石炭と水晶 或いは蛮族の城塞
小稲荷一照
蛮族の城塞
共和国協定千四百四十七年
ローゼンヘン工業の業務の殆どはマジンの手を離れて久しい。
というよりも、各事業所が社主代行を名指しで決裁依頼することが増えていた。
事業進行について社内資産や技術上の横断要素について、いちいちすり合わせをする機会が減っている、ということである。
ロゼッタが社主代行として仕事を切り分けて各部門に実働を委任するほうが、組織としての緊張感と司法行政とのすり合わせが円滑で人間関係上のトラブルを少なく出来ていた。
ロゼッタが事業に対して直接なにかが出来ることというのは多くないのだが、周囲の評価はまた別にあるし、その基準も割合とわかりやすい。
まだ可愛らしいと言ったほうが良さそうな社主代行が、事業計画会議の場に重石として座って価値なしと立ち去るか、採択まで進めるか、という判断が会議の首座の仕事だった。
ロゼッタというデカートで名の知られた才媛がマジンという鬼才に文字通り鍛え上げられた、という嘘でない程度に脚色がされたストーリーは、デカート州内外ですでに風雲録のような扱いだったし、実際にほぼ自力で学志館の哲学士号を取得し個人として裁判の弁護を引き受けることもある、ローゼンヘン工業内でも多くの武勇伝のあるロゼッタの理性は事業判断の過不足の決断をおこなうことが不安ない程度に信用されていた。
少なくともロゼッタは、棄却したり中断した会議案の不満点について、ある程度まで言語化してくれるという意味で参加者にとってありがたい人物だったし、社主本人のように改善案でそもそもの議題を全否定したうえで完全に事業計画を塗り替え、そしてそれがおそらく最善案で思えてしまうような人物ではなかった。
戦争がひとまず下火になった以上、軍需産業としてのローゼンヘン工業は一旦再編を必要とするはずで、特に狂ったような要求をされていた武器についての次年度以降の契約については軍需品倉庫行に地方州政府との指定契約に変更されるかキャンセルされる可能性もあった。
共和国軍がというか、ラジコル将軍が師団化するつもりだった装甲歩兵旅団はおそらく不足分があった戦車大隊を新車と交換修理と補填しておしまい。
今ある数よりいくらか増えた数を新規納入して、修理した車両を保管品として返却して戦車事業は一旦おしまいになる見込みだ。
ローゼンヘン工業の軍需部門はリザによる乱暴な持ち出しによって収支が荒らされ、稼ぎはあまり増えなかったが、共和国各地の鉄鉱石や石炭の生産は大きく伸びている。
問題は事業展開が急激に過ぎて、産業発展がデカート周辺というか、ローゼンヘン工業とその関連事業先に集中しすぎていることだった。
マジンはそういう地域をどうするべきかという話にいずれ引き出されるはずだったが、今のところ戦争の余波が十分に伝わっていない地域もあり、鉄道の威力を実感できていない地域もあるために、そこまでの問題になっていない。
だが、共和国軍がすでに軍需倉庫制度の一部見直しを参謀本部に検討させたことが伝わっているように、時代の変化が起こっていることは直接戦争に関与しなかった共和国の人々も、いずれ実感することになる。
ただ、だれもがひとときの共和国の勝利の未来をなんとなく楽観していた。
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