No.8 復讐の火

 

「良くやってるわテオドールぅ…でもまだよ」


 おすわり♪


「は、はひぃ」


 テオドール=グランボルカは王室外務官である。

 トロンリネージュ国家を代表して他の国々と様々な交渉をする部署の最高責任者という事になる。アンリエッタが憤怒したあの全体会議の夜――ソイツは王都の本宅ではなく、郊外にある湖畔に建てた別宅に居た。


「あのメスガキめ。このアタシに黙れなどと言っていたわねぇ」

「あの憎き売女めがワシのファジーロップさんに!」

「言わせたわねぇテオドール」

「は、はひぃ」


 そして此処は寝室のようだ。

 譲っても趣味が良いとは言えない原色朱色マゼンダをベースに仕上げられた家具とシーツ。真っ赤なカーテンと黒い床は、此処で何が起こっても、何が零れ落ちても後に残らない。そんな場所である。


「あんな小娘にヤリ込められるなんてねぇアハハっ」

「あの、アレは違うのですあの売女めが」

「アタシよりあの子の方が怖いのかしら」

「貴女より美しく恐ろしい女神はおりません!」

「でも恐れたわアナタは。あの女に」

「そ、それは」

「保身、安寧、防衛本能。……高位の魔族は体表面に結界を持つけれど、人間は心の中に防御結界セキュリティシェルを持つ」


 二十代とも三十代とも見て取れる女はベッドで官能的な声を鳴らす。異常なフェロモンを感じさせる”メス”と言ったら良いのか、そんな印象を受ける。


「アタシがテオドールにわざわざあげているのはその壁を取り払って欲しいから。アナタに英傑の如く胆力と、それに見合った地位を与えたいから」


「そうですそのとおりですありがとうございました」


「アタシの声だけでイッちゃうなんてアハっ…お速いコト」


 差し出された足にムシャぶり付いている男を見もしないで女は一考していた。


(あの女にはカリスマがある。やっと先代を亡き者にし、御輿に担ぎ上げたはずのガキが……まさかあれほとは)


 アンリエッタ=トロンリネージュ。

 政治と人心が解っていない唯の才女だと思っていた。実際に王室では彼女への反発の方が多い。案の定絶対王政の廃止等というお花畑から湧いた立憲には皆が嘲笑したものだ。


(それを突いて一気にテオドール率いる貴族派から王室を乗っ取る筈だったのに……おのれあの女)


 だが蓋を開けてみれば、皆が侮っていたアンリエッタの奇策は実に巧妙だった。貴族制度のみを撤廃し、平民に自由権利を与え、それを国の法にて縛るという民主王政制度。民衆に商売の自由を与え、その各方面に定められた税金を王室から管理貴族に分配するという類を見ない新体制であった。既に民衆の中には自治会を発足した集団も出てきており、これまでにない圧倒的な支持を得ている。


(おかげで強行策に出るしかなかった……このアタシが)


 このまま貴族派閥がアンリエッタを潰しに入れば民衆は憤怒し革命が起きるだろう。恐ろしいのはそれを全て計算の上で行ったという手腕。


「テオドールこの後の事は解ってるわね」


「はぃぃ(ベロベロ)お任せぉ。もう少しでこのボクが国を手に入れられるんですねぇ」


 静かな寝室に舌打ちが鳴り響く。

 テオドール=グランボルガは上から下から縮みあがって起立した。


「テオドール」

「はいぃぃ!」

「復唱なさい」

「聖戦という大義名分をアンリエッタに与えました!」

「アタシの根回しでね」

「あの頭に血が上ったメスは魔人討伐に軍を動かすでしょう!」

「そのあとは?」

「このテオドールの根回しで平民から徴兵を行います!」

「アンリエッタ派の平民をね」

「あとは出撃を待つだけの状態に仕上がっています!」

「やれば出来るじゃない……テオドールぅ」

「ひゃぃぃぃ!」


 長年グランボルガを支える敏腕女史はその敏な指でテオドールの身体を弄る。


「この国の戦力の要。第一魔導隊リシャール将軍そして第一騎士隊のユーリ将軍の手引も終わっているわ。ユーリ君には……少々手を焼かされたけどねぇ」


「流石はファジーロップさんだぐふフフフ」


 テオドール外交官の濁った眼には見えていなかったが、ファジーロップの背中には刀傷が深々とついていた――魔法剣の切り傷が。


「そうアタシの手回しはか~んぺきなの。皇女は精神的にも外交上でも軍を動かすしか無くなるでしょうし」


「でもファジーロップさん。アテンヌの姫は……本当に魔人に?」


「なにか?」


「い、いえ、魔人族が人間に与するなんて聞いた事が」


「ほんの三体の魔人に臆病な事だわテオドール。そして些細な事……初めに言った事をもう忘れた? 英傑の心を持ちなさい」


「は、はぃぃ!」


「それにアタナも外交官でしょ? 必殺の手札は最後に取っておくもの……違う?」

「そのとぉぉぉりですはぁあああああ!」


 下腹部を伝っていた指に力が入りベッドが軋んだ。テオドールの顔が苦痛と快楽に歪む。中年貴族の剥げかけて脂ぎった頭を視界に入れる女の瞳に光が灯った――欲望と色欲の光が。

 

 粗末で豚のような人間テオドールよ。


「心の防御結界を解き放て。アレが欲しくば疑念を捨て言葉のみを掲げよ」


「あぁっありがとうございますファジーロップさんんん!――しかしやはり魔人は……そ、その危険では」


「覇道を行きたくば修羅と化せ、お前はブタか? それとも歴史に名を残す英傑か」


 人差し指をクルクル回しながら。


「りょう、ほうでございますぅ!」


 ファジーロップは噴き出した。

 何とも人間と言うのは欲深で愚かで滑稽なのだろうと。弱小な因子核と身体しか持たぬこの世界最弱の生物。しかしこの欲望だけは上位種である魔人に匹敵すると常々思う。


「だ~ぃせいかいぃ♪」

「いやっほぉぉぉぉぉお!!!」


 滑稽だと爆笑するファジーロップの頭からぴょこんと耳が起き上がった――真っ白な兎の耳。まるでそれは男が発情時に肥大化させるアレのように。


 この夜、郊外の湖畔に常時の声が鳴り響いた。

 上位貴族の屋敷には必ず使用人がいるが、この家の使用人は既に湖畔の底に旅行中である。


 湖から上がる大きな泡とともに波紋が広がり水に映った歪んだ月の光が、王都に迫る最大最悪の夜を予見させ、妖艶と揺らめいていた。



 ◆◇◆◇



 地下室での出来事から翌日――

 アンリエッタはトロンリネージュ城大会議室に最高責任者達を再び集結させていた。


「ではアンリエッタ。決定でいいのだな」


 シャルル=トロンリネージュ公爵は姪に確認する。


「はい叔父様。兵二万にて、フォンダン近郊に駐在中の魔人を迎撃致します」


 議室に驚きの声が上がるが。


「恐れながら申し上げます!」


 トリスタン=ルロワ伯爵。

 王宮では数少ないアンリエッタの支持者で、彼女の指名で成り上がった財務大臣である。低い身分で高い魔法資質と技術を持っていた為、王室で爪弾きにされかけていた所をアンリエッタに救われた経緯があり、皇女を尊敬し慕っている。


「じ、情報によるとフォンダン近郊の魔人は、進行から既に五日も経っているにもかかわらず城塞都市に攻め入る気配がありません。これは何か別の目的があるのではと」


「兵法も解らぬ財務が口を挟むな!」


 第一魔導部隊リシャール将軍が吠える。

 王国最強の魔導士部隊を束ねる総責任者であり、最大魔法出力6,000ルーンを超える力と権力を持つ男。


「しかし恐れながら! 要塞都市フォルダンにも常駐の兵が五万おります。情報では三体如き魔人に、アンリエッタ様御身自らが進軍する意味がありますか!?」

「魔人は眷属共を呼び出すのを知らんのか戦力はこれでも少い位だ!」

「いやしかし! しかしながら――」


「何も知らん解らん英傑とは程遠い臆病で愚かな若造に、今の状況を面倒だが教えておいてやろう。こちらから招いた友国の姫がこちらの領地で殺されたのだ。このまま何もしないで黙っていれば、如何に属国といえど王族を見殺しにした責任追及をしてくるだろう」


 グランボルカ外務官が鋭い顔でトリスタンを睨み上げる。


「解るか臆病者の青二才。 何かしらアテンヌ側から言われる前に、こちらから打って出なければいかん」


 要はパフォーマンスを打って出なければ収まりが悪いと言っているのだ。親友を殺され、その敵討をする健気なアンリエッタ皇女。その美しい演出を属国に示したいという事だ。


「でも……でも何も、皇女殿下が前線になど」

「良いのですトリスタン」


 アンリエッタは笑顔で応える。

 トリスタンはそんな彼女に「でも殿下」と涙ぐんでいるが、柔らかな言葉とは裏腹に皇女の眼差しは鋭く、既に心を決めているかの様な気配に唇を結んでしまう。


「これも皇女としての勤め。それに魔人にLv1は通用しませんから私は演出、戦力共に誂え向きあつらえむきでしょう」

「良く決断なさったものです。このグランボルカ感服致しました。どうぞ先日の非礼お詫びさせて下さい」

「私の方こそ感情的でした……グランボルカ卿」


 アンリエッタは全く笑っていなければグランボルガを見てもいなかった。


「勿体のぅお言葉で御座います」


 しかしそんな事は関係なく、グランボルガが内心ほくそ笑んだのは言うまでもないが。


 皇女は凛と立ち上がる。


「皆の者! 我がアンリエッタ=トロンリネージュの名において宣言します――これは聖戦です! 無残にも殺された友邦アテンヌの無念と我が国の誇りと尊厳の為、悪の権化たる魔を討ち滅ぼさん!」


「「「おお!!!」」」


 一同が拳を振り上げ、ときの声を上げる。

 我らアンリエッタ聖騎士軍。悪の権化たる魔を討ち滅ぼすべしと。


(何か、いや絶対におかしい)


 一人だけ取り残されたトリスタン=ルロワは思った。いくら英俊豪傑えいしゅんごうけつなアンリエッタとはいえ一番の親友が殺された昨日の今日で、十八の娘が気持ちを切り替えられるものだろうか。


 トリスタンは敬愛する皇女に視線を流した。


(笑っていらっしゃる、のか……?)


 アンリエッタは色の失せてしまった瞳で人間ではなく空間を見ていた。気持ちが切り替えられるか――否。そんな事は出来ていない。出来てはいないが、もうアンリエッタにはどうでも良くなっていたのだ。


(絶対に……絶対に私は)


 どうしようもなく無礼な者も、金の事しか考えていない愚かな貴族も、どうでも良くなっていたのだ。そんな者達にどう思われ、どんな辱めを受けようとどうでも良い。


 既に見ていない。こんな下らない人間達など。


 だから决断出来た。

 だから従えられた。

 だから忘れられる事ができた。


 既に仇しか見えていなかった。

 親友をあんな姿にした、自分にあんな光景を見せた魔人共を――


(私の手で……必ず殺してやる)


 色の失せた女の眼が言っていた。

 その煌めく瞳に宿っていた一滴の闇、雫が広がっていく――それは煌めきを飲み込み業火となった。


 ていの良い、甘い蜜。


 殺された人間の最も望む事。


 ”復讐”という名の焔を灯せと。



 ◆◇◆◇



 トリスタン=ルロワは打ちひしがれていた。

 何の発言権もない、何も出来なかった自分に。


 城の右翼の棟”新月の間”と呼ばれるこの部屋は、いわいる空港の管制塔の役割を担う場所である。


 高い魔力を探知し、検索し、索敵する場所だ。


 無論、城下に攻め入られる様な事がない限り、索敵と伝達以外に使い道の無いこの施設は滅多と人が来ず、それ故に此処はトリスタンの憩いの場所となっていた。


「アンリエッタ様ぁ……行ってしまわれたぁ」


 望遠に切り替えた画面で既に城下街の街門を抜け、フォルダンへ向けて進行して行く皇女を見ていた。


「もし皇女殿下に何かあったら僕は…僕はぁ…グスッ」


 アンリエッタはトリスタンの真摯な心と能力を評価し、横領を内部からなくそうと准男爵(最下級貴族)から階位を上げて財務大臣に任命した。


 高い魔法資質を持つがその資質は戦闘より魔道具を扱う方に特化しており、それを評価しての采配だ。


「アンリエッタ様ぁぁもっと僕に勇気があればなぁ」


 今から追いかけるかとも思うが。


「でもなぁ僕なんかが行ってもなぁ」


 でも良いところを見せるチャンスではとも思う。


「でもなぁ僕呼ばれてないしなぁ」


 不毛な葛藤をしながら望遠を更に拡大する。


「か、髪をまとめられた甲冑姿もお綺麗だなぁ……ギャップ萌えってヤツかなぁ」


 そんな下らない事を考えながらコンソールを手早く操作していると妙な事に気が付いた。


「あ、あれ? 第一魔導部隊リシャール将軍が編隊に加わっていないぞ。騎士隊のユーリ将軍もだ。そんなはずは……?」


 そんな事はありえないのだ。

 王国の代表が参加するこの進軍。当軍の最高指揮官である将軍二名が皇女の身辺を護衛しない訳がない。


「それに、これは……」


 目にも止まらないスピードで魔導望遠姿鏡と魔法出力計のダイヤルを回しコンソールを叩く。計器が対象となる人間の魔法出力を素早く演算し、入力済みのリストから人物名を洗い出していく。


「第一、第二部隊がいない!? これは……殆どがLv1しか使えない第四部隊魔導兵だ――それになんだ?」


 魔人にはLv2以上の攻撃手段でしかダメージを与えられない防御結界が存在する。


「半分が正規兵じゃない? あれは徴兵された……平民!?」


 今回は正規兵のみで編成されたはず。

 そして財務を取り仕切るトリスタンには見に覚えのある顔がちらつく。王都に新しく発足した自治会の面々。


「あれは……皇女殿下支持派の平民じゃないか」


 強制的な徴兵で平民に大多数の死者が出た場合、皇女側の支持率は絶望的に冷え込んでしまう。


「ありえないぞこれは……これは何かある。皇女殿下に連絡を取らなければ」


 急いで部屋を出ようと椅子から飛び上がり、背後のドアを開けようとするが、勢いを出し過ぎてコードに足が絡まって大げさに転倒。


 そして失神した。


 自称皇女の聖騎士トリスタン=ルロワは、英雄になれない男だった。



 ◆◇◆◇



 自称聖騎士の部屋の上に男が立っていた。

 漆黒の佇まいであるユウィン=リバーエンドの体からは陽炎のように揺れる気が立ち上っている。


「成程そういう事か」


 陽炎が消える。オーラを閉じたようだ。


『確定ですね。国内に魔人の使徒と繋がる者が居る……全く人間というのは』


「アイツが居なくなってくれて助かった。ようやく内部の情報を収集できたな」


『どう致しますかマスター説得をされるので?』


「さっきまで城中をみたがな。皇女は親友を殺されて茹でたロブスター状態らしい」


「美味しそうですけどね」


「まぁそう言う事で聞き入れまいよ」

『という事は……?」

「どうしたものかね」

『嫌な予感がします』

「どうしたものかな……考え中だ」

『Dはとても心配です』

「考え中だ」

『…………』


 こういう時に良い案が出た試しがない。

 相棒の心境を知らず、ユウィン=リバーエンドは頭を捻る。



 ◆◇◆◇



「姫殿下宜しいでしょうか」

「どうぞ」

「ユーリ将軍とリシャール将軍は、先行してフォルダンの編隊と合流。そのまま挟み撃ちで当兵団と魔人部隊と対敵予定です」

「わかりました」


 伝令兵に毅然と頷く主君を見ながら、優秀な執事は周囲の気配を探っていた。


「……妙ですな」


 クロード=ヴェルトランはいぶかった。

 魔人の数は三体と聞いている。眷属が居る可能性を考えているとはいえ、こうまで大規模な軍を動かす必要があるだろうか。


(ほぉ……三割が一般市民で編成されている)


 更には正規の軍人と魔導兵が少なすぎる。全滅してくれと言われているようだ。


「クロード……アナタまで来ることはなかったのよ?」


 白い戦馬の上から呆れ顔のアンリエッタである。


「この執事が同行しなければ、誰が勝利の祝杯を用意出来ましょう? これはお嬢様の初陣。この役だけは老人にお任せ頂きたいのです」


「もぅクロードは過保護なんだから……でも”お嬢様”はお止しなさい兵士の士気に関わります」


「失礼致しました殿下」


 歩きながら丁寧に頭を下げるクロード。

 やりとりをしながらも執事の目付きは鋭かった。守護対象の皇女は冷静さと装っているが内心はボロボロ。現に高位級魔道士である彼女がこの状況に気付いていない。


(これは図られましたなぁククッ)


 脳裏に今日の編成を支持していた皇女の叔父シャルルと外務官グランボルカの顔が浮かぶが自分はあくまで執事。あるじにこちらから意見する事は出来ないし、絶対にしない。


(さて、どうしたものですか)


 嘆息してから肩を鳴らして意識を集中する。

 一流の執事は取り乱したりはしない。


(いかんな……心が躍り出しそうだ)


 しかしこの男――それだけではない。


(かの蝙蝠の存在が、お嬢様に吉と出るか凶と出るか)


 見届けようぞ。

 身体から出る陽炎を閉じる。


 魔人対敵までの距離――後二日。

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