ビスケス・ツラッカー
二日目御目見得
マジンにとっては睡眠は必ずしも毎日である必要はなく、いやもちろん寝たほうが様々に調子は良いのだが、ノッている時や必要な時に二日三日寝ないということは割とあって、どうしても眠くなるのはやはり現実に今対処は不可能という難問を抱えた時に、急激に現実逃避のように眠く、気絶をするように眠くなる。
という便利なのだかそうでないのだかというような体質だった。
寝たからといって別段にすぐに妙案を思いつくわけではないのだが、寝ないからといって解決するわけでないので、それはまぁ自然の摂理ということなのだが、頭をつかう悩みの多い時に眠くなるというのはそういうものなのだろう、と、云うしかない。
リザは確かに以前からふたりで旅行すると夜眠れないほどに張り付いていることが多かった。
だが、その異様な盛り上がりはやはり波があるもので連日というものではないことが多かったのだが、武芸大会の最中だというのに容赦無いというのは流石にどうかと思う。と云って別段、眠くなる、体が痛くなるというほどの運動激戦というわけではなかった。
代官屋敷は他の建物とは違って、郭をなす城壁への通路がいくつかあり、そういう通路を守るために構えられた建物であったから、各地の将家が城との往来や外との往来を必ずしも禁じられたわけではなかったが、郭自体が一種の特等席になる武芸改の会期の間は建前として場外の者の郭への立ち入りは禁止になっていたし、場内の者も城壁への立ち入りは禁止となっていた。
中と外の出入りを禁じるというそういう建前はそれとして、マリールの立場であれば往来はともかく言伝の一つも送れない訳はなく、そろそろ何かあってしかるべきとマジンは考えていたが特段一晩何もなかった。
リザはあまり気にしていない様子だったが、そのことを口にすると、ニヤニヤと体の具合を確かめさせるようにあちこちの筋肉を蠢かせ、そうね、とだけ言った。
リザの態度は聞いて思いついたというよりは、ようやく思いついたかというような自分の先見を誇るようなもので、なにかやっているのか、手を打った後なのか、ともかくマリールへの連絡手段を既に見つけていた雰囲気だった。
日の出の前、空の端が山陰を境と切り分け始めた頃、郭にラッパが鳴り響き武芸改の式次の再開を告げた。
式次改方の奉行やこの会を取り仕切る城の者共が並んでいる中をぞろぞろと練り歩くのは前日と同じなのだが、歩く者達の人数が減ったことと二度目であることで多少見通しが良くなっていて、ようやく当地の礼服に着飾り普段と装いを変えたマリールの姿を見つけることができた。昨日はもっと明るかったのだが見当違いのところを探していた様子だったので、少し視線の先を変えてみたら見つかった。
むこうもこちらを早くから見つけていたらしく、目があったのだが、どういうわけか機嫌悪く、お気取りの無表情というよりは、怒りとか苛立ちを示していた。
マリールが苛立つ心当たりはもちろん多いのだが、それならそれでなにか云ってよこせば良いものをと思っていると、マリールは胸元に拳を握りしめ、わかりやすくこちらを呪うように睨みつけていた。
陣屋に一旦引き上げてリザにその話を云うと、リザはわかっていたらしく意地悪い顔で、そりゃお気の毒に、と笑った。
「マリールから何か連絡があったのか」
どうやら何か試みていたらしいことの成果を訊ねてみた。
「マリールからはないわ。でも私からは割とやってる。むこうは無視し続けているけど内容は伝わっているみたいね」
リザはなにやら具体的ではないものの手応えを感じている様子だった。
「なにやってるんだ。というか、どうやっているんだ。誰かに頼んだのか」
「魔術でミヨミヨンッと。あなたにはマリールからなにか伝えてこないの」
マジンは羨ましい顔になった自分に気がついた。
「気がつかなかった」
「メダルは」
寝るときは外していたが、ここしばらく朝起きると着替える時に首にぶら下げる習慣になっていた。
「掛けてるよ」
「……。むう。なんか私に言いたいことは」
何かリザはこちらを探るように眺めしばらく考えていた様子だったが、口を開いて尋ねた。
「なんだろう。……。今日も頑張るよ。おー。ッて感じでいいか」
リザはため息のように鼻を鳴らして芸のできない犬を見るような顔になった。
「ああ、ええ、まぁ頑張って。ご飯食べましょ。お腹へったわ」
リザは言いたいことを口に出して言った。
食事はあちらの城の朝食とは随分異なっていて随分しっかりとしたものがたくさん出ていた。
ふと食事の席を見渡すと昨日はいなかったはずのダビアス家の奥様方が一角にそろっていた。一日目は各軍将家の婦人会のようなものが開かれていて、様々なお城の方々と一緒であったらしい。ゲリエ家の女達は隣り合った席に招かれ、ショアトアは席を埋めるようにご婦人方に招かれていた。
帝国と共和国の戦争が戦間期に移行した印象が強かったことなどと併せて、醜聞と云うには時期が空き過ぎ風化した様々は、そういう戦争のさなか、非公式ながら戦功を上げ落魄し復帰して戦功を上げていたマリール姫の武勲とその愛人である新参の評判は、ひとまず新たな話題として将家の人々の間では受け止められていた。
旧婚約者対間男の対決という意味でまとめてしまうのが簡単な因縁は、様々に取り沙汰されていたらしいが、ともかく一回戦の速攻勝負そのものはご夫人方の間での評判はむしろわかりやすい、という風に好評だったらしい。
家の内々の武芸改は騎士の戦陣序列を決めるという意味合いがあって、未熟な若手の競り合いの中では相当に下衆な手段もとられることがあって、それは実に男女とも代わりはなかったし、家中での実力は相応に晒され伯仲していて、見栄え爽やかな会心の勝負よりはもっと死力無様な命の取り合いになることもある。
とくにここ近年は帝国の主攻勢が共和国を向いていて、それは兵站を睨む軍将たちにとっては全く幸いという他ないことなのだが、騎士従騎士たちにとっては武功の場が減ったということでもあって、家中が必ずしも穏やかというわけではない。
様々に面倒くさい土地の男女のいざこざや子供の取り合いで家を回る決闘騒ぎになることは、実のところ少なくない。
ご家中の様々を収めることは、家を預かる夫人方にとっては年次のお仕事であるわけだが、必ずしも心穏やかではいられない展開も多く、しかし全く無責任な他家他流との武芸改であれば、多少の因縁があったとしてせいぜいが手足を数本悪くても殺しはしないくらいの腕の者たちが、やはりせいぜいが骨の数本悪くしても死にはしない腕の者達と戦うので、全く楽しく見られるということであった。
ウチのクマイヌがヤンチャで突っかかっていったのを、そちらのオタクの新参がパカーンとはたき落としたのにはスカッと来たわ、というのはグレオスル家の夫人のどなたかの言葉であったそうで、大会の性質を全くわかりやすく示していた。
やはり袋葦剣については、勢いのついた大柄な男を弾き飛ばして殺さない道具として家中の試合で不具や死者の出る面倒を避ける試武用の道具として話題になっていた。
どうも秘書の三人は既にこちらの家中で十本ほども出来上がっている、そしてもうしばらく作りそうな袋葦剣のことについて尋ねられていたのだが、作り物の話で彼女らが知っていることは殆ど無かったことで困っていた様子だった。
兵粮武具の揃え具合については家の女の仕事のうちと見られることが多いらしく、主の思いつきはそれとして、ゲリエ家の女房働きを探られているというところだった。
とはいえ、一族の者たちのがいくらかは共和国軍の魔道士官であったり、その他の立場で東部戦線と纏めて称されるリザール川流域での戦争の状況を伝えてもいたから、リザが戦功を経て共和国軍の将軍として叙せられるに至ったことと、その大まかな成行きについては土地の将家を預かる立場の人々は、程度の差こそあれ知っていたし、戦務軍令とは全く違う予想もしない形で帝国の城塞二つが大きな被害を受けたことはやはり知られていた。
そして、そういう僭越な専横をおこなえる実力組織として、ローゼンヘン工業は理解されていた。
この数日のお城での食事の風景と全く異なり、様々な話題を次々と口にするダビアス夫人たちは旅の空では家の慣習は関係ないということで、わずか半日の旅ではあっても旅は旅と日々の御役目を忘れた気楽な逗留を決め込んでいた。
「マリールの様子はご存知でしょうか」
そう言うと夫人方は目で合図をしたように笑った。
「ご存知ですよ。気になりますか」
「それはもちろん」
「この数日あなたを思って眠れないそうです。そちらの奥方様が夜毎通してあなたの様子をお伝えするらしく悩まされているそうです。まぁ私達もそういう時期はありましたが、程々にしておきなさいね」
ダビアス夫人ファルテナがたしなめるように言った。
「程々に致します」
リザが心当たりがあったように応えた。
「他は何か。無事でしたか」
「ご自分のお家ですので、もちろん無事でしたよ。ああ、……。決闘楽しみにしておりますが、ご覚悟召されますよう、ということでした」
こちらが大事だったろうにマジンに尋ねられ、ファルテナ夫人が思い出すように言った。
「おりますが、ですか」
「歯切れ悪いわね。あの娘らしくない」
リザが不思議そうに言ったが、マリールが特になにも言ってこない理由もわかる。
「勢いで決闘申し込んじゃったからな。オマエの時みたいになんとなく入れ込んでいるんだろう。十番勝負とか云わなければよかった」
と云ったもののマジンも少々不思議に思っていた。
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