No.20 たとえ本物じゃなくたって  


「え? 腕? 腕がない?わたしの……」

「借りは返すもの。にしても少々悪趣味か」

「えぎゃあアぁぁぁぁぁ」


 顔を憶えていたのは、女の方だった。

 ラビットハッチ様がとても楽しそうに弄んで殺した、女の方。男の方は、その傍らでびーびー泣いていただけの、何処でも良く見かける、情けなくて惨めで、搾取されるだけのモブA。そんな印象だったのに。


「以前とは立場が逆転したな。ウサギの使徒」


 八つ裂きにされた女の破片を泣きながら集めていた姿が滑稽で、たまたま憶えていただけ。情けなくて惨めで、滑稽だった人間モブ――あのときは。


「オマエぇ…あの時の男じゃ…ぁ?」


 どのくらい前だったか、100年前? だったような気がする。魔族に蹴散らされるだけの、蹂躙されるだけの存在である筈の下位種――人間種だった筈なのだ。


『ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅ』

「おいおい落ち着けディ。圧縮している術式が解けちまうぞ」


 ――眼の前の男は。

 刀身についた鮮血を払い。そして、その刀に向かって話しかけている男は。


 それよりも今は…とにかく痛い。


「痛い痛いイタイ! なんで再生しないのぉ!?」


 男の腕をねじ切ろうとしていたファジーロップ。

 だが、逆に自分の両腕が無くなっているこの状況。超速の再生能力とタフネスを主人から与えられ創造された使徒である筈の自分が。


「魔装技…炎を纏いし”魔人剣スサノオ”。俺と相棒の合わせ技だ。そしてお前の主人を一度滅ぼした剣だよ? お嬢さん」


 傷口が焼き切れて再生が出来ないのか。

 魔法言語とオーラスキルの同時攻撃? 聞いたことがない。


「そんなまさか、あの坊やが、オマエが、魔人最強のラビットハッチ様を破り、ランドロップを殺した…魔人殺しぃぃ?」


「400年も経ってるんだ少しは変わるさ。…いやどうかな。わからんが」


 そんなに前だった?

 いまいち不死身使徒である自分には、時間経過という感覚が雑化してしまうように思うが、今はそれどころではない。水分が無くなってしまうのではというほどに、体中の毛穴から脂汗が溢れ出して止まらない。恐怖と困惑と脱水により、老婆のように刻まれシワだらけになってしまった顔を歪ませる女には、あの情けない男と眼の前の無表情男とが未だに結びつかない。


「お、お前…… あの人間じゃぁ……惨めに泣き叫んでいたあの坊やじゃぁ」


 腹の底から湧き上がるこの感覚。これは恐怖だ。

 賢く、美しく、永遠に生き続けられるはずの不死身の使徒である自分が感じるはずのない絶望というヤツが、煮えたぎる釜から湧き出る泡のように気化してシワを刻む。人類相手に、ただの人間相手に、殺気など微塵も感じさせない男から感じる恐ろしいまでのプレッシャー。


 これではまるで、この威圧感はまるで、主人と同じくして魔人領最大戦力四柱の一人……”魔剣”と対峙しているかのような。


「その坊やさ……少々長生きの、ただのな」

「ひぃぎぃぃ!?」

「そう怯えるな。すぐに終わる」


 ファジーロップは後退り、無い腕をジタバタ振りながら背中を見せるが、両腕がないことでバランスを崩して転倒し、イモムシのように地面を這っていた。


『……マスター』

「あぁ。詠唱は完了しているな」

『当然です』

「ブチギレて忘れてるかと思ったが」

『だから、ご存分に』

「いつも助かるよ。相棒」


 未だにこっちを見る様子もなく剣と会話している男を背中に感じながら、ファジーロップは自分に迫りくる”死”というヤツから必死で逃げようと藻掻く。でも、すくんだ足と無くなった両腕を惨めにバタつかせるだけで一向に進まない。


「何なのよ何なのよ! あんたぁぁぁぁっっっ!?」

「そいつは俺も探しだした所さ」


 強力な魔法言語が完成しつつあった。そいつはゆっくりと丁寧に 、しかしながら渾身の魔力を込めて。


「ひ、ひあぁ助けて!? な、何でもするからどんなことでも」

「命乞いか……そいつはお前が売女ばいたと呼んだ女にでも言ってやってくれ……魔人四天王魔獣ラビットハッチの使徒様よ」

「あの、あの、なんていったっけあの女の事なら、謝るから! あの時――」


  ユウィンは一度嘆息する。


「おいオマエ達。良いのか? 助けに入らなくて」


 最後に周囲の者共に確認を。

 だが、当の魔人達は素知らぬ顔だ。


「べっつにぃ。あーしの使徒じゃねぇし」

「だ。あっひゃっひゃっ」

「そうだよな。そう言うよな。オマエ達は」


 そういう存在なのだ。コイツらは。うんざりする程に知っている。


「感動の瞬間なんだがな……どうもやはり、薄いな」


 かといって無論カタキを逃すつもりはない。

 ゆっくりと、丁寧に、されど渾身の魔力をのせて放つ。それを言葉に乗せて。


『DOS術式実行!』

「Lv4歪時空爆烈地獄ドリスヴァン=ネシオン」


 グドムッ―ドガガガンッ!!


 女の上半身が歪み、そのまま大爆発を起こして吹き飛んだ。


「ぷ? ぷぎぼ!」


 ――更に後方に立っていた魔人トトロスをも巻き込んで同時に四散する。それどころか勢い余って城壁までもが爆砕して崩れ落ち、強力な古代魔法言語の影響で周囲空間までもが歪んで見える。


 その視界の悪さに漬け込んだひとつの影があった。魔人龍鬼ロキが斜め後方死角より踏み込んでいる。


「人間の魔法使い如きが。次の詠唱を終える前に頭を吹き飛ばしてくれる!」


 踏み込んだロキの姿が掻き消えた。


「へぇ…縮地か」

『速い! 反応をロスト』

「さてさて」


 死角から超高速で迫るロキにユウィンは右手を突き出した。魔人の攻撃を掌で受け止めようとしているように見える。


「馬鹿めがぁ!」


 ロキは舌舐めずりをしながら思う。思ったとおりだと。魔法因子持ちの人間は総じて、自らの戦闘能力を過大評価する。


「右手ごと上半身を吹き飛ばしてくれるわぁ!」


 魔人ロキは元々ゼノン王国地方の先住民族アイヌツベと呼ばれる戦士の一族である。一族の源流奥義と火の国ジパングの秘技すらも収めた男は、魔人化する前より武人である。その男の拳は素手で青銅の甲冑を破壊する威力を誇ったとされる。その力は魔人化した際に数倍に引き上げられ現在の力は人間だった頃の比ではない。故に拳豪の魔人は嘲笑する。


 人の身で我が拳撃を受け止める事、それ叶わず。


 先の戦いでも、硬質オーラの達人であるクロードですら背骨に壮絶なダメージを負った攻撃力――武装気でクロードより劣るユウィンが片腕で受け止められる攻撃である筈がない。


「獲物を前に舌なめずり…ね」

「むぅぅぅぅん」

「じーさんも分かっていた筈だ。武闘家としては手強いが、魔人としては三流だと」

「弱者ほどさえずるものよ!」


 口許を歪ませたままの魔人僧兵は目の前の剣士に目掛けて、右手どころか上半身を吹き飛ばす勢いで高速の拳を解き放った。


 ――バグンッ!

「ごあっぁぁっぁ」


 だが逆に、正拳どころか腕全体が消滅する。


「Lv4封魔呪縛弾ヴェイパライズ」

『解凍…ギリギリでした。先に言っておいて下さいよ。もぅ』

「でも間に合った。流石だな相棒」


 事前に圧縮してあった術式である。

 呪弾を触れる全ての生命に寄生させ、吹き飛ばす設置型爆弾。


「ぐぅぅ何故だ。なぜ縮地で見えぬ筈の拙僧が右手へ攻撃するのが……」


 ユウィンの無表情に冷えた影が落ちたように見える。うんざりするほどに、魔人共というのは、こういう生物なのだなと。


「魔人族……お前達には強力な防御結界があるが故の心の隙がある」

「馬鹿馬鹿しい 貴様ごとき若造が拙僧の武を悟れるわけが!? 拙僧の300年の武をぁぁぁ」

「若造ねぇ」

『えぇマスター。若いやつ程さえずるものですね』

「何を笑うか小僧が!」


 怒りが魔人破戒僧の体を隆起させた。魔人因子核から展開される回復能力によって再生が始まり、失った腕の再生が始まる。全身を真っ赤に高揚させ憤る姿に空気までもが恐怖し、震えているかのようだ。


「大したモノだ。魔人因子核の回復能力というのは」

「寿命の短い劣等種如きが!」

「あぁ全くだ」


 その意見には同意する。

 自分にもあったのだから。力を求めて天に手を伸ばしたことが――だがしかし。


「お前らとは違い、常に人間は丸裸だ。寿命の短いヒトという種族はな……必死で生を周りから掴もうと手を伸す」

「わけの分らんことをぉ!」

「お前は見なかったのか? 未熟な皇女の小汚ない姿を。俺はアイツと、アイツの友達に希望を見た……ヒトという種族の美しさを」

「何を言っておる貴様! 人間など所詮魔人より下位の因子を持つ劣等種でしかないわ!」

「彼女達にはたんだろうよ。ヒトの掌の暖かさが」


 男は苦笑し、思い出す。


『人は所詮独り。孤独に生きてそして死ぬ。そう、弱くて脆い生き物。でもね。あのとき繋いでくれた……君の掌は暖かかったよ?』


  過去――自分にそんな事を言った女がいた。その娘は彼の前で壮絶な死を遂げ、魂に後悔を刻み付けた。傷だらけの魂を傷だらけのまま400年もの歳月を生きた。眼の前の魔人よりも。


「貴様のような若造がありえぬのだ! 魔人の身を更に鍛え上げた拙僧が、ヒト種如きに劣るなど!」


 だが今、刻まれ血だらけになった魂にうっすらと、かさぶたが張られようとしている。


「一生結界の内側から出られない、お前達には解らないだろうさ」


 ユウィン=リバーエンドは確信があって右掌を差し出した。ひ弱な人間が、魔人の攻撃を受け止めようとすれば、人間を下に見ている魔人は必ずそこに攻撃を仕掛ける事が解っていたのだ。


 そう、彼は目の前の相手以上の年月を掛けて、魔人族を狩ってきたのだから。


「拙僧の320年の武を――頂を見せてやる。拳豪の魔人と呼ばれる拙僧の拳をぉ!」


 片腕を吹き飛ばされた魔人が再び構えをとった。

 先と全く同じ構えを。そして踏み込み――再び姿がかき消える。次は全力を以て正拳を繰り出すつもりだろう。


「掌は開くものだ。お前の320年のこぶしは、あの執事の60年に劣るさ」


 それにな。

 ユウィンは武装気を展開する。

 索敵武装気アスディック――感覚を強化し、広げるオーラスキル。

 

「あの性悪執事が万全なら、戦いは俺が来る前に終わってるよ」

「な――!?」

「それともう一つ」


 ――背後。


「力と速さ、双方勝っているアンタが負けた理由……俺が魔因子持ちだと侮った」


 それが結界持ちの油断というヤツだ。

 見ないまま抜刀する二つの刃。


「奥義四連魔人剣……八岐の大蛇」


 魔人の防御結界を凪ぎ通る――八つの閃光。


「防御結界を、魔法無しで…ぇ?」

「油断が無ければこうも見事には決まらなかっただろう。だから誘導させてもらった」


 拙僧は、この技を知っている。


「こ、これは火の国の……失われし魔人剣」

「そう。そして最後の最後に後悔するのがオマエたち」


 地面を濡らす切り裂かれた八つの肉片。

 魔人"豪拳”の龍鬼ロキの最後であった。


「そういう生き物だから、たまには人の話を聴くべきだ。思わないか?」


「あーしに説教タレるんじゃねーし。ブ男が」

「すこーしはヤルよぉだなぁオイオイオイぃ」


 今迄黙って状況を見ていた魔人カップルの一人、エリュトロンが持っていたポシェットを地面に投げ捨てる。そして――


「多少魔法が使えるくらいで調子に乗ってんじゃーねぇーし!」


 勢い良く踏み抜いた。

 辺りにカエルを踏み潰したような奇怪な音が響き渡ってから――吠える。


「全媒介をもって湧き出ろぉ」


 亡者共よ!


「Lv3死霊遊戯エタブル=メイニーオーダー」エリュトロンを源流とする高位魔法言語――外部空間に貼り付いている怨霊を実体化させ、更に死体から死体に感染拡大させる術式であるが。


「物量で押しつぶしてやらぁ!!!」

「かぁぁぁっこイイぜマイハニー」


 静寂が辺りを支配していた。


「えっ? えっ? えっ? どうして」

「どしたんだハニー。そんな可愛い声出したらムラムラするじゃんよぉ」


 まだ状況がわかっていない彼氏を無視してエリュトロンは再び魔力を集中させるが、何度やろうともCodeが立ち上がらない。自らを源流ソースとする術式の立ち上げを失敗するなんて事がある筈がない。


「ま、まさか」


 大きな帽子のツバを上げてエリュトロンは空を見上げた。


「あの天空に輝く壁……結界!?」

「なぁなぁなぁハニーハニー? だからオレさぁ」


 ようやく気付いた。

 空を覆い尽くす光のドームに。


「こんな複雑な術式構成を……王都全体に?」


 見たこともない魔法言語だ。

 それに王都を死者で埋め尽くす為に放った筈のアンデッドの気配が感じられない。そして、いつの間にか心地よかった人間共の阿鼻叫喚が静まり返っているではないか。


「く、空気が澄んでしまっている。これは精霊魔法言語……崩霊斬アーク


 これでは自分の得意とする反魂の術は立ち上がらない。しかしそんな馬鹿げたコトが可能なのか? 王都全体を対象に最上位のLv2をかけるなんて事が。


「どんなトリックを使いやがった……てめぇぇ」

「……」


 しかし無表情男は、顔色の悪い少女が唾を飛ばしている姿を視界に入れておらず、地面でひしゃげた、中から透明の液体を覗かせるグシャグシャになったポシェットを見ていた。


 声には出ていなかったが唇がこう動いたように思う「やぁ待たせたな。もうすぐ終わるから」と。


「無視されたー? あーしがぁ? この、この上位魔人”死霊”のエリュトロンちゃんがぁ?」

「なぁなぁなぁ胸触ってイイ?」


 蒼白の顔を真っ赤に膨らませて魔力を練るが、今度は魔法粒子さえも集まらない。神魔級魔導士である自分が。


「っんだよ畜生!? っカツクぅぅ」

「無駄だフロイライン」


 無表情男と視線が重なって軸足が半歩下がる。


「こ、このあーしが」

「ここいら一体の魔法粒子は今、俺の支配下にある」

「はぁ!?」


 怒り狂ってはいても優秀な魔導士としての脳内演算領域は状況を分析している。ということは、相手の魔法出力は自分より遥かに高いことになる。


「そして王都全体に浄化魔法言語を固定してある。この王都で精神系投影術式を立ち上げるのは不可能だ」


「は、はぁ!? ちょっと魔法が使えるぐれーで! そんな魔法言語聞いた事ねぇし適当フカシてんじゃねぇ!」

「ハニィハニィハニィ? パンツ脱がせてイイ?」


 エリュトロンは言いながらも周囲の気配を探っていた。


(うそ…うそうそうそ嘘。これってヤバいんじゃ)


 アホの彼氏が自分の胸を揉みながらパンツをずらしかけているからではない。見た目より優秀な魔導の力が少女に状況を気付かせてしまったからだ。連れてきた残り全ての魔人と、王都内に解き放ったアンデッド共が一匹も残っていないという事を。


「そんな……いつのまにこんな状態に」

「オウオウオウ見られながらシよーねー」

「いい加減にしやがれガルシアぁあ!!!」

「パゲも!」


 魔人ガルシア(彼氏)の顔面が膨れ上がり爆砕する。そのまま元カレシの脊髄に腕をねじ込み――解き放つ。


「Lv3死肢操眼エタブル=イリスマキナ」


 絶命したガルシアの魔人因子核をえぐり取り、拳を突き出す。


『マスター』

「あぁやるな。魔力補填に詠唱破棄か」

「喰らえブ男が! Lv3脳連鎖爆裂ブレインダムドネシオン


 ムドバ――オ!


 ユウィンが居た地面より後方1キロに至るまでの空間が捩じ切れたかと思いきや、そのまま爆砕を起こして火を噴いた。


「チィィィ外した!」

「チェックだ。フロイライン」


 ――ガキィん!


「そういう術か。ならば」

「ブッ殺せ! マイハニーガルシア君!」


 イケメンだった容姿の数センチだけが胴体にぶら下がっている存在が大太刀を受け止めていた。本性を現した、いまやエリュトロンの肉人形となった存在。――胃袋が肥大し腹がパンパンに膨れ上がった魔人暴食のガルシアは、地獄の亡者"餓鬼"と呼ばれる妖怪の魔人であった。ありとあらゆるモノを食し食し食しても満腹にならない業を持った地獄最下級の存在。


「あーしの術式により操作するガルシア君の戦闘能力はぁ通常時の3倍だぁ死ね死ね死ねぇ!」

「中身は餓鬼だったか。内面が伴わない彼氏だったな」

「顔が良けりゃ何でもいーし!」

「否定しにくいな。俺も初めは胸だったし」

『マスターって…』


 ――ギギギギギン!


 壊れた人形のように、首から伸びる”舌”と両腕で攻撃するガルシアの攻撃をながら唱えていたCodeを実行する。


「Lv2爆裂ブラストフレア!」

 ――ズドバ!

「強化ガルシア君にそんなもんが効くかよぉ――な!?」


 ジュオオオオオオオオ…


「ね、ねらってやがったし…なんて」


 なんてヤツ。

 エリュトロンの持つガルシアの結晶いのち。魔人因子核が真っ二つに割れて地面に転がった。コレを狙ったという事は自分の術式構成が完全に見えているという事。そして外部からミストルーンを吸収できないとなると残り少ない内臓魔力だけで相手を倒さなければならない。そして今迄の情報を要約するに、相手が戦士としても魔法使いとしても自分より遥か高みである事が証明されてしまった。


「う~わキモッ! 死んでるしキモイキモイキモイキモイ」


 ガルシアの溶けた残骸を踏みつけながら。


「エノキ、マイタケさっさと来やがれ何してやがるし!?」


 周囲にゴースト使徒の気配は全く無く、冬の冷たいピンと張った空気だけが残る。


「使徒は全て片付けた。後はフロイライン、君だけだ」


「だろぉなぁ知ってたし」


「なるほど」


「頭スッキリさせる為に叫んだだけだし」


「殺されない自信があるわけか。確かに、君の慎ましい胸からは魔人因子核の気配がない」


『ユウィン様って…』


「真面目な話だ」


 つまりはこの少女には急所が無いという事だ。

 魔人を滅殺するには因子核の破壊が絶対条件である。コアを破壊しない限り、魔人は何度でも蘇ることが可能なのだから。


「イケてるオジサマぁ? それで相談なんだけどぉ」


 すでに純正の魔導師であるエリュトロンを詠唱中に守護出来る者は誰もいない。高位魔法戦において呪文の詠唱時間は致命的な弱点であり、相手の魔人殺しは近接戦闘もこなす魔法剣士である。そこまで解っている死霊使いの少女が取った行動は――


「ねえおじさま? 死人を生き返らせたいと思ったことはあるかしら」


 その言葉には強力な言霊が含まれていた。ビキりと空気が震える。


「あぁ。あるよ」


 ビキビキビキ


 空気が軋む音。

 この世界ルナリスを形成しているのは魔法粒子という微粒子である。この粒子は全生物が持つ因子からなる意思の力を具現化し、”意思のある言葉”や結界などという超常現象を引き起こす源流ソースとなる。


「ここに一冊の本があるのね。なんだと思う?」


「見当も着かないな」


「死者の書ネクロマンシア……興味あるんじゃないかしら」


  魔法粒子とは魔法の言葉を行使する際の火種である。

 そして今、王都の全魔法粒子はユウィン=リバーエンドにより掌握されている。空気の軋む音はいわば強力な魔法言語を行使しようとしているユウィンとエリュトロンによる魔法粒子の綱引き、奪い合いにより起こる現象。


「あーしを見逃してくれたら~♪ おじさまの大切な人を1人だけ生き返らせてあげる……ってのはどうかな?」


「なるほど。解った」

『マスター!?』


 ずずずずずずずずずずずずずずずずずず


 魔人エリュトロンに魔力が漲る。

 いとも簡単に魔法粒子の綱引きを手放した男に少女ほくそ笑み――詠唱を開始する。


「ジェンダー=ユニクエオ=ユニセクロス=心理を司る精と魔において生きどぉれ……」


『マスター彼女が編んでいる術式は――』

「ん? 心配してくれるのかディ

『あたりま……いやそうではなく何を』


 そこまで言ってからラグナロクに憑依し200年余りになる相棒には解った―主人の意図が。これ以上は無粋。そう考え言葉を切る。


「おじさまぁ? 生き返らせて欲しい人の、名前を教えてよ」


 男は瞳を閉じた。

 マリィとの思い出。

 出会いと生活と別れ。

 王都に行った時の事を。

 二人で麦パンを焼いた時の事を。

 お前を助けてやると、叫んだあの日の事を。

 そして400年あまりで――悟った事を。


 死んだ人間は生き返らない。


 だから。


「シーラ=アテンヌアレー」


 エリュトロンはページをめくる。

 死者の書とはネクロマンシアとも呼ばれ、死霊術を極めたものだけが持つことを許される特殊な魔人核である。


「ふーんそぅ。あのムカつく女の男だったか…オマエ」


 エリュトロンには結婚を約束した幼馴染がいた。

 只の街娘である少女にはその男性との世界が全てだった。だがそれは叶わぬ約束となる。男は領主の娘に見初められ、婿として嫁いでしまったのだ。普通なら泣いて泣いて……時が彼を忘れさせるまで泣き続ける所なのだが少女は違った――男を取り戻そうとしたのだ。


 だが領主の館に忍び込んだ少女は目標を達成する事が出来ず、当然のように捕らえられた。そのまま何も与えられることなく使用人達の玩具として弄ばれ、一生を終える――筈だった。


 骨と皮と体液にまみれて遺体となった少女の前に一人の女が現れる。――領主の娘。名を、セシリア=マクシミリアーナという女だった。


 その娘は暇潰しにエリュトロンの人生を破壊し、興味本位でエリュトロンを生き返らせた。


 一冊の本――死者の書で少女に偽りの生命をあたえ、魔人として転生させたのだ。


 そう、魔人エリュトロンは生きる屍リビングデットの魔人である。永遠に朽ちることのない業深く醜い不死の死体である。


 彼女は生なる者を憎む。

 他者の瞳に映る自分の姿を恐れる。

 故に眼玉を集める。

 二度と自分が惨めだと思わないように。


「美談よねぇ…死んだ恋人を生き返らそうと藻掻く英雄譚。女の子なら誰でも憧れるよねぇ。あーしもそうだったしぃククク」


「そうか。君も苦労したんだなフロイライン」


 無論死者を甦らせる術などない。

 エリュトロンが持つネクロマンシアで出来るのは、死体に死霊を宿らせアンデットを精製させる事だけである。無論別の生命の命を吹き込む為、元の人格など残りはしないし、源流ソースである死者の書からの魔力提供がなければ即ただの死体に戻ってしまう。


 少女が男に提案した「大事な人を生き返らせる」という申し出はもちろんブラフである。ただただ時間と魔力が欲しいが為、数分前のユウィンとファジーロップの会話から相手が乗りそうな内容を提示したにすぎない。


「さぁ、最後にあーしの眼を…魅ろ」


 最後に少し照れくさそうに、無表情男は少女の闇色の瞳を覗き込んだ。


「Lv4因子光操眼ハイアー=エインヘリアル!」


 男の視界が闇に落ちた。

 心の中を探られるような感覚。

 の因子。魔に限りなく近い因子核を持つユウィン=リバーエンドには使えない神格をソースとする精神系魔法言語。


「コレがあーしの切り札だ! 因子核にダイブし、心を潰して操る魔法――お前の精神を、その御自慢の魔法因子核ごとブッ壊してやらぁ!」



 ……ドクンッ




 精神の世界は記憶と本性の世界――


 小柄な女性が見えた。

 背丈に反比例した官能的な胸元を気にしながら歩く姿が愛らしい。街娘のようにも見えるが、着飾っている服は少々露出度が高い気がしないでもない。女は隣で歩く男を見上げながらこう言った。


「この街は魔人領が近いからさっ。どこかキズのある人が集まるんだよっ」


 男は年齢の割には若く見えるが何処にでもいそうな普通の男だった。

 ただこの国では目立つ灰色の髪と、この世界には存在しない黒に染色したレザージャケットと、機械で裁縫したかのようなシワ一つない白シャツが異国人を思わせる。


「じゃあ君もそうなのか』

「私ぃ? もっちろんキズ物だよ。にゃっはっは」

「そのわりには小綺麗に見える」

「おっと。これ以上は有料っすよぉ?」

「体で払うかね」


 女はどういうわけか、急に俯く。


「よかった」

「なにが?」

「幻滅されないで」

「女の過去をとやかくいうのはモテないと聞いた」

「なーんだぁモテないんだオニーサン」

「もうおっさんだよお嬢さん」

「マリィだよ」


 女が足を止めたので、ソイツは振り向く。


「マリィって呼んで? アナタにはそう呼ばれたいな」


 少し照れた男は頭を掻いてから唇を切る。

 出会って早々、この女がくれた名前。


「俺はユウィン=リバーエンド。宜しく頼むよ」


 マリィ=サンディアナ。

 男はお日様みたいな娘だな。そう思い、笑う。

 そんな太陽が少し気恥ずかしそうに唇を動かせ。


「実はさっきね。もし、もし引かれたら泣いてた」


「お…おぅ。お眼鏡に叶ったようで…ナニヨリデス」


 何とも困った。

 こんな娘を一人にしておくという方が、無理というものだ。


「やっぱりモテないでしょユウィン♪」


 前言撤回。

 なんて女だ…やれやれ。





 ――za――




 全身を傷だらけにした男は頭を床に擦り付けていた。夕焼けのように紅く、長い髪の女は少し驚いたようだったが、黙って男を見下ろす。


「お願いしますマリィの、俺の女の病を治して下さい」


「病……?」


 あの子が、そんなまさか。

 唇がそう動いていたが、床に這いつくばる男には見えていない。


「もう、もう貴女しか頼れる人が居ないんです……お願いしますお願いします』


 何度も何度も「お願いします」を繰り返す男に緋色の女は戸惑った気配だったが、複雑な感情が見え隠れする中、こう言ってくれた。


「お前がワタシに約束するなら、その女の病を直してやってもいい」





 ――za――



 

 燃えていた。

 街も人もそいつの心も何もかも――炎に包まれる。

 今でも記録に残っている、辺境の大歓楽街ブルスケッタ魔人襲撃事件。

 魔法光のネオンが酒場の瓶が吹きだまりの街で、土に根を張らない悲しい人々と共に全て弾け飛び、燃えた。


「あぁぁぁ助けろ、助けてくれよぉ…何なんだ。何なんだよこのゲームはぁ」


 千切り取られた右腕など気にもせずに、血だらけの男は懇願していた。巨大な”魔”と天空に輝く巨大な月に。


「ああぁ神様ぁ…マリィを俺に、俺に返してくれよぉぉ」


「ゲハハハハハハハこんな肉片デモ欲シイのか? あ?」


「御主人様。こういう惨めな生き物には慈悲を与えないと。ねぇランドロップ、返せって言うんだから、この女の腕をこの男に縫い合わせてあげましょうよ」


「ファジーロップ。貴女ってどうしてそうなんでしょうか」


「あら不満?」


「この女の腕はもうご主人様の腹の中でしょ? 縫い合わせるなら足にしませんと」


「右腕があった所に足ぃ?」


「プ…プププ」


「「「ゲハハハハハハハハハハハハ」」」



 燃える街の片隅で男は――地獄を見る。




 ――za――



「うふふふふ♪」


 エリュトロンは男の精神世界でほくそ笑んだ。

 ユウィン=リバーエンドという人間。その心の闇が深かった為だ。


 因子光操眼ハイアー=エインヘリアルとは――対象者の闇が深ければ深いほど効果を発揮するのだから。最悪の思い出に心が潰れてしまうほどの圧力をかけて対象を操る、神族を源流とするLv4古代魔法言語であるから。


 少女は勝利に酔いしれ、ハロウィンのかぼちゃのように口角を上げながら、開いた掌を閉じてく。


「オマエのちょっとした不幸がなんだって言うんだブ男がぁ。散々舐め腐ってくれた礼をしてやるし。体を操ってもう一度この最悪な思い出を再現してやんよ。此処の皇女を使ってグチャグチャに…………ん?」


 閉じようとした掌が動かなくなった。

 精神世界の景色がガラリと代わり、別の情景が映しだされる。


「な、なんだ。まだ底じゃないのか。はぁ!? 誰だしコレ」


 …………ドクンッ。


「なんだこの男。魔人……?」



 精神の世界は記憶と本性の世界――


 片腕の男がうずくまっていた。

 側に横たわる、もう一人の男に向かって何か言っている。嘔吐し、むせかえりながら苦しそうに。


「この世界におけるユウィン=リバーエンド…その全てを御前に託す」


 凄まじい怒気に空気が歪んで見えた。

 この怒りは己に対しての――否。己と世界に対しての怒り。


「マリィの、情けない俺に代わってあいつの仇をと、とって…おあああああ!!!」


 片腕の痛々しい男の姿が黒く――黒く変わっていく。あまりの怒りと叫びに口が裂け、開き切った眼と口からは大量の体液が飛び散る。


「此処には無かった…俺の、俺は…こんな所まで来ても変わらなかった…すまないすまない俺なんかでごめん…ごめんなぁ……っ」


 憎たらしい巨大な月に向かっての懺悔に聞こえるそれは、責任という言葉を嫌悪する……愚かな咆哮。


「マリィ……うぉ、あああああ!!!」


 ソイツはまるで見たくないものから逃げるように何処かに消えた。


 残された男に女が歩み寄る。一部始終を見ていた緋色の女は足元の男ではなく、走り去った男の方を気にしていたように見えたが。


「ユウィン……君は失敗したんだ。ワタシと同じくして。だがその方が良かったのかもしれない」


 緋色の魔女は言う。

 新たに誕生した、裸の男に。


「残された君には、此処に来る以前の記憶は存在しない。だからワタシ、ワタシは……」


 まるで何百年と思い悩んだかのような、深い深いシワをその美しい容姿の眉間に刻みながら、身長より長い髪をボサボサに揺らしながら。


「あるじ様を…いやユウ君を。キミが……」


 その女の眉間には確かな後悔が刻まれていた。


「この世界で生きていく為の力を……それだけは」


 ワタシがキミに…教えてあげる。





 ――za――



「違うコイツ…魔人じゃない。でもヒトでもない」


 エリュトロンは困惑した。

 掌にはユウィン=リバーエンドという男の思い出が握られていたのに。後はこの思い出を握りつぶせば済む話だったのに。


 手が動かないのだ。


「なんなんだコイツの精神は!?」


 それどころか更に別の思い出と、とてつもない力が溢れだして来るのだ。エリュトロンには見たこともない情景が写し出される。


 ――高層マンションと大量に人間を収用した電車。毎日毎日同じ事を繰り返すデスクワークとPC画面。マンションのベランダから見える景色。そして小さな幸せを宿したごく当たり前のささやかな家庭――そんな日常に、ごくごく少なからず不満を抱えてきた哀れな男が。


「どこだ此処は!? この男は一体誰なんだ」


 困惑と異常。


「何なんだコイツなんなんだ。これはコイツの記憶じゃない。……心が、コイツ心が、因子核が……2つある」


 魔法とは意思の力を具現化させる”言葉コード”であるが、魔人エリュトロンの意思の力は――もはや完全に消え去る事となる。





 ユウィン=リバーエンドという男は天を見上げる。

 あの日あの時――助けてくれと、叫んだ空を。

 あの日あの時――返してくれと、懇願した月を。


 俺にはアヤノさんの言っていた事が今でも解らない。だがどういう訳か、あの日から俺は怒りを忘れ、あの日から俺は泣けなくなった。


 ただの、そんなつまらない話だ。


「そんな事より…も」


 さっきからやたら寒いと思っていたんだが何だ――


「やっぱり降ってきた」


 雪に打たれるトロンリネージュの城は、まるで童話の世界が蜃気楼となって、現代に蘇ったかのようだ。


「美しいな……」


 君と一緒に見たかった。



 ――バシュ!



 魔法粒子が弾ける。

 現実世界の空に戻ったようだ。

 そこには同じくして、雪が振りだした空が見える。


「たとえ本物じゃなくても。想い出のキミだったとしても」


 また逢えて嬉しかったよ……マリィ。

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