6−2・活路【分析室】
岸本がつぶやく。
「何でこんな馬鹿げたことができるんだ……? こいつ、呆れるほどバイタルが乱れていません」
分析室に飛び込んできた猿橋は、ミラー越しに中里をにらんで考え込んでしまった。
高山がその様子に気づく。
「サル、何で急に戻った? 気になることがあるのか?」
「え? あ、なんか引っかかって……」
「なんだ?」
「それが分らなくて……。ああ、イライラする! 何か閃いた気がしたのに!」
高山は、猿橋のそんな直感に何度か救われたことがある。
「あいつの行動か? それとも、言葉か?」
「たぶん、言葉……だと思うんだけど……」
高山が岸本に命じる。
「ヤツの言葉だけでいいんで、録音を聞かせて欲しい」
「どのあたりから?」
猿橋が答えた。
「違和感は、〝競売〟とか言い始めた頃だと思うんだけど……」
「ヘッドフォンで聞きますか?」
高山が言う。
「いや、俺も聞く。あいつ、しばらくはダンマリを決め込むつもりらしいからな」
岸本がコンソールを操作すると、スピーカーから中里の声が聞こえる。
『――競売、というのも一興でしょうね。資金力という点では製薬会社の方が勝ると思いますし……』3人の目が真剣に変わる。息さえも止めて、一言も聞き逃さないように聞き入っている。『……そもそも文書を手に入れたい強力な動機もあるでしょう。期限は、あらかじめ設定してあるタイムリミットまで。その間に一番多くの献金をしてくださった方に文書はお譲りしましょう。むろん麗子さんも、解放します』
猿橋が岸本の肩に手を添える。
「分かった! これよ!」
高山が身を乗り出す。
「なんだ⁉ 競売の方法か?」
「違う。教授、身代金のことを〝献金〟って呼んでる。文書の競売だったら〝代金〟とか〝入札金〟とか呼ぶのが普通じゃない?」
「なるほど……確かに不自然かもな。だが、なぜそんな言葉を?」
「分からないけど、理由がなければ出てこない単語のような気がする。この先の計画が無意識に漏れ出た可能性がある。教授だって人間でしょう? 感情は抑えられても、言葉の端々にまで気を配ることは難しいはず」
岸本がモニターに見入りながらオープンエアのヘッドフォンを付け、素早くコンソールを操作する。
「この辺りの心理状態、見直してみます」
高山が猿橋に問う。
「何か思いつく可能性はないか?」
「献金……って、社会奉仕とか寄付とかですよね。政治献金もあるけど、まさか特定の政党が背後にいるなんてないでしょうから」
「分からんぞ。厚労省疑惑がらみだからな。保守派を潰すための……なんてことは、やっぱりあり得ないか。万が一にも関係が暴かれたら、仕掛けた方が壊滅だ」
「アメリカの大統領選じゃ、似たようなことが起きたけど」
「それはそうだが……あれは、政治工作の積み重ねと資金に任せた力技だ。日本の左派にそんな技量があるか?」
「背後に中国がいれば?」
「中共に操られている証拠が出れば、これもまた藪蛇だ。中里の背後関係は深掘りしてるが、公式の政党はそこまで危険な賭けには出られない。ヤツに政治的な意図があったとしても、政党とは無関係だろう」
「常識的には、ね……。だとしたら、献金ってなに?」
「厚労省疑惑を持ち出してきたことにも意味はあるはずだ……」
「それは麗子さんの父親だからでしょう?」
「俺もそう思っていた。だが、疑惑そのものの実在が疑わしい。そもそもがでっち上げだとすれば、文書なんて出しようがない。大金を払う必然性もない。むしろ、自分をヒーローの立場に置く手段というか……義賊を装う欺瞞工作のように思える」
「ヒーロー、か……」
「すでに警察を――古風な左翼が言う〝国家権力の犬〟を、鼻であしらう姿をマスコミに見せつけている。警察をぶっ壊したがっている極左組織なら高笑いだろう」
「極左? 過激派と教授は雰囲気が一致しないけどな……」
「あくまでも偽装だ。反権力を装えば、マスコミの援護を得られるかもしれないしな。誘拐が本物でも、ターゲットが高級官僚なら賛同する者も出てくるだろう。おなじみの人権派弁護士とかなら、情状酌量を主張しそうだ」
「まさか……誘拐ですよ? 犯罪には変わりないじゃないですか」
「元首相の暗殺犯に同情が集まるのが、今の日本だ。アメリカじゃ、BLMなんかのデモに便乗した略奪行為や市街地の占拠なども起きた。麻薬の合法化どころか、警察をなくせと主張する集団さえいる。しかも行政やマスコミも黙認していた節がある。万引きやハードドラッグ接種を容認している州さえある。アメリカで起きることは、5年後に日本でも起きると言われる。勢力を伸ばせるなら、極左側が支援に動く可能性がないとはいえない」
「確かに……。デファンド・ポリスとか、完全に警察が悪役だものね。でも偽装なら、本心はやっぱり金目当てよね」
「そう思う。ヤツは身代金の回収には自信を見せている。そこが分からない。100億円もの金をどうやって……」
猿橋が不意に思い当たる。
「あ、だから〝献金〟なのかも!」
高山もその意図を読み取った。
「寄付の形にして、迂回的に金を手にする気か!」
「だとしたら、100億円っていう大きな金額も理解できる。国民が理解しやすい団体――児童養護施設とか福祉法人に大半を渡せば、10パーセントぐらい私的に抜き取っても誤魔化せるかも!」
「福祉団体への献金、か……ヒーローっぽい偽装が生きてくるな」
「でも、特定の個人とか組織への寄付だったら、そっちも共犯者ってことになっちゃうし……。犯罪に加担したとか疑われたら、逆に苦境に追い込まれる。積極的に協力してるとは思えないけど……」
岸本がヘッドフォンを外す。
「やっぱりバイタルは変化なし。全く反応していません。〝献金〟ってワードは、ごく自然に出てきたんでしょう。本人も意識していないと思います」
猿橋がうなずく。
「内心を反映している可能性が極めて高い――ってことね」
岸本はバイタル分析と同時に2人の会話も聞いていた。
「でも寄付とかって、確かに資金移動には便利そうですよね」
「でしょう? バレずに大金を移動する方法、思いつかない?」
「寄付先を複数にすれば、支配下の団体を紛れ込ませられるんじゃないですか? めちゃくちゃたくさんにする、とか」
高山が身を乗り出す。
「複数に献金って、どうすればできる?」
「例えば……クラウドファンディング?」
猿橋が声をあげた。
「そうか! 病院とか福祉団体を一緒くたにして、そこに寄付を募るなら可能かも! その中に配下の組織をこっそり混ぜておけば、数億円ぐらいは手に入るはず!」
高山がうなずく。
「福祉団体には左翼系も多いからな」
「背後に本当に極左がいるのかも!」
「可能性だけは探るべきだな」
そう言った高山は、背後のスタッフに捜査の指示を出しに行った。
だが、言い出した本人の岸本は半信半疑のようだ。
「そんな便利なファンディングって、あるのかな? しかも100億円ですよ。そんな大金、集めようとしただけで目立つし、注目されそうだけど。犯罪の資金移動には、向かないんじゃ?」
「既存のサイトとかを使わなくても、個人でも立ち上げは可能じゃないの?」
「億単位の寄付なら、誰もができるってわけじゃないし、見返りもないとね。難しそうですよ」
「その見返りが、麗子さんの解放や文書の引き渡しでしょう?」
「それ、日本中に公開されちゃうじゃないですか。それでも構わないのかな……」
「だったら他の方法は?」
「ううん……分かりません」
「でしょう? だから、可能性だけは潰しておかないとね」
彼らの背後では高山の指示を受けたスタッフたちがコンピュータに向かい、対象になりそうな『寄付金募集』を検索し始めている。
早くも、その1人がつぶやく。
「あ……これ、ビンゴかも……」
高山が走り寄ってモニターを覗き込む。
「なに⁉」
そこには『苦境の福祉団体にご支援を! 目標100億円!』との大見出しが立っている。さらにリード文が続く。
『日本中には資金難で活動中止に追い込まれようとしている社会福祉団体が多数あります。児童養護施設や慈善団体のみならず、地方の病院・診療所も苦境を強いられています。彼らを支えるために、大型のファンドを立ち上げました。皆さんの浄財がこれらの組織に分配され、日本中の隅々に行き渡ります。不平等のない、皆が幸せになれる私たちの国を作るために、ご協力ください』
その下には、集めた資金が分配される予定の団体が小さな文字でびっしり並べられている。その数は数100に及びそうだ。
高山の横に猿橋が立つ。
「なるほど、100億円って、ぴったりね。でもこのサイト、デザインが古臭いですね。素人のやっつけ仕事って感じ」
高山もうなずく。
「これじゃサイトを見た人間が信用しないだろうし、寄付する見返りも提示されていない。運営団体は……宗教法人だろうが、聞いたこともない名前だな。善意以外に頼るものがないなら、100億を集めるのは到底無理だ。俺ならまず詐欺を疑う」
「サイトだけでお金を集める気はない、ってことでしょう。このサイト、いつできたか分かる?」
担当者がソースを表示して、読む。
「更新されたのは1カ月ほど前ですね。ちなみに、今まで反応は全くなし。作ったはいいけど、ネットに放り出したまま宣伝もしていないって印象です」
「誰からも関心を持たれないファンドか……でも、身代金の回収には向いてるかも」
高山がスタッフたちに指示する。
「有名どころの社会福祉団体に連絡をとって、このサイトの存在を知っているかどうか確かめろ。認知されていなければ、資金移動のために作られたダミーの可能性が高い」さらに断じた。「運営主体や寄付を受ける側の団体を調べる必要がある」
猿橋が驚きを見せる。
「これ、全部⁉ 何100あるの⁉」
「もちろん全部だ。しかも、大至急。どこか1つでも黒幕につながっているなら、そこが突破口になるかもしれない」
「人質の捜索は?」
「行き当たりばったりの人海戦術では成果も薄い。各所の監視カメラを精査している人間は外せないが、ローラー作戦の人員はサイト調査に重点的に振り向ける。目的が明確な捜査にこそ、警察の本領が発揮できる」そして部下に命じる。「分かったな? 名称が記載されている全ての組織に捜査員を派遣して運営状況と背後関係を精査させろ。税務署と連携して資本関係を洗いだせ。不審な資金流入や海外勢力との連動がないか、公安や外事にも問い合わせろ」
部下たちから一斉に返事が返る。
「了解しました」
猿橋が問う。
「ここだけに絞り込んでいいの?」
「他にも疑わしいサイトがあれば全部調べる」
「それも人海戦術?」
「ようやく掴めた反撃のチャンスだ。手を抜くわけにはいかない」
その間に岸本は、クラウドファンディングの仮説と捜査方針の変更を篠原に伝達していた。
篠原がイヤホンに報告が入った素振りを見せてから、中里に語りかける。
『今、DNA検査の結果報告が届きました。あなたの主張は裏付けられました』
篠原は古い情報を話のきっかけに持ち出し、捜査方針には言及しなかった。それは高山が行った変更を追認したことを意味する。
中里が軽く会釈する。
『ご苦労様でした。私は無駄な嘘はつきたくない。それを理解していただければ話をスムーズに進められるでしょう。それにしても、検査が早かったですね』
『急がなければ、あなたのペースに振り回されるばかりですから。警察の技術も日々進化しているんです』
『私の言葉を今後も信頼していただければ、助かります』
『それで、身代金は……あるいは文書の代金は、どうやって支払えばいいのですか? まさか、100億円もの札束を持ってこいとは言わないでしょう?』
中里は情報バラエティ内の時刻表示を見た。
『まだ30分は過ぎていないはずですが?』
篠原も、中里が3つのテレビ画面に目配りしていることに気付いていた。そこに映し出される情報や出演者の振る舞いによってどの程度の情報が公開されたかを判断しているらしい。音量は絞ってあるが、気配程度は伝わる。
『テレビが気になりますか?』
中里はあっさりと認めた。
『今の私が外の状況を知る手段は、これしかありませんから。で、厚労省の機密文書の捜索は進みましたか? そっちの方も急いで欲しいんですけど』
篠原は困惑したような表情を見せた。取調べではポーカーフェイスを崩さない篠原を知っている高山たちには、それが演技であることはすぐに分かった。
弱みを見せるフリをしながら、中里の真意を引き出そうとしている。
高山がうなずく。
「ようやく調子が戻ってきたようだな。あんたなら、こんなゲス野郎は叩き潰せるさ」
その横で、猿橋が言った。
「なんか、いつもの元気がなかったですものね」
「篠原さんも人間だって、やっと納得できた。何度も一緒に修羅場を切り抜けてきたのにな……」
と、篠原がスマホを出す。そしてメールを打ち始めた。
『警視総監に連絡してみます。総監自身が南氏を追求していますので』
『官僚のお仲間同士ですよ? どうやって疑惑を隠すか相談しているに決まってます』
『僕は総監の人間性を信頼していますので』
『電話すれば早いのに』
『南氏に聞かれたくないことは、目の前では話せないでしょう?』
そして篠原は、送信ボタンを押した。
同時に高山のスマホがシャツの胸ポケットで振動した。
着信したのは、篠原からのメールだった。
内容を読んだ高山は、クスリと笑ってモニターを猿橋に見せた。
〝無様な姿を見せました。風邪気味で、頭が働きませんでした。やはり人間は難しいので、情報収集に専念します。ファンディングの件は任せます〟
高山がうなずく。
「精密機械ほど、変動に弱いってことだな。だったら、俺らが支えるしかない」そして背筋を伸ばす。「これからが本番だ!」
そして、背後の臨時指揮所に向かって矢継ぎ早の指示を飛ばす。
猿橋は岸本に笑いかける。
「篠原さんの本当の姿、見られるかもよ」
マジックミラーの向こうでは、篠原が中里に語りかけていた。
『返信が来ました。やはり南氏は何も話さないそうです』
『だから、言ったじゃないですか。自分の汚点だし、所属官庁を裏切ればどんな制裁を受けるか分からない。娘の命は救いたいだろうけど、捜査は警察に委ねるしかない――まあ、そんな判断でしょう。今後の親子関係は、決して平穏にはならないでしょうが』
『それが分かっていてこんな真似を?』
『分かっているから、警察に〝協力〟をお願いしているんです』
『お願い? ……そうは思えないんですが?』
その間に、指揮所には報告が入り始めていた。
捜査官が言った。
「福祉協議会数カ所に問い合わせましたが、このサイトの件は全く知らないとのことです。記名のあった代表格の団体にも数件当たりましたが、運営主体にもまったく心当たりがないそうです」
高山は振り返って中里の様子を確認しながら、うなずく。
「1カ月間、サーバーに放置か……いよいよ怪しいな。方針を変える。これ以上はサイトに掲載された団体には直接連絡を取るな。おそらく、目立たないように犯人の関係組織が紛れ込んでいる。活動が低調な団体や、最近代表や運営主体に変更があった団体を重点的に調べろ」
「了解です」
高山はコンソールに戻ると、マイクのスイッチを入れた。
「先ほど報告のサイト、関係団体にさえ開設を知らされていません。身代金強奪を中継するダミーだと考えて良さそうです」
篠原がわざとらしく耳元を押さえて、言った。
『南宗一郎氏はやはり文書など存在しないと主張しています』
『ですから、警察の手で――』
『拷問して口を開かせろ……とでも要求しますか? 日本の警察はそんなことはできません。しかも、こうしてマスコミに注視されているんです。犯罪者の要求に折れて無法な行動をとることなど、不可能です』
『人質の命と、3個の爆弾解除……私を怒らせると、どちらも失うことになりますよ』
『もう一度聞きます。タイムリミットはいつなんですか?』
『だからそれは、100億円が手に入ってから――』
篠原は切り札を晒した。
『募金を装って集める気ですか? 今、あなたが用意したサイトに記載されている組織を集中的に調べています。数100もの組織を掲載しているそうですが、そのうちのいくつかはあなたの支配下にあるのでしょう? それが分かれば、口座は凍結できます。身代金が手に入らなければ、あなたの行動は無意味です。違いますか?』
中里は口を半開きにしたまま、言葉を失って顔を伏せた。
高山がうめく。
「まだ早いって!」
岸本は動じない。
「そうでもないっす。思いっきりバイタル揺らいでます! こんな反応、初めてです!」
猿橋がマイクに向かった。
「動揺してます! 叩き潰すなら、今!」
篠原がたたみ掛けた。
『交渉を続ける条件を提示しましょう。記者クラブとの回線を遮断させてください。そうすれば、あなたと本気の話し合いができますから』
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