迷惑男爵を懲らしめる


 メダブテの周囲はすべて空席だった。

 誰もこんなヤツの傍には、近寄りたくなくて、避けているのだろう。

 僕は男爵の真正面に位置する席へ腰を下ろす。


 やや大きめに咳払いすると、メダブテが不機嫌そうな顔でこちらへ視線を向けた。

 目が合った瞬間、僕は小さな声で唱える。


「ジャック」


 店内の風景が歪んで、暗転する。

 視界が戻る……か、体がすっごく重たい。


 勢いに任せて乗っ取ってしまったけど、完全なるノープランである。

 さて、どうしよう?


 すぐ目の前では、「ぼく」がテーブルに突っ伏していた。

 まるで、昼間っから飲み過ぎて酔いつぶれているみたいに見える。

 そこで僕はあるお仕置きの手段を思いつく。


 ミアの方を向くと、彼女は怯えきった顔でびくっと肩を竦めた。


「酒を一杯、もってきてくれないか」

「え、ど、土下座……」

「そんな事はもうしなくてよい。今日は飲みたい気分なんだ」

「は、はいぃ」


 すぐにミアはなみなみと酒の注がれたコップを持ってきてくれた。

 僕は、それを一息にぐいっと飲み干す。

 ……うっぷ。

 どうやら、メダブテ男爵は酒にはあまり強くないらしい。

 一杯だけで、さっそくかなり酔いが回って来た。


「おーし、今日は気分が良いぞお」


 他の客たちの方を振り向いて、僕は大声で言い放つ。


「諸君らのメシ代は、全部、わしのおごりだ」


 その言葉に、店内の客らがざわつく。

 彼らも迷惑を被ったのだから、それくらいのお詫びは当然だ。

 自ら(メダブテ)の懐を探るってみると、ずっしりと重い革袋が出てくる。

 テーブルの上でそれをひっくり返すと、金、銀貨がどっさり落ちて山となる。


 客らから「おおーっ」と声が上がる。


 メダブテは、稀代のけち野郎でもあるらしい。

 飲食代を踏み倒すために、あえて些細な事で店へ過剰なクレームをつけているのだろうと巷では言われている。

 そのせいか、相当貯め込んでいるみたいだ。


「これで足りるか?」

「こ、こんなニャに……多すぎます」


 ミアは目を見張り、首と手をぶるぶると振る。


「わしは男爵だぞ。釣りを受け取るような無粋な真似はできんっ!」


 残りはぜんぶ、一番の被害者であるキミとこのお店への慰謝料ってことで。


 僕がさりげなくウィンクすると、ミアは不思議そうな顔をする。


 おぼつかない足取りで、僕は店をあとにした。


 この革袋が空っぽである事に、不自然さがない状況を作り出す必要がある。


「やあ、メダブテくんではないか」


 町を千鳥足で歩いていると、唐突に背後から声を掛けられた。


 振り向くと、路上に停まった馬車の窓からこちらを見下ろす者がいた。

 下車してきたその人物は、頭の禿げあがった身なりの良い初老の男だ。

 メダブテの知人だろうけど、僕が知るはずもない相手である。


「ど、どうも」

「昼間っから酒とは、良い身分だね」

「は、はあ」


 このハゲ……もとい紳士が何者かは不明だが、メダブテに対する態度からして、より上位の身分の人物なのだろう。身に着けている服や靴もかなり上等そうだ。


「そういえば先日、キミの勧めてくれた店に行ってみたよ」

「そ、そうですか」

「あまりおいしくなかったねえ」

「は、はあ……」

「わたしの舌には合わなかったよ」


 ハゲの紳士は、内容のうっすそうな食にまつわる談義を始める。

 うーん、めんどくさいヤツに遭遇してしまったようだ。

 まあ、この男に僕が気を遣ってやる必要などないのだけど。

 というよりも、むしろ……。


 クソ面白くない講釈は延々と続けられた。

 いい加減、耐えきれなくなったかのように、僕はハゲの紳士に言い放つ。


「うるさいっ!」

「……今、何と?」


 ハゲの紳士は、訝しそうに眉根を寄せる。


「うるさいって言ったんだよ、このバカ舌ッ」


 ゼッ句するハゲの紳士に、僕はさらに言う。


「お前みたいな味オンチは、犬のエサでも食ってろッ!」


 みるみるハゲの紳士の顔が真っ赤になる。

 怒りのあまり、即座に言葉を発する事もできないようだ。

 僕は踵を返すと、彼をおいて歩き出した。


「貴様あっ! ただで済むと思うなよお」


 ハゲの紳士が、僕(メダブテ)の背中に向けて喚き散らしてくる。


「このわたしを怒らせたのだぞ、もうこの町にはいられなくしてやるっ!」


 ぜひ、そうしてください。

 僕は振り返りもせず、先を急ぐことにした。


 町の辺縁にあたる地区へとやって来た。

 この辺りは、ハッキリ言ってあまり治安がよろしくない。

 建物の壁面は落書きで埋め尽くされ、そこかしこにゴミが散乱している。

 突然やって来た、ほろ酔いで身なりの良いデブの男へ人々は胡乱気な目を向けてくる。

 獲物を見る様な、ギラついた視線を寄越す者らもあった。


 酒に酔った状態で長く歩いたので、気分は最悪である。

 僕は、道のど真ん中で大の字に寝転んだ。

 革袋を地面に放り投げる。この状態で中身が空っぽでなかったら、逆に不思議である。


「ジャック、完了アウト


 次の瞬間、僕は「ねこのしっぽ亭」のテーブルで目覚めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る