マリール・ミラォス・デゥラォン・アシュレイ
祭りの終わり、決闘の始まり
ルテタブル戦を観戦していたリザによれば二人は水場を陣地にするように動いていたというのは間違いなく、僅かな高低や角度を求めてのことだろうと考えていたし、およそマジンもそれは意識していたが、ルテタブルが口にした、蓮花遁甲活殺の陣、なるものの実体がなんであるかはリザは見ていなかった。
だがそう口にしたルテタブルが折り返しを刻んだ渦巻状の歩法で間合いを詰めたことだけは見ていたし、ルテタブルの動きにうろたえたマジンがしばらくクルクルその場で回転し、やがて高く跳ね上がったことは見ていた。
ルテタブルの動きがそういえば急に早くなった、とリザは思い付いたように云った。
「あんなカニ走、甲冑着たまま出来るわけないじゃないですか。動き自体変でしたよ」
ショアトアがリザの鈍感ぶりをなじるように云った。
「云いたいことはわかるけど、目の前で起きたことを疑う必要もないでしょ」
「そしたらそのへんな動きが、そのなんとかかんとかの陣ってやつだったんじゃないですか」
「まぁ、そうでしょうね。で、なにやってたか、アナタ見えてたの」
リザがショアトアの背後から伸し掛かるようにして尋ねた。
「だからカニ走したところしか知りませんよ。あと旦那様が姿勢を変えない変な動きで回れ右の訓練みたいなことを初めたりとか。足の裏になにかつけてたとか誰かに車に乗せてもらったような勢いでしたよね。その、レンゾ大尉の運転みたいな感じでハンドルや車の向きと違う方向に進んでるみたいな」
いない人間を引き合いに出すことを後ろめたそうにショアトアが云った。
「ファラリエラは相変わらずか」
「めっくうぉりあの仕事は機械に守られ、機械を整え、機械を扱い、機械とともに勝つことだ。私たちより機械のほうが高価で頑丈で強力で従順で正確だ。機械が正常に動いている間、私たちは生きていられる。私たちの誰かが死ぬことは、機械を正しく使えないオマエたちの無能と怠惰によるものだ。お前たちは無能と怠惰の汚物の塊か、ならば戦友に迷惑をかける前に肥溜めに直行して畑の役に立てって訓練でやられましたよ」
ローゼンヘン館に初めて来た時はそこら中のものを引っ掛けて歩いていたフワフワしたお嬢さんは、フワフワしたまま自分で工具を握るようになっていて、いつの間にか髪の毛一本落とさない仕事もできるようにもなっていた。
「それって本部整備小隊のセルブリ曹長の言い出したことじゃないの」
「それは、セルブリ曹長は幹部の人達の私物の自動車も扱っててレンゾ大尉とも仲良いですから。ふたりともハンドル握るとヘルメットが人格になる人たちですし。一時期部品の供給と管理が怪しくて修理の出来が悪くて、部隊の空気悪かったじゃないですか。その辺の流れで主計参謀が修理直しの車体を試運転することになって、最小身長一杯でちょうどいいからって私がそれに乗せられて。装具をキチンとつけろ。着座姿勢を正せ。肘当て膝当てと肩当て足置きの位置を正しく調節しろ。ベルトの調整が間違っている。って人形代わりに座っていればいいのかなぁって思ったら、とんでもない。戦車は空をとぶ時が一番静かな乗り物だとは思いませんでしたよ。あの人、多分世界で一番うまく戦車で空を飛べる人なんじゃないですか」
「うちの国で一番うまく戦車を裏返せる人。って云ったらファラを推薦してもいいわね」
「ああ……で、カニ走ッて思ってたけど、戦車で大砲だけ横に向けて走ってたみたいな感じかなぁって、そうでなければ鉄道の窓みたいな」
どうやっているのかはよくわからないが、あの三角錐のようななにかが仮想のレールの上を滑るように動いていたのかな、という推測が立つ程度には状況が把握できたが、勝ち負けはともかく謎は多かった。
この土地の五剣褒章というものがどういう位置づけのものであるか今ひとつわからなかったが、ともかく無事勝った。
面倒は多かったが、さておき再びアシュレイ家のマリールの父君と対面する機会を得た。
「決闘一番目の勝負は本日夕刻、当城内聖堂にておこなう。立会の条件通り、異論あるまいな」
マリールの父君の型通りの労いの言葉を受けたのちの、付録の言葉を受けたその時のマジンの感想を述べれば、ああそんなことも言ってしまったなぁ、というしかない。
全く正直な感想として、魔法は本当にあったんだっ、という縁日の見世物小屋を出てきた少年のような高揚感と云うしかない立会で浮かれていた心に、いきなり鎖の音を響かせる錨が投げ込まれたようだった。
相手がなにを云っているのかわからないような困惑はなかったし、わからないふりをするような希望もなかった。
ただ感想として、時の経つのは早いもの最後の演目となりました、という見世物小屋の座長の挨拶が心に響く。マジンにはそういう少年時代はなかったはずなのだが、奇妙なまでに鮮明な男の声が聞こえた。
その後武芸改の会場である広場は授勲の式の後、巨大な祭宴の場となり、篝火が焚かれ肉や酒が振る舞われていた。
だが、この度の祝宴は勝者のためのものではなく、観衆のためのものになった。
マジンはなんというべきか既に家に帰りたくなっていた。
ホームシックとかやるべき作業があるとか心配事があるわけではない。
リザが死んでしまってからの騒ぎでマジンがローゼンヘン工業の日々の運行業務を直接看るべき面倒は減っていたし、面倒のもとであったリザはここにいる。子供たちは学校に通うようになっていたし、下のたくさんいる子供たちもそろそろ四つになるものもいて、ひな鳥のような犬猫のような賑やかな有様ではあったが、可愛い盛りといえないこともない人間らしい様子になっていた。
そう言えばソラとユエがこの辺の年齢の頃にヴィンゼに狼虎庵を建てて氷屋を始めたんだよな等と懐かしく思っていた。
そういう現実逃避をしながら武芸改の盛会のまま、会を離れ聖堂にはいった。
聖堂は先の武芸改の場とは異なって建物の中だった。
奇妙な厳かさを持っているはずのそこは、多くの男達女達が集っている息遣いと体温と身動ぎによる空気の粒の動きを感じるが誰もが全員無言だった。
半刻どころかついぞ扉の向こうの楽しげな空気が、完全な静謐に遮られていた。
聖堂に入る前にマジンとその同行者たちも控室で無言を求められた。
「立会人と決闘者の他は悲鳴も許されない。沈黙を守れないものは見届人の資格はない」
「相手の卑劣な振る舞いも黙って見過ごせというの」
「見過ごす必要はないが、その場は黙っていろ。異論あれば後に聞く」
案内の騎士が硬く云った。
「リザ。信用しろ。信用できないならついてこないでいい」
不満気な顔をリザはした。
「――決闘の条件は挙手空手。とは言ったが、ここのルールで云えば魔法は得物じゃないし、オマエの髪留めなんかも得物じゃない」
不満そうなリザの顔を見ているうちにマジンは決心が落ち着いてゆくのを自覚した。
「全然空手じゃないじゃない」
「ボクの欲しいのは、あのバカをゲンコで殴りつける機会だ。こちらの親御さんもそれを許したということだろう」
リザの言葉を無視してマジンは告げた。
「勝者の権利は求めないって云う話だったでしょ。むこうがなにを云うかわかってるの」
リザの問いを無視するようにマジンは言う。
「負けなければいい。こちらのルールに従えば、相手が降参を云うか、二人が離れた後に立会人の求めに応じて一方が立ち上がれなければ勝ちだ」
心配そうに見上げるショアトアの口に素早くぺたりとテープを張り唇を塞ぐ。
「――まぁ、どういうことになるのかわからないが、お前らが口を開いて一敗というのが一番ありそうな罠だ。一応相手は知った仲だ。しかも十番勝負四回は負けてもよろしい。が無論一つも負ける気もない。ボコる。衆人観衆の中で皆さんが呆れ果てて帰るまで、あのバカのケツを張るのもいいな」
マジンの言葉をバカにしたようにリザが笑う。
「悪趣味ね。まぁいいわ。でもアレよ。誰かの命がかかっていないような条件だったら呑んでもいいわよ」
「マリールが二人目の子供を作るまで他の女と寝るな触るな、とか云われてもか」
「あら大変。先に触っとかなきゃかもだけど、まぁそれくらいは言い出しそうね」
リザは鼻で笑った。
「声を出すなというこちらのしきたりであれば声を出すと面倒になりそうなのは間違いないから、観ていられないということであれば、聖堂には入らないほうがいい」
マジンは顔を改めて家人に告げた。
「ああ、そうショアトアは観てられないからゆかないのね。ま、それでもいいわ」
リザが勝手にそう言うとショアトアはリザの足を踏んづけようとしてかわされて口元のテープを引き剥がした。
「――むぁ。なに云ってぬんだすか。いきますよ。ここまで来ていかないなんてないですお。おミソとかやめてくださいよ」
ショアトアが慌てたように文句を云った。
「ショアトア。別段、おミソというわけでなくだな。マリールとの戦いは昼間の戦いみたいなお上品な腕比べにはならない可能性が高い。見ていられない展開にもなるかもしれないぞ」
マジンがそういうとショアトアは呆れたような顔になった。
「旦那様が退屈しのぎに発情して、場所も構わずイチャコラするのを脇で聞いたり眺めたり、その後始末の洗濯や掃除までさせられているんですよ。別段、観衆の目に包まれてる中で盛り上がってマリール姉様と交尾されても、ああまた駄馬のように盛っているなぁ、と思うだけです」
ショアトアに言われて一瞬唖然としたが、そういう覚悟なら頭をなでてやるしかない。
「――ふっざけないでください。テープです。ドサクサでなにやってるんですか。緊張して発情したんですか」
ショアトアが口を噤んでつき出すので、くちづけをしてやるとショアトアは文句を云った。
「いや。背伸びしてかわいいなぁ、と思っただけだ。いいお婿さん見つかるといいな」
文句を言おうとするショアトアの口元をテープで止めるとショアトアは恨みがましい目で見上げながらおとなしくなった。
クライが黙って顎を突き出すのに口にテープを貼ってやると、少し不満気な顔をした。
コワエにも貼ってセメエに貼ろうとするとセメエは一歩退いて躱した。
「ああ。御手様、ご主人様。私、子供作れとはいいませんけど、もうちょっと御情けいただいてもいいんじゃないかと、待遇に不満はあります。別段正妻とか財産とかはあまり興味ありませんけど、若い女を侍らしているならもうちょっと扱いに配慮するくらいはしていただけないでしょうか」
セメエは曖昧なままに要求をした。
「つまりなんだろう」
「この先、マリール様が御手様の独占をするようなことがあるなら、お屋敷から出てゆきますから。後ですね。――こういうことです」
セメエは二歩踏み込んで、マジンの首に腕を絡めくちづけをした。
「それは、ズルくね。勝利の後にとっとくもんじゃね」
クライが慌てて口元のテープを引き剥がして文句を云った。
たっぷり息が続かなくなるまでくちづけをして、セメエは自ら口にテープを貼り付けた。
「クライ。後でゆっくりやってやるから、すまんが決闘が終わるまでと言うか、聖堂の中では静かにしていてくれ。……案内の方。よろしくお願いします」
突然の愁嘆場に驚いたように苦笑をしていた騎士に目を向けると、慌てて顔を引き締めた案内の騎士が控えの間から聖堂への道行を案内をしてくれた。
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