いざ、混沌の町へ


「もとは、飛び地だったらしいよ」


 酷く混雑する通りを何とか前へ進みながら、僕は言った。


 道の両端には、今にも倒壊するのではと思える粗末な家々が立ち並ぶ。

 壁が崩れ落ち、骨組みがむき出しの建物もある。

 はるか前方には、まるで城塞の様な高層住宅もそびえ立っていた。


「飛び地って?」


 僕からはぐれないよう、人波を泳ぐ様にかき分けながらノワが問い返す。


「国の中にまた別の国があるって事だよ」


 僕の言葉にノワが眉根を寄せて首を傾げる。


「国ってのが、ボクにはよくわからないよ」


 そこから説明するのか……。彼女に、この町について理解させるのはかなり難しそうである。


 僕らは、ヴキケにやってきていた。

 ここまで来るのに、馬車で五日かかった。本来であれば、わざわざ金と時間を使って来るような場所ではないだろう。


 かつてヴキケは、隣国ガバリの飛び地だった。

 本国からの監視が届きにくいのをよい事に、問題を起こすなどして故郷を追われた者らが、こぞってここへ移り住んだ。

 やがて、多くの犯罪組織がこの地に拠点を構えるようになった。

 さらに、ガバリが弱体化して内乱状態となると、飛び地の統治にまで手が回らなくなる。

 駐在していた官吏らは追い出され、住民たちによる自治が行われるようになった。


「知らんなあ、そんなヤツは」


 路地のベンチに腰かけていた老齢の男は、僕の質問にそっけなく応じる。

 さっきまで、「この町に、自分が知らんヤツはおらん」と豪語していたのに……。


 ホイの所在について、住民の何人かに問い掛けてみた。が、いずれも返ってくる答えはこの老人と同じだった。

 答える際、彼らは大抵、顔に含みのありそうな笑みを浮かべていた。知っているけど、教えられない。そういう事なのだろう。


 町の住民は犯罪をけして外へ持ち出さない。

 奴隷の売買は、その取り決めに明らかに違反している。

 外から人をさらってきている上、購入者は奴隷をこの町から連れ出しているのだから。

 王国も奴隷商にだけは目を光らせているから、向こうのガードが固くなるのも当然だろう。


「少し休憩しようか?」


 僕の提案にノワがうなづく。


 露店が並んでおり、いい匂いが漂ってくる。胃袋を刺激された僕は財布に手を伸ばす。

 そこで違和感をおぼえる……ない。服のどこを探っても財布がなかった。

 ノワを見ると、青ざめた顔で首をふる。どうやら既に彼女も財布を盗られたらしい。


 とりあえず、この人混みから脱しよう。


 僕らは荒波に逆らうみたいに移動して、なんとか人気のない小道へやっこられた。

 こういった寂しげな裏通りは、普通であれば避けるべき場所なのだろう。けど、この町に限っては表も裏も関係なく危険である。


 いきなり一文無しになってしまった。このままでは、帰りの運賃すらない。

 はあ、どうしよう……。


 ふと、ノワが、何か気配を察した様に背後を振り向く。僕もつられてそちらを見た。


 そこには、異様な外貌の人物が佇んでいた。

 スマートな身体に頑強そうな鎧をまとっており、顔は鉄製であろう仮面で覆われていた。


 おもむろに、腰から剣を抜くとこちらへ向かってくる。て、まじか。

 僕とノワはそれぞれ左右に飛び退いて、そいつから距離を取った。


「まってくれ、僕ら今、無一文なんだ」

「金なんて要らん。ぶっ殺す!」


 仮面の男は、僕に斬りかかってきた。

 こ、こいつ……狂っている。

 薬物でもやっているだろうのか。この街であれば殊更、特別な事ではないのかもしれないけど。


 男の付けた仮面に空いた二つの小さな穴からは、青い瞳が覗いていた。

 こんな奴にはなりたくないけど……仕方ない。

 僕はその目を見つめる。


「ジャック」


 特に気分が悪いとかではない。薬物摂取や飲酒をしている訳ではなさそうだ。

 シラフで見境なく襲ってきたとなると、逆に怖い気もするけど。

 いったい、どんな奴なんだ?

 僕は仮面を外してみる。


「あーッ!」


 ノワが、僕の顔を指差しながら、思い切り目を見張っている。

 彼女が取り出してくれた手鏡で、僕も自らの顔を確認する。

 す、ストーム!

 なぜ、ここに……いや、考えてみればここは無法都市である。

 指名手配されているストームが、この地にやってきたのはむしろ自然かもしれない。


 僕らを恨んでいるのか?

 だとすれば、完全なる逆恨みである。


 懐に、やたら重みを感じる何かが入っている。取り出してみると、布袋で、中身はかなりの量の金貨や銀貨である。

 半分くらいもらっておくか。掴み取った金銀貨をノワに渡しておく。


 僕は仮面を外したままで、人混みの方へ戻った。


 雑踏を行き交う人々が、チラチラとこちらを見てくる。


「おい、あいつ」

「うわさの賞金首じゃね?」


 そんな声があちらこちらから聞こえてきた。

 ストームは今、この国ではそれなりの有名人である。あらゆる町の掲示板に、彼の似顔絵が貼られているのだから、当然だ。

 周囲にいる人間のほぼ全員が、こちらへ視線を向けている。

 僕は小さく呟く。


「ジャック、完了アウト


 大きな通りの方が、やたらと騒がしい。叫び声や悲鳴、激しい物音などが聞こえてくる。

 おそらくストームを中心に、混沌カオス状態になっているのだろう。

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