共和国北街道上空 共和国協定千四百四十七年晴明

 ステアの空の旅は実のところ呑気なものだ。

 圧力や体積ではなくふたつの混合気体で比重を調整しながら高度を調整するというちょっとややこしい気分のする手法だったが、構造上は巨大な筒を使った単純なもので動くところはひどく小さなバルブが幾つかと工場の冷凍庫で使っている巨大なコンプレッサーで動いていた。少し前までは巨大な深皿状の円盤が炭素材皮膜の円筒の中を滑るように動いていたが、様々な見直しがあって機構が大幅に整理されていた。いずれにせよ気嚢全体をふくらませたりたわめたりという仕事がない分、機構の動力機械いっぱいの性能を浮力の調整に回せる自由度がある。

 上空二リーグを越える高空はしばしば二酸化炭素が液化してしまう外気温になるわけだが、気嚢内温度が確保出来れば窒素よりは二酸化炭素のほうが扱いは簡単でそうあるために配管制御系が氷点下を下回らないように、気嚢表面が氷結しないように推進系のガスタービンから伸びるヒートポンプが保護をしていた。

 炭酸ガスの気嚢内での凝集はもちろん飛行船にとって致命的な意味合いを持っていた。それ以前に大気空気中に大量に含まれる水蒸気が高速で運動する飛行船に衝突することで水となり更に氷の核になるという事態は巡航状態の飛行船の浮力を削り安定した航行を妨げる原因でもあった。

 対策として飛行船外殻や気嚢表面或いは配管系制御系の温度を確保する努力が行われている。ミョルナの神域の最高峰より高い位置を巡行する外殻内部はもちろんヒトが過ごすには酸素が不足してまた運行中防寒具が必要なくらいに寒くはあったから、作業用装具が準備されていたが、減圧下の氷点を下回らない程度の温度が確保され、安全装具なしでもヒトが直ちに昏倒するような環境ではないようになっていた。


 六機備えられた巨大なターボファンエンジンは老人たちの会心の作で貨物車よりも大きな原動機筐体を飛行船本体と回転軸で支えつつ燃料やら油圧やら熱交換器配管やら電気系やらというごちゃごちゃとした様々を運行動作で千切らせることなくつなぐことに成功していた。

 配管上はややこしい造りをしているが少なくとも改修以前のステアのように直径をチャージで測るような巨大な薄膜ピストンを使わないだけ、整備の上でも気楽な作りになっていた。

 ステアの巨体は空を舞う鳥のように軽快に飛ぶというものではないし、蝶や蝙蝠のように舞うという種類のものでもないが、それらよりもかなり早く飛ぶ。

 音よりも早く飛ぶことは到底出来なかったが、風よりも早く飛ぶことは容易くて、自動車よりもかなり早く、巨大で優雅にのんびりと動いてみえるステアはおよそのところでマスケットの銃弾と同じくらいの早さで飛んでいた。

 もちろんそれはこの時代の共和国において、誇るべき偉業と謳うに足る成果ではあったが、一品物も同然のマジンからすると人の目に触れさせても面倒なばかりのシロモノであったので、社内では公然も同然の社外秘という扱いのまま、公式には知らぬ存ぜぬで通している乗り物でもある。

 理由は幾つもあるわけだが、結局ヘリウムガスの安定的な十分な確保ができないままに二隻目三隻目を就航させる目処がないことが大きな理由で、二気分圧式気嚢の運用を始めたばかりのステアの運行実績はやはりそれほどの期間が経っていないことも理由ではある。

 というのは、もちろんマジンの気分の上で面倒くささが先にたってのいいわけである。


 空飛ぶ機械というもののもたらす衝撃やその扱いをめぐっての様々の波及は自動車一つ鉄道一つを考えても相応に大きなものになるはずであったことが、誉に浴するよりも面倒厄介を抱え込むことの鬱陶しさが先に立ったということである。

 操縦に向けた操作は単純だったし、その基礎的な概念もやはり単純なものだが、巨大な構造物が相応の速度と高度を自由に飛行するためには工学的に乗り越えるべき話題も多く、それぞれ単純とはいっても、共和国の水準で言えば相応に高度な装置機構が運行に供されていた。

 帝国の城塞を雪崩で吹き飛ばした乗り物。

 それをローゼンヘン工業が隠している。

 という噂もある程度さけられないものだったが、マジンは知らぬ存ぜぬで通していた。

 認めたとして碌な流れにならないことは自明に過ぎた。

 もちろんそんな怠惰な気分を誰もが許していたわけではない。

 ローゼンヘン館に住まう老人たちは更に早く飛ぶ乗り物を作ろう作ろう、とせがんでいた。

 上がるところと下りるところが準備されていれば、空を飛ぶこと自体は実はそれほどに難しいことではない。

 極論、巨大な凧にヒトが飛び乗れば良いのだが、もちろん老人たちが描いているのはそんな生易しい単純なものではない。

 飛行船や熱気球のような金魚やクラゲのようなものですらない。

 音の壁を突き破り或いはトビウオのように空を空気の界面を突き破り、星への階を駆け上れる様な機械を考えていた。

 老人たちは設計の上ではというか、軸流圧縮噴流機関としてのガスタービンの試作や設計の前段階の検討を通して、計算の上では音を超えて空を飛べる乗り物の可能性に気がついていた。そして音速を超えると空気そのものが機関の吸気に蓋をし始め、さらに極超音速においては、手頃な燃料の爆発を吹きこぼさない様になることも計算上突き止めていた。

 それはひどく単純な弁のない圧縮機が燃料と口から流れ込む空気とだけで巨大な力を発揮する機関に至るという理屈であって、老人たちは発見した計算上の境界拘束条件を決裁執務中のマジンの部屋に押しかけるようにして成果を見せ検算検討を求めた。

 それは年甲斐もない、外見からすればムクイヌか毛膨れしたネコが立ち歩くような風景であるわけだが、もちろん日常風景としては頭を悩ませる事柄につながるわけでもある。

 妄想と云うには根拠が揃いすぎている老人たちの構想は、もちろん欠けも多いが根源としての要素に誤りはない。

 全く物理の有り様の範囲で、音の壁を超え星の軛を超え、空を飛ぶ機械機構を作るための条件を示していた。


 今のところは単に空を飛べることそのための条件範囲が数値上確認できたというだけに過ぎない。

 数値上の条件を実際の工作に工学的に落とし込む作業はまた別の方向の構想が必要になり、当然に工作にかかる準備には資材とその扱いという問題が立ちはだかる。

 様々な材料の資料から設計を始めているが、今のところそれを取りまとめて一つの形の機械、飛行機にまとめることはできないでいる。

 というよりは、人を載せるような機械にするためには乗り物としての要素が必要で、単純な運動機械を超えた要素が必要でそこは必ずしも老人たちが得意とする分野ばかりではない。

 乗り物として取りまとめをおこなえ、と生ぬるくマジンにサインを送って寄越していて、或いは長い休みに入る度にルミナスに売り込みをかけていた。

 全く勤勉な亜人の老人たちは党首が投げ与えるようにして好きに使わせている様々な機材から或いは作業に必要な膨大な資料から、日々の様々を離れて全く自由に想像の翼をはためかせ独自の工学の世界を切り開いている開拓者たちでもあった。

 それは故ジェーヴィー教授とは全く異なる才能の顕現であったが、ともかく驚くべき天才の発露であってそれが一人ではなく十六名がそれぞれ多少興味の範囲がズレているという事実が素晴らしい副次効果を生んでいた。

 ジェットバーナーやガスタービンという燃焼と運動の次の帰結として飛翔という、彼らのもともとの生業であった鉄砲づくり大砲づくりに根っこを戻していた。

 ステアの推進器がステアの巨体を風よりも早く推している事実は、かつて彼らが全く不当な扱いを受けていた、という物証にはなるのだが、それはそれとして飛行機の問題は面倒くさいことが多かった。

 個人がこっそり好きに楽しむ範囲でならば飛行機はなんの問題もない機械だったが、組織として一気に整備するには自動車や鉄道よりも一回り問題が大きい。

 実を云えば自動車用の内燃機関でも空を飛ぶには足りるだけのポテンシャルはすでにあり、その試みに人々が目を向けていない以上、焦ってその次を示すつもりはマジンにはなかったし、それなりの実用品を作ってあることも示すつもりはなかった。


 小さな機関で膨大な燃料を燃やしきるという意味において全く正直な単純な作りをしているガスタービンは運転機関全体における燃焼室の空間の比率がとてつもなく大きかった。

 それは単純に直感できるまま膨大な燃料を巨大な熱と力に転換することが出来る、ということを意味していて、つまりは大食らいの怪力であるというわかりやすい証明でもあった。

 粉末状の火薬の代わりに液体気体の燃焼材料に空気の酸素を適量混ぜ込み連続的に点火する軸流圧縮熱機関の構造はつまりは空気を尾栓代わりに寸刻途切れずに号砲を放つ大砲のようなものである。

 それはつまり膨大な威力の代わりに莫大な量の燃料を僅かな時間で定量として食らう機関ということでもある。

 マジンの持っている油井には或いは製油所には今のところそんなものを野放しにするほどの余裕はなかった。共和国全土の未だ前工業的な自噴に頼る油井ではまともな油質管理もおこなわれていない。

 空をとぶ機械がどういう大きさの産業事業になるにせよ、鉄道網自動車網が流通を支えることが当然に陳腐化するまでは、面白半分で事業を展開すると首を絞めかねない。

 仮に航空事業を本格化させるとして、拠点となる基地となる空港の整備が必要だったし、その整備のためにはまず第一に燃料や整備部品を始めとする消耗品の供給計画が必要になる。

 精油事業の展開も必要だが、規格確立まで投資をある程度制御する必要もある。

 庭先で飛んで落として泣き言を言う子供の遊びに付き合う気はマジンにはなかったし、それが子供の遊びで収まらないだろうことも想像に難くない。

 そしてそういう手元の話の他に、空には空の問題もあった。

 夜退屈しのぎに空を眺める者ならば誰もが知っていることだが、空の向こう側には膨大な量の星屑が舞っていて、それは雲というほど柔らか気なものではなく、綿飴のような軽いものではなく、速度と重さを見れば戦場の弾幕のような、もちろんその場に立っただけで死ぬようなものではないが、ぶらりと星空につっかけいっぱいというほどに気楽なものではなかった。

 マジンが気楽に昼夜の狭間の空の上に飛び上がれば礫にさらされて数リーグほど流されるほどにこの世界は細かな星屑に覆われている。

 その頻度は運の悪い鳥が隕石に落とされることがあるほどには多く、民家や物置の屋根を銃弾ならぬ星の欠片が打ち破ることは珍しくはあっても、不思議には思わない程度に多い。

 もちろんそんなモノの被害よりは庭先で狼藉に及ぶならず者の方が間違い無く多く、デカートであってさえも通りすがりの刃傷沙汰を目にしたことのない箱入りのほうが珍しがられるような国情であれば、天の星に天井を撃ちぬかれ命があるなら幸運が舞い込むと言われるような程度の話でもある。

 だが、空をゆくものにとってひとつ常に覚悟しておくべき話題ではある。

 月に振り回され地球に振り回された、チリというよりは砂利のような星屑はゆらゆらと幅を持って動いていて外から見れば青く煌く星に、白く或いは青く翠に揺らめく雲をかけているはずだが、この星を出入りしようとすればその雲は雪山の嵐のように旅人を襲うことになる。

 そしてその星屑の雲の端は極偶になにもなくても空に落ちてくる。

 現にステアの巨大な船体は砂浜で車を遊ばせた時のような細かな傷がなにもないはずの空の旅の何処かでついていることが多い。軽さを求めるはずのステアの船体があちこち丈夫そうに見えるのは、騎兵砲の砲弾くらいの何かが降ってくるくらいはあるだろうという予感に備えてのものである。

 ステアの倍では効かない早さで空を飛ぶということは砂浜の浅瀬で遊ばせるくらいの傷を年中覚悟する必要があり、誰かれ構わず打ちかけている鳥撃ち銃の弾幕に遊ぶということで、単にできる飛べることの証明にはあまり興味が無いマジンにとっては少し準備が必要な事柄でもあった。

 退屈しのぎに庭先で飛んでみることは実のところ本当に容易いし、出来た。

 だがその退屈しのぎが誰かの目に触れれば、そしてその誰かが必死の何かを思いつけば事業を求め、その事業の必死さはそれだけで退屈を星の彼方に吹き飛ばすほどの大事業になる。

 対向揚力を使った推進式の飛行機を公に作る気はマジンには今しばらくなかった。

 とりあえず今のところ空の旅はもうしばらく間はちょっと優雅なままにしておきたいというのがマジンの意向であった。


 ともあれ今しばらく空の旅は幾らかの例外を除きゲリエ卿の手の内にあった。

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