1−2・初手【分析室】
高山はいったん廊下に出てから、分析室へ入った。
中里は〝自首した犯罪者〟として緊急逮捕された。高山が座っていた椅子に移され、今度は篠原がドアを背にして座っている。篠原が容疑者の権利を説明した後は、2人はにらみ合ったまま無言だ。
高山がマジックミラー越しに中里を見つめ、息を整える。
「あいつ、嘘は言ってないか? こんな馬鹿げた話、到底本気だとは思えんのだが」
答えたのは、誘拐事件の主任分析官を任された岸本だ。
「まだはっきり読めないんですけど……さっきからかすかな動揺が出てますよ。でも、現役の臨床心理士なんでしょう? センサーをごまかす方法も、ある程度知っているかも」
岸本は座席から腰を浮かせて前方のコンソールを覗き込んでいる。そこには、中里の表情を拡大した複数のモニターが表示されていた。
顔の各所に小さなドットが示され、その移動を細かく計測してトレースしていた。表情や視線のわずかな変化から感情を読み取るアルゴリズムは、かなりの精度で完成している。サーモグラフィーによる体温変化、声音分析波形などを加味する装置もすでに記録を開始し、血圧、心拍などのバイタル情報の受信も準備されている。
このコンソール全体が高度化されたポリグラフ――嘘発見器を構成しているのだ。
高山もコンソールを覗き込む。
「騙されているような反応が出ているのか?」
「全部のデータが曖昧なんです。なんか、すごく読みづらくて……こっちのスキルやセンサーの苦手分野を逆手に取ってくる可能性も捨てきれません」
「機械が役に立たないと?」
「そんなことができる人間がいるって話は聞いたことがあります。生まれつきなのか、訓練法があるのか知りませんが」
「病的な嘘つきってのもいるからな。自分の嘘を信じ込んでるから、嘘をついている自覚がない。だから見抜きようがないんだ。あいつもそんな連中の1人かもな」
岸本は警察庁の科学警察研究所――通称・科警研から急遽送り込まれてきた天才教官だった。飛び級でMITを卒業して、FBIの技術開発にも携わった経験を持つ。表情解析プログラムのAI化にも尽力し、全国の科捜研での指導員も担当している。中里が取調室に入った瞬間から、そのデータの解析に全力を振り絞っていた。
高山とは難事件で何度か組んだ経験があり、気心は知れている。
岸本が困惑を隠せずにつぶやく。
「権利を説明したのに、『弁護士と相談する必要はない』だなんてね……」
高山は憮然としている。
「警視庁をぶち壊す――とか言える妄想狂なら、アウトローを気取って当然だ。初っ端から宣戦布告とか、やらかしてくれるもんだ。警察のど真ん中に乗り込んできて、何ができる気なんだか」
「だけど、誘拐は本物なんでしょう?」
高山が関心したように篠原に目を映す。
「無関係ではないし、そっちは具体的な犯罪だ。自分が犯人だと認めるなら、きっちり落とし前をつけさせる。所轄もろくに寝ていないはずだからな」
「自分まで呼びつけられたぐらいですからね……朝は苦手だっていうのに」
「だが、こんなヤツが相手なら案外あっさり片付くかもな。ゆっくり昼寝でもしてくれ。それにしても篠原さん、いよいよ磨きがかかってきたな。最初から『犯人が乗り込んでくる』って読んでいたんだぞ。徹夜明けだっていうのにな」
岸本も同感だった。
「ほんと、超能力者ってあだ名はダテじゃないですね。でも、管理官がこんな現場に出張ってこなくても、ね」
「正式な管理官に任命されたのは、ついさっきだがな。ここが決め手になるっていう予感があるんじゃないか? 通常の誘拐捜査の手順なら、放っておいても進行する。管理官の判断が必要なトラブルが起きれば、嫌でも連絡が入る。現場は慣れたやり方を乱されないから、かえってスムーズに動ける。部下を信頼している証拠だ。でなければ、あの若さで管理官にはなれん」
「コネ、ですか?」
「公務員試験の結果だ。なにしろ全国1位の天才だ。理系なのに、量子なんたらの研究が怖くなって警察に逃げて来たっていう、規格外だ」
「それ、シナバーからも聞きました。一度、組んでみたかったんですよね。ヤマさんは何度もご一緒したんでしたっけ。切れ者なんでしょう?」
シナバーは、彼らの共通の知人のあだ名だった。普段は本庁の科捜研で嘱託研究員として勤務している女性だ。
「ああ。怖いほど、な」
「そんなに? なんか、第一印象は普通っぽかったけどな……」
「俺もびっくりした。確かに精彩を欠いたからな。管理官補佐っていう曖昧な役職が長いし、気苦労も多いんだろう。そもそも、厄介ごとを押し付けるために作ったような立場だしな。だからといって、簡単には辞めさせてもらえない。檻に押し込まれた猛禽、ってところだ。しかも、何度か〝やらかして〟いるしな」
「ド派手にやらかしたって、噂には聞いてますけど……ヤマさん、一緒だったんでしょう? その話、聴きたいな」
「話せるか、バカ。篠原さんほどの人でさえ、あんなに神妙にしてるんだ。俺が本庁に引っ張られたのも、ヘタに喋らないように見張っておきたいからに決まってる」
「だったらこんな事件を任せなくたっていいのに」
「小宮山管理官のご指名だからな。他に引き受け手がいないってことだ。みんな、責任を取りたくないのさ」
「それほどの人なら、なんでヤマさんの部下みたいなフリをしてるんです?」
「それほどの人、だからだよ。一手……いや、十手先を読んでいる。これで中里は、篠原さんが下っ端だと思い込む。舐めてかかってくれれば付け込む隙もできるかも――ってことだ。童顔も使いようだな。精彩は失っても、死んだわけじゃない。安心したよ」
岸本が苦笑いを堪える。
「だったらもっとスマートな見た目の刑事を相方に選べばいいのに。よりによってヤマさんだなんて」
「俺が一番イメージに合ってたんだろう。この不細工さ加減が、な。第一印象は、見た目がすべてだからな」
「ま、ヤマさんだったら現場も長いから、アドリブも効きますしね。所轄からもあっという間にこれだけの人材を集めちゃったし」
「腐れ縁が多いだけだ。定年が近づけば顔馴染みも増える」
分析室の奥には、10人ほどの刑事がコンピューターや通信機器を囲む一角があった。〝臨時指揮所〟だ。
スタッフの多くは高山から声を掛けられた所轄の中心的な猛者たちだった。誘拐犯からの連絡を受けて召集されたのだが、それが可能だったのは高山の人柄があればこそだ。彼らの中には、文字通り命を救われた者もいる。高山に選抜された実力者たちが、岸本のデータ分析の補佐や所轄との連携を任されていた。
犯人から送り込まれてくる人物が誰であれ、あるいは何を目論んでいるにせよ――それがただの捜査撹乱だとしても、臨機応変に対応しなければならない。それには所轄との軋轢を廃し、組織を無駄なく機敏に動かせる体制が必要だ。何より重要なのは、人質を無事に救出することだ。
臨時指揮所は、目的完遂ために篠原が緊急に構築した〝神経網〟だった。警視庁の悪弊ともいわれる縄張り意識を、徹底的に排している。それでも、高山という古風ながら〝伝説的〟な刑事の経験と実力がなければ、現場の人間は容易には従わなかっただろう。
スタッフの中には、高山直下の部下も何人か混じっていた。
「腐れ縁って、どんだけ所轄を放浪してきたんですか?」
高山が苦笑いを浮かべる。
「確かに、これほどあっさり集まるとは思わなかった」
「だから篠原さんもヤマさんに任せるんですね」
「ま、適性による役割分担だよ。『何か怪しいと感じたら、とにかく犯人の要求を否定しろ』って言われてた。できれば相手を怒られてくれ、ってさ。バッドコップ役には、俺の悪人ズラが必要なんだろうよ。後は篠原さんが尻拭いしてくれる」
モニター脇のスピーカーに篠原の声が流れる。
『で、あなたは自分が誘拐犯だと認めるんですね?』
『そう言ったでしょう?』
中里は、篠原をからかっているようだ。
つまり、篠原の最初の〝仕掛け〟は成功したということだ。
『席を入れ替えた意味、分かりますよね。緊急逮捕です。あなたは今、誘拐事件の容疑者です』
篠原を見下していることが、中里の口調ににじむ。
『もちろん分かっている。だからわざわざ権利を説明してくれたんだろう?』
『念を押したまでです。このやりとり、全部記録されてますから』
『何かの時間稼ぎみたいに聞こえるけど?』
『お見通しなんですね。いきなり犯人が乗り込んできたんじゃ、警視庁といえどもすぐには体制が整えられません。高山先輩が戻るまで、あなたの身の上話でもお聞かせ願えませんか?』
篠原はあえて高山を先輩と呼ぶことで、さらに自分への警戒感を弱めようとしている。だが、年齢的にも経験の蓄積でも、間違っているとはいえない。
中里は含み笑いをもらす。
『〝警視庁を崩壊させる〟ってとこ、突っ込まなくていいのか?』
篠原も苦笑いを返す。
『それ……本気なんですか?』
『もちろん』
『この会話もすでに録画録音されてますよ。あまり非常識な発言はしない方が――』
『誘拐の自白だったら常識的だ、と?』
『あ、いや……今は誘拐事案の取調べですから、まずはそっちの話を――』
『まあ、そんなに焦らずに。体制を整える時間が要るんでしょう? 待ちますよ。黙っているのって、私は苦になりませんから』
岸本がモニターに向かってわずかに身を乗り出す。
「今、中里に感情の変化が現れました。また口調が丁寧に戻りましたし」
「薄笑いを浮かべているが? 嘘をついているのか?」
「いいえ、マスコミ公開を渋ったら出てきた緊張が消えたんです。今は初期状態に戻っています」
「というと……?」
「なんか、目的を達してホッとしたっていう感じですかね。割と上品な話し方が素なんじゃないかな。大学の教員なら乱暴な物言いは嫌われるでしょうから」
高山が一瞬考え込む。
「今の状況があいつの狙いだってことか……? じゃあ、警察を小馬鹿にしたような態度の方が演技か?」
「どうでしょう……あらかじめ記録を残させるために可視化取調室を要求したのなら、態度を変えることでAIを混乱させようとしている、とか……」
「そこまで考えているのか⁉ だったら、妄想狂とばかりもいえなくなるぞ」
「仮説ですよ。こんな短時間じゃ、正確な分析は不可能ですから。でもなんか不気味なんですよね、こいつのデータ……」
「お前はヤツの頭の中を探ることに専念しろ。捜査初っ端から犯人がとっ捕まりに来たんだ。誘拐事案は人質の居場所を吐かせてSATを突っ込ませれば終わる。わざわざ捜査のど真ん中に出てきた思い上がりを後悔させてやれ」
だが岸本の表情は晴れない。
「犯人だっていう自白そのものが、本当なのかどうか……」
「は? いつもの過剰な自信はどうした?」
「それって、確信が持てた時だけですから……」
高山は困惑しながら、コンソールの卓上マイクに近づいて台座のスイッチを押した。スイッチが赤く光る。
「篠原さん、こいつただのイカれ野郎じゃないかも、です。何を考えてるか読めないし、犯人じゃないかもしれない――だと。次の手はどうします?」
その声は、スパイイヤホンで篠原にだけ聞こえている。
篠原が表情を変えずに中里に話しかける。
『僕……苦手なんですよね、こうやって黙ってるの』
そしてマジックミラーに向かって不安そうなそぶりを見せる。中里に見せるための演技だ。
しかし中里は、無言のまま反応しない。
篠原が困ったようにつぶやく。
『なんか、僕じゃ能力不足みたいですね。高山さん、どこに行っちゃったんだろう……。猿橋さんでも探しに行ったのかな……』
それ聞いた高山が背後に命じる。
「サルを連れてこい! 大至急だ!」
サルと呼ばれたのは、警視庁常駐の精神科医である猿橋直美だ。本来は庁内や所轄の職員のメンタルケアが職務なのだが、〝趣味〟として犯罪心理を研究している。何度か重要な案件の心理分析で成果を上げたために、最近ではアドバイザーとして所轄に出向くことも多くなっていた。
篠原は、彼女の直感力が必要だと判断したようだ。
と、篠原が急に右耳を押さえて眉をひそめる。しばらくそうしていると、手を離して中里に言った。
『今、指示が来たんです。あ、耳の中にイヤホン入れていて、分析室からの命令を受けられるんで。……全然驚いてませんね。ドラマとかで普通にある光景ですから、当然予測してますもんね』
篠原は、指令を受けた演技をしながら部下に命令を送るつもりだ。
中里は篠原の饒舌にうんざりしたように応える。
『で、どんな指示が?』
『記者クラブとの双方向の映像公開は認めるそうです。ですので、僕たちの要請も聞いていただけますか?』
『どんな?』
『バイタルサインを採取する装置の装着です。簡単な心電図とか、スマートウォッチのようなリストバンドとか、です。注射とか薬を飲むとか、そういうのはありませんから』
『嘘発見器のようなものですか? 捜査の一環でしょう? それなら、容疑者の了解は必要ないのでは?』
『これが可視化の面倒なところで、力づくで付けるってわけにはいかないんです。自白があっても、まだ犯人だと確定してはいないんで。聴取対象者の意に反して無理強いしたっていう疑いが残っていると、せっかくデータを取っても証拠能力を失いかねないんです。それに、容疑者に過度のストレスがかかった場合、取調べを中止することもありますから。ストレスの度合いも測れる装置なんです』
『分かりました。私の望みが果たされたら、あなた方の要求には従います。ただし、他の情報はまだ話せません。人質の命に危険があること、タイムリミットを設定していることは嘘ではないので、くれぐれもお忘れなく』
『タイムリミットって、どれぐらいですか?』
『それ、取引材料の1つですから、まだ秘密です。なので、焦ってくださいね』
『困りましたね……あ、それと、記者との直接の会話は困ります。あなたが犯人なら、この程度の変更は許可できると思うんですが、どうでしょう?』
『なぜ会話がダメなんです?』
篠原は再び耳を押さえ、指示を受けているように間を取った。
『混乱を避けたいからです。取調べの開示やあなたの主張を伝えるのはやむを得ませんが、記者からの質問は受けられません。経験上、記者の中には事態を複雑にさせたがる輩も多いそうなので』
『その程度なら、私は構いませんよ』
『記者クラブへの音声は一方通行で、あちらからの音は遮断するということで、準備を進めます』
中里は軽く会釈すると目を閉じ、顔を伏せてしまった。要求が実現するまではもう口は開かないと言う、明らかな意思表示だ。
篠原は軽く肩をすくめて、困り果てたようにマジックミラーを見た。
高山が背後のスタッフに命じる。
「すぐに記者クラブと回線を繋げる準備をしろ」
スタッフの1人が驚く。所轄から応援に駆けつけた刑事だ。
「上に了解を取らなくていいんですか⁉」
「管理官は篠原さんだ」
「あれ? 小宮山さんじゃないんですか?」
「すまん、まだ言ってなかったか。篠原さんは〝管理官補佐〟だったが、犯人が使いを送り込んでくるなんていう変則的な展開になると、何が起きるか分からん。小宮山さんの経歴に傷をつける訳にはいかない……ってことで、篠原さんが管理官に昇格した。あの人、こんな損な役ばっかり引いてくるんだ。この取調室の中に限って、ということかもしれないがな」
「あれ? なんか楽しそうですね?」
「いつものこと、だしな」
「そんなに、いつも?」
「なのにあの人は、笑いながら切り抜けちまう。本当の天才だと思うぞ。だから、上からは煙たがられる」
「ああ、組織防衛……ってやつですね」
「外じゃ口に出さんでくれよ」
「あれ? ヤマさんもそんなこと気にするんですか?」
「定年が近いからな。年金を棒に振るわけにはいかない。だが一応、俺が総監に報告してくる」
「は? 総監に直接⁉」
「連絡役に指名されている。篠原管理官とも親しいんでな」
「ヤマさんって、一体何者なんです?」
「定年間近の厄介者……だよ。だから、遠慮なく切り捨てられる。とことん使い潰す腹なんだ」
「だからって……。でも、総監の了解が降りますか?」
「今のやりとりも総監室のモニターで見ているはずだ。何も言ってこないのは、頭ごなしに否定できないって意味だ。官僚のお仲間が被害者なんだから、危害が及ぶようなことはしない。嫌だとは言えんのだろう。記者どもに取調べを見られたところで、報道規制は有効だしな」
「本当に見せると⁉」
他のスタッフも高山に注目していた。明確な指示を出す。
「ヤツの狙いが分かるまでは、従うしかない。それに公開する以上嘘はつけないから、記者にも現状を正確に教えろ。ただし規制は絶対に破るなと念を押せ。少しでも情報を漏らしたら、その社は今後1年間すべての記者クラブを出禁にすると釘を刺せ。それと、バイタルセンサー類の準備だ」
別の部下から声がかかる。
「準備、終わってます!」
高山は岸本に言った。
「総監室で怒鳴られてくる。しばらくここを任せるぞ」
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