迷惑男爵をふたたび懲らしめる
細い路地を十人程の子供らが埋め尽くしていた。
いずれも五、六歳くらい。薄汚れた身なりをしており、蝋石で路面に絵を描いていた。
メダブテは酷く不快な気分になる。
彼らを見て、先日の出来事が蘇ってきたせいだ。
「邪魔だ、そこをどけいッ!」
メダブテは大声で怒鳴りつける。
子供らはみなびっくりして固まり、幼い女の子は泣き出してしまう。
傍らの古びた建物から、エプロン姿の妙齢の婦人が飛び出してくる。
「すみませんッ」
女は頭を下げつつ、子供たちを建物の中へと誘導する。
どうやら孤児院の子らのようだ。
メダブテは舌打ちを漏らす。
まったく、目障りこの上ない。
しかし、思い出しても腹が立つ。あの貧乏人どもめッ。私のカネを盗みやがってえー!
悪いのはあの定食屋だ。
きっと、恐ろしく質の悪い酒でも飲まされたのだろう。
事態は、金を盗られるだけに留まらなかった。
『タンゲント侯爵がものすごく怒っているぞ』
知人からそう聞かされた時、メダブテにはまるで心当たりがなかった。
どうやら酒に酔った自分は、侯爵に対してとんでもない暴言を吐いたようなのだ。
彼の館を訪ねて、恐らく一生分は謝った。
床に穴が穿たれる程、何度も頭を下げまくって、何とか許しを得た。
しかし未だに信じられない。酒で記憶を失くすなんて。かつて、一度もそんな経験はなかった。
そもそも、なぜ酒など飲んだかさえ全く覚えていないのだ。
ともかく、二度と飲酒などしまい。
そのパン屋は、狭い路地の奥まった所にあった。
おかげで馬車で来る事ができない。
これだから、ド平民のやっている店は困る。味だけは確からしいが。
「いらっしゃいませー」
店番をしているのは、若い人族の娘だ。
焼けたパンの香りが漂い食欲をそそる。
様々な種類のパンを、メダブテは次々とトレイに乗せていく。山と積まれたパンを、一度、カウンターの隅に置いた。
メダブテは、カネを払うつもりは最初から微塵もなかった。今後、余計なカネは銅貨一枚だって払いたくはない。
「おい、これは何だッ!」
怒声を上げつつ、丸いパンを店番の娘につきつける。そこには蝿の死骸が付着している。メダブテが予め持ち込んでおいたものだ。
「す、すみませんッ! すぐに新しいものと……」
店番の娘は顔を深々と頭を下げる。
「謝って済むかッ!」
メダブテはパンを床に投げつける。
「……どど、どうすれば?」
トレイに山盛りのパンを見やりながら、メダブテは言う。
「それを全部、
「えっ、それはさすがに……」
「ふざけるな。私がその気になれば、こんな店、簡単に潰してやれるんだぞッ!」
「そ、そんな」
「お前じゃ話にならん、店主を呼んでこいッ!」
娘は慌てて店の奥へ駆け込んだ。
貧乏人から奪われたカネを、同じ様な貧乏人から取り返して何が悪い。
……コホン。
背後から、咳払いが一つ聞こえた。
振り向くと、そこに少年とエルフ族と思われる少女が佇んでいた。
他に客がいたのか。怒るのに夢中だったメダブテは、全然気がつかなかった。
ん? 少年の方に見覚えがある様な……。
その彼が何かつぶやいた。
メダブテの記憶はそこで途切れた。
◇
目の前で、意識のない「ぼく」の身体をノワが支えてくれている。
……相変わらず身体がすごく重たい。
パン屋の中で、僕はメダブテになっていた。
先程、路地を歩いていたら怒鳴り声が聞こえてきて、見るとこの男だった。
まだ、町にいたのか……。
後をつけてみると、パン屋へ入っていく。嫌な予感がして様子を窺っていたら、案の定である。
カウンターの奥から、顔を真っ青にした小柄な中年男性が出てきた。
「ま、誠に申し訳ありません」
僕は床に落ちているパンを拾い上げる。
「これのこと?」
「む、虫がついていたとか……」
そのパンを僕はかじってみせる。
あ然とする男性に言い放つ。
「私は男爵だ。これくらい気にしない」
パンをむしゃむしゃと食べ続ける。
どうせメダブテの身体なので気にしない。
懐を探ると、ずっしり重い革袋が出てきた。
カウンターでそれ逆さにすると、またもや金貨、銀貨が山となる。
「これで足りるか?」
「こ、この店のパン、全部、買えてしまいます」
「私は男爵だぞ、釣りは要らない」
僕はパンで大きく膨らんだ紙袋を抱える。
ノワに近寄り、そっと囁くように言う。
「ぼくのこと、よろしくね」
彼女はうなづく。
さて、このパンはどうしようかな……。
店を出て歩き出すと、孤児院を通り掛かる。
静まり返っており、子供らのどこかへ出掛けているようだ。
建物の裏手へ回ってみる。
扉が開いており、覗くとキッチンらしいので、調理台の上にパンの袋を置いておく。
あとは例によって空っぽの革袋をどうするかだ。
町中を歩いていると、人混みのど真ん中に一台の馬車が停まっている。
そのせいで道行く人々が滞留してしまっており、荷車を引く人などは、先へと進めず困っているようだ。
馬車の客車でふんぞり返るのは、見覚えのある人物だった。
以前、メダブテとなった際に遭遇したあのハゲの紳士である。よく、出くわすな。
僕は人々を掻き分けて馬車の傍へと近寄る。
その車体を拳で思い切り殴りつけた。
こちらを見て目を見張るハゲの紳士に、声を大にして言い放つ。
「どこ停めてんだ、このハゲッ!」
一瞬にして、ハゲの紳士が顔を真っ赤になる。
「人の迷惑考えろッ!」
そう言って車体をガコンと蹴りつけると、周囲から歓声が上がった。
歩き去る僕の背に、ハゲの紳士が言葉にならない何かを喚き散らしてくる。
ていうか、早くこのメダブテを町から追い出してくれよ。ついでに、あんたもいなくなってくれるとありがたいけど。
町の端にあるドブ川まで僕はやって来る。
空っぽの革袋をその中へ投げ捨てた。
さらに欄干によじ登ると、僕は川へと向けてジャンプする。
宙で、僕は目を閉じる。
「ジャック、
僕は、ベンチで横になっていた。パン屋近くの公園のようだ。
隣にノワが座っており、笑顔を浮かべている。
こちらに気づくと、彼女は園内を指差す。
見ると、若い女性を中心に十人くらいの子供たち車座となっていた。
みなで、美味しそうにパンを頬張っている。
それはとても幸せそうな光景だった。
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