No.7 世界一幸せな男


「お医者様が言ってたんだけど私ね、脳の障害で怒る事が出来ないんだって」


「俺は怒りと哀しみを失っている。君とは似たもの同士だな」


「うん、最後に逢えたのが剣士さんで良かったよ」


 最後と――少女は確かにそう言った。

 自分が現世に残してきた最後の”願い”を叶える為に。


 お日様みたいな笑顔で、そう言ったんだ。


 夜明けの太陽を見ると人は一日の始まりと終りを感じる。清々しい、爽やか、気持ちが切り替わるという。しかし絶対に昇らないといけない朝日は何を思っているのであろうか。懸命に期待に応えなければいけないと、毎日無理して天に登っているのではないか。


 何故関わってしまったのか。

 あの少女を救ってやりたいとか同情したとかそんな理由ではない。そんな感情は俺には存在しないのだから。理由はそれよりも悪く、安い。ただただ自分の為に他ならない。自分が”そう思いたい”というだけの理由。那由多にも感じた毎日の理由。飽きるほど寝て起きた毎日の理由が、たまたまそうなのかもしれないと思っただけ。


 燻ってた答えに辿り着けるのではと。

 本当の理由は、そうなんだ。


 あの子の笑顔が、アイツに似ていた・・・・・・・・だけなんだ。




 ――――400年前


 

 空気は澄み、木々は青々と生い茂って鼻に優しい香りを運んでくれる。

 街々は赤や灰色のレンガの建物が並び、地面はアスファルトの代わりに石畳が敷かれて長く歩くと足が疲弊する。電気ガス交通機関なんて無粋な物はこの世界にはなく、代わりに苦労と夢と時間あった。


 あの頃の俺はこの世界をそんな風に思っていた。

 それはもう呑気に毎日を過ごしていた。


 アイツが血を吐くまでは――――


 目の前に大きな石とレンガを積み上げた赤褐色の城が見えた。丁度目の前にパンを売っている露店があったので道とあの建物は何なのか聞いてみると、今年出来たトロンリネージュ魔法学園というらしい。


 とんでもない規模だ。

 ちょっとした国立大学位ある。

 元居た世界を懐かしみ、そして今住んでいる街と比べて溜息が出てしまう。


 我が家はとてもとても治安の悪い街にあるからだ。ハッキリ言って歓楽街である。そこら中で女の子が殴られて泣いてるわ、拐われるわ、物は盗まれるわ、病気は流行るわ戸籍の無い人ばかりだったりと散々な所だ。


(まぁ……いまや俺も似たようなもんだが)


 だがそんな街にも慣れてきている自分がいた。


「見てたよ~ユウィンっ♪」


 お花を摘みに行っていたこの女はマリィという。何とこの王都には下水道が完備されており、流石は人類最大の国の首都だと唸る思いだ。


「速かったなマリィなんのこっちゃ」

「驚くかと思ったのにぃ」

「そのくらいでビビるかよ」

「さっきのパン売ってた子さぁ」

「もう良い年だしそれに、あの街で暮らし始めて一年も経てばな」

「おっぱい大きかったよね」

「お前のがデカいだろよ」


 マリィがにんまりとにじり寄って来る。

 人通りの多いこんな所でやめんか痴女め。でっかい胸がぐにぐに当たっとる。


「道を聞くだけなのにわざわざ、おっぱいの大きい子ぉ探して声かけてぇ」

「戦利品もあるぞ」

「ほーんとお胸が好きなんだからぁ」

「ほれ、バケット買っといた」

「マリィちゃんのおっぱいというものがありながらぁ」

「旨いなこれ。ブルスケッタより小麦が良質だからか」

「他のおっぱいに浮気とはねぇ……姉さん悲しいなぁ」

「ほれマリィお前も食ってみろよ」

「ちょっともぉ聞いて――もっ」


 しつこくまくし立てる口にパンを捻じ込む。


「お前は俺の姉じゃないし、俺もお前の兄じゃない」

「モゴモゴケホケホ…マリィちゃんのちっちゃなお口が広がっちゃうでしょぉ」

 

 実際俺の方がかなり年上だ。


「何言ってんのもぉ…ただの会話の」

「兄でも親でもない。俺は、お前の男だ」

「フェ……っ」

「そんでお前は俺の女だろ。ほれ行くぞ」


 もう場所は聞いてあるのだ。

 今から向かう場所に名前は無く、ただ"アンコリオ"とかいう男が営むどんな病も治す魔薬(魔法薬)を取り扱っている店だ。


「ユ、ユウィンってホント……たまに」

「何だ早くいくぞ。この為に半年も必死で金貯めたんだからな」

「女慣れしてるっていうかこう、何?」

「知らねぇよ」

「本当に嬉しい事……言ってくれるよね」

「そうか」

「うん、そう」

「いつでも言ってやるから少し急ごう」

「私はずぅ~っと前から」

「あぁ」

「その言葉が、聞きたかったんだなぁ」

「大袈裟な……ん?」


 マリィは俯いてしまった。

 感動でもしてるのかと思ったが口の中に残ってたパンを再び食べだしたようで、またそれが美味しかったもんだから直ぐにいつもの顔に戻ってしまった。


(だが俺は、お前のその顔が一番好きだよ)


 お日様みたいな――君の事が。

 

「モグモグ……ユウィン」

「何だ」

「もももむむむん」

「旨かったか、そりゃ良かった」 

「パン屋さん」

「あぁ」

「ぜ~んぶ忘れてユウィンとパン屋さんを開いて暮らすの」

「悪くないな」

「うんホントそれ……悪くない」

「何でも出来るさ明日からは」

「でも多分……」


 それ以上は言わないでくれ――お願いだ。


 

 俺が仕入れた情報によれば大陸一の魔法薬品を取り扱っている店らしい。このアンコリオとかいう妙な名前は、創世記から代々不死の研究をしている一族の総称らしい。


 辺境のブルスケッタからこのトロンリネージュ王都まで片道馬車で一か月と徒歩3日、やっとたどり着いた怪しい店の老人はこう言った。


「この娘の病は薬で何とかなるモノではない」

「ふ、ふざけ――っ」

「ユウィン駄目!」


 激昂しそうになった感情を必死に抑えた。

 所狭しと置かれているガラクタが振動し、ホルマリンに浸かったビーカーに亀裂が入ったが、老人は少し周囲を見回しただけで少しも気にせず淡々と言った。


「病の話より小僧。貴様が何者か少し興味があるな」

「俺の事よりマリィの症状を……教えてくれ」


 少しだけ残念そうに老人は嘆息してから。


「これは病ではない。創世記に我が一族の創始者が書き記した記録にある」


「病じゃないなら」

「呪いだ。ウイルスという名の呪い……記録にはそうある」

「ウイルスは病だ! 俺の元いた世界では抗体を取り出して」


 俺はそこ迄言って言葉に詰まった。

 現代知識なんてものがあった所で今此処では何の役にも立たないと気付いたからだ。そもそも人類が殲滅に成功したウイルスは一種類だとか聞いた程度の知識で。


「我が始祖は賢者イザナギの力を借り、”賢者の石エリクサー”をもって呪いを消し去ったというが、今はもう定かではない」


「やっぱりそっかぁしょうがないねぇ」


「王都くんだりまで来て……それはないだろうよ」


「ユウィン? アンコリオさんは関係ない。怒ったら駄目っ」


 苛立っていた。

 収まりがつかない。

 全部ぶっ壊してしまおうかという悪い癖まで湧いてきそうだ。この女だけは、マリィの前でだけはその悪癖を封じ込めていたのに。


 ”諦める”という俺の悪癖を。


「アンタ達何処から来た」


「ブルスケッタからだよっ」


「ほうブルスケッタから……因果なものだなククク」


「どしたのおじーさん」


「お嬢ちゃんは死を受け入れておるようじゃが」


「こーみえて結構長く生きてるんだよっ」


「不死を求める一族を前にしてククク……面白い嬢ちゃんじゃな」


「ブルスケッタに何かあるのですか」


 冷静さを取り戻した俺は言った。

 雲を掴むような気持でだ。


「辺境の山脈に住む魔女……名をイザナミ」


 知っているかね?

 無論俺は知る由もないが隣にいるマリィの様子に緊張があった。コイツがこんな顔をするのは珍しい。仕事場にラリッた暴徒が押し寄せてきても顔色を変えない女が。


「ブルスケッタ北部の山脈に住んでいると聞く」

「そんな近くに……」

「マリィどうした」

「小僧……これは雲を掴むような話じゃよ」


 賢者の石エリクサー


「かの万能薬は賢者イザナギが魔女イザナミの病を治すために生み出したのだよ」

「その魔女はマリィと同じ呪いを患っていたと」

「記録にはあるが定かではない。答えは雲の上にある」


 そして――


「今も住んでいるか生きているかも解らない。大壁に最も近い辺境の山脈。魔人族が未だ闊歩する最果て。そしてあの膨大な範囲を探し、雲を掴めるかな? どうかね小僧やっみるか? どちらにせよ、この娘の命は後一年もつまいよ」


 俺達が店を出る前、アンコリオは最後にこう言った。


「小僧……お前は不思議な男だ。ワシの未来……後の世に繋がりを感じる」


 老人を背後に――俺は勢い良く扉を閉めた。



 眼から水滴が落ちた。涙だな、あぁ涙だとも。気付かれるとカッコわりぃから、さっきから歩幅を早めている。だというのにマリィはしっかり小走りで付いて来て、俺の顔色を窺っていた。


「ユウィンは優し過ぎるよぉそんなんじゃブルスケッタで生きていけないよ?」

「俺は育ちが良いんだよ」


 マリィがニコニコ笑顔を絶やさないように俺は仏頂面を絶やさない。


「でもね?」


 急にマリィは俺の前を駆け出した。

 そして振り返り――あの笑顔だ。


「あの街で、マリィちゃんの為に泣いてくれるのはユウィンだけさっ」


 感情には必ず理由がある。

 俺の”怒り”の理由は――こんな小さな女一人治してやれない無力感からだ。そんな事は解ってる。解っているのに感情すら上手くコントロールできず涙目になっちまう始末。 


 薄暗い部屋に居たので外の光が眩しい。

 マリィ=サンディアナ――彼女は名の通り太陽、照らす、暖かい、春、ひまわり、そして影。そんな女だった。


 一つだけ言うとすれば、不治の病に侵されている。ただそれだけだ。


 彼女は王都からの帰り、血を吐いた。


(雲を掴んであの空の上へ……あるかもしれない何かを)


 ブルスケッタ北部に広がる大山脈を見渡した。


 俺はその時、一度諦めた。

 ムリだ……この広大なエリアをたった一人で一人を探すなんて。


「いくらマリィちゃんが好きだからって危ない事しちゃダメだからね」


 彼女はそれから何度も血を吐いた。

 血を吐く周期がだんだん短くなってきている。


 俺は過去に大きな罪を犯していた。

 それは妄挙――俺は大事なものを捨てている。


 一度諦め捨てている。

 全てを捨てて、この世界へやって来た。

 これで二度目だ……諦めるのは。


「死んだりしないから、いつもの事だから」


 苦しむマリィの顔に心臓がドックと高鳴る。

 俺は三度諦めるようなクズにはなりたくなかった。


 俺は寝る間も惜しんで山を這いずり回った。

 全ては、雲を掴むため。


 そして半年後――


 見つけた。

 その女の名前はイザナミ=アヤノ=マクスウェルと言った。


「俺の、俺の女をぉ……助けて下さい!!!」


 何故だか解らないがその魔女は、随分と驚いていたように思う。 


「一つ……条件を」

「何でもします……ですから」

「その娘が天命で死んだ時、ワタシの所に来い」


 何だその条件は。

 そんな条件で良ければと、俺は魔女に約束の轍を結ぶ。


 マリィは既に俺自身よりも大事な人になっていたからだ。だから彼女が死んでしまった世界でこの魔女にどんな事をされようともう知ったことじゃないと。


 病は完治し、遂に俺とアイツは一緒に暮らし始めた。


 やりとげた。

 愛する女を救ったんだ。何かをやり遂げた事の無かった俺は歓喜に打ち震え天に吠えた。





 その半年後――――地獄を見た。





 半年間の幸せ。

 生涯始めて行使した俺の心底の努力など、この世界の神にはその程度の価値だったらしい。


 幸せな世界は炎に焼かれた――魔物の襲撃。


 奴らは魔人族――名をラビットハッチ。

 兎の顔をした異形の魔獣は街を、建物を、人を薙ぎ払っていった。


「ゲハハハハハぁ最高ダ最高の気分ダぁぁ! 」

「あぁラビットハッチ様ぁ力強いご主人様ぁ」

「存分に御暴れ下さいませハッチ様」

「ナブり殺しだぁモノ共ぉオ!」


 辺境ブルスケッタに魔物の怒号が響き渡る。


「ちぃっ…俺が足止めするマリィは逃げろ」

「ユウィン待って!」

「あの力を使う心配するな」

「駄目…ダメなのユウィン七皇鍵は今……」

「見ぃつけたわ。まだ隠れていたのがぁ」


 人型の魔物が立ちふさがった。

 前方には魔族の群れ――押し通るしかない。


「バニーの化け物とはな」

「おにぃさん欲情しちゃったかしらぁ」

「この街じゃそんな恰好は普段着だ」

「あらやだ。慣れてる男も嫌いじゃないですわよ」

「願い下げだ大事な女がいるんでな」

「わたしもお前なんぞタイプじゃないですわよぉハハ」

「お願い逃げてぇええ!」


 そこでようやく気付いた。

 身体がおかしい――いや違う。


 ――――ゾひゅん!


「ぐ、ぁぁぁあああああああ!」

「ユウィン! ユウィンー!」

「あらぁ口ほどにもないわ人間」

「マリィ動け……にげ」

 

 俺はその言葉を最後に、脳の動きが停止した。

 目の前に飛び込んできた映像。


「ゲハハ男は要らねェ女はドゴだぁあ?」

「御主人様デザートですね…アチラに」

「む…無理だ」


 俺からもぎ取った腕をブチブチ喰らう女と、兎の魔人のあまりの質量に脳が委縮して動かなかった。


 あぁ……此処はやはり異世界なんだ。


 今迄麻痺していた感覚がやっと開通したようなそんな既視感。


 命の価値が低い世界。


 あぁ……俺が来てしまったのは、こういう世界だっんだ。


(アレに抗うくらいなら、死んだ方が)


 諦める。

 命を賭して守ると誓った女を、今度こそはと意気込んだ信念を全て無責任に忘れ去って、生きる事を諦めた手が握りしめられた。


「……マ、リィ」

「私の手、暖かい? 大丈夫だよっユウィンは私を助けてくれたもの」


 俺を無理やり立たせて突き飛ばした。

 マリィとの距離が、手が直離れていく。

 どうして俺はあの時、手を離したのだろう。アイツと一緒に逃げていれば、あんな光景を視ないで済んだろうに。


「マリィぃ……あああああぁああ!」


「また泣いてくれたね。私の為に」


 どうして、どうしてそんな顔が出来る。あの笑顔が出来る。俺はすぐに諦めてしまったのに、恐怖に負けてしまったのにお前は何で。


「この街で、この世界でマリィちゃんの為に泣いてくれるのは……」


 ユウィンだけ


「だからきっと私は、このルナリスで一番幸せな女の子」

 

 マリィを助けてくれと天に祈った。

 

 でも、その後解った。

 きっとそうだ。

 俺はきっと”諦めた”んだろう。


 気付いた。


 俺は化け物に立ち向かわずに、アイツは化け物に立ち向かった。そんな凄い女を好きになった男は、ロクな奴じゃなかったという事だ。


 俺はお前の男だと言った事があった。

 言葉だけなど誰でも口から抉り出すだけで言える。


 半端で、愚かで、度し難い。

 結局こんな所迄来ても、俺は何も変わらなかった

 俺は既に、この世界に来た事を後悔しているのだから。


 気付いた。


 俺は四度諦めるようなクズだったんだ。

 そんな男が、幸せになって良いはずない。


 俺の名は『――――――』

 この名は仕舞ってしまおう。心の奥底へ。

 君だけが知っている君だけの名だから。


 屑じゃないと、少しはマシになったぞと

 心からそう言い張れる日が来るまでは


 そしていつかもし

 本当の望みが叶う時があれば

 再び天国の君に贈れるように。


 だから名乗ろう。

 ユウィン=リバーエンドと。

 この世界に転送された俺に、君が付けてくれた大切な名前だから。


 あの時の俺は君を救いたかったんだと。

 胸を張って言える―――その時まで。


 これはもう400年も昔の話になるのに


 今でも俺は、胸を張れないでいる。



 ◆◇◆◇



『マスターまだ外は冷えます。お体に触りますから』


 黒一色のメイド服に身を包んだ女。

 彼女はテラスに立つ俺に毛布を持って現れた。


 テラスには女と俺しかいない。

 星空にうっすら雪のチラつくテラスから見える室内は、豪華な装飾が施されかなり広い。視界に入るベッドには天蓋が吊るされ、テーブルや椅子もアンティーク調の良い物が揃っていた。


 ここは宿――それもかなりの高額が見込まれる宿泊施設だが、師匠に食わせてもらっていた頃と違って今現在はそこまで金に困ってはいない。


ディ……彼女を思い出していた」


『旅をするきっかけとなったマリィ様ですね』


「ブルスケッタ……やはりどうしても思い出せないようだ。あの街にいた以前の記憶が」


『マスターは……いえ、それが定めだと言うのなら流れのまま生きろという事でしょう』


「諦めろと」


『嫌いでしょ? だから言葉を選びました』


「やはりお前は竜王より奥さんのが向いているな」


『ハイハイその手には乗りませんよマスターは口が上手いんですから』


 まだ部屋に入るつもりはない。そう思った相棒はそっと毛布を掛けてくれる。


「すまない先に寝て良いぞ」


『Dはマスターのツルギ。刃物は主人の傍らにいるものです』


「剣というか腹黒メイドにしか見えんが」


『黒いのは腹ではなく鱗です』


「何だそれは竜人のことわざか何かか」


『唯の日常会話ですよ』


 このエプロンまで真っ黒なメイド服は彼女の趣味である。奉仕している気がするという理由だけで具現化の際はこの姿になると決めているらしい。


 夜風になびく長い髪までもが漆黒で肌は透き通るような白。だが人間として決定的に違う所は角――頭に生えた左右の角はミストルーンを溜め込む力があり、黄金に輝きを放っていた。


「それに具現化しろとは言ってないがな」


『マスターが心配でしたもので』


「お前の主人はそんなに弱いか」


『時々そう思います』


 俺は苦笑する。

 彼女とは長い付き合いだ。Dが心配してるという事は、いつもの無表情が余程に情けない顔になっていたのだろう。


装う者ジューダスを使うようになってからも随分経ったからな。疲れているのかもな」


『キッカケとなったのはゼノンの……』


「あぁマリアだ。懐かしいな」


 夜空を見上げる。

 ふと輝く星に目を奪われる――わし座の恒星アルタイル。どういう訳か「もっと苦しめ」そう言われているような気さえする。


ディ……装う者ジューダスを使うのは今回で最後にしよう」


『御心のままに』


「今回の依頼は必ず完遂しなければな。約束は――」

『断固とした信念を持って守るもの』


 マリィがよく言っていた言葉だった。

 無法地帯と思われる色町でも無言の法のようなものが存在する。それは信用だと彼女が良く言っていたものだ。


「一番大事な女との約束をたがえた……俺の言えたものではないが」


 ぼやく俺にDは少し表情を崩し、人差し指をピンと突き立てる。


『いい加減にっ! 暖かくして何か召し上がって下さい。結局今日も食べてないじゃないですか。マスターは不規則過ぎです。気分屋過ぎます。流され過ぎです。……もっと言います?』


 その仕草が可愛かったもので思わず少し微笑む。励ましてくれているようだ。


「解ったよ。持ち帰ったフォアグラでも食べて寝るさ」


『パンもテイクアウトしてありますので少々お待ちを』


「あぁどうせなら」

「炙ってサンドにしますね」


 以心伝心というヤツだろうか。

 

「出会った頃は肉を焼くしか出来なかったのにな」


「どれだけ一緒にいると? もぉアヤノ様より付き合い長いんですよ」


「マリィのヤツは料理が出来なかったからな」


「少しでも」

「……?」

「ほんの少しでもマリィ様の代わりになれるなら、です」

「そうか」

「そうですよ」

「俺みたいなのに献身な事だ」

「しょうがない人ですから」


 D――本名バハムート=レヴィ=アユレス。竜王国ソーサルキングダム元君主にて俺の相棒。コイツが居なければマリィの仇は……ラビットハッチは倒せなかった。


(しかし俺はヤツを殺し損ねた……いや)


 殺せなかったのだ。

 その理由は情けない事に今でも引きずっている。


(やれやれ……何処までも自分勝手な男だ俺は)


 空を見ていた。

 俺はもう何度諦めたか解らない。


(何故俺みたいなのを助けたんだ……マリィ)


 怒りを無くしてしまった復讐者。

 哀しみを何処かへやってしまった放浪者。


 俯き、辛く、心が痛む。

 毎日薄れゆく感情の先に彼女を思い返す。そうしなければ唯一残ったこの思い出すら忘れてしまいそうで怖い。お前を助けてやる。そう言っていた俺を何度も思い出す。死んでしまいたくなる程、己が情けなく感情が高ぶっている筈なのに。


 ……度し難い。

 今の俺は、涙の一つも出やしないのだから。


 時間だけはあるから実力は付いた。

 金にも困らないし、感情を失くした事で悲しむ事も何かに怒る事もない。宛てのない旅には竜人のメイド付きと来てる。


 相棒は言う、しょうがない人だと。


(全くもって度し難いな……俺は)


 君が付けてくれた大切な名を汚し、自分が納得したいだけの、解らない何かを求めて彷徨うだけの存在。それが今のユウィン=リバーエンドだ。


 きっとこれが、世界一幸せな男の姿なのだろう。

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