【九沓・3】
【九沓・3】
“おまかせ前菜5品盛り”
“シーザーサラダ”
“ペスカトーレビアンコ”
料理の美味を盛んに口にしながら、咀嚼筋の働きもとめることをしなかった美緒は、“仔羊肉のグリル”に挑み始めると、
「あの子もやってんのかしら、彼氏と今ごろ」
話題を料理から外した。
夕食の時間帯―――。
決めていた店は予想通り混んでいたが、それでも待つことなく四人掛けのテーブルに着けたのはラッキーだった。
「なにいいだすのよ、食事中にいきなり」
いさめる調子を返すと、
「だから食事のことよ」
彼女は唇を尖らした。
「はい、あ~ん。おいちい? うん、おいちい。じゃあ、こっちのお料理も、あ~ん。おいちい?―――とかやってんじゃないの? 今まで一度たりともやった経験ないんだろうから」
どうしてそんな想像が浮かぶのか……。というより、嫉妬心などぶり返せば、せっかくの料理の味が半減するのでは……。
だいたい、聞いてるこっちの舌だってにぶる。だから、
「いいじゃない、味奈子のことはもう」
私も油でてかっているであろう唇を突きだし、“牛ロースステーキ”にナイフを入れた。
食欲をそそる濃厚な香りとカンツァーネに包まれた店内は、今ほとんど満席状態。ゆえに、会話のボリュームはアップせざるを得なかった。
「あのころの仲間で未だ独身て、どれほどいるんだろう」
カットした肉をまた一口味わってのち続けた彼女のテーマは嫉妬からはそれたが、だからといって、それほど楽しい話題とも思えず……。
「さあ、ほとんど疎遠になっちゃってるから」
「あたしも。操以外で逢った子って、もう何年もいないな~」
と、再び仔羊に目を落とした美緒は、しかし、
「あ、嘘、いるわ。逢っちゃいないけど話したの」
早口でひるがえした。
「だれ?」
「
「へえ~」
「去年の暮れだったわね……。
携帯にかかってきてさ、なにかと思ったら、久方ぶりの挨拶もそこそこに、まだ同じ会社に勤めてる? って訊いてくるのよ。で、まだ続いてるって答えると、うちの商品について尋ねてくるのよ、いろいろなこと」
「へえ~」
女なのに変わった仕事―――。だから朱美も彼女の就職先を覚えていたのではないか。
朱美―――。
大学時代は仲のよい部類だった。卒業してから少しの間は連絡をとり合っていたが、途絶えてからもう十年以上になるか……。それは美緒も同じだったろう。
「買うつもりなのって訊いたら、うやむやな返事だった。―――まあ、結構な値段するからね」
自社の商品を、本来の使用目的ではなく、芸術作品のツールとして使う人は最近多い。―――いつか美緒から聞いたことがあった。朱美もそのひとりなのだろう。
その商品説明が終わり、お互いの近況に話が移った中で、朱美もまだ独り身だということを美緒は知ったという。
「でもさ、近況話も、向うからすぐに終わらせたって感じだった。
なんだかそれってどうなの? って、ちょっと思ったけどさ、まあ、ふり返ってみれば、昔から要点だけ得られればいいっていう、よくいえばさばさばした性格の子だったから、べつに悪気なんてなかったんでしょうけどね」
「そうね……」
と、改めて当時の朱美の姿を思い描いたとき、
あっ……!
脳内にフラッシュがたかれた―――ような感覚に襲われた。
店にやってきた老婦人。彼女は朱美の家にいた家政婦じゃ……。
大学時代に記憶をさかのぼらせた。
二、三度訪ねたことのある彼女の家は、屋敷といって間違いのない立派なものだった。
―――そう、訪問は毎度、美緒も一緒だった。
その一階にあった広い彼女のアトリエで三人談笑している中、毎度お茶を持ってきてくれた婦人―――。そう、それが彼女だった。
一五年ほども前のできごと。それもほんのわずかなシーンでしか顔を合わせていない相手。しかも、それだけの年月を彼女は容姿に刻んでいた。なのに、「どこかで逢ったことが……」の意識が生じたのは、我ながら非常に不思議。もしかすると、姿形ではなく、彼女の持つ品位が、記憶の奥深くに滲み込んでいたからのことだったのかもしれない……。
どこかで逢ったことのあるような……。それを彼女のほうは私に対し、感じているだろうか……。
いや、まずない。特段特徴のある私の容貌ではないし、仮にもし抱いていたら、言葉はかけずとも、探るような視線の一度や二度は送ってきてもいいのではないだろうか……。
しかし、彼女にそんな表情を見た覚えはない。―――と働かせた思いは、すると瞬く間、脳内に不安を充填させた。
人形たちが読んだ彼女の思考―――お嬢さまの中に自殺願望が再燃したのでは……。
「お嬢さま」
そのワードが瞬時に、
朱美に姉妹はいただろうか……。
頭内の保管庫を探索させた。
だが……はっきりしない。
―――いや待って……。
学校から帰ってくると、自室でずっと絵を描いていた。だから自殺を図ったときも、てっきり絵に没頭しているものだと思っていた―――。との老婦人の頭の中だったと、人形たちは話さなかったか……。
だとすれば、問題の“お嬢さま”が朱美である確率は高い。
「どうした?」
美緒の声が意識を店内に戻した。
無意識にナイフとフォークを持つ手をとめていた私は、にぎわいまでも蚊帳の外に置いていた。
「朱美って、姉妹いたっけ?」
口を衝いていた。
「なに? やぶからぼうに」
「いたかしら?」
語勢を強めた。
「う~ん……ひとりっ子だったんじゃない、たしか。男兄弟もいなかったはず」
確実性が一段あがった。
「それがどうかしたの?」
食事の手をとめず、気楽に問い返してきた彼女に、
明かすべきか……。
赤いタータンチェックのテーブルクロスに落とした目で、自身に問うた。
今ならまだ、言い訳が利くだろう。―――でもだ、
ずっと自分ひとりの裡に押さえ込んでいられるか……。
それに美緒は、朱美と仲のよかったひとりでもある……。
「電話の向うの朱美、どんなようすだった?」
一瞬後には、視線を彼女にふりあげていた。
「どんなようすって?」
「なんだか落ち込んでいる感じとか、沈んだ感じとか、暗い感じとか……」
「それって、みんな同じような意味じゃない」
「たしかにそうだけど―――ねえ、どんなだった?」
「うちの商品のこと尋ねてきたんだから、そんな雰囲気なわけないじゃない。商品説明は熱心に聴いてたし、そのあとも、これといって普通だったわよ」
「そお……」
「どうしてそんなこと訊くの?」
彼女の両手は、やっと動きをやめた。
―――実は、朱美の家の家政婦さんがたまに店にくるようになった。すると最近の会話の中で、近頃彼女のようすがおかしいと洩らすことがあった。
まず問われると思い、咄嗟に用意していた嘘を向けた。
「あの子の家に家政婦さんなんていたっけ?」
「いたわよ。お邪魔したとき逢ったじゃない」
「そうだったっけか……。でも、お邪魔したときって、大学時代じゃない? よくあの子の家の家政婦さんだってわかったわね。―――家政婦さんのほうが、操に気づいたの?」
「いや、私のほうが」
「へえ~、すごい記憶力ね」
感心したようにいって背筋を伸ばした彼女は、すぐに表情を不審げなものに変え、
「で、最近朱美に、今操がいったようなようすが見られるって、その家政婦さんはいうの?」
「うん……」
「でもそんなことって、誰にでもあるんじゃない?」
「そうなんだけど、常日頃顔を合わせている家政婦さんがそこまで悩むんだから、普通の状態ではないって感じているんだと思う」
「ほ~ん。―――とすると、鬱ってことかな……わからないけど」
「大学時代はそんなようす、なかったわよね」
「うん。―――でも、なにかの拍子にそういう病気になっちゃうことってあるかも。たとえば、作品制作にゆきづまってとか」
でもおそらく、彼女は制作のため、美緒に商品の説明を求めてきたのだろうから、それが理由ではないと思うが……。
「朱美も、パーティー招待されているかしら?」
「あの女のことだから、同期はあたりかまわず呼んでるわよ。自分の幸せ見せびらかす唯一のチャンスって考えてるんだろうから。いい歳して」
「そのとき逢えれば、少しは安心できるんだけど」
悪態を無視していった。
「でもさ、そういう病気って、周期的に現れたりするんじゃない? だとすると、何事もない顔でパーティーきたとしても、安心はできないんじゃ……」
「うん……」
「その考えでいくと、会話が普通のテンションであっても、あのころのままの朱美であるかどうかはわからない……ってことか」
「だわね……」
「なんだかあたしも不安になってきた」
眉間にしわを浮かべて独り言ちた美緒は、
「近々訪ねてみる?」
窺うように尋ねてきた。
「呼ばれてても不参加の返事してたら、当日待つ意味ないじゃない」
「そうよね」
頷くと、
「善は急げ。さっそく捕まえてみるわ」
この場合、合っているのか定かではない慣用句を使うと、紙ナプキンで口を拭いた彼女は、横の椅子に置いてあるバッグの中へ手を入れた。
だが、店内にいた間に三度かけた電話がとられることは、一度もなかった。留守電モードにもなっていなかった。
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