ノワ、ランクを急上昇させる


 湖面から、派手な水飛沫を巻き上げて現れたのは鰐の姿形をした魔獣である。


 大口を開けて噛みつきかかってくる鰐を、僕はバックステップでかわす。


 ここはダンジョンの二階層、かなり奥の方までやって来た所である。

 鍾乳洞のような地形が延々と連なる領域で、そこかしこに地底湖が点在している。


 僕は今、ノワになっていた。

 陸へ上がってきた鰐の魔獣は、短い手足をばたつかせてこちらへ猛然と接近してくる。


「凍てつけ」


 僕が唱えると、一瞬にして、体長二メートルはあろう鰐が氷像と化す。


 鰐の方へ駆け出した僕は、手にしている小ぶりの戦槌を振り上げた。

 氷の塊となった魔獣の身体をそれでぶっ叩く。

 パリイイイーンッ!

 小気味良い音を立て、鰐の魔獣の身体はバラバラに砕け散った。


 もはや、二階層の深部に現れる魔獣でも、ノワならば難なく倒せるな。


 僕は、少し離れた所の岩陰に横たわる「ぼく」を見やる。


「ジャック、完了アウト


 自らの身体に戻った僕はゆっくりと身を起こす。


 湖畔に佇んでいるノワが、不思議そうな顔で自分の手や足を見ている。


「どうかしたの?」

「すごく、力が湧き上がってくる感じがする」


 それはそうだろう。


 この周辺に現れるのは、いずれもウッド級の冒険者では手に負えないレベルの魔獣である。

 単独ソロで対応できるのは、せいぜいブロンズ級以上に限られるだろう。

 それらを、今日だけで、僕(ノワ)は十匹以上は狩った。ノワのレベルは、相応の上昇をしているはずだ。


「ボクには、全然、戦った実感ないけど」


 彼女は苦笑いを浮かべる。

 曰く、Jackジャックされている最中の記憶はまったくないらしい。

 恐らく、そうなのだろうと察してはいた。ノワをジャックした事で、それが確認できた。


 地面には、既に解凍されつつある鰐の肉片が散乱している。

 こいつの表皮は非常に頑丈で、素材として高く買い取ってもらえる。バラバラの状態なので、やや価値は落ちるだろうけど。

 肉も結構、味が良いらしい。食べた事はないけどね。

 僕とノワで手分けして、鰐の肉片をすべて回収して麻袋に詰め込んだ。


「じゃ、帰ろうか?」

「うん」


 ポケットから取り出した帰還石リターンストーンを、僕は自らの足元へ投げつけて砕く。

 光に包まれた僕らは、一瞬にしてダンジョンの入り口へと戻って来た。


 夕刻のこの時間帯、冒険者ギルドの館はメチャクチャ混み合っているのが常だ。

 なのでそちらへは直行せず、寄り道していくことにした。


 向かった先は、神殿である。

 奥の小部屋で、ノワが女神像と相対する。目を閉じて唱える。


「我の現在のランクを教えたまえ」


 驚きを孕んだ笑顔で、僕を振り返るノワ。


「すごいよッ! 八万七一二九位だって」


 確かに、驚嘆するくらいの急上昇ではある。

 僕としては、もう少し上かなと思っていたけど。


 冒険者ギルドの館へ行くと、まだ結構、混雑した状態であった。

 素材買い取りを行ってくれるカウンターには、長い列ができている。

 僕らはその最後尾に並んだ。 


「私はイヤだッ!」


 突然、発せられた大声に僕は反応する。


 見ると、声の主はレイナだった。

 端のカウンター近くで、腕組みして立っている。唇をとがらせており、顔からは不機嫌さがありありと窺えた。


 彼女と対面している人物は、長く艶のある白髪の、やたら背が高く痩せた男性だ。

 後ろ姿からでも即座に誰であるかわかる。

 デレク・タイラー。この館のギルドマスターである。

 まだ三十代前半とマスターにしては若い。線が細くて腰の低い人物だ。その点も、ギルマスにしては珍しい。


「そこを何とかおねがいしますよ」

「イヤなものはイヤだッ」


 どうやらデレクが、彼女に何やら頼み事をしているようだ。

 ギルマスから直々にお願いするくらいだから、よほどの事態なのだろう。

 レイナの方は、頑なにそれを拒んでいるみたいだけど。


 デレクは諦めずに、レイナを説得するような素振りで語り掛け続けている。


 買い取りの列は、全然進まない。

 カウンターで応対中のパーティーが、何やら担当者の男性と揉めているようだった。


 レイナが、ふと僕の方を見た。

 そのまま、こちらをじーっと見つめ続けてくる。


(……な、何だ?)


 レイナに何か告げられたデレクもこちらを見る。

 また二人で、何やら話し始めた。


「そういう事は、自分で頼んでください」


 デレクはため息混じりにレイナに言う。


 彼女は眉間にシワを寄せてしばし悩んでいる素振りをしてみせた。

 やがて、意を決したような顔で、こちらへつかつかと近寄って来る。


「キミは、ルティスだな?」

「そ、そうですけど」

「恋人は居るのか?」


 だしぬけに予想だにしないことを聞かれ、僕はたじろぐ。


「い、いませんよ」

「な、ならば……」


 そこで言葉を切ったレイナは、ためらうようにやや目を伏せる。


 再びこちらを見た彼女は、なぜか頰が赤く染まっていた。

 で、振り絞るようにこう言い放つ。


「わ、私の恋人になれっ」


 僕は、即座に言葉の意味が飲み込めなかった。

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