【九沓・2】

     【九沓・2】


 週末の百貨店の人混みに心身ともの疲労を覚悟したが、ウィンドウを飾るプレタポルテは案に違い、休憩の気持ちなど消し去っていた。

 ひとりじゃ本当に似合っているのかわからないから、つき合って―――。

 美緒みおの依頼に二つ返事でOKしたのは、

 人形関係のイベントで着る衣装、しばらく購入してないな……。

 との思いがすぐに浮かんだから。

 私はプロの人形作家ではない。プロを目指そうと思ったこともない。ただ以前、ほんの小さなギャラリーで個展を開いたとき、どういったわけかメディアにとりあげてもらい、以来、頻繁にというわけではなかったが、雑誌の取材を受けたり、人形に関するイベントに招待されたりすることがあった。人形製作教室の特別講師を頼まれることもあった。せっかくのお誘いなので、できる限り参加させてもらっている。ゆえに、自分を職業作家と捉えている人がいてもおかしくはなく、人形製作の依頼が舞い込んでくることもある。しかし、すべて丁重にお断りしているのは、“プロの意識を持ってはいない”こともさることながら、“自分でこしらえたものは、どうしても手放せない”という愛着の問題が、実はより強い。

 そういった体質が、人形たちの声を聞くようになった要因かもしれない。

 ともかくも、実体は喫茶店店主という名を広めてもらっているのに、《喫茶992》に訪れる客が一向に増えないのは、不思議ではあった。

「いい歳なんだから、パーティーだってしなくていいのよ。おかげで余計な出費」

 支払いを終え店舗を出ると、ブランド名の入ったショッパーバッグを肩にかけながら美緒は毒づいた。―――とはいえ、あれこれ服を選んでいるときの彼女は、至極楽しそうだった。

 知り合い、友人の結婚イベントなんか糞食らえだから、パーティー用の服などまったく持ってない―――。

 とも依頼の電話の中で明かした美緒に、

 じゃあなぜ、招待に応じるのか―――。

 問うと、

 あの子とは腐れ縁だから、仕方ない―――。

 と返ってきたため息混じりの声に、笑んだ。

 なんやかんや文句を垂れても、心底では大切な友人なのだ。

 あの子―――美大時代の仲間のひとりである、味奈子みなこ

《結婚することになったの~》

 久しぶりな彼女の声を携帯越しに聞いたのは、二か月ほど前だったか。

 式はせず、パーティーだけ―――。

 その真の意図はわからない。ただ、新郎新婦とも私たちと同い歳の三五なので、“いい歳なんだから”という見方は、今の時代あてはまらないのではないか。

「次は靴か。あ~あ、今月はインスタントラーメンの日々だ」

 大仰に天井を仰いだ美緒の横顔に、

「だったら、ディナーやめる? 私はべつにいいけど」

 肩にあった彼女とは違うブランドのショッパーバッグをかけ直しながら、すました声を向けてみた。

 今夜はイタリアンで爆食しない?―――美緒からの提案だった。

「やめない。久しぶりの外食なんだから」

 は、怒ったような口調で返った。

 久しぶりの外食、インスタントラーメン―――。

 まったく生きていくのがやっと、と電話のたびに彼女は洩らした。ほんとかどうかはわからないが、たとえそうであっても、自分の好きな分野を生業にして生活していけているのは幸せだ。

 女なのに変わった仕事。―――そんな台詞を口にしたら、当世さすがにまずいだろうが、思う人は多いのではないか。

 しかし、彼女にそんな意識などなかった。だからこそ、優秀な成績ゆえに得られた、教師、学芸員の資格など頼りにはせず、バイトで入った今の会社で、すんなり社員となった。

 仕事の話をしているときの輝いた美緒の顔は、彼女の間違いのなかった判断を物語っていた。


 エントランスを出ると、熱気が一気に全身を襲った。副都心の街は日暮れにもかかわらず、七月半ばの昼間の温度を、ほとんど弱めていなかった。

 人波に埋め尽くされる広い歩道が、今度こそ心身の疲労を覚悟させた。

 味奈子のパーティーは九月の頭。なので、そう購入をあせる必要もなく、私のイベントで着る服も、すぐにというわけではなかった。だが、

 どうせ九月にせまっても街の不快指数はさがらない。だったらさ―――。

 との、美緒の続けた提案にも首肯し、私たちは今週末までのサマーセールに照準を絞ったのだった。

 目的のイタリアンの店へ足を向けてすぐ、艶やかな色の浴衣を、往き交う人の中に見つけた。ひとりふたりではなかった。

「お祭りかな?」

 私と同じ考えを口にした美緒は、

「あ、やっぱりそうだ」

 人波の頭上へ向けた目でいった。

 彼女の視線にならうと、「祭」と書かれた紫色の旗が、流れる雑踏の上のいたるところでゆらゆらと波打っていた。

 一日の乗降客数日本一のS駅。その私鉄改札で待ち合わせた私たちは、陽をよけようと地下道を使ってやってきた。百貨店内へは、地下からそのままのぼっていける。

 祭りの開催に気づかなかったのはそれゆえだったからか……と刹那思ったが、地下にも祭事を知らせるなにかしらの広報物や浴衣姿はあったはず。なのに気がいかなかったのは、久しぶりに合わせた顔での夢中なおしゃべりが、視野をひどく狭めていたからだろう。

「とすると、H神社か」

「だわね」

 H神社―――。

 副都心に鎮座するこの大規模神社はとても有名。S駅からも歩ける距離であり、今買い物をした百貨店からも近かったはず。

「夏祭りなんて、とんと足運んでないな~」

 といった美緒の、

「だから、ちょっと寄ってく?」

 弾んだ声に頷いたのは、私も同様、その夏の風物詩をずいぶんと味わっていなかったから。

 自ずとわいてきた昂揚感が、体感温度をわずかにあげたようだった。


「この子たち、どうやって知り合ったのかしら」 

 さも解せない、といった口ぶりで美緒がよこしたのは、緩慢な境内の流れに身を任せることしばしのち。

「この子たち」が、ふたり寄り添い歩くアベックたちのことであるのは、問い返さなくても彼女の目線でわかった。

「さあ」

 彼女の意識が仲睦まじいふたり組にいってしまうのは、味奈子に先を越されたからにほかならない。

 都会が放つ強烈な寒色照明の中に浮かびあがった異次元。陽がすっかり落ちてからの暖色の輝きに包まれた神域は、そんな感覚を抱かせ、高揚感をさらに強めた。

 都会の雑踏と違い、祭りの境内の人混みは、閉塞感、疲労感を不思議と抱かせない。それは、日常的ではないゆったりとした人の流れに加え、笛、太鼓、祭り客の楽しげな声のBGMが、鼓膜に心地よく響き続けているからか。―――と推したとき、お腹が鳴った。

 参道に充満する屋台からの雑多な、それでも食欲を刺激してやまない香りは、鳥居をくぐる前から誘惑の手を伸ばしており、その都度、

 イタリアンが待っているから!

 と、胃袋をなだめるのに苦労もしていた。

「いい歳して合コンなんて、恥ずかしいと思わない?」

 話題が味奈子のものにすり替わったのは、これまたすぐにわかった。

「べつにいいんじゃないの?」

「みっともないわよ。自分、今までまったく男に相手にされませんでした~って宣言してるようなもんじゃない。プライドのない女がやることよ」

 嫉妬の口が収まらないのは、ぶつけられる相手を久しぶりに面前にしたからだろう。

「そうは思わないけど……。でも結果的にうまくいったんだから、みっともなくてもよかったんじゃないの」

「うまくいったって決まったわけじゃないわよ」

「……」

「だって、つき合って半年よ。それで決めちゃったのよ。そんな短期間で相手のことなんてわかると思う~? おちおちしてて逃げられでもしたらまずいと思ったんだろうけどさ。これ逃したら、今後一生チャンスなんてまわってこないから」

「決めつけちゃ悪いわよ」

「蓋開けてみたらさ、とんでもないド変態だったり、目もあてられないマザコンだったり。―――あっ、不能者ってこともあり得る、うん、大いにあり得る」

「さすがに不能かどうかはわかってるんじゃないの?」

「実は男の顔した女だった、ってこともなきにしも非ずね」

「ない」

「どっち道うまくいくはずはない。だから離婚したら、今日の出費分、すぐ請求してやる」

「だったら、はじめから出席しなければいいんじゃない? いくら腐れ縁だっていっても」―――という台詞を飲み込んだ。

「だいたいさ、相手もどういうセンスしてるのかしらね?」

 合コンは、美術館の学芸員をやっている味奈子とその仲間、そして、某理系大学の教職者陣で行ったという。

 この変わったとり合わせは、主催したふたりが高校時代の同級生で、クラス会で再会したとき、

 ―――未だ独り身。

 ―――結婚願望を持つ者が、自身の職場にも数名いる。

 双方合致した打ち明け話から生まれたらしい。

 大学の先生は知らないが、学芸員が異性と出会うチャンスのないことは、大学時代の友人たちとの話で知っていた。

 ただ、うまく続いたのは美緒だけだったらしい。しかも《彼、若くして教授》と、携帯の向うの声音は自慢げだった。

「普通、名前同様のあんな地味な子選ばないわよ」

 味奈子の姓は「てら」。だから音読みにすると「じみなこ」となる。もちろん、そういった話題を味奈子の前で出したことはない。美緒は知らないけど。

 同じクラスになってからの自己紹介の際知ったのだが、彼女のご両親は、味のある人間になるようにとの願いを込めて、「味奈子」としたらしい。寺を「じ」と読んだら……という心配は、幸福感でいっぱいであったろう命名時、浮かばなかったのではないか。

「フィーリングが合ったんでしょ」

「フィーリングじゃなくて、普通じゃないのよ。だいたい、遺伝子工学とか生命工学とかやってるっていう男よ。おかしいに決まってるじゃない」

「なんで決まってるのよ」

「だって、遺伝子やら細胞やらを操作して、変な生き物生みだしたり、人造人間つくろうとうしたりする分野でしょ? いわゆる神に背く行為好んで行ってるって人間よ」

「んなアホな」

「しかもほんとかどうだかわからないけど、偉そうに教授だっていうじゃない。そんなもんジジイになってからなるもんなのに、三五でなんて頭どうかしてる男よ。絶対異常者」

「どうして素直に、凄い人もいるものね~っていえないのかしら?」

 しかし、嫉妬に燃えた女は聞く耳など持たず、

「ともかく、勉強しかやってこなかったんだろうから、まず童貞だな。だから寄ってきた女ならだれでもよかった。ブスでもデブでも化け物でも」

 声を落としもせずいった隣に、

「やめなさいよ」

 こっちは絞ったボリュームでたしなめた。

 嫉妬に思考を奪われた女は、自分が今どこにいるのかという判断能力も奪われる。

「あ、変な生き物が好きなんだから、味奈子みたいなヘチャムクレなんて、かえってストライクだったかもしれないな。うん」

 突然ひとり納得した。

「という考えでいくと、離婚はないんじゃない?」

 いってみると、

「……そうね」

 嫉妬女は落ち着いた口調で、軽く前言をひるがえした。

「ま、面白味もない男だろうから、面白味もない味奈子には似合いだわね。

 だとすると、やっぱりパーティーなんて必要ないわ。どうせ面白味もない会になるんだから」

 当初の話に戻った。

 反論するのもさすがに疲れたので、ほっとくことにした。

 すると途端、横に並び歩く友人に向ける集中を解いた耳は、拡声器を通した声を拾い、次いで、

「見世物小屋か」

 美緒のつぶやきも受けとった。


 ―――サア、こんなネエちゃん見たこたァない! キレイなお顔して、ど~してカラダはこんな奇妙なものになってしまったのか!? 実を申しますとこのネエちゃん、昔からヘビを食べるのが大好きという悪食女! するとあら不思議! 思春期のころからみるみるカラダがヘビの鱗で覆われてきた! これを我々は後天的異形と呼んでいる! サア、奇妙奇天烈にして怖気をふるう、医者も見放した女のカラダが、これからまさに皆さんの目の前に現れます! はたしてヒトかケモノか!? サア、もうすぐはじまる! 見世物小屋! どうぞどうぞ!―――


 木戸番の威勢のいい啖呵に引かれるようにしてやってきた見世物小屋は、交差した参道の一角に、ずいぶん大きな掘建て小屋の形であった。

 けばけばしく飾り立てられた正面には、

《もぐら娘》《ヘビ女》《骨なし人間》《秘境からきた野人》

 などと書かれた垂れ幕がかけられ、その前には結構な人間がたむろしている。

 珍しさから眺めている、というより、入るか入らないか決めかねている、といったふうの者がほとんどのように見えた。

 裸電球らしい明りが満ちる小屋内にも多くの客が入っているのが、開いた入口から覗けた。

「後天的異形なんて、本当にいるんだろうか?」

 真面目くさった顔をよこした美緒に、

「いるわけないでしょ」

 あきれた口を返した。

「わからないわよ。世の中広いんだから、そんな体質の人がいてもおかしかない。ヘビ食べてっていうのは嘘っぱちかもしれないけど、成長するうちに、もしかしたらそんな見目形になっちゃう人がいるかも」

「どういう体質よ」

「味奈子だって結婚できた不思議な世の中よ。いないとはいいきれないんじゃない?」

「はいはい」

「ねえ、入ってみない?」

「えっ!?」

「大丈夫よ。どう見てもここ、入っちゃいけない見世物小屋じゃない」

「……入っちゃいけない見世物小屋?」

「あら、知らなかった? この都市伝説、全国的なものじゃなかったんだ。あたしの地元近辺じゃ有名なんだけど」

「有名だろうがなかろうが、その小屋であろうがなかろうが、イヤよ。これから食事いくのよ。絶対食欲失くすもん」

「でも、見世物小屋ってもう少ないし、いつなくなっちゃうかわからないのよ」

「だとしてもイヤ。だいたい今月はインスタントラーメンの日々送る人が、いくら希少なものだからって散財していいの? どうしても観たいっていうのなら、おひとりでどうぞ」

 今度は私がボリュームを落とし忘れていた。

「……いわれてみれば、余計な出費はたしかにいかんな」

 ちょっと考える表情を見せたあと、美緒は素直に引いた。

「それにお腹ももう、エンプティに限りなく近くなってるし」 

 と、彼女が腹部をさすったのをきっかけとして、私たちの爪先は大鳥居へと向けられた。


 入っちゃいけない見世物小屋―――。

 多少興味をわかせていた私は、再び乗った緩慢な流れの中で、それはどういったものなのか、尋ねた。

 ―――いったん入ったら最後、消えてしまう。

 ―――お祭りや酉の市に出没するが、どこの神社に出るかは定まっていない。

 ―――はっきりした名前も、どんな演し物を見せるのかも不明。

 そう端的に説明した美緒は、

「ずっと昔からあったらしいけど、あたしがはじめて聞いたのは小学校のころ。あの時代、まだ都市伝説なんて言葉なかったから、まあ“怖い噂話”っていう感じで通ってたんじゃないかな。

 そもそもは、子どもが見世物小屋なんかに入っちゃいけないっていう注意の目的で流されたんでしょうけど、実際、その伝説なぞるような事件、身近であったのよね」

「ええ~」

 高学年のころだった―――。わずかに硬さを見せていた横顔は続けた。

 自分の通う小学校と同じ学区にあったべつの小学校の女子生徒が、地元の神社の祭りで行方不明になった。

 他校のことなのになぜ知ったか。それは、自校の生徒、その小学校の生徒、双方数人ずつが同じ塾に通っており、交流があったからだった。

 祭りに限らず、人の多く集う場所には、決してひとりではいかないように。と、自分たちにも現に、事件後達しがあった。だから、“行方不明”は間違いなく事実だと思った。

 消えた女子と一緒に行動していた友人によると、境内ではぐれてそれっきりになった、ということだった。

 向うの学校の生徒たちの間では、すぐに“入っちゃいけない見世物小屋”の話題が口にのぼった。

 ただ同行していた子は、それらしきものなど見なかったと話した。地元の神社ゆえ、ほかにも同校の生徒は大勢境内にいた。その中では、見たという子もいた。

 一方、他校からの情報を聞いた自分たちの中でも、「見た」「いいや見なかった」という者がいた。現場となった神社は自校からもさほど距離はなく、祭りを楽しんだ自分の友人たちも多かった。

 自分も仲間と訪れたが、目にすることはなかった。事件のあった日と違っていたから……ということも、もしやあるのかもしれないが。

 いずれにせよ、両校の生徒とも、

 その小屋は見える人にしか見えず、行方不明になった子は見える子で、しかも入ってしまった―――。

 という結論で落ち着いた。

 見たという子たちのあまたは、怖れから入ろうと思いもしなかった、とのことだった。中には、入ってやろうと思ったが、お金がなくて断念した、と強がる男子生徒もいた。

 当然大人たちは、誘拐事件として見たはずだ。

 それから中学にあがっても、件の女子生徒が見つかったという話は聞かず、今にいたっている。

「不思議だったのはさ、見たっていう子みんな、その小屋はテントだったっていうのよ。そして『なになにの小屋』っていう看板がついてたって。“なになに”の部分は文字が滲んでいて読めなかったっていう子もいたし、難しい漢字でわからなかったっていう子もいたと思ったな」 

「なになにの小屋……」

「本当かなって思ったけど、向うの学校の見たっていう生徒たちも、これも不思議と、その名前だったって口そろえたみたいなの。テントだったっていうのも一緒。

 そんなこと、うちらの子たちと示し合わせる必要なんてないと思うし、だいたい示し合わすことなんてできたのかなって」

「そうねえ……」

「だから伝説の小屋は、あたしたちのうちでは『なになにの小屋』っていう名前がついているテント、っていうことになってるわけ」

「じゃあ、行方不明になった子が見える子だったとして、だったらちゃんとお代払って入ったのかしら? 

 小学生のお小遣いでカバーできるほど、見世物小屋の入場料って安くないんじゃない? さっきの小屋も意外といい値段掲げてたし。お祭りなんだから、ほかの屋台だっていろいろ楽しみたいでしょうに」

「知らない。選ばれた子なんだから、タダだったんじゃないの」

 しれっといった美緒は、すると、

「そうそう」

 なにかを思いだしたように、

「それがむかつくのよ」

 憤りを滲ませた調子にがらっと変えた。

「あの子、伝説の小屋に入ったっていうのよ、合コンの数日前に」

「合コン……って、味奈子のこと?」

「そうよ」

「ほんと? っていうか、どうしてそれがむかつくのよ?」

「小屋に入ったから悪運が消えて結婚が決まった。だいたい自分が結婚できないなんておかしかったんだ。あの小屋は、入ると人間が消えるだけじゃなく、穢れも消えるみたい。―――って、さも得意げにいって、アハハハハって笑いやがったのよ! ブスがよくいうわ! ふざけんな!」

 まわりをちっとも気にかけない憤慨口調は、前を歩いていた若いカップルをふり返らせてしまった。

 味奈子と美緒の実家は同学区内にあり、ふたりは小学校こそ違ったが、中学、高校は一緒となった。しかも美術部所属も同じ。

 さすがに大学では離れるだろうとお互い思っていたというが、これまた一緒となってしまった。美緒が腐れ縁というのはそれゆえ。

 高校も大学も、彫刻学科も、相手が真似した。―――というのもふたり同じ主張。

 あたしのほうが腕は断然上。―――このいいぶんもご多分に洩れず。

 しかも、参加したコンテストは、中学時代からずっと同じ賞をとっている。

 いわゆるいいライバルであるからこそ、結婚を先んじられた美緒はこれほど憤慨している。

 私からいわせると―――「べつにいいじゃん」

「でもそれって、ほんとに都市伝説の小屋だったの?」

 案の定、私たちの前から横へそれていったカップルへ、「ごめんなさいね」心中で手を合わせてから投げかけた。

 合コン前というと、去年の、どこかの神社の夏祭りでのことだろうか……。

「テントに《脱走妻の小屋》っていう看板がかかってたんだって。妙な名前だから頭にこびりついてたって」 

「だっそうづまのこや?」

「あたしもこびりついたわよ。

 で、まわりには小屋を気にかけてるような人もいなくて、中へ入っても客は誰もいなかったって。ほんとかよ」

 まあ、伝説の概要にはそっている。

「よく入ったわね」

 と、思いはしたが、地味な風貌に似合わず―――といっては失礼だが、好奇心旺盛なところのある味奈子であれば、頷けないこともなかった。しかも、奇妙、奇怪なものに対する嗜好も、彼女にはあった。

 たとえば、彫刻学科ではあるものの、絵画にも造詣の深かった彼女は、現代美術に多大な影響を与えたといわれる英国人画家『フランシス・ベーコン』の、不気味な作品群をとても好んでいた。それらの絵画をヒントに製作したものも多く、みなやはり奇怪だった。

「もうこれ以上生きていても男なんてできないって、自暴自棄になってたんでしょ。だったら望み通り、あの子自身が消え失せればよかったのよ」

「なんてことを。―――だったらさ、都市伝説の小屋って、怖い場所っていうだけじゃなくて、ラッキースポットということにもなるんじゃない?」

「知らん!」

 と、美緒は苦虫を噛みつぶしたような顔で吐き捨てた。

 またもしくは、味奈子は本当には信じていなかったのかも……。とも考えながら、大鳥居をくぐった。

 境内へふり向き、ふたりで一礼したとき―――ふと浮かんだ。

 もし小屋の見えた人が、都市伝説を知らなかったら……。

 私であればそもそも気味が悪くて遠慮するが、興味から覗いてしまい、勝手に消えてしまったとしたら、あまりにも気の毒ではないか……。ラッキースポットとしての効力を発揮してくれるのならよいが……。

 味奈子はどういった見世物を目にしたのか、訊いたのか―――。

 再び閉塞感を感じる雑踏へ戻ると、向けてみた。

 途端、唇の片端をあげて頷いた美緒からもたらされた描写は、思いもよらないものだった。

 そして、さっきの小屋で宣伝していたような、一般的な見世物とは違ったその情景は、人形作家として、少なからずの興味を覚えるものだった。

 と同時に、確信していた。―――これだけの会話を交わすのだから、やはり美緒は味奈子が好きなのだ。

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