【九沓・4】

     【九沓・4】


 クリームソーダ一杯ずつで長いことおしゃべりに花を咲かせた女子大生らしきふたりを、

「ありがとうございました~」

 ドアベルとともに送りだし―――店内の客はいなくなった。

 そのままレジ横の窓越しに上空へ目を流すと、

〈予報通り、崩れそうかな?〉

 背高帽の低いかすれ声が脳内に入り込んできた。

『うん……』

 頷かせた頭は、そのまま問いを浮かべた。

 あの日と同じようなひどさになるのかな……。

〈そろそろ四九日でございますわね〉

 女王が私の意識に呼応した。

『そう、ね……』

 鉛色の空に向けた目のまま、返した。


 自分の結婚パーティーの前日―――味奈子は亡くなった。

 九月頭―――ひどい嵐の夜だった。

 都内にある美術館での仕事帰り、同僚の学芸員に刺された。現場のバス停には彼女らのほか、誰もいなかったらしい。

 そんな天候のせいか、路線上で事故が起こり、相当ダイヤを乱して到着したバスが発見したということだった。

 彼女の奇禍を知ったのはパーティーの当日だった。知らせてきたのは美緒。味奈子の実家から連絡があった―――との切羽つまった声音は、過去、彼女から耳にしたことのないものだった。

 時間も時間だったので、そのときは必要最小限の会話に終わらせ、手分けして、早急に大学時代の仲間へ連絡をまわした。それでも事態を知らず、パーティー会場へ出向いた招待客は少なくない数いたはずだ。 

 私たちは結婚パーティーとは真逆の位置にある、哀しみのセレモニーに参加することとなってしまった。

《合コンが生んだ悲劇》

《嫉妬がつくりあげた悪魔》

《幸福前夜の惨劇》

 にぎわったメディアから、私たちは詳細を得た。

 首もとを突かれた彼女は即死だった。突然のことだったからか、防御創はなかった。

 犯人の同僚は、味奈子が参加したあの合コンの主催者だった。

 犯行後のその足で自首した犯人は、ずぶ濡れの喪服にスニーカー履きという、異様な姿だった。

 殺害現場には、息絶えた味奈子とともに、凶器となったナイフと礼装用の黒いハンドバッグが落ちており、犯人のものであろうと思われる真っ赤な傘が、舗道の植え込みに飛んでいた。

 精神的に非常に不安定な状態の犯人ではあったが、

“味奈子の結婚相手に想いを寄せていたから彼女を刺したのではなく、地味な女のくせにひとりだけうまくいったから―――”

 という犯行動機は、明確に供述した。 

 身勝手な嫉妬は、お互いにとって最悪の結果を生んだ。

 通夜、告別式―――。

 大学時代の友人たちの顔は、ほぼそろった。

 こういう形で顔を合わせたくはなかった―――。

 そういった哀惜を、多くの同窓生が嗚咽の隙間に洩らした。その中において、美緒は気丈を保つひとりだった。

 腐れ縁を失った彼女の、哀しみ、気落ちは、みなよりも深かったろうに……。


 味奈子と永遠の別離わかれをしてから、いくぶんかの時の経ったころ―――。

〈友だちが死んだのさぁ、都市伝説の小屋に入ったからじゃね?〉

 唐突にアリスが向けてきた。

『え?』

〈お主の悲しみが一段落するのを待ってから、わしらが抱いた意見を伝えようと決めていたんだ〉

 背高帽が続いた。

『一段落なんかしてないわよ』

〈彼女はいわゆる、この世から消えた。伝説の理由に合致するんでニャいかい?〉

 得意げに加わった猫は、こっちの反論など聞こえなかったかのよう。

 私の思考を読める彼らは、この夏に美緒から仕入れた内容を、すべてしっかり覚えていたようだ。

『そんなこと』

 彼らの憶測をとても信じる気にならなかった私は、ぶっきらぼうに声なく答えた。

〈たまたまの偶然て考えたい気持ちはわかるけどさ、好きな男をとられたからじゃなくって、地味な女のくせに自分より先に結婚して―――っていう犯人の心境が、どうも理解できないのよね。そんな理由で人殺そうと思う? せいぜいするとすりゃあ、イジメやイビリぐらいなんじゃん? だいたい自分より劣ってると思う女のために、自分の今後の人生ふいにするようなことする? あたしなら絶対しないな。

 ならよ、そこにはいわゆる、見えない力が犯人に働いてた、って考えるほうがすっきりするんじゃね?〉

『小屋に入ったから悪運が消えて結婚が決まった。だいたい自分が結婚できないなんておかしいんだ。あの小屋は、入ると人間が消えるだけじゃなく、穢れも消えるみたい。―――さも得意げそういって、アハハハハって笑いやがったのよ! ブスがよくいうわ! ふざけんな!』

 夏祭りでの美緒の憤慨口調が耳介に甦ったのは、アリスの話に少なからずの説得力を感じたからか……。

〈悪運が消えたというのは、思いすごしだったのかもわかりませんし、悪運も消えて、ご自身も消えた、ということなのかもしれませんわ。なにせ、消えるものは一つだけと決まっている、というお話は、ご友人からなかったように思います〉

 女王が私の思考を読んだ。

〈また他方で、見物料を払わなかったからああなってしまったのかも―――っていうのも、ぼくたちの意見なんだ〉

 続いた兎の話は、思いもよらなかった。

 そうなのだ……。

 どういった見世物だったのかの話しのあと、『あの子せこいのよ~』と美緒は続けたのだった。

 味奈子の話では、小屋は気に召さなければ料金を払わず、そのまま入口より出ていっていいという形らしかった。そして彼女は、払わずに出てきた。

『だからあの子、得しちゃったっていってたわ。気に召さないどころか、めちゃくちゃ楽しんだくせに、ほんと、せこすぎる』―――腹立たしい、の口調は同じだった。

〈その考えでいくと、伝説の見世物小屋には、一つだけ助かる道があった―――ということになるね。

 払ったならもしかすると、それこそ悪運みたいな嫌なものだけを消してくれるのかもしれないよ。ちゃんと対価を置いていったあんたはエライっ! ってことで。

 向うの都合で選んだ人なんだろうから、それぐらいのプレゼントは贈られてもいいんじゃない〉

〈まあ、あくまで想像の範囲の話っていわれれば、それまでなんだけどネ―――〉

 自分もなにか話さないとと思ったのか、鼠はそうあとをとると、

〈でも、そういうふうに考えるとネ、消えた女の子のことも、納得できると思うのネ。

『選ばれた子なんだから、タダだったんじゃないの』―――なんて美緒さんはいったらしいけど、実のところ、“お気に召さなければ”の意味を、彼女は理解していたんじゃないかネ? だからはじめから、お代を払う気などなかったんじゃないかネ。

 仮に払う意思を持っていたとしてもネ、見世物の内容って、小学生の女の子には興味のないもの ―――っていうよりも、汚らわしいと思わせる情景に映ったかもしれないから、すぐに踵を返しちゃったのかもしれないよネ〉

『誘拐ではなかったと?』

〈どんな状態であれ、女児は未だ見つかっちゃいニャい。日本の警察の捜査能力ちゅうのは、想像以上に優秀ニャんよ〉

 自慢げにいう猫の気持ちはよくわからなかったけど、いいたいことはよくわかった。

 ではやはり、味奈子の事件は、必然だったのか……。

 とするなら、伝説の小屋は本当に……。

 普通の感性の持ち主であれば、とても信じない話。でも、音なき声で彼らと交流の持てる不思議を受け入れている私となると……。

 偶然でなければ―――伝説の小屋に入ったらすぐに消える―――ということでもないのか……。

〈だね〉

 アリスが応じた。


 レジから出て、彼女たちが着いていたテーブル上の、氷も残らずなくなった二つのグラスへ手をかけたとき、

「消える」

 あの、人形たちとの会話の際に脳内へ滲ませた音が、ふいに再登板し―――それはたちまち、美緒の言葉を投げた。

『もうこれ以上生きていても男なんてできないって、自暴自棄になってたんでしょ。だったら望み通り、あの子自身が消え失せればよかったのよ』

 告別式の日以来、声を聞いていない。

 どうしているか……。

 両日のセレモニーの最中にも、彼女の口はほとんど開かれなかった。それはこっちも同じで……。

 あんな悪態をついた自分を、美緒は責め続けているのではないか……。

 負う必要のない罪悪感に、さいなまれ続けているのではないか……。

 そして―――、

 ふたりで買いにいった衣装を、彼女は今後、着ることはあるのだろうか……。

 あるとすれば、それは未だ結婚していない仲間のものか……。

 憶測はすると、べつの思考を割り込ませた。

 通夜、もしくは告別式に、朱美の姿はあっただろうか……。

 いくらその身を心配していても、彼女を捜そうとする意識など、ショックと悲しみに暮れる中では生まれるはずもなかった。

 夏祭りの日からこっち、私からも朱美に幾度か連絡を入れた。しかし、いつもつながらなかった。美緒のほうも同様だったことは、時折よこされた彼女からの電話で知れた。

 味奈子の奇禍を伝えるためにかけた電話も、とられることはなかった。

 あれだけ騒がれた事件を知らないはずはないと思う。とすれば、被害者は本当に自分と同窓の味奈子なのか……と、大学時代の友人に問い合わせてもおかしくはない。

 その友人が、さんざん着信履歴を残している私たちであることを願ったが、結局未だ、叶っていなかった。

 ただ、私たちの連絡先を削除してしまっていたら、不明な電話番号となるため、返ってくる確率ははてしなく低くなるが。

 ここへきて、しばし置き去りにしていた朱美に対する不安が、再び膨らみ始めてきた。

 そうだ!

 その後、彼女から連絡はあったか? を理由として、美緒に電話してみようか……。

 朱美への心配ももちろん事実だが、美緒の現在も気がかりであることは同様。

 あったのなら、すぐ知らせてくれるはず。でもそこは、

「忙しくて忘れているかも、と思って」

 という言い訳を用意した。

 都合よく週末の今日だ。声を聞けたなら、「逢わない?」―――誘ってみよう。

 顔を合わせたほうが、より安心感は得られる。

 外ですごすのは避けたい空模様。どちらかの部屋で一晩語り明かすのがいい。

 そうと決まれば、閉めますか……。

 だいたい、これからひどく崩れるというのだから、出歩く人も減り、もう客足など望めないだろう。

 こういうノリで商売をしているのだから、繁盛しないのも不思議じゃないな。

 自嘲の笑いを薄く浮かべ、持ったままでいたグラスをトレーに置いたとき、

“カランカラ~ン”

 ドアベルが来客を告げた。

 あらま。

 瞬時落胆を浮かばせた私は、やっぱり店をやる性質ではないのか……。

 それでも、

「いらっしゃいませ~」

 いつもの明るさでふり向いた。

 もうこないのかも……と、半ばあきらめていたその客の姿は、すかさず、閉めないでよかった……との思いを連れてきた。


“アイスティー”

 毎度同じオーダーを、これまた彼女が毎度変わらず選ぶアリスのテーブルに置くと、

「実は、どこかでお逢いしたことがあるんじゃないかってずっと考えていたんですけど、朱美さんのお家のかたですよね」

 このチャンスを逃したら……の焦燥が、切りだす口にためらいを持たせなかった。

 途端に変化した不思議そうな顔色に、

「大学時代、二、三度お邪魔したことがあって、そのときに―――」

 重ねると、

「……ああ!」

 私の顔にとどめていた目が広がるまでは、わずかな間だった。

 すると、

「わたくしも実のところ、どこかでお目にかかったような気がしておりましたの。こちらにはじめて寄らせていただいたときから。

 ああ、あのときのお友だちでいらっしゃった……」

 返ってきた容姿を裏切らない品のある語り口は、今度は私を驚かせた。―――彼女の記憶力も凄い、と。

「浦川でございます」

 客の立場にもかかわらず、わざわざ立ちあがり頭をさげた彼女へ、

九沓くぐつ操と申します」

 あわてていってから、いつもの来店の感謝を述べ、負けないほど深く腰を屈めた。

「朱美さん、お元気ですか? もう何年もお逢いしていなくて」

 恐縮してすぐに勧めた座面へ地味な色のスカートが戻ると、続けた。 

「え……ええ……お元気になさっておられます」

 彼女の視線は、グラス付近に落とされていた。

 ―――嘘をつけない人。

 間違いのない分析は、この老婦人に一層の不憫さを覚えさせた。

「ああ、でしたらよかった。

 いえ、なんでも去年の暮れ、大学時代の友人が朱美さんから連絡をもらったらしいんです。彼女も、当時お宅へ一緒にお邪魔した仲間で、海出うみだし美緒って子なんです。

 そのとき、なんだか朱美さんの声のようすが変だったっていうんです。沈んでいるというか、疲れているというか―――そんな感じだったそうで。ですから、美緒も私もちょっと心配していて……」

 この偽りの台詞が、悩み事吐露の誘い水となるかはわからなかった。でも、“嘘をつけない人”に賭けた。  

「実は、浦川さんが朱美さんのお宅の家政婦さんであることも、美緒からのこの話がきっかけで思いだしたんです」

 継いだ今度は本当の話を、彼女はただ、

「そうでしたか……」

 無感情で流し、そのままの視線でストローを使った。

「でも、よかった。お元気なら」

 落胆を隠し、独り言つようにいった。

 空振りだったか……。

 であれば、これ以上彼女の時間は奪えない。

「では、ごゆっくり」

 と辞去しようと思った矢先だった。

「お元気はお元気なのですが……」

 つなぎとめた彼女の目は、まだ同じところを見ているようだった。

 つくり話は、しっかりと呼び水の役割を果たした。

 あの日、人形たちが読んだ思考―――。それを彼女はすべて語った。

“嘘をつけない人”は、その体質に加え、ひとりで抱え込むつらさにも耐えかねていたのではないか。そこに思いがけず、朱美のことを心配する同窓生が現れた。そして、“朱美のことを想う同士”―――そう受けとったからこそ、使用人としては絶対秘匿しておくべき、“自殺未遂をするにいたった理由”も、彼女は明かしたのではないか。

 それは想像もし得ぬ話だった。

「あの事故の原因はわたくしにあります。ですので、自分が天に召されるまで、誠心誠意、お嬢さまにお仕えする決意でございます」

 硬い横顔でそうも添えた彼女は、ようやく再び、グラスの中の琥珀色を喉へと流した。

 浦川さんへ暇を出す理由をめぐらせていた頭は一方で、

 はたして彼女の心配は、あたっているのだろうか……。

 やっぱり杞憂のほうにウェイトがあるような……。

 実際、確証はなく、要らぬ心配なのかもしれない―――。

 改めて本人の口から聞いた心情が、浮かばせていた。

「そして先月のことでございます」

 告白は、まだ終息していなかった。

 嵐がいい口実になると考え、暇を出されていた日、彼女は思いきって屋敷に忍び込んだ。

「そのときわたくし、薄い明りの中でございましたが、はっきりとでございます。とんでもない怖ろしいものを目にいたしまして……。

 あれってなんなんでしょうか」

 怯えを含んだような視線が私の顔にあがった。

 とんでもない怖ろしいもの―――。

 わかるはずもない私は、重なった目で、詳しい説明を促した。

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