No.4 魔王と父親



 魔族――万国共通どの世界でもそれは人族にとっての災厄であろう。

 魔王の御身を守らせる為生み出された666核の魔人因子核を宿すものを魔人と呼び、魔人が生み出す分身が使徒である。


【序列】 魔王→魔人→使徒→魔物 総じて魔族


 先代の魔王は創世記に人類によって討たれ、以降それから数百年に渡り魔物の王は誕生しなかった。次期魔王に相応しいと名乗りを上げた強行派、魔人ラビットハッチと、魔王は相応しき素養のある者が現れるまで待つべきだという魔人カゲオウの意見が激突し魔人同士の戦争が起こった為である。


 数百年に渡って続いた魔人戦争に終止符を打ったのは意外にも、どちらの魔人にも属さない魔人殺しと呼ばれる人の剣士であった。

 魔人殺しはラビットハッチを倒し魔人核アンバーコアの状態まで追いやった。その期を逃さず、影王はラビットハッチ軍を打倒し戦争に勝利する。



 そして今から153年前。

 魔人影王が拾い育てた人間の少女キャロルを魔王に添え、今に至る。


 魔王を継承した者は瞳の水晶体が燃える様な真紅に染まることから、魔王レッドアイの名を受け継ぐとされる。 現在二代目の赤眼の皇スカーレットアルタ”は別名――氷の魔王と呼ばれていた。


「え~それどうなの~?」


「本当に嘆かわしい悲しい出来事ですねぇ」


「クフフ」


 ルナリスは海に囲まれた大陸であり、その北側三割を閉める氷結地帯こそ魔人達の世界だ。そしてかしましい声の響くこの場所は、魔人領マカハドマの中央に聳える一輪の水華の城。


 黒曜石の巨城ウバラスイレンである。


「男と女ってさぁ一緒のところに入れておくと、どーしてそぅなっちゃうのかなぁ」


「本人達は純愛だと思っていたようですよ。果敢にも現場を任せていた豚……というかタムワース様にくってかかっていましたから」


「アハハ芙蓉フヨウ〜豚って言ったよね今。まあブタだけどねアイツ。魔人の中で一番バカだもんね喋れないし」


「あまり頭は宜しくないとはいえ人間如きにタムワース様が遅れを取る理由もなく……といいますか当然ボコボコでしたね」


「ありゃ死んでないの? その奴隷」


「それがなんと言いますか、その方が良かったんでしょうけどね」


 玉座の間レッドカーペットに直接座り込みながら話し込む女が二人。

 一人目の少女は、いかにもお手伝いさんといった装いの、ソバカスが特徴的なメイドエルフだ。


 魔人に生み出された使徒、名をフヨウという。


 プラチナブロンドの髪を揺らしながら会話を楽しんでいるもう一人は、中学に入りたての少女のようではあるが、見た目相応の平らな胸とは対象的に、その顔付きと気配は色気が漂い非常に大人びて見えた。


 まるで湖畔に一輪だけ咲く薄紅色の睡蓮の一華ひとはな。真紅の瞳をした彼女こそ二代目赤眼の魔王――レッドアイ=キャロル=デイオールであった。


「うんうんそれでそれで~その男と相手の女はどうなったのー?」


「男性は交配工場で毎日枯れるまで励んでおられる様です。女性の方はトロール達の玩具部屋行きになりました。先日拝見した時はまぁ……中々楽しそうに見えましたが」


「アッハハウっケるぅ♪ そういうのは楽しそうって言わないんだよフヨウ。ブッ壊れてるって言うんだよ。キャロルにも経験あるからわっかるんだ~」


「博識でございます流石はキャロル様。以後はそう表現するように致します」


「恋人に悪戯された位で楯突くからだよねぇ。交配工場ってメドーサの管轄だよね。どーせ絞るだけ絞ったら吸われちゃうんじゃないかなぁ」


「正直あの性癖は好きではありませんがまぁ、そうでございましょうね。……あれって、アレも含めて全部吸ってるんですよね。信じられます?」


「後ろの穴からジュルジュル~ってね? うえぇぇ想像を絶するよぉどんな気持ちかなぁ」


「散々絞られ……いえ、吸われた上で吸われて終わる人生ですか、中々花があるかもですね」


 漫談にはしゃぐ淑女達のガールズトークは中落ちの煮凝りから咲いた花のように生々しく咲き乱れ、既に満開の季節を迎えようと意気込むが。


「お話中失礼致します。……只今戻りました」


 丁度その時だ。

 モラルの乱れ切ったこの場に霧が立ち、タキシードに身を包んだ紳士が現れた。


「お帰りなさいませヘルズリンク様」


 座り込んでいたフヨウはいつの間にか立ち上がっており、メイドの手本の様な一礼を披露する。


 現れた男の顔色は無く白いというより無であった。髪は伸ばして肩まであり年の頃は三十路後半、品のある顎髭、片眼鏡、紳士、知性。


 冥王と呼ばれる吸血現鬼、魔人ヘルズリンクが帰還する。


「どうやらお邪魔してしまったようですね……美しくない帰還でしたか」


「本当だよヘルズリンク今から盛り上がる所だったのにクフフ」


「それは申し訳ございませんでした」


「冗談だよおかえり冥王よく帰った。……で、どうだったのかな」


 物静かに腰を曲げるこの男は魔王が帰還を労う地位の魔人のようだ。


「ラビットハッチの使徒は中々上手くやっているようです。メドーサ達は既に指定の場所へ。餌まきの方も滞りございません。些かやり過ぎて美しさには掛けていましたがまぁ……問題ないでしょう」


「ほえメドーサが行ったんだどうやってぇ? あんなおっきいのが通れる関所ってあるんだね」


「彼女は人の姿にも成れるのです」


「ワォ知っらなかったぁ。きっとバインバインの痴女だよね。てゆーかヘルズリング君が行ったら早かったんじゃないの? 普通に壁抜けれるでしょ」


「重ねて申し訳ございませんキャロル様。私は美しい女性の血は好みますが、惨殺するのは極力避けたいのです」


「ふーんやっさしいんだ。おとーさんみた~い」


 褒められているのか馬鹿にされているのかは不明だが、ヘルズリンクは無難に話をまとめた方が正しい、そして美しいと判断した。


(――っち)


 吸血鬼の内心では舌打ちが行われていた。

 自身が心情とする美しさに非常に掛け、騒々しい魔人の気配に気付いてしまったからだ。


 ズ……ズッズズンッ

 超重量物が進む振動共に、次に玉座の間に入ってきた巨大。その正体は異形な人影――兎の魔人。


「ゲハハハっ オデ参上おおぉ」


 顔は目つきの悪いウサギであった。

 見ようによっては可愛い人型兎であるのだが、異常なのはその質量だけではなかった。六本の足、四本の腕、触手の様な三本の生殖器を引きずった存在。――目をそらしたくなるおぞましき姿。それがラビットハッチの全貌であるから。


「魔王サマ、キョウはお日柄もヨク……」


「クフフっウサギちゃん。頑張って丁寧な言葉使わなくていーよ聞きづらいし」


「ゲハハっ 流石魔王サマ、器が違いマスですワ」


「違うちがーう。ホントにウザいだけだし」


「冗談もオジョウズとはゲハハ」


「なーんで魔獣系の魔人ってこーなのかなぁクフフ。まあ良いや頑張ってるみたいだしね君の使徒は」


 巨体と触手をヌルヌルと動かしながら笑うラビットハッチは元々小動物のウサギの為、強い者に媚びを売るその悪癖と、先代魔王に付けてもらった自分の名前へのコンプレックスが異常なほど高い。それ故に強く偉くなろうと進化し続けた結果、今の全長四メートルを超える巨大な兎へと進化を遂げた。


 創世記から生きており、乱暴な人間に非常食用に飼われていた彼は、唯の兎だった。運良く飼い主が面白半分で与えた石(エサ)が魔人核であり、魔人に転生。兎は即座に飼い主を食い殺し自由を手に入れた。


 その逸話を面白がった先代魔王が皮肉を込めて兎をラビットハッチウサギごやと名付けたのだ。


 一度”魔人殺し”に討伐されたが、命である魔人核を破壊されなかった為、二代目魔王誕生の際に復活を果たした。強さを求め過ぎた為頭が悪く、魔人の本能とウサギの本能である凄まじい性欲と破壊衝動を持つ、魔人最古参にして最強の魔人である。


「ヨクゾ言ってくれました魔王様。十年かけたワタクシの計画。 オデの計画通りに進んでいますでしょう? ゲゲゲ」


「うんうん、たんさいぼーのウサギちゃんにしては頑張ったね。でも体がおっき過ぎるのを忘れてて作戦に参加出来なかったんだよねクフフ」


 魔人領と人間領を分かつ”大壁”は竜人とエルフ族の特殊技術が使われており、いかに魔人や魔王といえど破壊するのは不可能に近い。内部へ進行できる城塞都市の関所を破るか、内部から開けさせるしかないのだ。


 その為人類は、関所を破られないよう各国で大規模な戦力を配置した要塞都市を設けている。


「ゲへへへへ面目ねぇです」

 ――ゴッツ!

「ぐっ、はっっ」


 へりくだった態度とは裏腹に兎の触手がムチの様にしなり、傍らで待機していたフヨウを薙ぎ払った。


「ご……はぁっ」


 魔人から力を分けて作られる使徒とはいえ魔人ほど強固なわけではない。硬い黒曜石の壁に激突し、跳ね返ったフヨウは顔面から血が噴射させ、うずくまって苦痛に顔を歪ませている。


「イヤイアヤしかしながら今回、人間領一番の大国トロンリネージュを落とせれバ、内部よりあの忌々しい大壁を破壊できる大チャンスが巡ってきます。オデ…… ワタクシの優秀な使徒ファジーロップあっての計画。ゼヒ是非ワタクシめの功績に……」


「う~んそうだなぁ……じゃあお父さんに聞いておいてあげるねっ」


「か、影王のヤツに……ですカ?」


「うん。おとーさんに最近ウサギちゃん頑張ってるよって」


「しかし、ソノ、今回の件はアイツはナニモ」


「んーなにー? ウサギちゃん文句ー?」


「い、イヤイヤ、め、めっそうも」

――ズンッドッ!

「あ!……あぁっ」


 血だらけで倒れるフヨウに更にラビットハッチの触手が叩きつけられる。黒曜石の地面にめり込み、額が割れ鮮血が吹き出して痙攣しだした。


「ウサギちゃんは違うの?イイ子だと思ったから、おとーさんに良い子だって言っといてあげるんだよ。昔はおとーさんの敵だった君を……」


「ハ、ハハァ光栄でございますデス、はい」


 先程からメイド使徒が痛め付けられているが、この場にいる者はまるで気に留める様子はない。自分の使徒でもないフヨウに気を留めるようなモノは此処にはいない。このモノ共は人間ではないのだ。人の感覚は通用しない。


 ――バスュッ!

 今一度ラビットハッチが触手を振り上げた刹那――触手が宙を舞った。


「あ、お父さーん! おっ帰り~」


 その真紅の瞳で確認したキャロルの眼が爛々と輝いた。いつの間にか現れた影王は、玉座にいたキャロルの隣で、フヨウを抱え立っている。


「あぁ、ただいま」


「おとーさんおとーさんおとーさーん」


 切断された触手が地面で醜くウネリ、白濁液を撒き散らしながら動かなくなる。


 キャロルに熱い視線を送られる魔人――影王。

 彼が触手を両断したのだと推測されるが、既に腰に下げた巨大な黒刀は収まっていた。凄まじい早抜きと移動速度という事だろう。


「前にも言ったな……他人の使徒に手を出すなと」

「手は出してネェだろうガ。出シタのはオデの」

「頭が良いことだ……うさぎ小屋の魔人は」

「うさ、うさぎ小屋ダトォ!? 」

「あのねおとーさんっ!」


 影王の赤い片目が娘に向いた。

 感情が表に出た訳では無いがどこか、優しさを帯びているように見える。


「ウサギちゃんがね、ない頭で今回頑張ったんだって。でねでねキャロルね、おとーさんが留守の間イイコにしてたよっ奴隷も三体しか死ななかったよっ」


「……そうか」


 魔剣影王。

 人間から転生した魔人にして、魔王キャロルを育てた義父親である。全身黒を基調とした細身の甲冑に身を包み、赤い片目を守るように覆う、変則的な兜を装着している魔人。


「あっ、その……影王…さま。そんな」


 芙蓉フヨウは喉から声を絞り出した。

 横抱きにされている事の羞恥心が限界を超えた為だ。

 真っ赤に高揚している頬は瀕死の重傷だからという理由だけではなく、興奮によるもの。


「あっ…き、恐縮でございます影王様……あ、あのお放し下さい。私如きの血で御召物が汚れます……ので」


「重症だ静かにしていろ」


「へあぁ?…えっとぉその、はいぃ」


「オデを無視するんじゃあネェよ影王ォお!!!」

――バババリイィ!

「いでぇでででええええええ!」


 激昂するラビッドハッチの背中に稲妻が疾走する。

 静かに、そしてゆっくりとラビットハッチに目掛けて歩みを進める女性――麒麟キリン


「クソ兎…め」


 使徒である芙蓉の主人であり、物静かなたたずまいとは反面に周囲に稲妻を散らしながらラビットハッチに刺すような視線を向けていた。


 共に現れた影王と麒麟の二体は人間の理屈の通る感覚の持ち主のように見える。


「影王ダケデナクてめえもかキリン……てめえ等の攻撃ナンザ、イテえぐらいにしか聞かねえぞゲハハ」


「今のは…全然本気じゃないし…」


「ボソボソ何言ってんだが聞こえネーよボゲが! 昔みたいに遊んでやろうかーあぉ!?」


 雷帝と呼ばれる女――魔人キリン。

 ハーフエルフからの転生体である。

 草原ようなの深緑の瞳と髪、ウエーブの効きいた短い髪が美しい彼女だが、影王の装着している同系色の甲冑を魔改造しており、均整のとれたプロポーションが透けてしまいそうな著しく防御力の欠いた残念なビキニアーマーにマントを纏っていた。一見露出狂にも見える彼女はこと風系統の魔法言語では魔人領に右に出る者のいないLv4神魔級魔導士である。


「…そーゆーのは…自分のド変態使徒にでもしてろ…汚い触手を引っ込めろ…バカアホ」


「だから聞こえネェよボケが! ガキの頃は可愛げガあったのにナぁヤル気かゴラぁ」


「…笑える…子供の頃から…お前に見せるような可愛さ…なかったし」


 紫電を撒き散らしながらチラッと影王の方を見る。

 こっちを見ていないのを確認してから、キリンはラビットハッチに向き直した。先程から聞こえるか聞こえないか位の声だが、これは別にビビっている訳ではなく声が小さいだけである。


「キリンも帰って来たんだクフフ。これでみんな勢ぞろいだねぇ」


 魔獣ラビットハッチ(兎)

 冥王ヘルズリンク(鬼)

 雷帝キリン(長耳)

 魔剣影王(人間)


 魔王キャロルを守護する最高幹部魔人四天王。

 この四体は666体いる魔人の中で頂点の力を持つ固体であり、それぞれの持つステータスは一部だけなら魔王すらも凌駕する。


「オメェとは魔人戦争の時カラの因縁があるからなあゲハハ」

「一度…今の私の力を…見せておく必要…あるね」


 魔王城玉座の間に超電圧の磁場が発生していた。片眼鏡をかけた紳士は溜息を一つ。


「影王、そろそろキリンに下がるように言ってくれませんかね? 髪が逆だってしまうのでね」


「使徒を傷つけられたのはキリンだ……彼女が決めることだ」


「貴方のその考え方、まるで人間ですね。昔の貴方からはとても考えられない。仕方がない、美しくはありませんが私が収めましょう」


「キリンに手を出すなら、俺がお前を斬る」


 ラビットハッチと向き合うキリンの長い耳がピクリと動いたように見える。


「正気ですか? こんな児戯に等しい戯れで」


「お前の使徒共はそうは思っていないみたいだぞ……四人全員で、俺を射程に入れている」


「っ……彼女達に気付くか」


「使徒から相手をするか?」


「冗談では、なさそうですね」


 はしゃいでいる魔王キャロルとは相対的に四天王の気配は緊迫していた。人外の気迫で空気が淀み、重力が増したかのように重い。


「殺ぁってヤルぜキリン! ゲハハハハハハ」


 兎魔人ラビットハッチの巨体が更に膨張し膨れ上がる――凄まじい力の波動で空気が震え壁や床に亀裂が入った。我冠せずを決め込んでいたヘルズリンクも臨戦態勢を取る。


 ピ … ピシッ … ピシピシィッ!


 黒曜石で頑丈に出来ている床や壁が魔人の気迫で大きくひび割れていく。


 ヒビの音にキャロルの表情が少々引きつった。


「みんなーやーめーてー」


「影王、キリン! ハッチは美しくはないが魔人としての本能には忠実な行動だ。筋は通っている収めろ!」


「嫌っ…兎のヤツが悪い…ウィムニー=ルスラフシモン=ベルンハルト=アハトの雷よ……」


「か、影王様ぁ」


「心配するなフヨウ。お前1人守るくらい……わけない」


 キリンの長耳が再びピクリと反応する。


(キリン様ぁ……ご、ごめんなしゃいぃ)


 主人の気配に遠慮と恐怖を感じながらもフヨウは思った。お姫様抱っこは最高だと。


 ……ジジジジジジジジジジ……


 ヘルズリンクの静止など全く意にも返さず、キリンの魔法言語が完成する。超電圧で空間が歪む――雷と同等程度の威力が、発生しているのが解るほどに。


「キリンを潰したラ次はテメェだ影王! ってごらあぁ無視してんじゃねぇ何とかいえやぁ!」


 更に玉座の間の振動が強まり城の黒曜石が悲鳴を上げる。

 ビビシッビシビシビシ――頑丈な床が砕けて抜けそうだ。


「やーめーて……ってぇ……言ってんだろ下僕どもあ!」


 キャロルが叫んだ。

 真紅の瞳が見開かれるその瞬間――影王は抱きかかえているフヨウを守るように背を向ける――


 ガドッ――・――キッ――・――・――ン――


 文字通り場が凍りついた。

 魔王覇気が部屋全体に広がり、玉座の間全域の空間が停止したかのようだった。


 魔人達の動きも同時に止まる。


 見渡せば室内、いや城全体が凍り付いていた。

 これがキャロル=デイオールが氷の魔王と称される理由――自らを源流ソースとする、詠唱すら必要としない絶対零度の魔力"Lv4摩訶鉢特摩マカハドマ"である。


「下衆共が! これ以上暴れやがったら全員張り付けるゾ!」


 下僕共は即座に戦闘態勢を解いた――が、何故かラビットハッチだけは凍り付いていた。


 ……・……・……・……ピシッ……


「よろしーーい! えっとね実はね? この玉座の下の秘密の地下室にね? 本日実に新鮮な幼女達が届いたのぉ」


 今晩はこの子達と遊ぶのね。無邪気な顔でバンザイ――何してあげよーかな。とか言いいながら通販で買った新型オーブンレンジの到着を待つ主婦のように、キャロルは玉座に頬ずりしながらカミングアウトする。


「みんなが暴れて床が抜けでもしたら地下の子達がみ~んな潰れちゃってもったいないでしょ~?」


 一度風呂に入っただけで湯を抜くな。そんな軽さで。


「……ゴメン」

「大変申し訳ございませんでした」


 キリンとヘルリンクが頭を下げる。


「……やれやれ」

「あ、ありがとうございました」


 影王は抱き上げていたフヨウを床に降ろして立たせていた。顔を真っ赤にし、おぼつかない足取りだったフヨウを気遣い、影王が再び手を貸そうとした所――


「あぁん…?」

「ひぃぃ」


 キリンの視線を感じて飛び退いていたが。

 ひ弱な少女に見えるとはいえ芙蓉は使徒である。不老不死である使徒は、人間如きより遥かに高い治癒能力と耐久力を持っているのだ。


 ……・……・……・……・……ピキッ・……


「ぶはあああああああ!」


 バキイィィバキイイイン


「洒落になんねええええヨ魔王様ああぁ!?」


 ラビットハッチが復活を果たす。


「クフフスゴイ凄ぉい。さっすがウサギちゃん超頑丈だねぇ。ヨッ魔人最強のウサギちゃん!」


「え…そうですかい? ゲへへそれ程でもゲヘヘ」


 氷漬けにされた事を既に忘れているが、ラビットハッチは強い。この部屋にいる魔人はそれぞれの分野で頂点に立つ存在だが、ラビットハッチの強さは別格であった。

 過去――唯一の弱点である魔法耐久力の低さを付かれて魔人殺しに敗北したが、こと肉弾戦に関して、この地上に彼の魔人に勝利できる存在はおらず、防御結界と超速再生を突破して彼を殺しめるのは魔王とて容易ではない。魔人四天王最強最古の魔人――それが魔獣ラビットハッチなのだ。


「さ、みんな揃った所でウサギちゃんのお色気大作戦のお話だけど、後はお姫様が勝手に予定地に来てくれるのを待つだけなのかな」


「既に十八体の魔人が大壁を抜け指定の場所にて待機、完了しております……あとは」


「あっ…ヘイそうです後はオデの使徒、ファジーロップの報告をお待ちイタダケレバと」


 巨体をくねらせ、ラビットハッチが深々と頭を下げた。

 その背中の雷撃跡が既に消えていた事にキリンは舌打ちし頬を膨らます。


(チッ…まだ…届かないか兎には――わっ!)


「キリン気にするな、お前の魔力も着実に上がってきている……俺と違ってな」


「か、影王…そんな反則…急に」


「……どうした」


 頭に置かれた手を優しく払いながらキリンは俯いてしまったので、影王は玉座に歩を進めた。


魔王レッドアイ


「いやんいやんおとーさん♪ キャロルって言って? いつも言ってるでしょ~」

 

 影王の腕に絡まるキャロル。

 騒ぎを聞きつけた城の警備悪魔達や、修繕係の奴隷らが数体集まって来ていた。場外にいたので氷付けにならずに済んだようだ。


「ではキャロル、大丈夫なのか」

「何がぁ?」

「お前の手配した、地下室の子供だが」

「……あ」


 気配を察したキリンがフヨウの手を引っ張りそそくさと待避し、ヘルズリンクに至っては既にもうおらず。それを見たラビットハッチはバカなりに理解したらしく、猛スピードで壁をぶち破り外へと逃げる。


「まさかまさかね~?」


 キャロルはそ~っと玉座を動かし中を覗いた。

 ”新鮮な幼女”と形容されていた幼子達は、彫刻の様に美麗な冷凍幼女しょくひんとなっている。


「……なんだよもぉ」


 ――・――ビキッ――


 小さな音がしたと思ったその刹那――この場に集まりつつあった悪魔と奴隷達が沸騰したかの様に膨れ上がり、そのまま玉座の間共々粉々に吹き飛び、霧散した。



 ◆◇◆◇



 その夜、寝室の天蓋には二人分の影があった。娘の頭を撫でる影王と猫のようにそれに身を任すキャロル。ごく普通の親子にしか見えないが、キャロルと影王に、血のつながりは存在しない。


 魔王となる以前――キャロルはデイオール公爵家の娘であったが、後妻の手引きによって誘拐され、九歳の時に奴隷に堕ちてしまう。


 助けられた時には既に心が壊れてしまっていた少女に、影王は服を与え、優しさを与え、名前を与えた。


 良い環境で育てられ、次第に人間としての感情と記憶を取り戻していくが、感情を取り戻してしまったが為、奴隷として暴行の限りをを尽くされていた記憶に精神を疲弊させ、病んだ上重い病気が併発し、以来意識不明となる。


 どうしても目を覚まさないキャロルに、影王は魔王を継承させる事を決意。魔王に転生した事で少女は全てを取り戻したが、心の傷ごと人の心が無くなってしまい、純心”キャロル”のみが残った。


 本来の記憶と名前を取り戻した後も義父に付けて貰った大切な名前を気に入り名のり、愛していた。


「お父さんゴメンねぇ。またお城壊しちゃって、怒ってる?」


「いいや……明日には直させる」


「お父さんゴメンねぇ。千切れちゃった右腕……痛いよねぇ」


 申し訳無さそうなキャロルの視線は痛々しく不格好に千切れ飛んだ腕に向けられている。筋肉の繊維が異常な速さで縫い固められているが、そんな事など気にもしていない男は娘の頭を撫でた。


「いいや……明日には治るさ」


「お父さんゴメンねぇ……キャロル直ぐキレて悪い子だよねぇ」


「いいや……去年よりずっと良い子だ」


 そんないつもの・・・・やり取りにキャロルはクスクス笑い、影王を眠そうなまなこで見上げる。


「お父さん手を繋いで? ず~と昔だけど、妹とこうして手を繋いで寝てたの」


「……あぁ」


 キャロルの小さな掌を優しく握った。

 鍛錬によりガチガチに固まった父の手を握り、娘は少し照れながら微笑む。


「ンフフッ……お父さん・・・・になってくれて、もう百年以上経ってるのに、おとーさんはず~っと……優しいねぇ」


 すぅっと深紅の瞳を閉じた娘の口が小さく動く「大好き」と。


「あぁ俺もだ……お休みキャロル」


 その寝顔は、魔族の王とは思えない笑顔だ。


「俺みたいな屑が優しさまで失ったら……何が残る」


 魔王の父親。

 その男は無益な殺生は好まない一見心優しい魔人であるように見えるが、一度怒ると手が付けられない残忍さも持ち合わすアンバランスな男である。


「これが本当にお前の幸せだったか……今でも解らない」


 魔力を一切持たない事から過去数百年に渡り修練を続けた結果、魔人族随一の戦闘能力を持つまでとなる。


 魔導とは魔を使う者也、”魔”と一体となる事、それ即ち魔人の導也。


 誰かが言っていた気がする。

 人間であった時に聞いた、誰かの言葉コード

 このCodeが意味する事はすなわち――失敗であろう。

 男は何かを失敗して魔人となったのだ。


「何かを成した事もない俺が……父親の真似事などを」


 それが何なのか。

 男にも解らない故に不甲斐なく、愚かで、半端な屑だと己を蔑む。


 魔人影王と魔王キャロル。

 コイツラには魔人也の親子の絆がある。


「真似事だろうと……俺はお前を」


 守れるだろうか。

 この気持ちは本物なのだろうか。

 だが確信はなくとも、何も成し遂げられなくても、父親を演じ続ける事だけは止めないと決めている。さすればきっと、己の求める何かに手が届くような気がして。


 それが――理想に手を伸ばそうとして掴めなかった男の、愚かな夢だ。

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