なのか? 違うだろ」


 あぁ、きっと違うんだろう。


「今の六華ちゃんと、向き合えよ」


 ストンと、その言葉が胸に落ちてきた。


 俺は、ずっと過去を理由に今の六華とちゃんと向き合ってなかったのかもしれない。


 結局、あの頃から変われてないのかもしれないけど……それなら、今からでも変わればいい。

 もちろん六華を傷付けた過去が消えるわけじゃないけど、六華がもう前を向いているっていうなら俺も……。


「あぁ、それと」


 前向きな気持ちになり始めていた俺へと、姉ちゃんはついでのように付け加える。


「お前、六華ちゃんを甘く見過ぎ。あの子は、お前のもっと深いところまで知ってるよ」


 そうなんだろうか?


 そうかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。


 俺は、六華のことについて何もわかってない。


 今まで、自分のことばっかりでわかろうとしてこなかったから。

 わからないことを理由に、ちゃんと向き合ってこなかったから。


 六華は、ずっと真っ直ぐに接してくれてるってのに。


 未だに、六華の気持ちにどう応えるべきかの答えは出ていない。

 でも、その答えを出すためにも。


 まずは、『今の』六華と向き合おうと。


 そう、思った。


 そして……今度こそは。

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