ダビアス城 共和国協定千四百四十七年玄鳥至
対岸の船着場から岸に上がって案内されたところは立派な郭をもつ戦闘的な城塞だった。向かいの城も立派なものであるがどちらかと言うとこちらのほうがさらに武張った造りで、マリールの父上と謁見した城よりも兵士の姿が多く見える。女官たちも優雅に時代がかって着飾っていても短銃や短刀を飾りとしてそればかりでなく、槍と見まごうような銃剣を携えていることもあった。
短銃や短刀は抜き放ち威力を示すまでは飾りか否かの区別はつかないわけだが、銃剣の禍々しさは飾りがあろうがなかろうが、その重みや煤け具合までは消せない。手入れされ焦げた油の匂いがすれば、それは宮廷女官の杖と云うには禍々しい。
庄内といえ城の外で武装している女性はあまり多くない印象だったが、こちらの城の中は男も女も役目のない者は或いは役目のある者はその身分役目として武装を携えている様子である。
そして老人に扱いは明らかにこの城内での上位者の扱いであった。作りはだいぶしっかりしたものの汚れを気にしないもっさりとした服は礼を捧げる兵士のものより一段簡素な作務衣のたぐいと思えるが、兵は老人をよく見知っているようで兵の目の良さを考えても動揺もなく全く自然に礼を捧げていた。
「ご老人、あなたがこちらのお城の主ですか」
「実はこの庄では城の主などというのは割合と多いのじゃが、騎士総長と役職を名乗っているのはワシ一人だ。まぁ表では将軍だな。ワシの名はダシャールエルダビアス。マリールの母方の祖父じゃ。マリール嬢ちゃんの婿殿が来るって話を今朝方娘から聞いてはいたんじゃが、嬢ちゃんのことだからこちらの殿様と揉めるだろうと思っていたら、やっぱし揉めたというところよな。まぁ話を聞く限り、悪くないスジの活躍をしておって大したジャジャ馬ぶりというところで、男運は悪くなさそうだ。男の子ができたらぜひ連れてきたまえ。アーシュラは軍才があるのならばウチの庄では却って扱いかねるかもしれない。今更そういう時代ではないのかもしれぬが、女性の将軍を我らが求めるのは少し先になるじゃろう」
ダビアス老はカラカラと笑いながら一行を案内した。
ダビアス老の居城の食卓は五回目の食卓、夜食の席が準備されていた。
突然の来客や飛び込みの伝令が多い騎士の詰める城では突然の客の来訪もどうということはなく、むしろたったの十人に足りない一桁しかも殆どが女性ということで、多少首をひねるほどに拍子抜けした様子だったが、湖のステアのことを気が付かない者はなかったので、ああなるほどと納得をされた様子でもあった。
城主の食事の間というものは思ったよりも随分と簡素で、数名の婦人と従僕が食事に同席するだけであった。
食事は暖かく美味しくはあったがなんというべきか城主と婦人の食事の席に並べられた静かな食卓は、修道騎士団の食事、というべき消化の宜しい質素なもので、年齢の彩りのある五人の夫人は一言も発さず、ダビアス老も同様に一言も発さず、問いを発しようとした口を城主閣下直々に身振りで制されてしまえば、食事の席は全く静かなものだった。
それはそれで結構なのだが、さて、一体我らはどうすれば、と食事を終えて困っていると年若い夫人が手招きしているのに気がついた。ついていってみると閨房だった。正確には閨房の前室のなんというべきか着替えの間のような大きな鏡のある居間のような部屋だった。つまりは城主と夫人の私室であるという。
食堂での会食では全く置物のように押し黙っていた夫人たちは全くここでは活き活きとしていた。
「まぁ、食事の様子を確認するのも日課なのよね。ごめんなさいね。家々にそれぞれいろいろ流儀があるんでしょうけど、うちは人の出入りが多いから、用人やらお客人やらがなに食べているか味見する必要があるのね。まぁそう云う中で色々しゃべくっちゃうと面倒だし、下のむっさい騎士連中に放り込むわけにもゆかなかったから、若い人には気の毒な食事をさせたけど、ここはお酒もあるし他に食事もできるから、気楽にしてちょうだい」
一番年かさの夫人は先ほどとは打って変わって気楽そうにそう言った。
「ところでお姉さま方、こちらのお嬢様方、義眼のようですわよ」
「眼の色が違うなぁと思ってたけど、たしかにそのようね」
「こちらの黒髪の方はバービーのようね」
「まぁ、若い男性はバービー好きですわね。いまどき外にバービーを連れ出す方がいるとは珍しいけど」
「マリール様も気の毒に」
「でも確かお嬢さんを産んだとか」
「こちらの可愛らしいお嬢さんは、そう云う感じではないようね」
「お嬢さん、お酒とお茶はどちらが宜しい。バラの香りの炭酸水もあるわよ」
「本人に合わせてちゃんと動くのね。よくできた義眼ね。これはあなたがこしらえたの」
マジンと家人が食事の席では彫像のようだった夫人方との距離感の激変に戸惑っているとダビアス老が部屋に現れた。
「小娘じゃあるまいしお客様になにやっとるかね、お前たちは」
「お客様との歓談を楽しもうとしていたところですよ。ちゃんと館の主人として私達の紹介をしてくださいな」
「年かさの方からファルテナ、サルート、アウテナ、エルタ、エランだ。一番上にマリールというのがうちにもいたんだが、一昨年亡くなった」
愚痴るというわけでもなく、しかし止められなかったようにダビアス老は言った。
「一番若いのがショアトア、あとは黒髪の方からリザ、クライ、セメエ、コワエです。リザ以外とは結婚していませんが、なんというか、皆、僕の妻みたいなものです」
「こんな小さい子まで奥さんにしてらっしゃるの」
「お姉様、小さいって。五年もすれば立派な奥勤めが務まるようになりますよ」
「リザさんってバーバラだけを奥様にしてらっしゃるのはどうしてなの。正式な跡取りのお子さんはいらないって言うことなのかしら」
「バーバラってのは、バービーと同じ意味ですか」
マジンは耳慣れない単語を改めた。
「女魔族って程度の意味だ。人型の魔族っていう意味で色々意味が乗ることも多いが」
「ああ。彼女は治療事故で魔族になったんです。こちらはそう云う魔法や細工物に詳しい方が多いと聞いて何かお話を聞ければと思ってお邪魔いたしました」
「あらあら。なにが聞きたいのかしら」
「彼女が、その魔族であるのは間違いないところですか」
マジンの質問に夫人たちは不思議そうな顔をした。
「まぁ人間じゃないわよね」
「ゼンマイとかそんな感じのカラクリでもない」
「魔族よね」
「みなさんはどういう風に人間じゃないところを見分けているんですか」
首をひねるほどアッサリと夫人方の意見が一致したことにマジンは質問を重ねた。
「どうって言われても」
「魔力かしらね」
「子供は作れるんですか」
夫人方があまりに明らかなことを問われて口々に応える中でリザが問いかけた。
「作れるわよ。女ですもの。まぁそう云う風になっていればですけど、バーバラの極端なものだとなんというか大きな豚の子宮みたいなのもいて、ちょっとあまりに戯画的というか、女性としてはどうかと思うんですけど、そういうのを母というか先祖というかまぁ、そんな感じで維持している人たちもいました。今もそう云うバービーが動いているか生きているかはわかりませんが、そんなふうに魔族が使われていた事実は間違いないわ」
「まぁ普通はバービーって云うとあなたみたいに男性の理想の女性みたいな感じで老けない優しい強い美人な女性であることが多いわね」
マジンはまぁたしかにリザを気に入ってはいるが、理想の女性像というわけではないなぁと思いながら、望外の言葉に驚いているリザと目があった。
リザが機嫌よく得意満面であればそれはそれで構わないことだった。
「肌のたるみや伸びによるシワとかザラメってのは表面処理技術的に表現が難しい部分でもあるからね、一般的な話題として加工処理指定と計算が面倒っていうのがあるのかもしれないわね」
「肌のくすみも角質層の不連続な巻き込みによる色素化だし、計算が厄介なものよね」
「大抵の男性はバーバラが老いないことで奇妙に引け目を感じるのよね。ケンっていう似たような男性版があるわけだけど、あっちはたいてい子供が作れないのよね。男の嫉妬なのかなぁって思ってたけど、まぁそういうのが必要な男性と女性との生き方や価値観の違いよね。たぶん」
「だいたい、元気過ぎるなんでもできる女性なんて子供が欲しければいつでも作れるって思うものですからね。そう云う自分が輝いているときに夫や子供なんて挿手口と私財を食い荒らす害虫にしか思えないものでしょ。そう云う意味じゃ男どもは割と半端なところがあるから女や子供にいろいろ求めたがるのよね」
夫人方はまぁそれはさておきという感じで近くにいる女性客に自分の興味の話を問い始めた。
「ああ、ええと、なんで皆様方は魔族について詳しいんですか。そういうのを集めていた一族とか」
「帝国が恩着せがましくそういうのを口上に使って色々碌でもないことをやらかすのよ。正しく人類に貢献せよっていう感じでね。まぁこの辺り一帯の人々はおよそ帝国を避難先にして生き延びた人々の子孫であるのは間違いないところで、私達の先祖がそう云う目的のために作られたというか、バービーやケンから生まれたのは事実だけどそんなの今更言われてもお前らの権勢の玩具に振り回されるのはゴメンだって話よね」
「帝国には魔族や記録が残っているということですか」
「帝国本土には残っているかもしれないけど、帝国軍の連中が言ってるのは単に言い伝えの言いがかりよ。ちょっと真に受けた先祖が真面目に調べた時期があって、私たちは自分たちの出自や帝国の歴史には多少詳しいの」
「今の帝国軍が謳っている内容なんかは針小棒大もいいところって感じね。小さな本土軍にさんざん叩きのめされた大陸軍が鬱憤ばらしにいろいろやっているって感じよ」
「百万年も前のことを探すのは無理じゃないかしら。なにを探したいのかわからないけど、多分こんな完成したバービーやら義眼の形で使えるように魔族を細工するなんて技術は今更帝国にもないと思うわよ」
「そうなんですか」
バラバラと夫人方が口々に意見を述べた。
「帝国の近衛軍はともかく侍衛隊が本土の外に出てこなくなって久しいですからね。まぁああいうモノたちが完全にいなくなったってわけじゃないんでしょうけど、みせびらかすほどヒトと同じ魔族は多くないってことでしょう」
「そのなんとかってのは、魔族なんですか」
「そうよ。なんというか、兵隊としての究極の兵器としての人間をそのまま魔族にしたものよ。寝ない食べない恐れない愛を知り理を守り礼を尊ぶ。おサムライってそういうモノね」
「なんか、矛盾があるような気がしますが」
「強力な兵隊だってのは間違いないわよ。風の如く敵陣を襲い、ひとなぎで林を払い、つつむ炎もものとせず、天険山脈を一跨ぎにする。ということらしいわ」
ますます胡散臭い口上に首を傾げるしかない。
「ああ、ええと、つまり、人型の魔族も珍しくない、無害だということでしょうか」
「珍しいし、無害かどうかなんてわかるわけないけど、ありえない話ってわけじゃないし、つい百年前くらい前には我が家にもいたわよ、というところね」
「私が魔族だというのは間違いないというところなんですね」
「それは間違いないわね」
「私は寝たり食べたりおならや厠の必要もあるんですけど」
「それはそう云う風にできているのね。子供の姿で出てきて大人になる魔族もいるようだから、そこはそういうものと思ったほうが良いわね」
「そしたらこのヒトは人間なんですか魔族なんですか」
リザの矛先が自分に向いたことでマジンは目をむいた。
「人間ね」
「人間だわね」
「変な魔力の流れ方しているけど、人間ね」
「まぁ魔力は強すぎるけど、人間ね」
「変なっておっしゃいますけど魔法使えないヒトが大きな魔力持っているとこんな感じですよ」
アッサリと夫人たちの見解は揃った。
「魔族ってのは結局なんなんですか」
改めてマジンが尋ねた。
「質量を持った現象としての魔法よ」
「魔法で水を作ったりということですかね」
「うーん。説明しにくいんだけど、魔界というか異界にあるものの影がこっちの世界に影響を及ぼしているのよね。多元世界解釈だとね。まぁなんというか、レース地があるとして糸の部分が模様なのか抜けた部分が模様なのか、だまし絵のどちらの模様が本来の意図かというような感じね。で、その認識の切り替わるときに魔法が起こるっていう感じ」
「世界の穴ってのがまぁ一番しっくり来るんだけど説明するとなると難しいわね」
「ともかくそういうものをうまい具合に使うのが魔法だから魔族と魔法とは相性が良いし、魔法使いと魔族も似たような感じになるんだけど、根っこがどっちにあるかというところが一番の違いかしらね」
「まぁそういうことね。リザさんはこの世にはいないってところが魔族だってところね」
「私が死んでいるってことでしょうか」
「死後の世界っていう意味のあの世とか生者の世界をこの世っていうのとはちょっと違うわ。主体の存在がこの世界に属しているかっていうところがちょっと重要で、魔族は魔界に本体があるってところね。そう云う意味であなたの旦那様はこの世にあるし、義眼のあなた方の目の大部分もこちらにあるわ」
「それがなんで分かるのですか」
マジンはもう少し粘って見るように尋ねた。
夫人たちも子供のような問いに少し戸惑ったが、頭ごなしに手を払うような無礼を働きはしなかった。
「なんで、っていうか、分からなかったら魔族退治できないじゃない」
「どうして分かるのって言われると、魔力の流れ方が内向きか外向きかというところが大きく違うわね」
「ああ。なるほど。そう説明するなら、人の魔力の流れはいくつかあって、結局体の中から外に向かっているんだけど、魔族は内側、核に向かって落ちているわ。彼女たちの義眼は確かに落ち込んでいるけど、極端というわけではなく、彼女たち自身の発する魔力の一部と世界からの一部で安定している。でも、リザさんはかなり膨大な魔力を吸い集めている。ってところかしらね」
「それはマズいんですかね。例えば魔力を吸い上げすぎると作物に影響するとか」
「ないわね。魔力があっても何にもできない人もいるし、山中におおきな滝壺があっても滝があるなぁってだけで山の水が枯れたりしないのと同じように大した問題じゃないわ。それに魔力は呼吸や体温と同じような行程や結果であって生命力そのものではないわ」
「兵隊さんや未熟な方が突然死するのは知っているし、私達も油断すればそうなるけど、あれは云ってしまえば素潜りをするのに配分を間違えたくらいの感じね。任務とか御役目で魔術を使うのも気の毒だけど、できないとお味方の仲間が大勢死ぬとなればやるしかないわよね」
「周辺の魔力の多寡を見誤ると魔法の効果が偏るってのは経験的に事実だけど、その程度で引っかかるような魔術は未熟よ。こう、魔法ってのはカッカッと必要なだけ切り替えてみせるもので別段ダラダラやればいいってもんでもないわね。兵隊さんの意見はまた違うんでしょうけど」
夫人が会話の中で手を閃かせた一瞬で机の上に花びらが散り、それが消え霜が降っていた。
「エルタ。お茶が冷めちゃうわ」
「そういう意味ではマリール様の婿殿はなかなかの遣い手ともいえますわね」
「錬金術を嗜む方にはよくいるタイプともいえますね」
「我流で知らずにバービーを組み上げるとか単に妻恋しや好色なだけで出来るような業ではありませんしね」
「血晶病についてご存じですか」
「一言で血晶病っていっても色々あるのは知っているわ。あなたのおっしゃるのはどんなの」
「全身が氷砂糖のようになるものですが」
「割とあるわね。全身を糖に置き換えちゃうやつよね。嫌味なのか何なのかわかんないけど死ぬまで時間がかかる奴ね」
「ボクの前の妻がそれにやられまして二年ばかりで死んだのですが」
「アレって侵蝕型の典型的なやつよね」
「そんなに早くって、奥様強かったのね」
「その時に妻の心臓を食べたのが、ボクが魔法を使えないまま魔力がある理由かなと」
「それはない」
「関係ないわね」
「遺体を食べるっていうのは感染呪術による魔力継承の典型的な形だけど、知識や技能という魔術の欠片を継承しなかったのなら、魔力は引き継げなかったのね」
「もう魔法の方は別の人に継承されてたんじゃないかしら。妊婦なら別段死ななくても継承は出来るわよ」
「男性は一生懸命タネに魔術を描いても血脈継承は女次第だから結局別に儀式が必要だけど、女は妊娠から出産まで時間があるから、儀式なんかなくても継承自体は割と簡単にできるのよ。まぁ男性が最初から男のタネに魔術を使うとかなり自由に子供の設計ができるのはそうなんだけど、ヒトがやることだから抜けがあるととんでもない事にもなるのよね」
「それで、どうやってこちらの方をバーバラにしちゃったの」
「彼女が戦死したのが最後のキッカケだったんですが――」
執事たちに聞かせていいものか悪いものかと云うのはなくもないわけだが、既に入り口を超えてもいたし、ある程度は彼女らの目の話ともつながっていることから、隠し立てをするのも面倒くさくマジンは話の流れを辿った。
夫人方の興味にあわせて話の流れは右に左に動くわけだが、流れを聴き終わったところで夫人方は少し黙った。
「流れはわかったわ。どうやらステアさんの身体を血液にしてリザさんの身体を器にして、マジンさんが作った心臓が二人を混ぜあわせたって感じね」
「心臓を食べたってのは感染呪術の上では大方関係ないのはそれとしてそのせいで、なんかの術式が止まってたのを新しい心臓が割り込んだってところかしらね」
「血晶病の最後はどうなるんですか」
「どうっていうのも色々だけれど、まぁ塩とか灰とか糖になってオシマイね。普通は崩れて溶けちゃう。美味しく頂いちゃうってことは遺族は流石にしないけど、気がつかないで食べてることもあるかもしれないわね。この辺りだと塩も砂糖も貴重品だから」
「それでどうなんでしょう」
恐る恐るマジンは口を開いた。
「どうとは」
「彼女をどう扱えば良いかという意味ですが」
奇妙に手応えのない夫人方の雰囲気にマジンが改める。
「わかんないわね。ただバーバラをお嫁さんにしている男性は大昔は割と多くあったのは事実よ。まぁ要するにお嫁さん人形ってところで、馬や羊や山羊や虎や犬なんかをお嫁さんの代わりにする話と変わらないわけだけど、別段悪い話ってわけじゃないわ。共和国の法律は私達が盟約を結ぶにあたって種族について定めた条項はなくなったはずよ。まぁ土地土地で色々あるのは知っていますけど、デカートの法律上はどうなっているのかしら」
「彼女と結婚したのはリザの生前でしたから特段は」
「いちいち申告をし直すんじゃなければ問題にならないってことね。気にしないで良いんじゃないかしら。魔族っていっても時々空から降ってくるような連中を除けば長いこと地上にいるようなのは、あらかた無害のはずだし」
「夫婦喧嘩に気をつけあそばせっていうのは、別段人間同士が結婚してもよくあることで今更よね」
「奥様に飽きて離婚とかって話が最悪ね。あとは旦那様が死んだ後をどうするかはちゃんと決めておきなさい。これも人間同士でも全くあり得ることなんだけど、バービーの寿命はとんでもなく長いから、魔法使いが長生きで二百年や五百年生きるっていっても全然そんなんじゃ追いつかないくらい長生きするからね。孫子にわたって付き合うつもりでいないと碌なことにならないわよ」
「ただあんまり見せびらかすのはやめときなさいね。バービー好きの男性ってのは本当に偏執的な方もいて碌なことにならないわよ」
「人妻と見ればコナをかけたがる輩がいるのは承知していますが、そういうことですか」
意外と普通のアドバイスが続くことにマジンは少し表情をゆるめた。
「まぁそうね」
「見せびらかすなと云って、私は外出を避けたほうが良いということでしょうか。これで一応将官なので共和国軍の式典などに出席するだろうことはありえるのですが」
リザが少し気になるように尋ねた。
「アナタは少し真面目に魔法の修行をしたほうが良いかもしれませんね。別段今のままでも差し支えないのは事実でしょうけど、見る人が見ればひと目で魔族と分かるような状態もあまり好ましいとも云えません。特に公の場で騒ぎになると説明が面倒な事態になるかもしれませんね。聞けば中の人はおふたりとも魔導の素養はある様子で誰か介添えがつけば別段技術がなくともそれなりの修行には差し支えないと思います」
「マリールさんでちょうどいいじゃないの」
「日々の相手としてはそれでいいけど、最初はもうちょっとマトモな人を充てた方がいいと思うけど」
「ひょっとしてアレですか、彼女らの目もそう云う風に何かした方がいいものですか」
ふと、マジンが心配になって尋ねた。
「……ああ。まぁそうね。高価な物っていう意識があればそうね」
「でもそっちはメガネでも掛けておけば大方の人は気にしないんじゃないかしら」
「……戻ったらメガネ作るか。セントーラに負けない偉そうな秘書に見えるような奴。リザもメガネかけておけば、色々言われることも減るだろう」
如何にも軽薄な男の提案に女達は笑った。
城の朝の食卓は豆の粉の粥のようなもので始まった。
鳥のスープのようなもので味を整えてはあったが、昨日の晩と合わせて実に消化の良いもので始まり、おかわりを尋ねられた夫人方は全く作法通り石の人形のように身じろぎもせずむっつりと食事を終えた。
この城では貴婦人というものは内心が春の雪解けの滝壺のような留めようもない風景であっても、公では絵のように彫像のように普段と変わらない姿を求められ、表情のスジひとつ食器の動きまで所作と意味を求められる。ということだった。
その後、女達はご婦人方とともに過ごすことになり、食事における無言のままに良いとか悪いを告げる仕草を教わり、頬やら眉やらの僅かな動きが言葉の代わりにされているという実に様式化された様々が人々の動きを縛っていることを理解した。
符牒の中には当然のように、御役目某を誅せよ、とか、誰それを縛せよ、等というモノもあり、もちろん普段の席で意味があるようなことはないはずではあるが、そういったもので従僕を試すようなことは無論好ましくなく、いちいち動揺させないためにも所作は静かに粟立てないことが望ましい。
騎士の家にも相応に様々あるわけだが、強大な帝国の小さな隣国として尚武というよりも今なお常日臨戦の土地というべき備えで立場ある人々は縛られているということである。
ぼんやりと又聞きで男尊女卑の時代錯誤と聞いていたが、食事の作法が離縁や廃嫡或いは刑死の理由にもなりうる、全くここは戦乱風雲の洲国であった。
そして、ただ今東部戦線が晒されているような帝国の強大な、しかし目を開いて様々を求むるに猫が虫を嬲るようなそう云う動きを百年千年も或いは話によっては十万年も繰り返されていたとして、宜なるかなと云わずにはいられない。
共和国との関係も、共和国の立場では連邦だが、この国の立場では同盟であって、立場を変えぬ帝国の有様によって変わらぬ戦時であることから大きな問題にはなっていないが、様々に行き違いがある中で鉄道を貫くように通せば、たしかに様々なものが一気に崩れ、この邑の有様が変わるというのは冗談ではなかったし、それは暴力的なまさに腸を抜くような有様になるとあっても不思議はなかった。
世の中をなすために周知は必要なく、ただ邪魔さえしないでくれれば良いというのは十万からの人を社員と組織したマジンの思うところで、しかし百万からいる家族もこの十年ほどの様々のすべての恩恵や意味を知っているわけもあるまいに、内と外という色分けを意識するほどに変化を起こしていた。それは共和国成立以前の血族で洲国を作り、風習の瑣末な違いに血道を上げて土地や資源を命をかけて奪い合っていた時代へと戻っているようだった。
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