No.14 花に誓いを

 

 攻め立てる魔人達の猛攻に、トロンリネージュ城内はパニックに陥っていた。王都最大の拠点である此処には各種大小の情報という鉄砲水が、濁流となって押し寄せている最中であるが、唯でさえ平和ボケした官僚達が、この情報というヤツを処理できる筈もなく慌てふためくばかり。


 王都外壁を破られ城下街まで魔族に攻め込まれたのは、この数百年一度足りともなく始めての事であるにしても、国の最高幹部という人間達がコレではお粗末すぎる現状と言える。


「取り乱しては敵の思う壺です。第一魔導隊長と第一騎士隊長を此処へ!」


 若年十八歳のアンリエッタ皇女は毅然とした態度で指揮を取ろうとするが、パニック状態の臣下達は誰も聞いておらず、どうやって逃げるかどうすれば助かるかと自分の事を考える余裕しかなく戸惑うばかりだ。


(このままでは……先日の二の舞いになる)


 座りたくもない玉座に一度腰掛け、恐怖と戦場の空気を肺いっぱいに飲み込んだ。そして冷静にゆっくりと、呪文を読み上げ唇を噛み締めて再び立ち上がった。


 爆ぜよ!


「Lv2爆裂ブラストフレア


 ――――ズガン!


 高級感を出すだけに編み上げられた絨毯が爆砕して吹き飛んだ。精霊魔法アセンブラ言語の実行で、この場全員の鼓膜が圧迫されて動きが止まる。


「静まれぇぇぇぇ――!」


 出せる全ての声量を使って叫んだ。

 パニック状態だった者達は正気に戻り視線がアンリエッタに集まる。


「うろたえてはいけません。魔導隊、騎士隊の将軍は今どこです」

「ははっ! 先日殿下が戻られてから姿が見えません」


 血の気が引いた気がした。それと下半身が無くなっていくような落下感にクラクラする。戦時の最高責任者たる二名が、かの進軍から帰還していない等と。


「くっ……では各第二部隊長に全指揮権を移行。出撃後、市民の安全経路確保と敵の足止めを」

「そ、それが」

「それとLv2……精霊級の魔導兵に緊急招集をかけてください」

「それが姫殿下。第一から第三部隊の大多数の魔導兵が……リシャール将軍と共に連絡が途絶えているのです」


「という事はどういう……続けなさい」


「第二部隊長含め招集に応じる人間が居ないと……言う事です」


「………では」

「また、魔人襲撃と共に元老院、魔導研究所職員の姿も見えません。恐らくは、避難されたのかと」


「な、なんて……っ」


 唇を噛み締めた。

 心に発生してしまった弱気というヤツが顔を出してしまう。必死に抗うが、ソイツのおかげで脳の動きが鈍い。此処に残った未だ良識というヤツが残った臣下達も、君主のその姿に再び不安に吞まれそうに顔を歪めるが。


「こんな状況じゃ……」

「こらエッタ様」


 コツンと頭を叩かれた。

 この身分の者が皇女の頭をはたいたモノなら、平常時なら王派閥と貴族派閥が怒涛となって言い争いを始めただろう。しかし今は違う。危うい緊張という糸の一本だけで支えられている戦時である。


「リア……?」

「はい。貴女様の女中リアかもですよ」

「は…はは自信ないんですか?」

「泣きそうな顔されてますね。リアの好きな顔です」

「私は……やっぱりアイツが言った通り見せかけの」

「しかしながら」


 一介のメイドは膝を付いた。

 それは今現在誰しもが忘れてしまった最大級の敬礼である。この状況下でこの最悪の状況で、その慎まし過ぎる姿を見た臣下達の動きが止まる。


「エッタ様には似合いません」

「え……?」


 この国で唯一だと言わんばかりの敬礼を取る。とるに足らない一女中は言を発した。この死ぬかもしれない滅びるかもしれない最悪の状況下で誇らしげに、威風堂々と。


「顔をあげませいアンリエッタ皇女殿下。貴女様はあの時誓われたはず。友達と一緒に食べた飴玉を、あの老人の作った飴玉をもう一度食べられる国を作ると」


「リアぁ……でも私には」


「思い出しませいアンリエッタ皇女殿下。だから自分は良い事をしたい。そう言っておられた自分を」


「誰も付いて来てくれなくて……」


「覇道を行かれませアンリエッタ様、今がその時。居ますよ? 多かろうが少なかろうが……一緒に飴を舐めてくれる人達が」


「誰も聞いてくれなくて……ぇ」

「大丈夫です居ますよ。そこにも」


 リアが指さした先にはダリアのコサージュが再び咲いていた。もう二度と咲かないだろうと握りしめてしまったあの花が。


「もう一度チャンスをくれるの?……シーラ」


「キャラメル味が美味しかったのでしょう? あのおじいちゃんが死んじゃったら、国が滅びたら、アンリエッタ様が諦めたら、二度と飴は作れませんね」


「リア、私は……」


「貴女様の孤独はこの”絶殺”めが黄泉へと連れて行きましょう。だからどうか……って、もうそろそろ大丈夫でしょ? この言葉遣い疲れるかもですよ」


「はぁ…最後まできっちり慰めて下さいよ」


「エッタ様はどうせ勝手に立ち直ってたでしょ」


「もぅ」


 頭の中にあった霧が晴れた気がした。己の信念。思い出したほんのちっぽけな夢の為、アンリエッタ自身が生んでしまっていた弱音という黒い感情を叩き殺した。ならば――


「状況を報告せよ」

「諜報部隊ムラクモによれば魔人が十八。使徒はその倍以上。眷属に至っては推し量れない数との事」

「王都内の状況は」

「衛兵隊が善戦しておりますが指揮官不足により統率がとれておりません。指揮系統を立て直すのも急務ですが相手は魔人族。此処まで攻め入られては元も子もない。よって妨害戦略を優先すべきかと」

「頼めますか?」

「お望みとあらば」

「隣国に援軍の要請を」

「既にクロード様が動いております」


 新米皇女は吠える。

 豪華なだけの玉座を殴りつけ前へと踏み込んだ。


「聞け臣下達!」


 凛とした王の声色に臣下達の背筋が伸びる。


「世界が始まって900年。アーサー=トロンリネージュがこの国を建国して790年。最古にして最大の国家が我が国トロンリネージュである違うか!?」


 初めは小さかった声も次第に少しずつ大きくなっていく。


「人類が一度足りとも魔人達に屈した記録はない! 我らは魔族に常勝し続けて来た。城塞都市が堕とされたことが? 魔法大国カタ―ノートが? ゼノンの修羅達が魔人に屈した事が? 否!――断じてない。敗北などあり得ない違うか!」


 囁き声が次第に成っていく。怒号というヤツに。


「これは試練であって絶望ではない! 我々には賢者イザナギと魔女イザナミが作りたもうた不敗の歴史がある! 人類は魔族に屈しない。これは推測ではない必然だ! そして私が、勝利を導く私こそが君主アンリエッタ=トロンリネージュである」


 その場にいた官僚から兵士に至るまでが見ていた。年の頃十八になろうという皇女から視線を外さずに。


「だから……ね?」


 最後に未熟な皇女は微笑む。

 者共は決起した。誰しもが見惚れてしまいそうな過去類を見ない可憐な指導者が誕生した瞬間に。


「勝ちましょう。私も共に戦いますから」


「「うおおおおおおおおおお!」」


 ドレスの裾を引き千切りながら城下に足を進めるアンリエッタに、リアが器用に胸当てを着込ませる。その背後にはその場にいた全ての臣下達が続いた。


「やっぱり頑張ってるエッタ様が一番可愛いかもですね」

「どっちですかもぅ」


 ザッザッザッザッ……


「リア励ましてくれて……ありがとう」

「大好きかもですよ」

「どっちですか」

「あぁダメだなぁ私。こういう時にチャラけちゃうんだから」

「なんです?」

「ま、今はそれで良いかもですよ――者ども」


 ザッ……

 ソイツ等は音も無く気配すらもなく現れる。


「諜報部隊ムラクモ総数五十」

「頼みましたよリア……いえ、忍者マスター絶殺ラスト

「クサナギ部隊の穴はリア達が埋めます。エッタ様も御武運を」


 リア達が音なく消えた後、皇女アンリエッタは眼を閉じた。右手に付けたコサージュを握りしめる。形見のダリアに誓いを立て、今一度目を見開く。


「私に続きなさい魔人を殲滅します」

「「ハッ!」」


 扉を開け放って見下ろせば、城下は夜だと言うのに明るい。南側外壁付近から火の手が広がっているようだ。


(結界持ちの魔人に……この人数でどうすれば)


 この状況は魔人ラビットハッチの使徒ファジーロップの策略である。王国最強の魔法戦力を有する第一魔導隊はグランボルガと結託し王都から離れており、同じく最大戦力である第一騎士団クサナギを有するユーリ=アルダン将軍もまた王都を離れていた。


 アンリエッタの脳天に更に追い打ちを掛けたのが、国内最多の魔導士を保有する魔導研究所。その人員と上級貴族が市民を見捨てて逃走した事だ。


 進撃してくる人外の者。

 魔人は通常の攻撃を受け付けない障壁を持つ。この状況と結界を破るには圧倒的に戦力不足である。


(でもやるしかない……考えろ考えるんだ。その為に私は力を持って生まれて来た)


 決死の覚悟で歩みを進める皇女。

 でも不意に頭によぎったのは何故かあの男の事。

 灰色の髪を持つユウィンとかいう男の事だった。


『貴方なんかに何が解るの!』

『アンタは見えてない。眼を覚ませ』


 悔しかったがアイツの言う通りだった。自分は敵どころか味方すらも見えていなかったのだ。事もあろうに味方に逃げられるなんて情けなさに涙が出そうだ。


(でも、やってやる)


 泣いている時間など無いんだ。

 自分が迷っている間に民が今まさに殺されているかもしれない。助けを求めてるかもしれない。あの時の私と同じ涙を流しているかもしれない。


(私は皇女だアンリエッタだ)


 あんなに心待ちにしていた聖戦じゃないか。唇を噛み締め天を仰ぎ恐怖に震える心に覚悟を決める。


「こんな時に御免なさい。地下牢に男性が一人拘束されています。出してあげて下さい」


 城門を出る前の事。

 近くの衛兵に優しい笑顔で伝えた。


「ハ、ハハイ」


 衛兵は話す事など滅多にない凛々しい皇女に話しかけられ舞い上がって飛び跳ねていた。アンリエッタは走る衛兵の行き先――地下牢を見ながら思う。


(貴方の言ったことは間違っていなかった……あの時はゴメンなさい)


 結局貴方が何故、私の邪魔をしたのか解らなかったけれど。結局貴方を始めて見た時の、あの不思議な体験の理由は解らなかったけれど。


(貴方まで巻き沿いになること……ないです)


 どうか今の内に逃げて下さい。そして私の記憶から消えて下さい。私は自分と、私の立場に向き合います。貴方の言うとして戦います。


(シーラの……親友の為に。この国の皆の為に)


 その眼差しは復讐心ではなく決意を秘めて燃える城下を見据えている。


(倒してやる。この私の、生命に替えても)



 ◆◇◆◇



 残り十三体の魔人が到着するまで――残り20分。

 牢番すらも居なくなった地下牢で女の声が響く。


魔人因子核アンバーコアの反応多数――王都内に魔人が入り込みました。今は五体ですが恐らくは』


「まだいるだろうな。演算補助を切って魔法言語による索敵を最大限まで引き上げろ」


『イエスマスター』


「あの嬢ちゃんが城内に居ないようだが」


『Lv2によるソナーを打ちました……反応あり』


 ユウィン=リバーエンドは拘束されている手足のまま肩を鳴らす。あの依頼を遂行する時が来たようだと。決戦が近い。


『城門より進軍された様です』

「人数は」

『彼女の周囲に八名――同時に騎士隊も城下へ出陣しました。かなりの兵が出撃していますが魔導戦力が少ない様です』


 ディの報告に無表情が少し歪む。心なしか嬉しそうにも見て取れた。


「前線に出たのか無茶をする。とんだじゃじゃ馬だな」


『マスターが楽しそうで何よりです』


「何だお前まで……じゃあ」


 手かせの付いた両手にオーラを集中させた時、兵士が一人階段を降りてきた。何者かと身構える。


「あぁ……居た! よかった、アンリエッタ殿下より貴方を此処から出すようにと言われて来ました」


 若い兵士は手持ちの鍵を忙しなくガチャガチャしながら牢を開ける。


「しかし殿下が出して良いと言われているので捕虜の方でしょうが一体何をされたんですか」


「説教して泣かせちまった罪だよ気にするな。アンタもさっさと持ち場に帰った方がいい。城下は大混戦のようだ」


「当然です。 麗しの皇女殿下が前線で直接指揮をとっておられるのですから。では失礼!」


 兵士は駆け足で地下牢の階段を駆け上がって行った。


「中々慕われてるじゃないか。あの時は少々言い過ぎたかな」


『この状況は借りが出来た。と言うのでしょうか』


 正直自力で脱出できたのだが。


「借りね」

『約束は断固とした信念で守るもの。ですか?』

「やれやれ茶化すな」

『マスターが嬉しそうで何よりですよ』

「皮肉か?」

『皮肉など……脈拍、乱れてますよマスター』

「なに? 俺のか」

『最近頻繁ですよ? 滾っておられるかと』


 無表情が崩れたように思う。

 口元を確認したが確かに、自然と口角が緩んでいる。


「そうだな……これは借りだな」


 借りは返すものだ。

 彼女達に借りた――このデカいデカい借りを。



 ◆◇◆◇



 残り十三体の魔人が到着するまで残り10分――城下に進軍したアンリエッタは果敢にも卓越した戦闘能力と連携によって二体の魔人討伐に成功していた。


「動ける者は城へ! 衛生兵をこちらに重傷者がいます」


 前線で直接指揮を飛ばすアンリエッタ目掛けて巨大な火の玉が迫る。


「殿下ぁ!」

 ――――ボゴォウ

「ぎゃャヒォォォォォォォォ」


 皇女の盾となった臣下の身体が燃え上がった。この熱気、通常の炎ではない。忠誠心の強い臣下が既に炭化してしまっているからだ。アンリエッタは身構えると同時に動いていた。―――三体目が来たか。


(……ごめんなさい)


 心で謝りながらも術式を編み上げている。


「天と大地に従えられし風を集いし者共よ燦然さんぜんと輝く刃となれ」


 両断せよ!


Lv2斬風翔ブレイウインド!」


 四つのカマイタチが炎を放った魔人を襲うが素早い動きで躱されてしまう。


「ブロォォォファイ!」


 魔人ケルベロスは犬の魔人。

 炎を纏った人間大の化け物。


「皇女見ツケタ……首千切ッテ持ッテ帰ル」


 超高温の炎が超高速で移動したことで周囲の水分が一気に蒸発する。眼球の水分までもが蒸発し目がかすむが。


(速い……でもクロードやアイツの方が速かったもの)


 そして間合い。バトルエリアでの立ち回り。先日の進軍で不覚を取った事で一回り成長を果たしたアンリエッタは高速で動く魔人の動きが見えていた。天才皇女の名は伊達ではない。演算速度と同様に高速で成長している女は突撃してくる敵から半歩だけ間合いをずらし、既に詠唱を終えていた魔法言語を立ち上げ前の状態で保存し、その対角線上に掌を掲げた。


ぇ!」


 アンリエッタの身体から放出された陽炎がケルベロスに巻き付いた。武装気の変異種――特型能力ユニークスキルである。


座標固定ブリリアントロックダウン……今です!」


 周囲で詠唱していた臣下達は一斉に魔法を放った。


「「Lv2流氷槍フリーズランス!」」

「ブロォオオオオオオオ!」


 防御結界を貫き六本の矢が魔人の体を貫通する――と同時に弾丸のように飛び出して間合いを詰める。


「弱ったふりをして隙を付く気ですよね」

「ブロォオ!?」

「見てれば解りますって」


 近距離まで接近されている事によって大ぶりの攻撃しかできない魔人の脇を擦り抜ける。


「チェックです」

「タスケテゴメンナサイスミマセン」

「それはもっと優しい皇女様に言うべきかと」

「ブロォあ!」

Lv2精霊乃槍エルメタルランス!」


 顔面を消し飛ばされた魔人が溶けていく。

 その場所には球状の宝石。真紅の魔人核だけが残った。


「魔人核の消滅は後回しです。早く次の魔人を……ぐっ」


 ト…トトト……


「殿下!?」


 吐血である。


「内蔵魔力が、尽きた……?」


 それでも負けるものかと目と口から流れる血を乱暴に拭う。彼女はこの戦いの前より、魔出力の一番高い自分が先頭になって戦い、臣下に止めをさせる闘法を取っており、既に高位級の魔法を数十発使っていた。その反動で魔法因子核の許容限界点を超え臓器に異常をきたしているのだ。


「皇女殿下!」


 一同が駆け寄る。


「無茶でございます。次は我こそが戦いますので」


「ありがとう……でも大丈夫。まだ魔人は三体しか……ぐぅぅ」

「アンリエッタ様もっと我々を頼って下さい。我らは殿下に護られる為に此処にいるのではありません。貴女様を護る為に此処に居るのです」


 周囲に集う臣下も頷いている。

 彼らは進軍後、皇女はきっとこの地獄のような状況を目の当たりにて、直ぐに音を上げると思っていた。言葉だけの青臭い理想を持ったお嬢様だと思っていた。


 だが違った。


 皇女は自分達や市民を護る為に最前線で交戦し血を吐き、そしてまだ戦おうと言うのだ。その姿勢が臣下達を奮い立たせたのだ。先程彼女の盾となって炎に焼かれた男も同じ気持だったのであろう。


(みんなが私を……私の為に言ってくれている……の?)


 不覚にも涙が出そうになるが俯いて堪え、ジルダ子爵に顔を向ける。


「すみませんジルダ。お願いして……」


 だがそこにジルダは居なかった。

 いや違う。七人だった男たちが五人になっている。見れば他の者達は恐怖に表情を引きつらせ上を見ていた。


「ジルダ!? 」


 周りの視線を追って上を見上げる――ソコには。


 ……ゾブンッゾブンッ……


 巨大な何かがいた。

 全長にて10m。三階建ての建物はあろうかという蛇人間は二人の男……だったモノを両手に掴んでいた。


「やっぱり良い男は下から吸うに限るわねぇ。まろみが違う。まろみとコクがねぇ」


「う、ああああぁぁぁ! 」


 アンリエッタが無数に放った風の弾丸が蛇人間に直撃した。恐怖から来る叫びであったが自分の臣下を食った憎き敵に身体が反応したのだ。


「この国の人間は本当にお馬鹿が多いねぇシャシャシャ。Lv1の豆鉄砲如きで防御結界が抜けるかよぉ」


 しかし所詮呪文詠唱の必要としないベーシック言語では威力が足りず、メドーサの身体に届く前に無効化されていた。


「賢い子だって聞いてたから期待してたのにねぇ」

「くっぁあぁ」


 魔法因子核リンカーコアの限界点を超えているアンリエッタの胸に激痛が走る。


「風を集いしものどもよ」

「火を嵌め水を嵌め土を嵌んで」

「遅いわねぇ! そして撃たすかよぉぉシャハハハハぁ!」


 ――――ドチャ!


 精霊魔法言語を詠唱していた男達が殴り潰された。アンリエッタの間隣でだ。こうも思う。この質量差を覆せるのか。


「……ひっ」


 そして視線を下げると――自分を認めてくれた男達は既に何がどうなっているかもわからないグチャグチャなピンク色になっており、アンリエッタの戦意を削いでいく。


(もう……ダメ。 指の一本も動かしたくないな)


「ほぉらもっと頑張りなさいよぉシャハハ」

「ひいぃぃぃ!!」


 残った臣下達も完全に恐怖に飲まれ背中を見せてしまうが、一人は捕まり二人は口から吐かれた溶解液で半身が焼け爛れてから融解し、悲痛な絶叫と共に絶命している。


「助けて下さい殿下! 助けて助けて助けてあんな死に方はいやだいやだいやだぁ!」


Lv2精霊乃エルメタル……」


 助けを求める臣下の声に身体は反応するが恐怖が、因子核が言う事を聞かない。


「諦める……な……まだ」


 アンリエッタの瞳に魔法陣が灯り陽炎が立ち上がった――しかし。


「うご、かせない……質量が大き過ぎる」


 そのまま何も出来ず、最後の一人迄もが絶命して生皮となってしまう。たった一人残されたアンリエッタ。毛細血管が破裂して目が霞む、魔力不足による疲労感で死んでしまいたい衝動が湧いてくる。


(もう……ダメ?……まだ……頑張れる?)


 頑張るって何? 頑張って認めてくれる人はもう居なくなっちゃったのに? 辛いしんどいもう嫌だ。ぐるぐると思慮がループしていた。


「さぁさぁ魔王様の勅命よ皇女様。オマエの首は先発隊筆頭魔人メドーサがもらい受けるわねぇ」


 満腹になったのだろう。

 蛇の腹部がパンパンに膨れ上がって、唯でさえ嫌いな蛇がより一層醜く見える。


「頑張って頑張って……それを誰が証明してくれる……か」


「あらあら皇女様。便意でも催しちゃったのかしらぁ? もうちょっと抵抗してくれないと五日も待ちに待った甲斐がないじゃないのさぁ」


「頑張って頑張り続けて……五日?」


 何かが引っかかった。

 五日前――そうだ。自分はあの娘と逢うのが楽しみで楽しみで、一か月も前から準備をしていたのに急に予定が狂ってしまった。如何に思慮を巡らせようが、如何に精密な計画を立てようが予定通りにいかないものが第三者の存在という異物である。でも、その予定を狂わせてくれた臣下はさっき皮になって死んでしまった。可笑しい話ではないか。では今、自分が戦う理由は?


「だから私……次に会った時に埋め合わせをしようって」


 理由などないのではないか。

 この世界は理不尽で醜い、地獄なのではないか。こんなに自分は頑張っているのに邪魔ばかり現れる。こんなに皆に合わせて頑張っているのに結局腹の中では自分を笑っているのではないか。アンリエッタはこう考えてしまう。もしかして自分はこの世界に嫌われていて、絶対に幸せになれないように術式が組んであるのではないかと。


「私が要らないなら……死んじゃった方が」


 いいのかな。


 でもその時、確かに聞こえたんだ。


『アンリエッタちゃん? それは違うよ』


 やけに明るい、幽霊の声が。


『シーラは違うと思う。だってエッタちゃん今……独りで寂しいでしょ?』


 楽しみにしていた。あの子の声が。


『気になるあの人も言ってたよね』


 あの人って……。


『必死に伸ばした掌に宿る……チカラの話』



 ぼんやりと霞む目を開けた。

 気が付けば、右手につけていた筈のダリアのコサージュは――座り込んだアンリエッタの目の前に落ちていた。


 無意識に伸ばしていた手でコサージュを拾い上げ、女は今一度唇を噛みしめた。


「あの……魔人さん」


「メドーサよお嬢ちゃん」


「メドーサさん。シーラって娘、知ってますか?」


「シーラ?……あぁファジーロップの奴が立てたややっこしい計画の娘ね。知ってるわよお嬢ちゃんの友達でしょ」


「そうなんです。あの娘しかいなかったんですよ友達」


「あらぁ可哀想ぉねぇそうなんだ~いいんじゃない? そろそろ友達に逢いにイケルんだからさぁ」


「誰がやったか……知っていますか」


「これから死ぬのに知ってどうするのさシャハハ」


「死んでも覚えておこうかと」


「それは良い答えねぇ……エリュトロンよ。死霊使いエリュトロン。あんの目玉好きの腐れアンデット娘さ」


「ありがとうございました。死んでも覚えておきます」


 虚ろな目を向けて顔を上げた。


「つまんない子ねぇ~まぁいいか。早く帰ってキャロル様にお伝えしたいしねぇ」


 メドーサは拳を振り上げた。首だけ残してあとの部分は潰す気だ。


「メドーサさん……最後にいいですか」


「逃してねー? とか以外は良いわよぉシャハハ」


「さっきしてたみたいに、私も吸って頂いても宜しいでしょうか」


「あらあらとんだビッチだこと。後ろの穴の方が好みだなんてねぇ」


 上半身の妖艶な美女の顔が下半身と同様に醜く歪んだ。


「どうせ死ぬなら……美味しく食べて貰った方が」


「若いのに解ってるわねぇ」


 メドーサはアンリエッタを片手で握りしめ、吸いやすい位置まで持っていく。


「首は残しておけって言われてるんだけど、皮だけ残しておけばいいわよねぇ」


「……泉よ……火よ」


「変な事いうと思っていたら壊れちゃってたのかしらねぇ。でも大丈夫。今迄もそんな食料が何人かいたけどね。最後の最後は絶叫するのよシャハハ。後ろの穴からさかさまにひっくり返るくらいイカせてあげるわぁ」


 下半身に目掛けて口を開けたその時――


「聖女の名の下に魔を滅せよ!」

精霊魔法言語アセンブラ!? この速さは――」

「Lv2浄化炎ホーリー=フレアぁぁ!」

「ぎぁャアアアアアアぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」


 ジュオオオオォォォォ……


 浄化の炎がメドーサの顔から腹までを融解させた。


 アンリエッタは考えていた。

 これ程の巨体だ。魔法言語で攻撃しても魔人核に到達するまでに回復されてしまうだろう。蛇を一撃で倒すには頭を潰す事。メドーサ本体に近づけるタイミングを待っていた。


「わた…しは……」


 浄化の炎は精神の炎。

 物理的には火傷をする程度だが、魔人の心臓である核を直接攻撃するLv2。


 ――ドグッ


 絶叫するメドーサの掌から地面に落下する。衝撃で脇腹と足に激痛が走った。


 足の骨が折れた。

 肋骨にもひびが入った。

 因子核超過による胸の激痛も耐え難い。


 だが彼女は立ち上がる。

 あの子が見ているのだから。


「わ、私は、私は諦めない……シーラに誓ったんだから!」


 血を吐きながら


「約束したんだ!」


 自分に言い聞かせるように。


「約束は……約束は断固とした信念をもって守るものよ!」


 アンリエッタは出撃の際にダリアのコサージュに誓ったのだ。私と一緒に戦って? 私もまで戦うから。



 大丈夫。


 シーラだけじゃない


 アンリエッタちゃんにはね?


 み~んなが……付いてるからねっ。



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