バルザム・ラズル・リクレル
それは奇妙な荒野の決闘のような雰囲気だった。
直径四チャージほどのつまり拳銃稼業では少々遠すぎる間合いの外側は撒き散らされたゴミがばらつき、周囲の建物中から人の目が集まっているのを感じる中でマジンは花道から真ん中の今は止まっている噴水に歩み寄せていた。儀礼では木簡を中央の直径十五キュビットほどの水場の中に投げ込むことで歩みを止める。
つまりは近ければ水場いっぱい。遠ければもう少し離れた何処かというところで互いの動き出しが定まる。一旦止まり水場の中心に近いところ噴水が止まると僅かに顔を出すなだらかな島のような部分に近いほうの木簡が選ばれる。
それは一種の儀礼的なもので別段どっちが選ばれるかはある意味で観客の気分のようなものもあって、しばしば武芸改方の代官が大声で首座に尋ね、そこに観客が割りこむようなパフォーマンスが入ることもある。例えば両者が並んでどちらも表を向いていたような時だ。だが一般的には遠くから投げれば真ん中近くに落とすことは難しくなり、間合いの短い得物を好む者が選ばれることが多い。
が、今回は両者が歩み寄る中で奇妙な拍手が沸き起こっていた。
互いに申し合わせて同じ武器を使うという、わかりやすく因縁と技量を示す試武であることが一目瞭然の形であった。そして両者ともに武芸改への出座到来は初めてだった。
新顔同士の戦いでいきなり手の内を抑えこんだ状態で体捌きと技量だけを競う真剣勝負よりも尚真剣な武芸改でも全く珍しい種類の戦いであった。
もちろん両者の噂は怪し気な形で様々に口の端に上っていて、それが真実かどうかはさておきその噂としては両者ともに斬撃鋭く技量十分というもので、見たところ体格でグレオスル家のリクレルが体格でやや優っているが、そんなものは僅かな様々で覆ることからダビアス家のゲリエの勝ち目も無視できない。特に得物の他の暗器を絡めれば、体躯の差など子供でも大人を倒しうる。
力具合は分からないがおおよその気分でカラリとマジンが放るのに、リクレルはポチャンと水の中に落とし木簡を譲った。
「存分」
無手勝自在で判定なし。
どちらかが降参か立てなくなるまでやるということだった。いきなり防具付きで現れて白けたような客も流石にこれは拍手で迎えた。
だが、その試武はあまり客に受けた風ではなかった。
というよりも拍手のお愛想を終えて、夕食代わりに売り子を呼んだり財布の中身を探しているうちに決着がついた。
まじめに見ていた者達にもおよそ二チャージという距離では、二人の人間が始まりのラッパとともに池に突進して乾いた空砲のような軽い音がして、グレオスル側のリクレルが池に尻餅をつき、降参に武器をおろし手を上げたことがわかったくらいの者が多かった。
遠眼鏡の類で追っていた者たちも二人の足さばきがひどく早く、読みに失敗したものはその流れを見届けることができなかった。
およその流れとして、素直に池を回るべくゆるやかに左手に踏み出したマジンにむかい、リクレルはやや離れたところから一足飛びに島を踏み越え、一気に防具の影から間合いを詰めたリクレルが振り下ろした模擬刀を体を引き向き直ったマジンがそのまま無足で踏み込み巻き上げるように払い落とし迎え撃つように面の鉢に斬撃を正面一本入れた。
それだけ。
というにはあまりに複雑で存分と云うにはあまりに短かったが、存分、と定めたお互いが、負けた側が降参し引き上げたのでは観客が文句を言っても始まらなかったし奉行のラッパもダビアス家の勝利を告げていた。
もちろんこの試武の意味を正当に理解している者たちも多かった。
つまりは決着の早さであり、つまりは打撃音が響いたことであり、武芸者の片割れが尻餅をつくほどの打撃はあった事実が残り、つまりはそれだけの打撃がありながら負けた者が全く痛みを感じさせぬ動きで自ら引き上げたことである。
リクレルは尻もちに満足な受け身を取れなかった無様を陣屋に戻って愚痴ていた。
油断がなかったというほどに慎重な戦い方ではなかったが、相手の構えの形の上で或いは防具に慣れていない、また或いは水場の島の位置や高さ、更に或いは左手に無造作に踏み出した相手の不慣れ等、直感的にリクレルが取れると感じた要素がいくらでもあった。
実際にリクレルが中の島で踏み切った瞬間にはマジンは不慣れな防具に一瞬相手を見失って歩みを緩めていた。
負けたとしてそこからだった。
だが、空中にあるとして体格で勝り、振り下ろしにも自信があり、動きの中では十五キュビットを十分な間合いとし、相手は正面のみを求めると知るリクレルにとって、それでも尚負ける気はなかった。
マジンの勝利は、単に見切り間に合った引き足と圧倒的に早い無足での踏み込みと飛んできたリクレルを叩き落とすような一閃というだけだった。
単にそれだけだった。
単に、と云うのはマジン自身に反省が様々にある手合わせであったからだが、リクレルにしたところで似たように感じていた。
だが、単に、という天然の有り様は、覆すとして全く腹立たしいほどに要する修練の差でもあり、リクレルは相手の斬鉄が道具や要領はあるにせよ、単なる手妻の類でないことを軽く見ていた己を省みていた。
「見事に負けたな」
帰ってきたリクレルに添うように歩きながらグレオスルが言った。
「負けました」
リクレルは全くあっさりと答えた。
「侮ったか」
グレオスルの改めにリクレルは一息考えていた。
「侮りはありましたが、手を抜いたわけではありません。ただ、相手の優っている部分で挑みました」
「軽々弾かれたな」
グレオスルはなにがあったか、ほぼ正確に見届けていた。
「斬鉄をなせる剛剣としっていましたが、あれほどであれば飛んだのは却って誤りでした。打たせて後の先を探るべきでしたが、一本勝負として初見ではいずれ見切れなかったでしょう。あの早さでは単なる間合い勝負では勝ち切れず、死力を尽くしての体躯勝負になります。およそ全体の流れを見れば格上はアチラでした」
リクレルの言葉にグレオスルは少し口元を歪める。
「珍しいな。それほど素直に負けを認めるとは」
グレオスルの言葉にリクレルはため息を付いて言葉を継いだ。
「先を取って尻もちまでつかされてしまえば。思い起こせば様々にゲリエ殿の技量を示す物証も兆候もあったのですが、どうにも素人くさいところも多く疑っておりました。その、アチラの優柔なところにも騙されましたし、体躯も、その俺よりは軽いと見えましたので力負けするとは思い至りませんでした」
言い訳が増えてきたリクレルをグレオスルは鼻で笑う。
「ゲリエ殿な。特段従軍経験はない。だが名うての賞金稼ぎでもあったそうだ。あとな、あれで御年三十だ」
それを聞いてリクレルは地面に突き刺さったように立ち止まりグレオスルに向き直った。
「年上ですかっ。奇妙に落ち着いていると思いましたが」
「一番驚くところはそこか。まぁ、オマエの十年がどうなるか知らんが、足りぬものを足し、在る持ちものを増やすのに、十年は短く長い。励めよ」
そう言うとグレオスルは邪魔だというように立ち止まったリクレルの肩をついた。
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