No.6 装う者(ジューダス)
翌日の昼下がり――
何か事件があったのか、城下が相当に騒がしい。
衛兵騎士や役人、魔導研から派遣された魔導医師が忙しなく駆けずり回っていた。役場から病院から王宮の保安部からの出入りも多いようで、通りを歩く市民に不穏が差し込む。
「わ…おいし」
そんな事をまだ知らない、知るはずもなかったアンリエッタは王族の園庭であるロイヤルガーデンにて、遅めの昼食を摂っている所である。
「こんなサンドウィッチ食べた事ありません」
「執事めは年甲斐もなく大きくなってしまいそうです……
「調子乗って良いですよコレ、とってもおいし」
「
「は~い」
されどクロードは嬉しそうに、しかし優雅に甲斐甲斐しい一礼を披露する。
「本日の昼餐はアテンヌの名産フォアグラトリィフを極薄でカットしてトマトを添えたパニーニで御座います。パンは香りの強いライ麦を。そしてあっさりした山羊のクリームチーズにアクセントとして、ルッコラとオリーブで仕上げました」
「炙って潰してあるのですねこのパン。食べやすいです」
「紅茶はアールグレイを」
「ミルクと」
「たっぷりの砂糖で割ったものを既に用意しております」
「はぁ……幸せ」
アテンヌのフォアグラだったか。
そう言えば親友がいつか、コッテリして食べられなかったとボヤいていたように思う。料理法が違うのかな? 小首を傾げながらも満足顔である。
「色々料理法はあるようですが、極々薄く切ってから軽く炙る事によって香りが立ち、野菜と組み合わせる事であっさりお召し上がり頂ける様です」
「私……声に出てました?」
「いえ、この執事めの独り言で御座いますれば」
余程解りやすい顔をしていたのかと少し恥じらうが、物心付く前から傍にいるクロードであるからしてと納得もする。それ故に先日の暴言が気になった。何故自分にあんな言い方をしたのだろうかと。
「いつも頭を捻ってくれてありがとう」
「執事冥利に尽きるお言葉、もったいのう御座います」
聞く程の事ではないか。
メイドにも細かい事を気にするなと言われた所だ。それにこんなに風が気持ちよく、ごはんも美味しいのだ。眉間にシワを寄せるのはもったいない。
いつもの喧騒を忘れさせてくれる穏やかな時間が流れていた。
――そんな時間も「知らせ」が入る迄だったが。
◆◇◆◇
――――数日前
「さて、どうしたものか」
迷子の少女を見つけてしまったユウィン=リバーエンドは周りを見渡した。丁度レンガ造りのオープンカフェが目に入る。時間が中途半端なのか一組も客は居ないようだ。
(丁度いい)
人目も無い事だ。
軽食を取りながらこの迷子少女の話でも聞こうかと、なるべく店内から離れたオープン席を陣取り正面の席に相手を座らせた。ずっとニコニコである少女の視線に何やら気恥ずかしさを感じながらも、疑問というのは湧いてくるものだ。
「さて迷子で記憶喪失の困ったお嬢さん」
「あははー長い名前だねー」
「大丈夫か……結構不味い状態だと思うのだが」
「そーだねぇ困った困った」
「やれやれ、覚えてる事はあるのか」
「えーっとねぇ」
何とも不思議な娘である。
その後質疑応答を何分か繰り返したが、覚えていないのは自分の事だけで、ちょっと変な娘ではあるがかなりの教養を施されている所作が見て取れる。世間知らずの名家のお嬢様と言った所だろうが奇妙だと思うのはソコではなく。
笑顔を絶やさないのだ。
それも全く。
こちらが話した事は全て一生懸命聞いている。返答もスムーズだ。しかし笑っている。特に王都にいるという友達の事となると凄い。顔から魔法粒子が放出されているのではという輝きを見せる。
(こんな裏の無い笑顔を見るのは……久しぶりだ)
アイツの笑顔に似ていた。
俺を気遣い、俺を勇気づけ、半端者の俺を奮い立たせた女に。だからだろう、この少女が気になったのは。
「あの子ね? 本当に何でも出来ちゃうの。本を読んだら全部暗記しちゃうし、剣を振ったかと思えば、魔法なんて一か月で高位級まで全部覚えちゃったの。あとねあとね、
「それは凄いな」
高位級魔導士で更に
創世記に竜鬼人ドラグーンという生体兵器があったと聞く。いまは魔剣士と呼ばれるが、元々人間に存在しない
(手を使わずに物質に干渉できる
一瞬昔の知り合いを思い出すがすぐに止める。
そして全部信じるには大業し過ぎている。流石に話を盛り過ぎだろうと無表情男は軽く微笑んだ。
「ウエイターこの料理を」
「かしこまりました剣士様。少々お待ちを」
「あ、それね。アテンヌの名物なんだよ」
王都にいるという友達の話を聞きながら、名物らしいロッシーニというフォアグラとトリィフの料理を注文した。
「でね? それでね。とにかく凄いの。本当に自慢の友達なの」
自分の名前も思い出さないのに。
余程好きなんだろうが本当に不思議な娘だと思う。
「君……そんなにずっと笑っていて疲れないか」
あまりにニコニコして話すのでユウィンは一度聞いてみる事に。
「あ、ごめんね嫌だった?」
「いいや不自然に思っただけだが」
「えっとね、みんなね、えっと」
「いや構わないよ」
「気味が、悪いかなぁやっぱりエヘヘ」
全く笑顔を陰らせずに少女は言う。
「いやそうではなく」
「え?」
「聞いていいかな。君の笑顔の話を」
少女は一瞬キョトンとしてから何か感動したように頷き。
「お医者様が言ってたんだけど私ね、脳に障害があって怒る事が出来ないんだって」
この手の障害は感情のコントロールが効かず、ずっと笑っていたり悲しんでいたりと、感情が止まらない病気だと聞いた事がある。
「怒れない……感情不全か」
「うん、だからお父様も弟も気持ち悪いって、私をお部屋から出してくれないの」
「それは可哀想な親族だな」
「お母様はねっ私の事化け物だって言ったの。剣士さんはどう思った?」
「お日様みたいな娘だと思ったよ」
少女は変わらずの笑顔で一度頷いて。
「お日様…………そっか」
「そうだ」
ユウィン=リバーエンドは成程と思う。
何故自分がこの娘に興味を持ったか解った気がしたからだ。
「剣士さん凄いねっ」
「何がだ?」
急にテーブルに身を乗り出しユウィンの眼を覗きこむ。
「この話をしたら皆悲しそうなお顔するのねっ。でも剣士さんはしなかった嬉しかったよっ」
「俺も感情が欠落している」
「え?」
「怒りと哀しみを感じないようだ。他人と話す時はそれを理解した振りをしている。だから無愛想に聞こえる事が多いみたいだな」
「え……ホント? あ、そうなんだ」
「更に記憶も失っていているから君とは似たもの同士だ」
少し自虐的な笑みを浮かべながら目の前に身を乗り出す少女を見ると、微笑みながら眼を閉じていた。やっと何かを確信したように何度か頷いている。
「うん……最後に逢えたのが剣士さんで良かったよ」
言葉に違和感。
言葉通りではない違和感を――だがその感情がうまく働かず会話を戻す。
「……で、王都には何をしに行くの」
「うん友達を助けに」
「助けると?」
「そう助けたいの。大事な大事なあの子を」
「……何から助ける」
「うん。魔人……魔族の大群からだよ」
魔物の群れ――魔人族。人類の災厄ども。
つい先程出た単語であり知り合いの錬金術士と話していた内容。
「何故魔人に友達が襲われると? そもそも魔人がこの近郊にいるのはおかしい事だが」
魔人領と人間領の間には万里と続く大壁が存在する。
そこを破って王都までの距離を進軍してくるのは、いかに人外魔人といえど不可能に近いからだ。壁が出来て数百年、一度たりともそんな事は起こっていないから。
「
(襲った? それに皇女とは)
疑問と、また違和感。
「手引をしてる者たちがいるの……トロンリネージュに」
「人が魔人を招き入れたと」
「そう、今の王室は一枚岩じゃない。だからあの娘はずっと頑張ってる。それを良く思わない人たち」
疑問と違和感はあったが。
「だが……そもそも君が魔人からどうやって友達を救う」
「それは……えっと」
魔人の戦力は一騎当千。
文字通り魔人一体を攻略するのに魔導士が千人は必要だという格言であるが、その現実はあながち間違ってはいない。実際に魔法使いの質が今よりもっと高かった創世記でも、二千人規模の街が魔人一体に滅ぼされた記録がある。今も昔も弱小な人類如きが容易に勝てる存在ではないのだ。
「あと…国境を越えるだけの金はあるのか」
「私が持っているのは、もうこれしか無いのです」
取り出したのは手縫いの、少々不格好なコサージュだった。
ダリアの花を象ったコサージュ。
疑問はあった――のだがユウィンはそれを見た時、疑問と違和感の正体を知る。
(そうかこの娘は……そういう事なのか)
丁度ウエイターが料理を運んで来た。
中々高級な店だったようで美しく盛りつけられた皿をスクエアテーブルに丁寧に並べてくれていた。
「当店の名物、牛フィレ肉のロッシーニ風でございます」
麻で出来たバケットからパンをテーブルに並べるウエイターに声をかける。
「アンタはこの女の子を知っているかな」
「どういう意味でしょう剣士様……冒険者の方の習わしですか?」
「いや俺の勘違いだありがとう。会計の時は声をかける」
「かしこまりました。ごゆっくりお過ごし下さい剣士様」
不吉な黒を着込んだ怪しい旅の剣士の一言にも顔色を変えない、よく訓練されたウエイターだとチップを渡した。
正面の少女は今のやり取りが理解できなかったらしく少し戸惑った様子だったが。
「何で友達をそんなに気にする? 君なら他に出来る事が必ずある筈だが」
今度こそ、もしかしたら、やはりダメだろうとも思う。
もう諦めかけていた答え、自分を救ってくれる答えを求めて。だがそんな事を少女が知る由もないし理解もできないだろう。
だがユウィンの予想は外れる。
一見儚げで、ダリアのコサージュを付けたお日様のような少女は少し首を傾げ――困ったような笑顔を見せたのだから。
……ドクン
感情の起伏の少ないユウィン=リバーエンドという男の心臓が激しく動悸する。その笑顔は彼の探し続けていた”答え”のような気がしたからだ。
笑った……?
他に無いのか。 そんな、そんな事が。
冬の空気が心地よく肌を撫でる。
男は眼を閉じ少し天を仰いでから少女に視線を戻した。
「コサージュ……手作りなのか」
「うんっ エッタちゃんの為に縫ったの」
「そうか……そして君の望みは友達を助ける事か」
「うんっ!」
笑顔のまま力強く頷いた。
その瞳には揺るぎない信念が感じられた。
男の意思を決定づけるのにこれ以上の笑顔はない。
竜王を従えし魔人殺し――ユウィン=リバーエンドの意志は決まった。
「”友達を魔人から救う”……その依頼は俺が受けよう」
「ホント!? エッタちゃんを助けてくれる?」
「あぁ任せろ……こんなナリだがそこそこ強い」
「わ、あああ……うんうんうん」
彼女は笑顔で何度も頷いてくれている。
でも急にハッと何かを思い出したようだ。
「で、でも剣士さんに差上げられるもの……これしか」
それは小さい掌に乗っていた。
友達の為に作ったという手縫いのコサージュ。
「一つ条件を聞いてもらう」
「う、うん」
「そのコサージュは君が友達に届けろ」
「……どういう」
「それが俺からの条件だ」
その言葉に少女はパッと笑顔を輝かせ何度も何度も頷いた。
「その友達の名と、場所を教えてほしい」
名前に出すのも嬉しいのか、今までで一番の笑顔で――
「トロンリネージュ皇女のアンリエッタちゃんっ!」
シーラ=アテンヌアレーはユウィンの両手を取り、力いっぱい握った。その拍子に少女の小さな掌に、二枚の金貨を滑り込ませた。
それは黄泉の国で河を渡る時に必要だという”金貨”――生者を羨む目という悲しい歌があった。
「気を付けて行くと良い。なるべく急いだ方がいいかもな」
「剣士さんありがとうっ本当にありがとうだよ? 影の中にいるお姉さんも、ありがとね――――!」
シーラ姫は笑顔と手を振りまいて駆けて行く。――何度も、何度もユウィンの方を振り返りながら。
『……マスター』
影からの声が響くが珍しく動揺したらしくうわずっていた。
『彼女には
「聡い娘だ。もしかしたらあの娘は全て解っていたのかもしれないな」
『驚きました。あんなハッキリと実体出来るとは……生まれて四百と十余年、未だかつてない経験です』
あのコサージュは2日前の遺体――
国境での惨劇の場にあった物だ。
ずたずたの遺体が付けていた
「もしかしたら彼女は……俺が欲しかった答えを出してくれるかもしれない」
『歩いて行かれるのでしょうか。マスター?』
「意地の悪い言い方だな」
『マスターが嬉しそうで何よりです』
「俺が?」
『脈拍が速いです。……珍しく滾っておられるかと』
滾る?
いつの間にか握っていた拳を開くと汗でしっとりと潤んでいた。枯れつつある己の感情に火を感じる。口角がじわじわと吊り上がって前を見る。
いやはや全く長生きはしてみるものだ。
ここは、急ぐ所だろうさ。
殺された人間は必ず、復讐を願うと思っていた。
男は100年――死体に聴いて来たのだから
だけどもし、違う答えがあるのなら
そんな不確かで美しい想いと答えがあるのなら
そんな事が本当にあるのなら――俺は。
◆◇◆◇
いつもは知性があり並々ならぬ演算能力を誇るアンリエッタの脳はこの状況を全く理解できていなかった。
今まさに起こっている――この状況を。
「状況は一刻を争います。この問題の早期解決策の譲歩を申請します」
憎々し気に声を発したこの脂ぎった男は外交最高責任者テオドール=グランボルカ。王政国家トロンリネージュ貴族派閥に身を置く、この国で実質No.3の権力を有する者である。
「宰相様の言う通りかと存じますわ姫殿下。ご決断を」
その隣にいるのがファジーロップ外務官補佐。
長年彼を支える敏腕女史という話だ。
このトロンリネージュ各部署での最高責任者十名が集う大会議室にて、外交官は声高に、更に大げさな素振りで捲し立てる。
「既に四日前と言うことはアテンヌ国も不審に思われている可能性があります。一刻も早い決断が必要でございます!」
この議題の発端はこうだった――
属国の中でも特に有効であり、重要な流通を基盤としているアテンヌより、こちらに向かっていたシーラ姫と警護の兵二十名の死体が、当国の領土内で発見されたというのだ。
――それも、死後四日以上経っていたと。
「聞いておられますか姫殿下!? 」
「……は、はい」
頭が混乱して思うように働かない。
「これが明るみになりこちらの責となれば、この国の流通網の五割を有するアテンヌからの物資が止まるかもしれません。これは国を揺るがす大問題に発展致しますぞ」
アンリエッタ=トロンリネージュより招いた客人――隣国にして友好国アテンヌのシーラ=アテンヌアレー第一王女がトロンリネージュ
「で、でもシーラは昨日……わ、私と」
「殿下お気をしっかりと持ちませい! 一週間以上前より当方はアテンヌより報告を受けておりました。体が弱いシーラ姫様の為、一度アテンヌ国境付近の街ロッシーニで一度滞在し、姫の体調の様子を見てからこちらに出発すると」
アテンヌのロッシーニからこちらまではシーラ姫の体調を考えてゆっくり走らせたとしても馬車で二日あればこちらへ到着する。
「そして三日前、こちらに出発すると早馬にて報告があったのでお待ちしていましたが中々お来しになられない」
外交責任者は一気にまくし立てた。
その芝居がかった口調で皇女の混乱している情緒を抉るように。
「ですので気を利かせたワタクシめが昨日より捜索隊を手配した所、襲撃された王家の馬車を発見したのです」
この男、挑発しているように見える。
取り入れられないようアンリエッタは一度頭の整理をしようと思うがどうにもまとまらない。親友の訃報と自分の記憶が噛み合わない為だ。
「しかしまだシーラ達と決まった訳では……」
「午前中かけて遺体、衣類、装飾品全てに検視をかけました間違いございません」
何というデリカシーのない言葉だ。
アンリエッタは混乱と困惑から激昂しそうになった自分を必死に収めた。親友であるシーラがこの脂ぎった無礼な男に服を剝がされ、体の隅々までまさぐられている映像が脳裏に浮かぶ。
「流石テオドール様。仕事が速いですわね」
「貴女は黙りなさいファジーロップ」
「失礼しましたわアンリエッタ姫殿下」
「テオドール卿、先程も言いましたがまだ」
「それも検視の結果、襲撃したのは魔人族の可能性が大です! こちらも大問題でございます」
会議室一同に動揺が走る。
国境付近といえば馬車で2日といった所だ。大壁を抜けてきた魔人が王都寸前まで迫っているという事なのだから。
「そしてワタクシの独自に入手した情報によると、魔人共はそのまま北上し、関所のある要塞都市フォンダンに向かったとの事です。このままではフォンダンも危険でございます」
なんと!
その場にいた全員が立ち上がる。
”大壁”の出入り口である関所を破られれば魔人が人間領に一気に攻め込んでくる可能性がある。自国はもちろんの事、トロンリネージュの失態でカターノートとゼノンへの被害も想像を絶する。その後の処理によっては三国との力関係が完全に逆転する事が明白であるからだ。
「より…… それより」
「アンリエッタ様、聞いておられるのですか!?」
どうも何かの意図があり本気で挑発してきている外務官が三度皇女の言葉を遮った。
「これは問題ですぞ姫殿下。隣の友好国に外交の亀裂が入り、都市が一つ攻め落されるかもしれないこの状況。国の状況も知らず税金の引き下げや貴族制度の廃止などと下らない事に人員の労力を裂き、毎度のようにお友達と遊ばれているからこういう事になるのです」
「……それは、どういう意味で」
「この忙しい時に全く。せめて籠の鳥姫もアテンヌ領で襲われてくれれば良かったものを」
最後の言葉にアンリエッタが目を見開き、外交官に殴りかかる勢いで立ち上がった時である。
ガシャ――――ン!
全員の視線が紅茶を取り替えに入室していた執事に集まった。
「大変申し訳ございません。直ぐに片付けさせてもらいます故」
「気を付けよ! 」入口側の貴族が吠えるが、しかし今の音で一瞬で場が冷め、皆がしぶしぶながら着席した――恐らくこの執事
水を刺された様な面持ちで外交官は話を戻す。
「そうですな……それで姫殿下どうなさいますか」
「遺体を確認させてもらっても?」
冷静さを取り戻したかに見える皇女であるが。
「姫殿下今はそれどころではと申しております。……それに見ない方が宜しいかと、あれはもはや人の」
「確認させてもらっても?」
その言葉に外務官グランボルカは身を震わせた。いや、王家の重鎮であり、多くの場数を踏んできたであろう最高責任者達全員が喉を鳴らすような迫力。彼女の背中に揺れる陽炎から発せられるソレは――殺気である。
二度は言いません。
そう言っていた。
幹部連中を一言で黙らせた王の威圧。
十八の小娘とは思えぬ胆力で彼女の眼がそう言っていたからだ。
テオドール=グランボルガは改めて再認識した。
こいつは、この女は絶対に引きずり降ろさなければいけない敵だ。このままでは、このままでは我々は、貴族派は、大海の巻かれた砂のように、消されてしまうだろうと。
◆◇◆◇
昨日昼頃――
シーラ姫が冷めない紅茶を飲んでいた所、アンリエッタ皇女が駆けつけた所である。
「あーアンリエッタちゃん! やっと来たー」
「ごめんねシーラ…… 騎士さん達に演習後に捕まっちゃって」
宮廷内にあるロイヤルガーデンという場所はトロンリネージュ城のほぼ屋上に位置する。これより高い棟はこの城には二つしか存在せず、一つは要人を幽閉する役割をもつ満月の間。そして王都どころかその数十キロ先までの危険を感知する魔導出力計を有した見張り台、重要施設である"新月の間"がある棟だけである。
その屋根からガラス張りの温室を見ている男がいた。
「……あの娘がアンリエッタか」
『そのようです例の娘も逢えたようですね』
城の外壁――屋根に掴まり80m先の温室を見ているこの男はシワシワでボロボロの白シャツに、この世界には存在しない黒のレザージャケットを着んだ、どこか闇を連想させる男だった。
名をユウィン=リバーエンドという。
「あの娘が言った通り確かにこの国ヤバイかもな」
『イエスマスター気配が残っています……魔人の使徒の気配が』
「使徒だと? 堂々と入り込める所を見ると人型だろうな。しかしまいったな、俺の
温室の入り口に門番のように立つ姿勢の綺麗な老人。
あの気配はただものではない。
『オーラの事はよく解りませんが強いのですか』
「使徒より遥かに厄介そうだ。アイツの索敵範囲は俺よりも遥かに広い。ここも既にバレているが敵意がないから泳がされている。それで使徒の場所は索敵可能か」
『生憎今はDの索敵範囲外の上、使徒は魔人より人に近いため大勢の人間がいる中では索敵が難しいのです』
「せめて城内の人間の声が聞ければよかったんだが、アイツお陰で城内まで気が届かない」
先程から意識を集中させているが上手くいかない。
『Dにはマスター以外の情報を収集する術はありませんので』
「お互いお手上げか」
『まさに出鼻を挫じかれるとはこの事です』
自分より上手い事喋るDと共に、今日の所はテイクアウトしたフォアグラパンを食べて休む事になった。
◆◇◆◇
そして場面は現在――
城内地下にある安置室。
王室関連の囚人や他国の捕虜を拘束する場所である。普段はもちろん貴族が足を踏み入れるような場所ではないが、皇女からの勅命である。最高幹部の面々は全員、耐え難いカビの匂いにハンカチで鼻を覆いながらも陰湿な階段を降りていた。
匂いなど全く気にせずに先頭に立って階段を下るアンリエッタを始め、外務官グランボルカを含めた十名は襲撃されたアテンヌの王族の遺体を確認する為に地下に向かっている。最下層までの石の螺旋階段を登り切り、例の遺体が安置されているという扉を開ける。
「うっく!」
「こ、これは……」
「……っおっっっ」
皆小さな音が喉から出た後、声を失った。吐き出す者もいる。死体はそれは無残に、全てバラバラに近い状態であり、いくら冬とはいえ四日間も風雨に晒されたのだ。腐敗が進んで既に判別は難しく、何より耐え難い死臭であったのだから。しかし此処に来てすぐに解った事が一つ。
それは明らかに"昨日出来た死体"ではないという事。
その中で皇女アンリエッタだけは冷静だった。ざっと二十名であったろう残骸を見て回り、淡々と衣服を確認していく。
「殿下どうですかなワタクシが止めた理由も解っていただけたかと」
「……確かにこの備品はアテンヌの、それも王族の者で間違いありませんね」
「ワタクシの仕事を信じて頂けたようで」
王室外務官テオドール=グランボルカはわざとらしく頭を下げるが、アンリエッタはそんな男の剥げて地肌が脂っぽい後頭部を冷たい視線で見つめた後、鋭利な刃物の様な声色を外交官に叩きつける。
「貴方がこんな無粋な場所に友好国の客人を招待する神経の持ち主なのは解りました」
「なぁっ?」
「この方達は……私が弔います。絶対にそのままにしておきなさい。何人たりとも此処へは入らないように」
そう言うなり足早に安置所を退室しようとする。
「姫殿下!?」
「気分が優れません。今日は休みます」
「貴女の御申し付けでわざわざこんな汚い所まで来たのです! 今後の対策を決定して頂きませんと――」
外務官はまくし立てるが、アンリエッタは聞く気にはならなかった「姫殿下!」「アンリエッタ様!?」
五月蝿い臣下達を完全に無視して足早に安置室を退出する――衣類も何もかも無残な状態だったが、アンリエッタは見つけていたのだ。
親友の壊れた車椅子と、その遺体の側に安置されていた、乳母と作ったと言っていた、血で変色して漆黒に染まっていた、プレゼントしてくれたお揃いのコサージュを。
辛い現実を見つけてしまっていたのだ。
「
安地所の外で待機していた執事が即座にアンリエッタの後に続く。
「お顔が蒼白でございます。自室でお待ち頂ければ直ぐにハーブティーを御用意致しましょう最高級のジャーマン=カモミールにミルクと砂糖をいっぱい入れて」
「……ありがとうクロードお願いするわ」
「故にゆっくり、ゆっくりで構いませぬ。……
皇女の背後から出る陽炎が地下室の壁に亀裂を生じさせていたが、それはゆっくりとゆっくりと静まり階段を登る二人の足音がだけが鳴り響く。
王政国家の成り立ちを、真っ向から否定するような政策を取るアンリエッタを快く思わない人間は多い。”姫殿下”という呼称は反発する貴族派閥が皇女に対して付けた軽称であり、本来用いられる呼び方ではない。だから無論、この執事はそのような呼び方など絶対にしないと言えた。
執事クロード=ベルトランはアンリエッタが王位に就いた時に専属の執事となった。
年の頃は六十。
代々トロンリネージュ王専属の執事となる事が運命付けられている一族で、普段はアンリエッタの事を「殿下」と呼ぶが王位に就く前は「お嬢様」と呼称していた。
小さい時からアンリエッタを見てきた執事は、本当に彼女が傷付き打ちひしがれた時、君主の重圧を少しでも和らげ、少しでも子供に戻った気分になれるようこういう時は「殿下」でなく「お嬢様」と呼ぶのだ。
その癖をアンリエッタも知っていた為、反吐が出そうな今の気分でも、その言葉に素直に甘えられたのだ。
自室に戻ったアンリエッタは未だ気持ちの整理が付かなかった。哀しいより先に混乱が先走って頭を抱える。
(四日前に殺されていた? じゃあ私が昨日会って話したシーラは一体、誰だったの……?)
暫くしてドアが開き、執事が薔薇の描かれたティーポットでカモミールの抽出液を同じく用意された薔薇のティーカップに注ぎ淹れた。
アンリエッタがカップを傾ける。
強い林檎のような匂いが鼻を抜け、少し気分が軽くなったように思う。
「クロードありがとう少し落ち着きました」
執事は一呼吸おいて背筋を伸ばし、頭を下げる。
「……恐れながら、シーラ様の事は大変お気の毒でございます」
「えぇ」
「お嬢様が月だとすれば、彼女は太陽のようなお方だ。このクロード、この度シーラ様が気に入られていたファイネストのダージリンを用意して御来城を心待ちにしていました……残念でなりません」
昨日の事を思い出し、アンリエッタは少し悲しそうに微笑む。
「フフあの子、ダージリンなら美味しそうに飲んでいましたよ。貴方が用意してくれたのでしょう?」
「…………」
執事は沈黙する。
会話が咬み合っていない気配を感じた。
この一流の執事であるクロードが、昨日の事を憶えていないなんて事があるのか。
「クロード……?」
「お嬢様それは、昨日の温室――の事でございましょうか」
頭の中に溜まっていた
「そうよ……あなたも見たでしょ? シーラは…あの子は昨日演習場から私が温室に着く前から、あそこで紅茶を飲んでいたでしょう!?」
執事は眼を閉じ、頭を振った。
「申し訳ございませんお嬢様……執事めには何の事かわかりかねます」
「……な、何を言って」
アンリエッタの靄はどんどん鮮明になっていく。
「この執事は昨日、お嬢様が温室で休憩されると伺っておりましたので、到着になられる前より湯を保温しながら待機しておりました。その間誰も……テラスには来ておりません」
丁寧に持っていたソーサーがカタカタと音を奏でる。
「嘘…… 嘘よ」
気付きたくない。
そんな事があるわけがないんだ。
シーラは……あの娘は。
「アナタ様の執事は嘘を絶対に申しません。このクロードが御用意させてもらった紅茶は、お嬢様がサンルームに入られた時の一杯だけです」
「じゃあ……」
「先日のお嬢様は……少々お疲れが溜まっていたように感じ取れました。激昂したつもりでしたが御気分を害してしまい、あの時は誠に申し訳ございませんでした」
頭が真っ白になった。
そして良すぎる記憶力のせいであの時の状況がはっきり思い出せてしまった。
『噂を聞いたの…… 国境付近で魔人が出たって』
『殿下そろそろお戯れはそこまでにしてお時間が迫っております』
『アンリエッタちゃんごめんね? じゃあね!』
噂ではなかったんだ。
あれは掲示――
シーラの幻影が教えてくれた彼女の心の叫びだ。
クロードにはシーラが
「ずっと私が独りで……喋っていたのね」
「恐れながら」
そう見えていたのか。
そして何より彼女は
アンリエッタは自分の弱さを悟ってしまう。
私は彼女に助けを求めていた。
自分が癒やされたいだけで親友の事を何も見ていなかった。全く気付いてやれなかった。
あの子の叫びを。
「クロードお願い……部屋から出ていて」
「かしこまりました……お嬢様」
「うぅぅっ…… なんでぇ?…… 何でなのよぉ……っ」
コサージュを胸に抱いて泣き崩れる。
今夜は雪も風もない、本当に静かな夜だ。
独りになるには良い夜だろう。
でも金輪際咲くことがない程に握りしめたダリアの花は――二度と自分に笑ってくれない。
「また……独りになっちゃったよぉ……」
こんな何処までも自分ばかりの女に
二度と笑ってはくれないだろう。
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