石炭と水晶 或いは蛮族の城塞

小稲荷一照

石炭と水晶  ~PROLOGUE

リザール湿地帯 共和国協定千四百十二年冬

 フェーズ・フェリング共和国軍猟兵中佐は大魔法使いと言われる男である。

 彼は共和国東端のリザール湿地帯での帝国との激戦を、わずかな幸運と戦術的な必然によって帝国を罠にかけたことで、共和国軍を勝利に導いた。


 リザール湿地帯は共和国と帝国の要衝で共和国側には湿地、帝国側には丘陵山岳を控えた共和国側からは攻めるに難しく放棄するには危険な土地だった。この湿地に展開する共和国陣地の後背には共和国でも有数の穀倉地帯が行軍一日の距離にある。帝国軍は山間にあるリザール城塞から周辺の砦には常時数千から一万数千からの数個聯隊規模を出入りさせていた。

 山間部の街道は整備されているとはいえ往来の負担になるのは確実だが、共和国軍の守りが緩めば押し切るだけの意味が共和国軍後背の穀倉地帯にはあった。


 またリザールの帝国側の街道は側道はあるもののほぼ一本道で行軍距離にして丸二日以上大きな拠点はなく、大軍を広げるに足る広さを持たない土地しかない機動戦遭遇戦の将器のみが試される戦場だった。仮にリザールを共和国軍が獲得すれば防備を固め、いくらかの砦を物見に張り出せば湿地を守るよりもはるかに楽に帝国を封じられる。

 つまり、本気で四つのにらみ合いをするしかない土地だった。

 その夏の雨季に帝国側が河川を増水させ共和国側の前方陣地を水没させ、火砲とそのほかのいくらかに打撃を与えた。この手の嫌がらせは圧倒的に帝国側が優位でことに大規模な攻勢を仕掛ける前段におこなわれると立て直しに時間もかかり、侮られれば他方面での攻勢を許しかねない。共和国軍にとって悩ましい泛地だった。



 氷の魔法使いの大家であるフェリング中佐はある冬の冷えた日、リザール湿地とそこに流れる川を氷結させた。

 豊かな地下水を水源とした湿地とリザール川は例年表面に氷が張ることはあるものの、人が渡れるほどの厚みに凍ることは稀で、夏の渡渉は意表を突いた軍事行動として幾度となく前例はあったものの、冬季には少数の密使や脱走兵の渡渉はともかく組織だった軍事行動としておこなった例はなかった。

 共和国軍の企てた奇襲的な攻勢は帝国軍の側面を迂回突破を成功するかと見えた。

 序盤の劣勢を立て直した帝国軍は奇襲の混乱から立ち直るや共和国軍を圧倒し始め、やがて追撃に移った。


 しかし保険的な準備それこそが帝国軍に大きな打撃を与える罠だった。

 演技ではなく生き延びるために潰走を続けていた共和国軍が湿地を何とか抜け、帝国軍が共和国軍の攻勢開始線である対岸にたどり着いたとき、罠の口が閉じた。

 湿地を支えていたフェリングの呪力が失われ、帝国軍一万の兵が冬の湿地におぼれることになった。

 塹壕も掘れず、逃げるにはぬかるむ泥の中で銃弾砲火の吹雪を食らい帝国軍は守るべき城壁から切り離された状態で壊滅した。

 これが、リザール停滞戦というものの概要である。



 ある年の秋、四万を集結させた共和国軍のリザール攻略戦が失敗した。

 判断を読み切られたのか間者がいたのかは異論があるが、ともかくリザール方面での危機を先延ばしにすることが必要だった。

 その冬、フェーズ・フェリング中佐は手持ちの聯隊を使って、帝国軍側陣地線後方への侵入を企図した限定的な攻勢をかけることを軍団司令部に提案した。

 損耗した戦力では帝国が集結をほぼ完了した三万の軍勢による雪解けを待っての攻勢に対応できないのは明らかで、攻勢に失敗した戦力の立て直しを夏までにおこなうのは困難な状況だった。


 幾度かの氾濫作戦の影響で帝国軍が孤立気味に引いている地域を制圧し、春までの間に渡河点橋頭堡を確保するという積極案をフェリング中佐は提案した。

 冬場で戦力の移動が難しいこともあって成功の程度によっては、帝国軍の春攻勢を完全に頓挫させられる。

 夏をすぎれば、力圧しには足りなくとも、陣地を支えるには十分な戦力が送られてくるはずだった。


 秋の攻勢失敗で聯隊本部が打撃を受けた後、高級士官の補充が間に合わず、フェリング中佐が聯隊最先任最上位の野戦将校になっていた。聯隊は損害の補充が間に合わず陣地線正面から離れて湿地を正面とする警備展開をおこなっていた。

 フェリング中佐直卒の魔導大隊は編制上大隊扱いだったが人員数は増強中隊規模で運用面での調査が主な任務の部隊だった。部隊は事実上の員数合わせだったが、中佐本人は正規の教育を受けた十分に優秀と評される野戦将校だったので、そのまま聯隊長として兼務する形で着任した。


 フェリング中佐は地元出身者や先任下士官を集め、鳥の野営地や葦草の集まっているところなど、湿地の地形地質について徹底的に聞き取りを行ったうえで、聯隊の中にいた直卒の魔導大隊を使うことを決断した。

 フェリング中佐は湿地を突破躍進しての帝国軍陣地網を迂回とリザール後方への進出を提案した。


 フェリング中佐の案は現状の魔法の限界を理解したうえで十分に効果的で画期的な作戦だった。


 豊かな地下水を水源とした湿地と川は例年表面に氷が張ることはあり、劇烈な寒気が訪れれば人馬が踏むに足りる氷結もあり得るけれども、それを読み切ることは困難でよしんばそれがなったとして狭いところでも二リーグを超える広大な湿地のどこがいつまで凍っているかは誰にもわからなかった。ほぼ半日いっぱいの行軍をおこなう間、都合よく氷が張っているとは限らないし、一人は支えられても十人百人千人と支えられるとは思いにくかった。湿地の間道桟道は何本か知られていたけれど、野砲を引き摺ればそれで崩れるような道だった。

 仮に突破したのちにも無事帰れるとは思えず、まさしく死地に赴くことになる。正気の沙汰とは思えない。夢想に近いまさに魔法のような計画だった。

 軍団司令官ベリル将軍は一回、フェリング中佐の案を保留したものの、検討を命じた。


 既に損耗している聯隊を賭けることで半年後の戦線の安定を買える誘惑にベリル将軍の常識的判断が屈した。

 ベリル将軍は魔法大隊の人員の平均年齢をフェリング中佐に皮肉気に確認すると、中佐の素案にいくらかの修正として予備案に後退計画の徹底を指示として加えて、将軍配下戦域予備から抽出する部隊の到着配置を待って作戦を実施するように告げた。




 天候が十分に冷え込むことが予想された昼吹雪き夜になって風が収まり雲が切れた夜半過ぎ、作戦が開始された。

 ベリル将軍は作戦案を修正させるにあたって予備としてとどめていた砲をともかくすべてかき集めて作戦に参加させた他に軽装ながら精鋭のロッコ山岳猟兵大隊を魔法大隊の護衛としてつけた。


 ロッコ山岳猟兵大隊は魔法大隊の魔導兵を輿に乗せ凍てつく湿地を運び進み、魔法使いが配置された位置で氷結の魔法を同時に使用した。湿地は往来が難しい状態だったが、幾名幾頭かの人馬の犠牲によって配置がおこなわれた。

 続いてフェリング中佐麾下の聯隊が氷結した湿地を渡った。先行していた魔法使いとその護衛は後方に下げられ交代が送られたが、予想されたとおりやはり戦闘以前に幾名かは戦死した。


 湿地を突破しつつある共和国軍に帝国軍の哨戒櫓が気が付き前方に展開していた帝国軍の前線予備の聯隊とリザールに配置されていた総予備から二個の聯隊がその阻止に当たった。展開正面でも共和国の攻勢が始まっていたが、帝国軍の巧妙な陣地線を力押しに抜くにはやはり力不足で熱心さが足りなかった。帝国軍は自らが秋におこなった氾濫作戦の影響で湿地側の陣地線の連絡が窮屈になっている影響から多少過剰な戦力を湿地を渡渉している勢力に向けた。

 結果として帝国軍の前線司令官とリザール守備司令官のその判断は十分に妥当なものだった。

 リザール湿地を渡渉する戦力としては空前の規模だったと言っていいフェリング支隊は敵前方陣地群を陣地後方から攻撃。共和国陣地線の部隊と挟撃する予定だったところ、思わぬ更なる大規模の敵に遭遇した。


 一方でその妥当な判断は帝国軍に多くの犠牲を生むことになる。

 フェリング聯隊を中軸とする支隊三千は過敏といえるほどに迅速な帝国軍の動きに、数の不利を悟り当初の予定を切り上げ組織的な抵抗をしつつ後退するも、リザールの予備砲兵が湿地に展開するに至ってついに潰走を始める。

 ベリル将軍が陣地戦ではほとんど出番のない総予備の騎兵大隊を護衛に伴ってフェリング支隊の本部幕舎の視察に訪れていたのは単純な興味というだけではなかった。

 攻勢には失敗したものの十分に経験を積んだ野戦司令官であるベリル将軍は、この企てが軍事作戦上画期的な試みであることは理解していたし、結果が重要な意味を持つこともわかっていた。


 手配の都合の間に合った増援戦力と共に作戦の殊勲者を自ら労うことは戦場における指揮官の最高の贅沢のひとつだと考えていた。

 フェリング支隊の陣地線の幕舎で、魔法による戦線と被害状況の報告とその推移を黙って見ていたベリル将軍は、残っている魔導士官の作戦参謀としての素養の低さに呆れるとともに、その素人くさい指揮管理がしかし比較的適切に味方の後退を指示していることに驚いた。


 ベリル将軍が状況を見るに前線の味方は既に潰走状態であるにもかかわらず、いまだに脱出経路そのものは維持されており、彼我の状況が幕舎に報告されている事実には疑いを禁じ得ることはできなかった。ベリル将軍は、だがこれこそが魔法の所以であると理解した。

 共和国軍による通信利用の萌芽でもあった。

 その前線における事実上の中枢を支えていたロッコ山岳猟兵大隊の一翼の再集合が遅れ包囲されかけていることを知り、ベリル将軍は自身の警護の騎兵大隊を前線の救援に進発出撃させた。

 魔導の連絡により応援が急派されたことを知ったロッコ山岳猟兵大隊は救援の到着まで適地でよく耐え、魔法大隊の魔導兵を守り逃すために精兵の誉れに恥じぬ働きをみせ、約半数が湿地で倒れたもののともかくも魔導兵をすべて後方に収容することに成功した。


 この共和国軍騎兵大隊の増援は苦戦していたロッコ山岳猟兵大隊の合流と脱出を成功させたが、帝国軍の反攻と追撃を本格化させる契機にもなった。

 この瞬間まで帝国軍も湿地帯の凍結に疑いを持っていたが、縦横に戦域を使う共和国騎兵の登場で否応なく正面を広げる事になった。

 仮に一万と云わず三千でも共和国陣地線の後方に突破すれば、穀倉地帯を守るためにリザールを封鎖している陣地線を変更放棄せざるを得なくなる。リザール湿地帯を突破するという戦域的な意味はそういうものだった。


 ことここに至って帝国軍も艶やかな肉色の誘惑に勝てなくなったのだ。

 混交を嫌って追撃を緩めていた帝国軍騎兵が一気にフェリング支隊の殿を再び捉え先頭集団が湿地を渡り終えたその瞬間に後退に残置されていた爆薬が点火された。

 湿地に爆炎が巻き起こり氷が割け、帝国軍一万五千を混乱に飲み込んだ。


 必ずしも爆薬は調整されたタイミングで爆発したわけではなかったけれど、もともと氷結魔法の影響が失われていたこともあり、幾割かの不調や不発があったとして問題にはならなかった。

 混乱する湿地の帝国軍に共和国軍陣地線からの砲火による包囲がおこなわれた。

 渡渉作戦を援護するために集められていた共和国軍の砲兵部隊の多くは訓練不足で後方に予備として残置されていた砲兵部隊であったこともあり、雪混じりの天候の中ではどれほど打っても当たるかどうかはもともと知れたことではなかった。

 しかしそれで充分であった。

 僅かな躊躇や混乱が数少ない安全地帯である湿地の間道を破壊し、帝国軍の混乱は更に拍車がかかり、リザール駐留の帝国軍総予備の砲兵と騎兵の三分の二、兵員のほぼ半数が失われた。


 フェリング支隊の約千名の死傷者はリザール守備の二個歩兵聯隊、三個騎兵大隊、予備砲兵の壊滅、約一万の人員の損害、八千の軍馬、六百の砲の喪失という帝国軍の大損害の形で贖われた。

 帝国兵の殆どの死は砲火による直接の死ではなく、極寒の沼沢地に突然放り込まれたことによる混乱による緩慢な凍死や凍傷だった。

 帝国軍は多くの事例について戦死と認めなかったが、結局のところ急激な体力の消耗による陣中の病変死を戦死として扱わないでどうするのかということでもある。


 大規模行動に先立つイーガン・ハンソン大尉率いる騎兵大隊の迅速な湿原突破とその後の単独のリザール後方への後方攪乱は極めて短期間で組織だった戦闘はわずか数次、帝国軍が被害と認めるほどの損害が出たのは一回だけだったが、その戦果の意味と影響は極めて大きかった。

 後方への浸透進出に成功していたイーガン隊の手による輜重隊への襲撃が幾度かおこなわれるなか、補充兵員を含め補給は継続せねばならず、人為的と疑われる雪崩やあからさまに不審な障害などにより、輜重の到着の遅延や事故が雪の残る間中起こった。


 帝国はリザールとその陣地網を失うことこそなかったものの、雪解けを待っての攻勢は不可能になり、冬季の臨時の補充補給のためにリザールからの戦力抽出をおこなってまで警護を必要とした。

 イーガン隊の目に見える戦果はひとつだけだったが、急派された応援の砲兵大隊が砲や人員に甚大な被害を受けて砲や弾薬の多くを損失したままリザールの後方陣地群に統制の取れない形で収容されるという事件は、リザール周辺のみならず帝国軍全体に大きな緊張を引き起こし、結果として帝国軍が全域で春季攻勢をあきらめ、域内での警護や演習を緊にする理由になった。


 かくれんぼの途中で帰ってしまう、という子供の喧嘩の原因のひとつを大人の仕事として成し遂げたイーガン大尉は、本隊に先行し湿地帯を検索しつつ帝国要塞線後方を任意の方向に突破せよ、というフェリング大佐の命令とともに輝かしい勝利の記録として記憶されている。


 フェリング支隊は三分の一ほどの人員を様々に失っていたが、まだ辛うじて側面の警備戦力としては機能できていた。しかし勝利を演出した魔法大隊は人員の過半が自力での歩行が困難なほどに消耗していた。

 体力あるいは精神力という定義の難しいものを魔力として血晶石に注ぎ込むという魔法は、術者本人でも調整や定義の難しいところがあり、効果の性質は血晶石の性質や大きさである程度把握ができるが、義務や努力責任などの精神的要素や論理的理解、言語的把握あるいは体調や気温感情のゆらぎなどで、効果の大きさを変化させる。


 二百人ほどの魔法使い、魔導兵は初の魔導の大規模作戦利用という気負いで順調以上の効果成果を上げたが、冬一番を選んでの寒冷な気候下しかも湿原の行軍という悪環境下で一人あたり差し渡しで半リーグを凍結させるという、偉業をなした結果として一割ほどが魔力の喪失あるいは重度の凍傷で遺体として帰還していた。また幾名かがやはり凍傷や意識の混濁で帰還後に戦死、十名ほどが重体だった。八割以上が凍傷は軽度で重症のものも皮膚の壊死程度で済んだものが多かったが、やはり指や耳鼻を失ったものはいた。


 多くは肉体的には比較的軽症だったが、起きて話すことも困難なほどに消耗しているものが多かった。ことに幕舎にいて魔導通信を行っていたものは肉体的にはほとんど問題がないはずだが、聴力や視力に問題を訴えていた。

 この勝利は魔法が火矢や鉄砲の代わりという理解の次元を遥かに越えた成果を示した。


 魔導兵を警護していたロッコ山岳猟兵大隊の生き残りから戦場の天使のような苛烈な自己犠牲の伝説めいた流言が広まった。

 共和国内における魔法や魔族・魔法使いといったモノへの無理解は根強いものの、軍事的に重大な可能性を示してしまった。

 急騰する魔道士の価値とその希少性の混乱は魔道士・魔法使いというものの希少性と差別を生みやすい奇妙さ不気味さは必然的な政治的困難を生じ、軍内外での価値観の変化と衝突はフェーズ・フェリング大佐が共和国軍からの離反を促すきっかけとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

石炭と水晶 或いは蛮族の城塞 小稲荷一照 @kynlkztr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る