【良木・7】
【良木・7】
「夕食、屋台のものにしない?」
偉瑠の誘いは、くる電車の中で、熊手を持つ乗客がいたのを思いだしてからのことだった。
いわれて気づいた。今日―――一の酉。
彼女の見た乗客は、ここから電車一本でいけるM駅近くのO神社、そこからの帰りだったのだろう。
異議などなかった。
実際は去年と変わらない境内の風景なはず。だが、比較にならないほどの華やかさを両の網膜がとり込んでいるのは、まったく変化した心の持ちようゆえか。
手をつなぎ歩く歳の差一五の私たちは、まわりの目にどう映っているのか……。
よぎった疑問はしかし、すぐに消え去った。
どう見えたっていい。
歳の差が開いていても、私たちは姉妹なのだ。手をつないでいておかしいことなど、ちっともない。
おかしいと思われるのは、こっちのほうかもしれなかった。―――偉瑠とつながっているほうの、ニットをひじ上までめくりあげた腕。
露出された艶やかな肌に、寒さが心地よかった。
『やっぱりあの伝説、本当だった』
真剣な面でいった偉瑠の、続いた推測を私は信じている。
『見世物小屋は、入ったお姉ちゃんを消したんじゃなく、お姉ちゃんの傷を消したんだ。
あの小屋に入って戻ってきた人がいるなんて聞いたことない。だからお姉ちゃんの傷だって、もう永遠に―――』
ストッキングにスカートの装いでやってきたかった。でも、持っていなかった。
だから近々、ふたりで買いにいこうとなった。
『わたしが選んであげる』
嬉々としていった偉瑠は、
『そのかわり、わたしのも買って』
せがんできた。
だったら、
『クリスマスに』
と決めた。
あらかじめコンビニで購入した買い物袋に収まった品が、確実にふたりでは消費しきれないほどとなったのは、空腹のせいだろう。
べつにそれでもいい。余れば冷蔵庫がある。
浦川さんへおすそわけするのもいい。忙しさで、毎年祭りになど足を向けることのできない彼女だろうから。
しかし、屋台のものなど何年ぶりに味わうだろうか……。
思った頭は、ふと呼び起こした。
そういえば去年、一品だけ食した。
―――べっ甲飴。
あのおじさんは今年も店を出しているだろうか……。
と、ちょうどそのとき、
「そろそろ帰らない」
祭りの充分な堪能が窺える音色で、横からよこされた。
「うん」
同様に満喫していた私は頷いた。
出ていれば、最後に買っていってもいいか……。との考えが、裏鳥居へと偉瑠の手を引かせた。
自分の浅はかさに気づいたのは、去年と同じく、表参道よりも人混みの多少緩かった裏参道に入ってからだった。
出店していても、同じ場所に構えているとは限らない。こういう祭りでの露店は、くじで場所が決まる―――と、テレビのドキュメンタリー番組で知ったような覚えがある。
まあ、見つけられなかったらそれまでのこと。
思いながら進めた足は、もうすぐ鳥居というところでとまった。
いや、見えない力でとめられた。
同じ場所に―――あった。
だが、それはべっ甲飴屋ではなく、
―――くすんだオレンジ色の、テント。
同じく自らの意思で静止していた偉瑠が、今度は私の手をゆっくりと引いた。
去年、二の酉まで足を運び探した、外観のまったく変わっていない見世物小屋の正面に立った偉瑠は、
「見える?」
言葉だけを送ってきた。
「見える」
古びたベニヤを見つめながら答えた。
《脱走妻の小屋》
墨文字が、あの日解いたその奇妙な名称をつけたわけを、再び脳裡に登壇させた。
一七〇〇年台から八〇〇年代にかけて生きた、ある著名蝋人形作家の、これはイギリスにあるギャラリーの名前をもじったものに違いない―――。
《マダム・タッソー館》
左右に視線を流した。
小屋の前に立ちどまっているのは、私たちだけだった。往き交う祭り客の中で、こちらを気にしているふうの顔は一つも見あたらなかった。
やはり、見える者だけにしか見えない小屋なのか……。
看板へ戻した目で思った。―――あのときと同じ小屋主は、このテントの中に今もいるのだろうか……。
そして―――、
尋常な長さではなかった中指。
四つの
そんな手の全体を包んだ、ヘビのような鱗。
驚愕に目を瞠った異形は、事実だったのだろうか……。
料金は払わず入口から出たと語った偉瑠だったので、私の記憶の真実性は確認できなかった。
と―――、
わかせた疑問が、推測を生んだ。
小屋番を見た見なかったで、結果は変わるのではないだろうか……。
たとえば、偉瑠は見なかったから、自身ではなく、自分に関するほかのものが消えた。一方で、目にした私は、自分が消えた。傷といえども、自分の一部であることには違いない。
……いや。
胸中で強く首をふった。
もはやそんなことはどうでもよい。
そして、小屋主の異形をたしかめる必要なども、もうない。
あれが事実であろうがフェイクであろうが、どうでもよいのだ。心身ともに波長の合う、実の妹と出逢えた現実さえたしかなのであれば。
帰ろう。の意味を込めて、つないでいる手を強く握った。
そのときだった。
「脱走妻の小屋って、なに~」
横に高い声を聞いた。
「なんか、いかがわしいひびき~」
派手な服装のふたりは、偉瑠と同じほどの年頃か。
「これって、店なのかな~」
「そうなんじゃないの~、ケンブツ料○○○エンて書いてあるから~」
「なんの店なのよ~」
「知らないわよ~」
私と偉瑠の顔が合った。
少し大きくした彼女の目は、
『この子たちも見られるんだ』
といっていた。
「ケンブツってさ~、なに見せるんだろ~」
「やっぱ、いかがわしいもんじゃな~い。だってこういうイベント会場だも~ん」
酉の市をイベントと表現する彼女たちに、私たちは背を向けた。
はたして見られる人間には、どういった共通点があるのか……。
鳥居をくぐりながら思った自分に苦笑いした。―――そんなことも、もうどうでもいいこと。
つないだ手を離し、境内へ向き直ると、ふたり一礼した。
そしてあげた視線は、
えっ……。
身を固まらせた。
「ない」
偉瑠からもこぼれた。
オレンジ色の小屋は、跡形もなく……。
目は無意識に、派手な服装を捜した。
人は流れているが、表参道の混雑ではない。しかも、彼女たちから離れて、まだほんのわずか。
なのに、見失うものか……。
そんなスピードで、あの場から去るふたりの雰囲気だったか……。
とすれば―――、
興味津々の会話を続けていたふたりは、入口の幕を開いた。そして入った途端、テントもろとも……。
こんな消え方もあるのか……。
離れていた手を、今度は偉瑠が強く握ってきた。
それで驚きからの束縛が解かれた。
「帰ろう」
私へ向けていた顔に、
「うん」
頷いた。
もう小屋のことなど、どうでもよいのだ。都市伝説など、どうでもよいのだ。
考えなければならないことは一つだけ。
―――買い物袋の中のディナーには、どういったワインが合うだろうか。
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