ノワを解放する手がかり
弓の弦をめいっぱい引いた状態で、ノワはじっと一点を見つめていた。
ここは、町の裏手にある森のだいぶ奥まで分け入ってきた所だ。
人の気配はまるで無く、風も凪いでいる。
ノワの視線の先にいるのは一匹の兎である。
もふもふで茶褐色の体毛で身体を覆われており、額からは鋭い一本と角が伸びている。
俊敏さには優れているが、攻撃力は極めて貧弱な魔獣である。
弓の練習相手には、うってつけと言えた。
兎はこちらに背を向けたままで、茂みに潜む僕らの存在には気づいていない。
ノワが、瞳だけでこちらをちらりと見やる。
僕は小さくうなづく。
ノワの細い指が、弦から離れる。
「あうわあわわッ!」
瞬間、彼女の口から頓狂な声が漏れ出た。
放たれた矢が、兎のいる位置とはまったく異なる明後日の方向へ飛来して行ったからだ。
ノワの声に反応した兎は、猛スピードで逃げ去ってしまった。
彼女は、今やかなり強力な魔法も使えるようになっている。
が、それは僕が
通常時でも多少は戦えるようにと、弓の練習もさせてみたけど……。
ノワの不器用さは筋金入りのようだ。
しょんぼりうつむくノワに僕は声を掛ける。
「大丈夫、気配は完璧に消せていたから」
こちらを見てちょっと微笑んでみせると、ノワは矢の飛んで行った方へ駆け出した。
「どこ行くの?」
「矢、探してくるよ」
「別にいいよ、安物だし」
「もったいないからさ」
僕もノワの後を追い、木々の中へ踏み入る。
矢は、太い樹木の幹、やや高めの位置に刺さっていた。ノワが上って、それを回収する。
ふと、近くの茂みがガサゴソと揺れた。
咄嗟に身構える僕らの前に、黒い影が勢いよく飛び出してくる。
女の子だった。
背丈、体型ともノワによく似ている。
ただ一点、大きく異なる点があった。
その女の子には、獣のそれを思わせるもふもふの耳と尻尾が生えていた。獣人族である。ミアとは種族が異なるようだけれど。
着ている服はボロボロで、腕や足には所々アザらしきも確認できる。
怯えた目で、こちらを見る。
絞り出すように、たどたどしくこう言った。
「こ……あい」
「え?」
「こあい、た、すけて」
僕とノワは、互いを見合わせた。
「おい、どこへ逃げやがったッ!」
木々の向こうから、男の怒声が轟く。
獣人の少女は、思い切り肩をすくめてその場から駆け出そうとする。
まるで、彼女の動作が見えているかのように、再び声が発せられた。
「そこを動くんじゃねえぞッ!」
次の瞬間、獣人の少女は顔を歪める。自らの右肩を手で押さえてかがみ込んだ。
その動作に、僕はピンとくる。
同様の事を察したのだろう。先に動き出したのはノワだった。
獣族の女の子に駆け寄ると、その服の袖をめくりあげて右肩を露にさせる。
そこには、ほくろのような刻印があり、青紫色に輝いている。
「そこでじっとしていろッ!」
またも男の声。今度は、かなり近くからだ。
「ノワ、この娘を頼むよ」
僕は小声でそういうと、ノワはうなづく。獣人の少女とともにすぐそばの樹木の影に隠れた。
茂みをかき分けて男が姿を見せる。粗末な軽鎧に身を包んでおり、やたらとガタイが良い。
厳つい顔でこちらを見下ろし、ドスを利かせた声で聞いてくる。
「おい、獣族の娘を見なかったか?」
「いいや」
「うそをつくと、酷い目にあうぞ」
「見たとしても、教えない」
「……どうやら痛めつけられたいようだな」
ガタイの良い男は、腕を鳴らしながら僕の方へ歩み寄ってくる。
その目を見て、僕はつぶやく。
「ジャック」
動けなくなった「ぼく」を、ノワたちの隠れる樹木の影へと運んだ。
茂みの向こうから、また誰かが飛び出してくる。
同じく軽鎧姿だが、背は低くて身体つきもやたらと貧相である。
「兄貴ッ、あの娘は?」
見た目も喋り方も、絵に描いたような典型的な弟分キャラである。
僕はそいつの喉を掴んで身体ごと持ち上げて、太い樹木の幹に叩きつける。
「ぐわへあえッ! ……な、何を?」
弟分は目を見張ってこちらを見る。
僕は厳しい口調で問いかけた。
「あの獣族の娘は、どこで手に入れた?」
「ど、どうして、そんな事を?」
「いいから答えろ。これはテストだ。お前が、ちゃんと覚えているか」
「ヴキケだよ」
やっぱり、あそこか。僕はため息を漏らす。
「どいつ、からだ?」
「ホイの親父んとこだよお」
「ありがとな」
僕は、弟分の腹にありったけの力を込めて、右の拳をめり込ませた。
「ぐはあうえッ!」
その場で崩れ落ちた弟分は、完全に気を失ったらしく動かなくなる。
ノワが、獣人の少女を連れて木陰から出てくる。
少女はビクビクとしながら、こちらを上目遣いで窺い見る。
僕は彼女と相対して、こう言った。
「もうキミは自由にどこへ行っても、何をしても構わない」
彼女はぽかんとした顔をしている。
奴隷にそんな命令を下した者は、過去にまずいないだろう。
獣人の少女は、戸惑いを露にしつつも木々の向こうへ駆けて行った。
さて、あとは僕(ガタイの良い男)と弟分をどうするかだ。
足元に特段の注意を払いつつ、僕は森の中をさまよい歩く。
……おっ。
地面のごく低い位置に、細い紐がピンと張られているのを見つけた。
それを辿ると、一方は木の幹に巻きつけられ、他方は杭のような物に括り付けられていた。
杭からはさらに上へ紐が伸びている。
間違いなくこれは罠だ。
僕は、地面でのびている弟分を担ぎ上げる。罠のトリガーであろう紐の所までやってきて、あえてそれを踏んだ。
足元の地面が盛り上がる。土や葉の下から網が現れて僕らを包みこんで、そのまま勢いよく引き上げられた。
地上五メートルほどの高さで中ぶらりんとなる。
「ジャック」
僕が自らの身体に戻ると同時に、男の叫び声が聴こえてくる。
「うわあああー、なんだこりゃあ」
その声に背を向けて、僕とノワは森の中を歩きだした。
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