8−1・勝負手【取調室】
テレビ番組の1つに変化が現れていた。宮城の爆発現場に、報道ヘリが到着したのだ。映し出された雪景色の山肌は、一部が大きくえぐれていた、
画面に気づいた篠原が音量を上げる。
ヘリコプターからの中継画像と音声が入る。
『――いたしました。ご覧ください、これが謎の大爆発の現場です。いまだに硝煙が燻っているようです。まるで、隕石が衝突したかのようです。爆発の規模の大きさが伺えます。宮城県警からの第一報では死傷者は確認されていませんが、付近には県警特殊急襲部隊――SATの姿が見られたという情報もあります。すぐ近くには宮城県川崎町の市街地が広がっています。市街地への影響などは、まだ確認されておりません。県警からの情報では、爆発現場はゴルフコース内の従業員宿舎近くだということですが、冬季休業中のために無人になっているということです。一体何が原因でこのような巨大な爆発が生じたのでしょうか――』
いつの間にか中里が顔を上げ、テレビ画面を見つめていた。笑いを堪えているかのように、つぶやく。
「天気予報中の爆発と関連づけられるの、時間の問題ですよね。早く情報を出さないと、パニックが起きても知りませんよ」
緊迫した表情でタブレットを操作していた猿橋が、つぶやく。
「ネットじゃもう騒ぎになっています。バラエティ中の爆発は警告だとか、都内でも爆弾テロが起きるんじゃないか、とか……」
中里が微笑む。
「あなたが記者さんたちにゴーサインを出せば、少なくとも情報不足による混乱は軽減できます。カードはすでにマスコミの手の中に揃っているし、だいぶ時間も過ぎてますから公開の準備も整ってるんじゃないですか。『誘拐犯が警察を脅して日本中の不正を暴こうとしている』っていう事実が広まれば、民衆の関心はそっちに向きます。宮城の爆発も誘拐犯の罠だと分かれば、少なくとも無差別テロの恐怖からは解放されます。要求を受け入れさえすれば起爆されずに済むんですから」
篠原が苦しげにうめく。
「だからといって……」
イヤホンに高山の声が入った。
『篠原さんもう無理だ。都内あっちこっちで騒ぎが起き始めている。パニックが抑えられなくなるのも時間の問題だ。総監から、篠原さんの判断に委ねるという指示もあった。で、このまま演技を続けますか? 方針を変えるなら、何かしらの指示を』
篠原が耳元を押さえ、誰にともなくつぶやく。
「僕が責任をとれ――ってことですか……」
そして、テーブルに肘をついて頭を抱えた。それは〝追い詰められた演技を続けて、中里の真意を探る〟という高山へ返答でもあった。
中里は、篠原の表情の意味が理解できたようだった。笑みを広げる。
「指示が来ましたか? あなたもトカゲの尻尾、ってことですね。まあ、官僚なんて、そんなもんでしょう」
篠原は顔を上げずに言った。
「ちょっと黙ってて!」
「しかし、時間はどんどん減ってますよ。さあ、決めてください。あなたが、今、ここで」
篠原は目を閉じて深呼吸をした。数秒後、決意を滲ませた視線をテーブル上のカメラに向けた。
「記者諸君にお願いします。報道を始めていただきたい。ただし、情報の扱いは慎重に。極めて慎重に。大型爆弾の存在は決して外部に漏らさないようにお願いします。あとは中里氏の要求に従って不正告発を受理する体制を整備し、その内容を広く広報していただきたい……協力を、お願いします……」
そして篠原は長いため息をもらして、ぐったりと目を伏せた。
警察が敗北を認めた瞬間だった。
呼応するかのように、他局の爆発現場報道が開始された。たった1人の誘拐犯の目論見は、日本中の耳目を集める大事件に発展しつつあった。
警視庁は崩壊したのだ――。
中里は3つのテレビ画面を見比べると、穏やかに言った。
「さて、放送開始まではもうしばらく時間がかかるでしょう。もう一度眠らせていただきます。あれこれ大変だったのでね」
そして、テーブルに突っ伏そうとする。
猿橋がそれを止めるように口を挟む。
「教授のことがもっと知りたいんですけど」
中里が目を上げる。その視線に、かすかな怒りが宿っている。
「だから、助教ですって」
「些細な問題」
「その呼び名、嫌なんです。私を怒らせたいんですか?」
猿橋は動じない。
「その通り。怒らせたいというより、苛立たせたいのかな。教授の本性を暴く手がかりを得るために。そして、教育者であることを自覚していただくために」
猿橋は明らかに挑発していた。
「私が許すとでも?」
篠原が猿橋に困ったような視線を向ける。しかし、止めようとはしなかった。
それもまた〝そのまま続けて本性を暴け〟という無言の指示だった。
猿橋にも意図が伝わり、言葉にも熱がこもる。
「これはゲームなんでしょう? しかも、ルールは教授が用意した。ルールどころか、何を目的に争うのかすら教えられない。ただでさえ不利なわたしたちには、指し手を選ぶ権利ぐらいはあるんじゃなくて? それとも教授は、一方的な要求を押し付けてアンフェアな進行をお望みなのかしら?」
だが逆に、中里は冷静さを取り戻す。
「不正確なのが嫌だって言ってるんだ」
「わたしたちには幾つもトラップを仕掛けてきたのに?」
「だが、嘘は極力避けてきた」
「教授という呼び名は不正確だけど、あなたの犯罪にとってはその正確さが不可欠なの?」
中里は些細な言い合いにうんざりしたように応える。
「好きにすればいい」
一瞬、猿橋が笑みを広げる。
「教授は教育者で、同時に医療従事者でしょう? なぜこんな非道な行いができるんですか?」
「教育者にも医療従事者にも飽きたんです。今はただの犯罪者で、しかも記者の前にまで正体を晒している。もう戻れないことは自明でしょう? 戻る気もないから、ここに来られたんです」
呆然と気力を失っているように見せていた篠原が、中里に関心を戻す。中里が猿橋の問いにどう答えるかを見極めたかったのだ。
猿橋は自分の好奇心を、全く隠そうとしていない。無邪気なまでにあからさまな質問を投げかける。
「わたし、教授の人間像がまるで掴めないの。劇場型の愉快犯かと思えば、人命には配慮している。テロ犯罪者なのは確かだけど、人は傷つけないように腐心している。お金に執着しているだけと言いながら、官僚批判の反政府主義者みたいに振る舞う。身代金が奪える仕組みを丁寧に作っているのに、固執しているように見えない。……一体何が目的? 知りたい……あなたの心の内を知りたい……」
「もう分かっているじゃないですか。目的は身代金。募金が集まれば、救われたり報われたりする人々が増えます。彼らは、社会の底辺でこの国に虐げられながらも必死に生きようとしている。そんな人々を救おうと活動している人々もいる。寄付先には、そんな団体を選んでいます。まさか、それを止めようなんてしませんよね?」
マジックミラーの向こうでは、高山が次々に流れ込んでくる情報を整理し、猿橋たちに伝えていた。
猿橋が言った。
「でも、あなたが選んだ団体の中には、いかがわしい背景がある組織も混じっているようね」
中里が背筋を伸ばす。
「いかがわしい? それ、警察の価値基準に過ぎないでしょう?」
「例えば、極左暴力組織の幹部が代表者の老人養護施設。さっき所轄が現地を確認しました。活動実態が全くないようね。しかもその施設は、つい1ヶ月前に買収されている。資金を出したのがパチンコチェーン店のオーナーだというところまで掴めました。そこから先がどこにつながっているかを調べるには、もう少し時間がかかるそうだけど――」
「何が言いたいんですか?」
篠原もまた、イヤホンで同じ情報を得ている。だが、猿橋を止めようともしない。中里がどう答えるか、知る必要があったのだ。
答えによっては、中里の背後にいるかもしれない〝組織〟を炙り出せるかもしれない。少なくとも、この〝取調べ〟を注視している記者たちには、『中里は他国からの命令で働いている』という印象を植え付けることが可能だ。
猿橋はおそらく、中里の人間性への単純な興味で質問している。だがそれがこの犯罪の根幹を露呈させるチャンスになるなら、今しばらく放置しておいても構わない。むしろ、犯罪心理学者としての閃きに期待していた。
猿橋が切り込む。
「警察は寄付の対象団体の中に相応しくない組織がいくつも混ざっていることを調べ出しているんです。ほとんどは正当な団体に配られるとしても、100億円もの資金が集まれば何億かは反社会的な――いわゆるテロ組織にも配られる。それが目的なの?」
「私が望んでいるのは、不正を糾すことです。政財界にはびこる拝金主義、広がるばかりの格差に押し潰される人々の救済。それが実現されないから、こうして己を犠牲にしているんです」
「絵に描いたような〝善意の押し付け〟ね。正義のためなら犯罪も厭わないって、歪んだポリコレの暴走に思えるけど」
「救われるべき人々を救いたい……その願いが歪んでいると?」
猿橋が挑みかかるように身を乗り出す。
「つまり、寄付先の団体は全てあなたが選んだのね? あなたが責任を持っているのね?」
「もちろん。他の誰とも共謀していませんから」
「活動実態がない組織も混じっていると知らなかったわけ? 何を基準に選んだの?」
「だから何が言いたいんだ⁉」
「教授が誰かに操られているんじゃないか――って疑問を持つことは、そんなに不自然じゃないと思うの」
「この計画は私が立案し、実行した。全て1人で、だ」
「だから、寄付先をどうやって選んだの?」
「私が……」
篠原は、中里が一瞬口ごもったことを見逃さなかった。
「僕にも、ぜひ教えてください。暴力的な極左グループや外国勢力の影響力が及んでいる団体が、すでに10以上発見されているそうです。うっかり見逃したんですか? テロ対策の法規制は強化されているから、それらの資金流入は止められます。その分、正当な団体への寄付は増えます。あなたの望みが救済であるなら、むしろ望ましい結果だと思いますが?」
中里は篠原に目を向けた。
「弱者を助ける寄付を妨害するなど、国民は認めませんよ」
「慈善事業を妨げるわけではありません。テロを予防するんです。それこそ警察の職務であり、国民の願望なんじゃありませんか?」
猿橋には、中里の表情から焦りや失意、怒りを読みとることはできなかった。
だがそれは、むしろ期待通りの反応だった。その先に、真実が身を潜めているという確信が強まる。
岸本の声が入る。
『こいつ、全く冷静です。困ってもいないし慌ててもいない』
その評価は、猿橋の直感と一致する。
少なくとも中里は、今の状況を予期していたに違いない。むしろ、〝狙っていた〟のかもしれない。
猿橋は言った。
「教授……今まで周到な手段で警察を追い詰めてきたあなたが、こんな簡単な失敗をするとは思えない……」
「失敗って、なんですか?」
「第1に、極左暴力組織を見逃したこと。第2に、警察がその可能性に気づくと予測していないこと。第3に、結果として寄付先から怪しい団体が弾かれること……」そして中里の反応を確認し、断定した。「教授、全部計画通りなんでしょう? 初めからこの結果を求めていたんじゃないですか?」
「はい? 何を言ってるのか分かりませんが?」
「警察が寄付先を調査するように仕向けたんでしょう?」
「なぜそんなことを?」
「これまでの反応から、教授が警察の能力を充分に調査して、それを信頼していることは読み取れます。警察が計画通りに動かなければ事態が滞る局面が何回もあったのだから。ここまで来て、〝警察は怪しげな寄付先には気づかないだろう〟なんていう楽観的な予測をするはずがない」
「そうですか? 私だって、完璧な頭脳は持っていませんよ?」
「完璧に隠蔽する必要なんてないですからね。そもそも、発見される――いいえ、〝発見させる〟ことが狙いなら。だからあえて危険な団体を寄付リストに含め、警察が見逃さないように誘導し、組織力を使って背後関係を深掘りさせる……」
「だから、なぜそんなことを……?」
猿橋はさらに中里の表情の変化を注視する。結論は変わらない。
「目的は、テロ団体の炙り出しと組織の壊滅。教授は彼らを支援するフリをしながら、逆に殲滅させようとしているのでは?」
篠原は思わずニヤリと笑った。
中里は虚を突かれて、放心していた。
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