迎賓室 時忘れの間にて
軟禁部屋と云うにはあまりに優雅な座敷牢は、林と云うに十分な厚みのある茂みを持った曲輪の一角に面していた。
決闘ということであれば、一応得物と体の動きくらいを確認するのは礼儀でもある。
段平を振るうのに部屋の中よりは戸外のなかのほうが落ち着けるとあって、庭に出ると春先の木立の中だというのに奇妙に暖かい雰囲気だった。奇妙に歩き方を求める森であることは間違いない。郭の広さを考えれば木々の数が百はありえても千は超えるはずがないのだが、ぼんやりと数えているうちに木々は二千を数えてなお郭は広がっていた。
いかにも化かされたという印象のままに木々の梢を目指して登ったが、ある高さから急激に木が育ち始めたというかこちらが縮み始めたというか、或いは単に登った気にさせられているというか、そう云う状態で梢まで登り切るのを断念した。
森から元の戸口までは運動の脈が落ち着き汗が引くまでという距離で、小一時間歩いて木を登ってという距離にはとても思えない近さだった。
なんだか分からないが、化かされていることは明らかだった。
探ってみるまでもなくどこからか見られている印象はあって、段平を鞘ごと引きずって音と手応えを頼りに歩いてみた感触では戸口から十キュビットかそこいらに何やら手応えの変わる空間があって、魔法の結界があるとしてそのくらいの高さ広さがあるだろう、森と言ってせいぜいが二階まで通じる吹き抜けという程度の作りであることがわかったところで、突破の方法は思いつかなかった。
突破に至らない方法ではあるが、瞬間的に看守を困らせる方法が十ばかり思いついたところで試すか試さないかを思い巡らせてみて散策は中断だった。
この手の貴人用の座敷牢はどうあっても定まった弱点があるもので、いずれ試すこともあるだろうが、短期的な話題として急いで出る必要がなさそうであるなら用のないことである。
飲み物や食べ物の類に仕掛けがあるとして、どのみち食事にも注文をつけてしまったことであるし、水と干果物を食べるくらいは構わないことにして郭の中を記憶を辿って歩いてみたが、どうやら何やら組み替えられたらしく登りたい階段がなかったことで諦めた。
ここを先に訪れた者たちが全員円満な理由で来たというわけもなく、あちこちに年号と日付のようなモノが刻まれ日記と署名のような意味のあるものもあるが、何やら誰それの罪の告発であったり、自らの冤罪の恨み言や無実の証明であったりと生々しいものもある。
そういうものを巡って回って午後のひとときを過ごした。
全く気の毒な人々が先人の努力に触発されて何やら文言を残さなくてはならないと義務感に駆られ、時を越え額を寄せ合うように自らの思いを書き記すという想像は、一種の割れ窓症候群のようなもので他人のそう云う努力を見て何やら意識に目覚めるという雰囲気はこの建物の真剣な目的を上回る皮肉なおかしさがあった。
少なくともあちこちに刻まれている文言は迷宮の材料が不磨不滅のものではない証拠であって、云ってしまえばこの迷宮の管理の限界をも示している。
ここに閉じ込められた者としてこれを笑わず喜ばずしてなにを笑うのかということでもある。
もちろんこの手の迷宮一般の話題として支払える時間と努力と手持ちの様々のうちで必要な時間のうちに迷宮を脱せるのかという話題があるわけで、具体的に明日の十時頃には出ることが定まっているマジンにとってその脱出がどれほど容易かという話題は全く別物であるわけだが、つまりはそういうことであった。
そういうわけでマジンも先人に習ってポケットの十徳ナイフの千枚通しでゴリゴリと署名をすることにした。ひどく堅い材料で高い位置にある署名の不自然さは、全くこの迷宮の不完全というかここを使うことをあまり真剣に考えていなかったことを示唆するものではあったが、だからといって突破が容易というわけでもあるまいし、ということであろうか。
家具と段平の鞘を足場にして少々不自然な位置にマジンが署名を施していると胸がズクリと傷んだ。
なんだかそう云う仕掛けかと逗留の事由を書く手を諦めて床に降り立つと、リザの気配がした。
「決闘って聞いたけど、どこでなにやっているの?大丈夫なの」
ステアの声が突然耳元でしたような気がして振り返ったが誰もいない。
「なにやっているのか分からないけど、生きているのはわかった」
「ステアか。これは魔法なのか」
尋ね返すと気配が動いた。
「あ、つながった」
「どうやってるんだ。というか、なんで魔法でボクと話せるんだ」
リザというべきかステアというべきか彼女らがある程度の魔法を使えるのは知っていたが達人というわけでもなく、魔力は大きいとかあるとか言われても全くピンとこないマジンにとっては魔法などというものは全く他人事でしかなかった。
「マリールが出掛けにメダルを首から掛けとくように云ってたでしょ。戦争征ってない人たちの分も作るようにせがんでたし」
「ああ、まだ全員分はできてないけど半分くらいか。十日もあれば出来るが、マリールが退役するとかで逓信院に呼ばれる騒ぎになってた挙句に、こっち来ちゃったからな。帰ったら続きをやるよ」
「今は他の人の分の話はいいんだけど、アナタが首からかけてたから色々やってたら引っかかったって感じ。魚釣りみたいな感じね。今サルート様に魔法のコツというか、使い方を教わってるんだけど、流派の違いというかそういうのを感じているわ。それでなにをやっているの。決闘って聞いたけど」
「なにって云うとアレだけど、迷宮に軟禁保護されている。決闘の儀礼みたいな感じらしいな。静かに過ごせってところなんだろう」
言葉にするとかなり荒い印象だが、ステアには無事が伝わって安心した様子だった。
「必要な物とかやっといてほしいこととかはない」
「端艇とステアが無事なら、ボクの身はおよそ安全だよ。それだけ確かめて欲しいかな。他のことは今はいい。オマエとイチャイチャ過ごしたい気もするけど、当然監視されているからこちらのお城の方々に覗かれ放題ってのは、少し気が進まないかな」
少し呆れたようなステアの雰囲気が伝わる。
「本当に元気そうね」
「軟禁と云って身ぐるみ剥がれたわけでもないし、口輪に拘束服というわけでもないから、手を尽くして牢破りができないわけでもなさそうだけど、お前たちの身が危なくないなら、こちらに心配かけてまで無理やり出るのもどうかと思うって感じかな」
「それは良かった。じゃぁちょっと船の方を見てこさせればいいかしらね」
状況に納得がいった雰囲気のステアは落ち着いた様子で尋ねた。
「中は腐れ物もないし、外に兵隊が取り巻いてなければそれでいいと思う」
「わかったわ。うちの子達にもそう伝えておくわね。……黒弾要らないわよね」
秘書たちの持っている小口径機関拳銃は青球と黄球のカクテルで喧嘩や警笛がわりに気軽に使いやすいが、力技で戸口や壁を抜くようなものではないし人を殺せるようなものでもない。多少威力の高い黒弾でも拳銃ではたかが知れてもいて、大型自動車相手では弾倉ひとつまるごと使うつもりでないと意味のないような代物だったから、騎士団が本気でかかってくるようなら一回たじろがせるのが関の山というところだろう。
「三人は日頃持ってると思うけど、ボクが決闘に応じる限り、こちらのお家は味方のはずだ。ボクが軟禁されているからといって慌てることじゃない。心配しないでこちらの方々にお任せしろ。日用品とご挨拶の品はむこうのお城においてきちゃったから、本当に必要ならマリールに頼むかステアを見にゆくついでに取ってくればいいさ」
聞いておいて判断が一致したことで落ち着いた雰囲気がどこかむこう側から伝わった。
「マリール……。あの娘、魔法つながったはずなのに無視してんのよね。決闘騒ぎ、あの娘のせいなんでしょ」
話題がズレるに連れて明らかにステアの声だったものに印象や話し方にリザが混ざってくる。
「ボクも疑ってるけど、そのへんはよくわからない。昨日の対応からして地元の武張った権力者としての立場もあるみたいだし、そこに乗ったっていう感じかな。両天秤に載せられてちょっと頭に来たけど、ボクもお前とウチの女たちをひとまとめにして秤に架けているようなものだから、人のことは言えないな」
呆れたような黄色味がかった灰色の雰囲気がステアの魔法の色に乗った。音のような影のような魔法は色合いを持つらしい。
「アナタ、マリールに甘いわねぇ。どうせあの娘、アナタと決闘して盛り上がって子作りとか、どうせそんな感じのことを考えているんでしょ」
全く同じことを決闘の申し入れの際には思いついたのだが、少し時間を置いて冷静になるとそれだけでは説明に足りない状況が多すぎた。
「そうも考えたんだけど、それだけじゃ邦一番の騎士が伝令に使いだてられるとも思えないだろう。決闘騒ぎがどう決着するかわからんが、およそ昨日の舞台だてからしてマリール一人の仕込みとも思えない。むしろマリールの母上辺りに聞いたほうが早かったのかもしれないな。マリールのお母上には一昨日のうちから仕込める時間があったからね」
「言いたいことはわかったわ。アナタお昼一緒じゃなかったから流石にちょっと気になってね」
「よほど心配なら一緒に軟禁されていればいいさ。こっちも外の様子が分からなくて退屈なのを除けば悪くない。お庭もきれいで珍しい仕掛けもある」
鼻で笑ったような雰囲気がしてステアの魔法の気配が立ち去った。
突然色を失った様な空間にマジンは本当に初めて魔法というものの存在を目で見たように感じた。
スルリと消えたステアの気配に胸にかけたメダルを指先で叩いてみたり押し付けてみたりしたが、特段に何かが起きるというわけではない。またひとつ知らないことがあることがわかったというだけのことで、誰もいない薄暗くあちこちの狭間から光が刺す廊下を居間に向けて歩いた。
居間にはいくつかの部屋が直接つながっていて寝室や風呂或いは便所というものもそれはそれは見事に磨かれ整理されていて掃除が行き届いていた。
七つ穴の撞球台が据えられた遊戯室があり、異国の文字で書かれた書籍木簡のたぐいが蓄えられた書庫があったりと、座敷牢ではあっても別段死刑を定められた者を預かる場所でないことはわかる。
要するに新鮮な食事だけが足りない。そう云う作りだった。
風呂の浴槽の様子を確認するついでに一風呂浴びていると居間の方で気配がした。
覗くとリザが来ていた。
「退屈しのぎに軟禁されに来たわよ。なかなか立派な牢屋ね。座敷牢っていうんでしょ、こういうの」
「む、ん。まぁそうだろうが、他の連中は大丈夫なのか」
「あの子たちはこちらの奥方様たちにおあずけすることにしたわ」
「魔法の修行は」
「修行っていうか、コツを教わってたんだけど、匙を投げられたというか、焦らずやりなさいと言われたわね。ちょっと真面目にやらないと身につかないくらいにダメな生徒らしいわ」
照れたようにリザが言った。
「上手くゆかなかったのか」
「夫の様子が心配だったから集中できなかったのよ。わかれ」
キッとした顔で指でっぽうを突きつけられ、ぐうの音も出ないマジンの顔をしばらく睨んで、リザは表情をゆるめた。
「――大丈夫そうなのは、魔法でわかったけどね。流石にちょっと決闘とか軟禁とかさ、急展開でついて行けない感じだったのよね。マリールにはなんだか無視されているみたいだし。なんか怒らせることしてたかしらね」
少し心配そうな顔をしていたリザの顔を覗き込むと彼女はイタズラっぽい顔になった。
「――なぁんてね。お風呂あるのね。食事はそこの時計の脇の扉から配膳されるってことだったわよ」
「聞いてるよ。マリールのことは気にしないでいいと思うよ」
「気にしないわけでもないけど、まぁそっちはいいわ」
そう云うとリザは服を脱ぎ始めた。
「気にしてもしなくても明日には状況がわかるだろう。決闘とやらはなんだか不愉快な成行きだがまさか命のやり取りってこともないだろうしな」
「アナタも大概呑気さんね」
リザは借り物のドレスをトルソーに掛けてシワを整えていた。
「仕方ないだろう。アーシュラを人質に取るようなことを言われちゃ」
リザは下着姿になってマジンが脱ぎ捨てた腰のものやら外套やらをトルソーに集めてかけていた。
「身柄を押さえられたわけじゃないんだから、こっちでやりようはいくらもあったじゃない。どうせ、御当地流の決闘とやらを受けてみたくなったんでしょ。――ちょっとあなたコルセット解くの手伝ってよ。ドレッサーのメイドさん、なんか複雑なことやってくれたらしくて、どの紐引いたら解けるのか、わっかんないわよ」
四葉の形に編まれた組紐はつまり二組のハトメを交互に締めあげていたということであるらしく、紐を解くこと自体は簡単だったがその先がまだあった。
紐を解いただけではコルセットは解けなくて、複雑に編みあげられたテンションをハトメを追って緩めてゆく作業は、指先だけでおこなうなら相当にやわらかな体が必要で、堅いコルセットに締め上げられたままおこなうとすれば、それは熟練の技か専用の道具が必要になる。
「貴婦人の生活ってのも大変そうだな」
「なぁに言ってんのよ。誰のためだと思ってるのよ。奥さん美人だと旦那は嬉しいもんなんでしょ」
次第に緩んでゆくテンションに背骨を左右に揺するようにしながらリザが笑った。
「まぁ女の好みなんて見てよし、膝に乗せてよし、抱いてよし、語らってよしと色々あるわけだけどね」
「色々あるからいっぱい欲しくなるわけか。納得いったわ」
つい理屈っぽくなったところでリザが噛み付いた。
「オマエわざわざ嫌な言い方をするなよ」
「素直に美人の奥さんがいて嬉しいなぁって言わないからよ」
「ああ。うん。美人の奥さんがいて嬉しいなぁ」
「ああ、やっぱり。アレだけ締められると肌に布地の目が食い込んでる。なんか変なところにシワが残らなければいいけど」
リザがスリップをめくってあちこちについた布地の跡をなぞった。
「美人の奥さんがいて嬉しいなぁ」
「台詞の練習は終わったのかしら。お風呂入りましょ」
「ん。ああ」
リザの身体は魔族と言って眼の色髪の色以外は特段に以前と変わりがあるわけではない。リザの肌を湯の中でこすると垢が溢れて浮かんだ。
「何。おっぱい触りたいの。いいわよ」
「む。まぁそれはそうなんだが、魔族と云ってあんまり変わんないなと」
リザの乳房の間の骨をなぞり汗と垢を擦り出す。
「そうね。私も云われてもピンと来ないわ。ただリザじゃないしステアでもないって感じはする。じゃぁ誰なんだって聞かれると結構困るんだけど、あなたの奥さんってことでいいんじゃないかしらっていうところでは結構落ち着くのが不思議な感じよ。何なのかしらね」
「食事とか便所とかどうなんだ。なにか変わった印象はないか。睡眠とか」
マジンは前々から気になっていたことをリザに尋ねてみた。
「あったら自分で大騒ぎしてるんだけどね。一時みたいに服破ったり食器壊したりもしなくなったし、なにが変わったっていうか、なんか落ち着いたって感じかしら。計算が早くなったとか威張ってもいいのかもだけど、変わった所ってまぁそんな感じかしらね。自分で云うのも何だけど、嫉妬とか性欲とかアナタ絡みは前々からなんか変な感じだったし、気にした方がいいのかどうでもいいのかわかんないわ。どう思う」
自覚があったほうがいいのかないほうがいいのか迷う様子でリザが尋ね返した。
「おっぱいが張っているような、妙に胸に張りがあるような気がするんだが、痼がある風でもないんだよな」
「むう。気がついてた。おしりもなんか骨で座ってる感じがしなくなったのよね。太ってないかしら」
「月のものは」
「ああ。全然来ない。まぁ、一回死んじゃったってことだし魔族になったってことだし、であんまり気にしてなかったけど、妊娠したってことかしら。魔族も子供産めるって云ってたわよね」
「そういうのはわからないのか」
「わかんないわ。そう云う自覚があったら流産なんかしませんでした。……なんかやっぱり怒ってる?子供産めないかもって」
「二人いればそれはいいだろ。子供は他にいっぱいいるし。オマエは産みたかったか」
夫に言われてリザは少し真面目に考える様子を見せた。
「産みたかったかも。産みたいかも。よくわかんないわ。そう云う感じは。云われて言わされてる感じはする。ステアもリザも産み残ってるから、ちょっと気にしてるのよね。たぶん。でも妊娠するくらいあなたとイチャつきたい。軍隊関係なくなって会社もアナタがまぁいいやって云うなら本当に引っ付いて暮らしたい」
「そんなことになったらマリールはうるさいだろうな」
仮にそんな生活をしていればマリールがおミソになって我慢ができるとは思えない。
「マリール。むう。アナタ。たっぷりイチャコラしましょ」
リザは伸し掛かるように腹の中に咥え込み、奇妙にリザかステアかのツボをついたらしい。
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