【良木・2】

     【良木・2】


 小屋番の彼女への想いを募らせるばかりだった私は、だから今日の二の酉を指折り数えていた。

 ところが、境内外塀横のあの一角は単なる空きスペースとなっており、O神社内のほかの場所にも、目的の小屋は見つけられなかった。

 べつの神社へいってしまったのか……。

 探す方法は……。

 即座に回転した頭は、あの小屋があった場所の、隣に出ていた屋台へ目を向けさせた。

 べっ甲飴の店―――。

 一の酉の日に、そこへ出店していたかは定かでなかった。出ていたとしても、《脱走妻の小屋》の行方を知っているとは限らない。―――だが今、望みはその店しかなかった。

 立ち姿で客待ちをしている、セロファンに包まれた幾本もの飴を前にすると、店主へ問いかけた。

 べっ甲飴の店は、当時も同じ場所に陣取っていた。

 そして、次いで戻ってきたしゃがれ声での答えは、いっとき言葉を失わせた。

 オレンジにしろ白にしろ、お隣にテントなど出ていなかった。今日と同じ、あの日も空き地―――。

 人のよさそうなべっ甲細工の老人が、嘘をつく必要などあるはずはない。

 どういうことなのか……。

 続けて尋ねた。

 ―――では、蝋人形を見せる小屋の噂などを聞いたことはあるか?

 左右に動かされた赤銅色の顔から返された内容は、こういうものだった。

 ―――ここの祭りには毎年店を出すが、見世物小屋が立っていたことは一度もなかったと思う。今では数も激減して、自分が知っているのは副都心のH神社に立つものぐらい。それでもそこは、あんたがいうようなテント仕立てではなかったはず。

 懐かしい甘い香りの琥珀色を一本買ったのは、訝しむそぶりも見せず、丁寧に応じてくれた老人への、謝意からだった。

 店は客がまったく寄ってきていなかった。だから話もできた。


 どういうことなのか……。

 自問を続けながら鳥居をくぐった。

 もしや―――自分だけが見えた……。

 だからほかの祭り客は、テントに足をとめたり、関心を示したりしていなかった……。

 自分だけ―――。それは幻覚を意味することなのでは……。

 であれば、私は病気なのだろうか……。とするなら、原因はこの……。

 心中で頭をふった。

 しかし、あれは現実としか思えない。それに病気だとしたら、もっと早くになにかしら見ていてもおかしくはない。病になる要因は遥か昔からあったのだから。

 と、

 ほかの神社の二の酉へいってみようか……。

 つと浮かんだ思考が足をとめた。―――が、

 どこのへ向かえばいいのか……。手がかりなどはこれっぽっちもない。

 とどのつまり、彼女とはもう逢えない、ということか……。

 帰りの足どりに、くるときの軽さは消えていた。


 ネット検索―――。自室に入ると思いついた。

 だが“脱走妻の小屋”はヒットしなかった。

“蝋人形”“見世物小屋”“オレンジテント”―――関連しそうなあらゆるワードを打ち込んだが、まったくだった。

 右手はPCから離れると、そのままへその下へ伸びた。

 今夜も小屋番の彼女の顔、あの姿が、自ずと欲情をわかせていた。

 ―――「素晴らしい作品群なので、再び足を運びました」決めていた切りだし。

 ―――近づきになるまで会話を進めようと思っていた。そして末は、関係を持つまでの間柄に……。

 ―――なれる自信はあった。なぜなら私と彼女には大きな共通点が……。

 ―――だいたい彼女にだって、相手などいるはずはない。この推測にも確信があった。

 逢えなかった無念は、より彼女を明確に脳裡へのぼらせ、呼吸を荒くさせた。

 いつも通り、合わさる人形たちの片方を自分に置き換えた。

 五つの体位、すべてを再現した。

 ベッドや床を淫汁で汚しても構わなかった。

 密閉された室内が、みるみる自身の臭気で満ちていった。

 彼女と一緒に、嗅ぎたい……。

 想いが、一層右手を激しくさせた。

 過去のものとは断然違っていた快感が、ひとり、激しく腰をふらせた。


 一の酉の夜の“ひとり行為”。それが終わってから浮かんだのと同じ考えが、昂りがやっと治まった今、再度甦った。

 あの人形たちは、彼女の願望だったのではないか……。

 こんな素晴らしい躰で快楽を味わいたい。あれらの形で謳歌したい。―――という願望。

 だからすべてを、自分と同一にした……。

 いや、しかし―――。

 ひりつく中心を感じながらの思考が、今になって疑問を呈した。

 願望を、なぜ他人に見せる必要があるのか……。

 まさか、見せれば願いが叶うとでも思っているのだろうか……。

 だいたいだ、展示しているのは人形とはいえ、自分そっくりな姿形の、痴態。普通の感性であれば、思っていようとも、当然先に立つ羞恥が行動に移そうとはしないはず。

 ならば彼女は、常軌を逸した感覚の持ち主、ということなのだろうか……。

 御気に召さなければ―――。と謳うからには、金儲けのためでもないはず。ゆえに、第三者からの圧力によって仕方なく―――という考えも、あてはめづらいのではないか……。

 では―――どういうことなのか……。

 改めて考えてみると、あの小屋内はまるで、架空的世界といえないか……。

 屋台の匂いやざわめきはまったく消されており、あの場の見物者は自分のみで、小屋を気にかけるようすの人間も皆無だった。

 まさしく、集中をそぐものをすべて排除した形で、私だけに見せている―――そういっても過言ではない状態。

 想像的空間―――。

 とすれば、あの小屋はやはり、私のつくった、幻覚、幻視……。

 ナンセンス!―――とわかっていたが、思考の流れは意に反し続く。

 ではなぜ、幻覚、幻視は、あのような展示物を提示したのか……。

 答えにはすぐにゆき着いた。

 ―――私の願望だったから。

“素晴らしい躰で快楽を味わいたい。あれらの形で謳歌したい”

 推測した彼女の願望と、まったく同じの―――。

 いや、私自身にそれがあったからこそ、「彼女もそうではないか……」と推したのかもしれない。

 重ねて、最後の出口であの彼女の姿を目にしたのは、私と共通するものを持つ、こんな女性ひとと出逢いたい。出逢って、濃密な間柄を永遠につくりたい。―――深層心理に、そうあったからでは……。

 すると、

“つくりたい”

 のワードが、頭内に閃光を走らせた。

 つくればいいのだ! 彼女のような相手を! それはむろん、蝋人形などではなく……。

 私にはその能力、知識、技術が十二分に備わっている! 実行できる場所だってあるではないか!

 彼女との再会、交際が叶わなくなった今、方法はそれしかない。彼女のような姿の人間を捜そうにも、それは確実に無理といえるのだから。

 どうしてこんな簡単なことに今まで思いいたらなかったのか……。思わず苦笑を洩らした。

 つくりあげたその女と、展示されていた形すべてを、否、四八手すべてを、くり返し、ともに堪能する。

 彼女のような姿の相手なら、思う存分、私は自分をさらけ出すことができる。さすれば、肉体的にだけではなく、今まで経験できなかった精神的な快楽も得ることができるはず。

 突如生まれた希望が脳を活性化させたのか、頭の片隅に置いていたささやかな疑問も、ふいに解かれた。

 ―――そうか、だからあの見世物小屋は《脱走妻の小屋》という名前だったのか。

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