No.10 激突武装気(ブソウオーラ)
灰色髪を濡らす剣士――ユウィン=リバーエンドの体力は限界に近づきつつあった。汗で体から水蒸気が上がり視界が狭まりつつあるが、その疲弊する体からは水蒸気とは別に揺れる陽炎が揺らめいている。
今より遥か昔の創世記――人魔戦争の最中に魔法言語を使えない人間用に開発された人体強化の術。平和を手に入れた人類が忘れつつある古のスキルの一つ。
この戦いにおいてユウィン=リバーエンドが使用しているのは気を広範囲に放出する力。相手にぶつけ、相手を探すオーラスキルは”
その人体の限界を突破しうる気の闘法を使用していたとしても現在、ユウィンの状況は芳しく無かった。本陣まで抜いて皇女に危険を演出したが敵が多過ぎる。すぐに次から次に出てくる兵に周りを囲まれてしまい埒が明かない。
「ゼェハァ……上手いこといかないもんだな」
『マスターは人心が解っておりませんから』
この軍の侵攻を止めるのが目的だが、単騎で二万の軍勢に打ち勝つなどという英雄談が現実に不可能なのは明白。プレッシャーは与えれようと、単騎という存在感が群衆のプライドを刺激して何としてでも取り押さえようと士気を上げる結果を生んでしまっていた。
「それには同意だ」
『だから言ったのに……』
「最悪負けてもすぐに殺されたりはしないだろうさ」
『打ち首だと思いますけどね』
「マジか」
『いくらマスターでも首を飛ばされたら死ぬと思いますけど』
「だがお前は出るなよ何とかする」
『ホントしょうがない人……』
大きく息を吸い込み、鍛え抜かれた肺に酸素を取り込む。
「いつも心配かけてすまないな」
『フンだ』
当然戦闘停止の合図が出ない。という事は自分一人の為に兵を引こう等とはまだ思われておらず、する気配もないと言う事。
「俺と違って元気な事だ」
無表情に突撃兵を打ち倒した時――放出していた気に強烈な反応。背筋に悪寒が走る。
「これは」
『奴ですマスター警戒を』
気を使用出来ない相棒でも解る圧倒的威圧感。
尋常ではない
「正に研磨された鉄の釘……か」
冷たい鋼が脊髄に突きたったような気配。
この鉄の気は急に現れたのでは無い。今迄は索敵に引っかからないようにその強過ぎる存在感を完全に消していたのだ。そういう事の出来るヤツだという事。
『我々二人ならば後れを取るなんて事……』
「人間相手に出るな。俺達は人殺しではない」
『向こうはそうは思っていませんよ何で意地を張るんです』
「マリィなら……あの太陽ならきっとそう言う」
『そんな事いわれたら……』
「あぁすまないな。いつも」
『もう自分の事だけ考えて生きるって、言ったてたのに』
「俺は自分の為に、やっている」
会話しながらも、周囲を見ていなくとも、息があがろうとしていても、運命に絶望しながらも、輝く想い出と武装オーラが燃えている。己の為に過去を愛し、消えかけた過去の想いだけに小さな種火を灯し続けて生きて来た。
「この距離での力の放出は威嚇……これ以上やる気か。そう言ってるんだろうお前は」
鋼の気配のみを見据え、周囲に群がる兵士を小太刀の峰が吹き飛ばしていく。
「お前の存在が”あの子”にとって是と出るか。それとも非となるか」
勝負といこう。
本心でいえば全く対峙したくはなかったが、もう少々暴れないと今まで苦労した意味も無い。
「魔人剣豪流破おおぉぉ――はっ!」
渾身の衝撃波を本陣側に打ち込み歩兵数十人をなぎ払った先に、居た。ソイツは居た。遂に対峙してしまったかと肩で息をしながら嘆息する。
「やっぱりアンタか。手加減できる相手じゃなくなった……だから手を抜いてくれるかな」
「冗談に聴こえない……変わった御方だ」
この場では絶対に戦り合いたくない相手であるが、仕方がないとも思う。これは賭けである。峰で握っていた小太刀を刃に戻し、全身に強化気を集中させて回復速度を引き上げる。
「アンタのせいで出鼻を挫かれこのザマだ」
「先日は唯の蝙蝠かと思っておりましたがいやはや……よもや鬼神の類でしたか」
クロードの薄ら笑いとユウィンの無表情が対峙する。
この男が居たが故に場内に進入する事が一切出来ず、情報を得るのに二日を要した。憶測でのオーラ放出範囲は三倍以上。恐らくユウィン以上にオーラスキルを磨き上げて来た達人。
「いやあああ!」
そこへ未熟な若い兵が背後から斬りかかって来るが、達人相手に視線を外すような場数は踏んでいない。
「用意始め、という間柄じゃないよな」
――バンッ!
「貴婦人の茶会でもありませねば」
正面を見ながら後方に飛び、そのまま兵士の頸動脈を蹴り込んで昏倒させる。
「剛・魔人剣――」
更にその蹴りの勢いを利用して眼前の執事に上空から打ち込んだ。
「
「フンはっ!」
――ガギンィィィィ!
「なっ!?」
「この剣筋……やはりゼノン源流の型」
無表情が思わず歪む。
この執事はなんと徒手の貫手で、オーラで強化された小太刀の斬撃を受け止めたのだ。
「
「源流スサノオ……やはり火の国の魔人剣」
「怖い野郎だやめときゃ良かった」
「つれない御方だ」
達人共は同時に名乗りを上げる。
「クロード=ベルトランと申します」
「ユウィン=リバーエンドだ」
小太刀に宿した
ボッ――!
間合いが瞬く間に侵食されていく。
「俺より速いのは予想済みだ」
「これを
ユウィンはワザと肩を抉らせ、反動で加速させた
「二刀流……まさに現世のイザナギ=ヤマトですか」
「ジパングの英雄ね……俺如きが恐れ多い!」
「ククク本当に面白い御方だ」
目にも止まらぬ超至近距離からの乱撃戦。
が、ユウィンの小太刀が先に止まる。
「見切られた!? こんな短時間で」
「剣筋を読んだだけです買い被りですよ」
「同じ事だろ」
ボッ――!
二指で小太刀を掴んでいたクロードの姿が消える。
(後ろ――何てスピードだこの執事。予想より速過ぎる)
一瞬の内に間合いを詰められ鋼の杭が如く徒手が迫っている。
(これは殺られるか)
体を捻ったが相手の方が速い。
(無理か)
正にに肝臓部分を貫かれそうになったその瞬間――今度はクロードにとって目を疑う光景となる。突如影から出現した身の丈もあるツルギが自分を吹き飛ばしたのだから。
二人は即座に体制を立て直し、再び対峙した。
「……驚きましたな」
「すまない相方が失礼した。だがこれは俺の仕業じゃないから死合ないらアンタの勝ちだったさ」
「死合いなら……なるほど」
出現した細身のツルギ。
この身の丈程もある抜身の大太刀の名は"ラグナロク"と言い、ユウィン=リバーエンドの主力武器にして
「だからまぁ退いてくれると助かるんだが」
正式名称は
「これは死合ではないと。確かにまた当方の兵士達は誰一人死んではいない」
執事は視線ではなく気で周囲を探る。
「こちらの勝手な事情だからな。見たところ指揮官ではないようだが、兵を退いてはくれないものかな……アンタの相手は正直御免だ」
「これは我が主が決めた事。私には出来かねる事でございます」
「だよな。先日城で覗いていた時から思っていたが見事な武装気だ。俺の
気の戦闘法の基本三種。
”
眼や耳にオーラを集中させ遠くの音を聴く又は見る。熟練者はアスディックと併用し使用可能。
”
”
「先程の凄まじい強化気の貫手に抜き足……アンタはゼノンの傭兵だな。それもこの技量は噂に名高い上位傭兵”
「お戯れを。唯の執事でございますよ」
「古い言い方で”天涯十星”…まぁ言いたくないならいいさ」
――ガッガキキキキン!
両者の間合いが再び重なる。
拳刃が火花を散らし高速で打ち合いながら距離が少しづつ狭まっていく。詰まっていくという事は得物のリーチの長いユウィンが速さで押されているという事。
そんな剣陣の中、周囲の兵がざわつき始めていた。
「おい……なんだ……アレ」
「アレが人間の動きか?」
「人であんな動きが出来るのなら…‥」
「俺達の今から戦おうとしている魔人は……」
既に他の者が入り込む隙間など無くなっていたからだ。風が巻き上がり、打ち合いで竜巻が発生している。兵士達は二人の戦闘能力に完全にのまれていたのだ。
(あ、あのクロードがこんなに強かったなんて)
一方アンリエッタの方は兵士達の心境とは少し違った。クロードは小さな時から自分を世話してくれるお爺ちゃん的存在だ。お腹が減りそうな時間帯には焼き菓子を、喉が乾いた頃合いに紅茶を持ってきてくれる孫思いの優しいお爺ちゃんであり王家専属の執事長。その男が戦いだしてからというもの、今まで二万の兵力で押され気味だった戦況が好転している。自分の執事を誇らしく思うが、今の状況は完全に良くない。
(兵たちが……)
たった一騎に三百近くの兵を倒され、初老の執事に戦況を変えられたこの状況。このままでは我が軍の士気が地に落ちる。現にこの戦いを見て戦意を消失してしまっている。後数時間もすれば魔人共との戦闘があるというのにだ。
(……私が何とかしないと)
アンリエッタは焦っていたのだ。
高速の打ち合いに火花が散る最中両者の間合いが重なったその時――場が動いた。クロードが眼前に迫る大太刀を自分から左に拳で反らし、そのままユウィンの懐に飛び込む。
(ここだ――)
それを逆に待っていたユウィンは指でラグナロクの留め具を外す。
「ぬっ!」
剣身部分が剣身と平行に2つに割れ、中から更に細い黄金色が現れた。
剣速が加速する――が。
「避けてくれるなよ」
「一太刀入れられたのは久方ぶりでございます」
「かすり傷程度でも光栄かな」
クロードは自分の手首に出来た切傷がを見て嬉しそうに微微笑む。そして興味深そうに外れて地面に転がる銀の剣身に視線を写していた。
「今までワザと重い剣身を付けておられたので?」
「それもあるが、外してしまうと人間相手にこの剣は軽すぎるんだよ。一対一では使いづらいから重くしていただけでアンタをナメていた訳じゃないさ」
外して落ちていた重い剣身を拾い、バチンとはめ込み元に戻した。大太刀は黄金色から再び銀の刀身へと戻る。
「噂に名高い東方ジパングのヒヒイロカネ。我が西方トロンリネージュでいう所の
「……良く知ってるな」
「そして対魔人用死殺技。……よもや貴方が数百年前から各地に噂を残す魔人殺し殿では?」
「……さてね。だが、そんな聡明なアンタならこの進軍が図られている事が解っているんじゃないのかね」
「魔人は三体ではない。そして王室内部にも敵がいましょうな」
「流石だ。そしてアンタの所の姫さんは復讐に憑かれている……この戦。姫さんに後悔しか残さんぞ」
「左様でございましょうね」
「何故兵を引かせない。アンタがその気になれば出来るはずだが」
「執事には執事の筋というものがございます」
「そうか……仕方ないな」
戦闘を続けるつもりだ。
そう判断し剣を構えるが執事にも葛藤があるのか俯いて拳を握っていた。
「主が間違った道を歩むならば身を挺して正すのが真の忠義でしょうな……しかしながら!」
「……なるほどそう言う事か」
「復讐であろうと何であろうと王位に着かれて一年。お嬢様が始めてアンリエッタではなく皇女として決断し、軍を動かされた聖戦で御座います。王家の執事が全力でお力添えをする理由がこれ以上に御座いましょうか!」
再び無形の構えを取る執事の身体から揺るぎない武装気が放出される。
地面の小石が鬼の気迫で震えていた。
クロードの気は今まで以上に高まっている。
「そうかその信念……いいなアンタ」
オオオオオオ……
対してユウィンも利き手と右足に全武装気を集中させた。
これは対魔人用死殺技奥義の型。
ユウィン=リバーエンドはクロード=ベルトランの強さを魔人族以上と判断したのだ。
「奥の手ですか。よく練られた素晴らしい武装気だ……心が踊るようです」
あくまで薄い笑顔を絶やさず、しかし心底楽しそうな執事の右指先に全ての気が集中する。
「天涯十星とやり合うのは初めてではない……押し通る」
「それは楽しみだ。実に」
人体強化オーラスキルの世界最先端国家である傭兵王国ゼノン――102年前に幼くして死んだ傭兵覇王姫マリア=アウローラを悲しんだ九人の盟友共は、マリアの残した最後の言葉に涙し、天に登った姫君を安心させようと、命尽きるまで自国民を守り、笑い、手を取り合って戦い、そして死した後星になったと言われている。
それゆえに謳われる――”天涯十星”と。
字名を持つ十人の上位傭兵。
姫を中心に彼女を守護する十の星。
またの名を畏怖され、敬われ、謳われる錆びた釘。
(”天涯”の名を知っている……この男、まさか本当に)
人類最強を誇るゼノンの
目の前の男を――ユウィン=リバーエンドを。
本気で相対せねばならぬ好敵手であると。
『マスター撤退を! 兵士達の士気は落ちました。これ以上は無意味です』
「いや、ここは白黒つけよう」
『マ、マスター?』
問いかけをに対して主人は口元を釣り上げて笑っている。いけない感情が暴走している。
『駄目ですユウィン様! お願いです正気を』
「大丈夫だ任せろ」
『駄目ですってぇ!』
主人は正気では無い。
この男は感情を失っており喜怒哀楽の怒りと哀しみが抜け落ちている。他の感情が無い分、残りの感情への欲求が強く出てしまう。通常時は屈強な精神力で押さえ込んでいるが為に無表情なのである。
「マリアの時は奢りがあった……切り結んでみたいんだあの男に。この一刀を」
だが心が震えるような瞬間にはスイッチが入ってしまい、これが良い方に転がれば良いのだが冷静さを欠く為に大概が悪い方に働く。
『止まって下さい!』
「おおおおおおおおおぉぉ!」
――――ズィドン!
大地を蹴ったユウィンの脚力で地面が抉り飛んだ。高位オーラスキル”縮地”――文字通り瞬きする間に執事との間合いが詰まる。対するクロードはカウンターの構えを取っていた。
真っ向から受け止め反撃するつもりだ。
(面白ぇ行くぞ奥義魔人そぅ――くっ?)
正に奥義を振り込もうかというその時、右の視界が闇に覆われた。何が起きたか不明だったが超人的な反射神経で高速移動中に方向変更を決断。踏み込みと逆の足で地面を蹴り執事の右脇をすり抜ける。
が、その先には――
「何ぃ――!」
「――え?」
ユウィンの右目を攻撃したのはアンリエッタの
通常オーラを使用するには身を削るような修練が必要であるが、アンリエッタは物心つく頃から自然に使えており魔力も常人の二十倍を誇る。
努力無しに魔法もオーラも操ることが出来る文字通り天才であるが、クロードの援護に入ったのであろう天才には戦闘経験がある訳ではなかった。
故に、自分の今いる立ち位置が達人二人の間合内である事と――この先を解っていなかった。
(くっそぉ)
高速移動中のユウィンがクロードの右脇をすり抜けた先にはアンリエッタがいたのだ。
(止まれ! このままでは斬り殺してしまう)
方向変更だけで精一杯で奥義を振り込んでいた上半身のモーションを止める判断が遅れた。その後必死に剣を引いたが――出来ない。
縮地は自身の動体視力を超えうるスピードで敵の間合いに踏み込む技。高速移動中に方向転換出来ただけでも奇跡に近い。
「お嬢様ぁ」
クロードが叫ぶが間に合わない。
達人達は戦闘に集中し過ぎた。アンリエッタの接近に気付けなかったのだ。
(これは彼女の左胴から首に抜けるコースだ……クソ!」
ユウィンが必至に脳から身体へ命令を送るが――止まらない間に合わない。剣身の重量を戻したのがアダとなった。
(すまない。後で謝る)
これは無理だと諦め眼を閉じた時、音が響いた。
骨の砕ける音。
予想外の事が起きた。
腕と剣が止まったのだ。特に何をしても、されたでもないというのに。
(と、止まっただと……馬鹿な)
大地を蹴った瞬間からこの間、実に1.2秒の出来事である。
超高速で振り込んでいた剣がアンリエッタの左胴数ミリの所で止まっている。強制停止の反動で親指と人差し指が骨折し手首の骨も外れている。
剣が手を離れ地面に突き立つ。
(何が起きた……?)
「
混乱するユウィンの側面からの攻撃――脇腹に執事の掌底が肌に着込んでいた鎖帷子を貫通し、深々とメリ込んで鈍い音を立てる。
「ご…はぁっ」
腹部から鮮血が逆流し外部に放出された。
(戦闘中に動揺するなんて……やれやれここまでか)
これは立てない。
運が悪ければ腹の中身を持っていかれる衝撃だ。大人しく倒れよう。ユウィンの脳は本日三回目の諦めを導き出し、意識と視界が真っ暗闇に落ちていく。
「お嬢様!」
敵の戦闘不能を確認した執事クロードは、急いで戦いの気迫により腰が抜けて倒れ込んでいるアンリエッタを抱き起こした。
「クロード……?」
「お嬢様気付かれましたか。私がついていながら何たる失態……このクロード一生の不覚でございます」
「いいのです……クロード。私が、何とか頑張って皆の士気を上げなければと……勝手をしました。でも、でも未熟な皇女に出来ることなんて、元から無かったんですね……ぇ」
「お嬢様何をおっしゃいます。何をおっしゃいますか!」
叫ぶように語りかけるが、アンリエッタの身体に力は無かった。それは無理もなく、当たらなかったとはいえ一流の剣士の気で強化された気迫をぶつけられたのだ――それも始めての戦場で。
張り詰めていた糸が切れるどころの衝撃ではなかった事だろう。
「でも、私は……私はシーラのか、仇を」
アンリエッタの精神力が切れたのか、気を失う。
クロードは主を抱き抱え目を伏せる。彼女が意識を失いながら泣いていたからだ。
(ずっと張りつめておられたのか……無理もない)
冷静に脈と顔色、全身を素早く目視で確認する。どうやら命に別状はない、気を失っただけだ。
(残り少い寿命が縮みましたな。しかしお嬢様、貴方の演っておられる事は……間違いでございますよ)
クロードには信念がある。主が間違った道を行かれそうならば身を挺してでも正すのが真の忠義。そう言った自分の言葉を思い出していた。
言葉を噛み締め拳を握る――執事の拳から美しい赤い雫が、大地を潤し深紅の花を咲かせた。
◆◇◆◇
およそ一時間は経過したあたりで、俺は目を覚ました。
(どうやら生きている……か)
それなならば周囲の気配を確認し、状況を分析するべきだろう。背中に触れる床は木。そして不定期な振動に金属の音。かすかな獣の香気。これは馬の匂いだろう。
(……装甲馬車の中のようだ。そして手錠に足かせ。拘束されているか)
「素晴らしい回復力で御座いますね。正に不死身の男といった所ですか」
横っ腹に大穴を開けてくれた執事がそこにいた。
(……ふむ成程)
彼はどうやら俺を生かしておいてくれたようだ。
「そのオリハルコンにはヒーリング効果がおありで? それとも本当に不死身なのでしょうか。既に右眼と肋骨が修復されていますね」
試すような口調だ。
見張りにかって出たのであろう。この鋼の執事クロード=ベルトランは少々皮肉交じりである。拳を交えた好敵手は友と呼ぶ、という訳にはいかないらしい。
「よくも我が主を泣かせてくれましたな」
正直まだ内臓に違和感がある。動かない方がいいだろう。俺はまだ立てない為、仰向けで馬車の天井を見ながら適当に返した。
「そうか、それは男子冥利に尽きる経験をした。彼女は怪我をしていなかっただろうか」
「もう少々強めに打ち込むべきでしたかな? まぁしかしご心配には及びません。今はお休みになられておられます」
そういうが執事は口元を緩めている。
冗談が言える男のようだ。
「そうか良かった。てっきりあの掌底、中身をいかれると思ったが」
「これは死合ではない。貴方がそう言われておりましたので」
「見た所この馬車……王都に引き返しているように見えるが」
「貴方が単騎で突っ込んで来た。ということは貴方のお仲間が潜んでいるかもしれませんからな」
とぼけた話だ。
そう思っていたら執事は少々わざとらしく、大きめに両腕を広げ進軍予定だった方向を指さした。
「ここは先行していると思われる将軍二名にお譲りしました」
クロード曰くこういう事らしい。
先行しているユーリ将軍とリシャール将軍に、一時敵軍の調査と足止めをかけもらい。こちらは一旦戻って報告を待つと。
(成程思われる……ね)
執事め、初めから解っていたな。
こんな頭も手刀も鋭いじーさんには金輪際関わりたくないものだ。
「始めから撤退の機会を伺っていたということか……大した執事だよアンタ」
そして俺はどういう訳かこの執事、苦手ではあるが嫌いではないようだ。
「お戯れを……執事にはそのような意図はございません。あくまで執事でございますから」
クロードは足を崩した。
奇妙な関係の会話だが俺達はお互いに口元を緩める。
アンリエッタ皇女の予期せぬ負傷と、予期せぬ伏兵の存在。軍の隊列と士気の大きな乱れによりアンリエッタ聖騎士団は一時王都への帰隊を余儀なくされた。
馬車と軍は俺の計画通りに撤退し南下していた。
だが疑問は残る。
(あの時俺は、諦めたはずなんだ……)
馬車から少しだけ見える夕暮れの月を見ていた。
感情を半分しか持たない俺は、哀しみと怒りを持たない――故に感情の切り替えが異常に早く、出来る出来ないを頭と体で割りきって生きている。その判断は他人の手が加えられない限り絶対である。
俺はあの時完全に出来なかったはず。そして彼女が何かした様子もない。完全に素人の動きだった。
「
『はいマスター』
「お前か? あの時、剣を止めてくれたのは」
『いいえ。Dではありません』
少し申し訳無さそうに聞こえたが今はどうでも良い。
どういう事なんだあの女……アンリエッタと言ったか。
あの娘に、何かあるのだろうか。
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