第3章・終盤戦

7−1・禁じ手【取調室】

 顔を上げた中里が神妙に言った。

「私からもお願いです。猿橋さんを呼んでもらえますか?」

 篠原は命令をためらった。中里の意図を読みかねたのだ。

 しかも正式には、猿橋は警官ではなく、篠原の管理下にはない。何を要求されるか不明瞭な段階で犯罪者の前に晒す危険は犯せない。

 だが、猿橋に迷いはないようだった。1分もしないうちに取調室に現れ、勝手に席に着く。

 猿橋は中里に挑むような視線を向けた。

「ごめんなさいね、ずっと緊張していたから――。恥ずかしいけど、お腹が弱いもので」

 篠原が遮る。

「もう言いなりにならなくてもいいんですよ」

「わたしなら大丈夫」そして、中里に向かって身を乗り出す。「何かご用かしら?」

 篠原は猿橋の横顔を確認してから、繰り返した。

「記者クラブとの回線を断ちたいのですが?」

 中里も篠原に向き合う。

「それじゃ記者さんたちが納得しないでしょう?」

「だがあなたの計画は崩れました」

「だから、プランBに移行します。募金サイトがこんなに早く見抜かれたのは驚きですが、口座は凍結できませんよ」

「なぜ?」

「そんなことをすれば、私は何も喋りません。その結果、何100人が爆発に巻き込まれることになるか……。まあ、一切のヒントなしで全部の爆弾を探し出せるなら、止めはしませんけど」そしてカメラを見る。「記者の皆さんも一般人が巻き込まれるような悲劇は望みませんよね? 警告したところで、都内を無人にできるはずもない。爆弾の場所が分からないんじゃ、逃げた先が吹っ飛ぶかもしれない。パニックになるだけです。そんなことで死者や怪我人が出ることも、私は望みません。ですからあなた方も、報道内容には気をつけてください。誘拐事件や人質の生命が危険なことは一刻も早く公開してほしいですが、3個の爆弾のことは絶対に伏せてください。もしもそれが漏れて被害者が出れば、それは警察と御社の失策ということになりますから」

 篠原が大袈裟に悔しさをにじませる。新たな展開を前にして、自分の〝非力〟をアピールしていた。

「プランBとはなんですか……?」

「その前に、プランAダッシュがあります」

「は? 警察を馬鹿にしてるんですか⁉」

「そう、警察を馬鹿にするんです」

「ふざけないでください!」

「私の計画を台無しにしようとしたんですから、制裁は必要でしょう? 今、それを思いついたんで」

「制裁⁉ なんのつもりですか⁉」

 猿橋が身を乗り出す。篠原の演技に合わせている。

「篠原さん、落ち着いて……」

 中里がうなずく。

「そう、落ち着いてください。でもね、猿橋さん、制裁はあなたに下すんですよ」

 猿橋の目が中里に向かう。

「わたしに……? なんで?」

「私の過去をえぐり出したの、あなたですから。娘の死を思い出させるなんてね……本当に残酷なことをする人だ。ずっと腹が立っていたんです。傷ついているんですよ、これでも」

「そうは見えないけど」

「意志は強いですから。訓練を重ねた成果は、バイタルデータにも出ているはずです。だからこそ、痛みは内側に食い込む」

「わたしは、自分の仕事をしただけ。今は、警察を補佐することも職務だから」

「それだけなら我慢もできます。でも、気に入らないんですよ。私のやることを面白がっているような、あなたの薄笑いがね。笑われて喜ぶのは、お笑い芸人ぐらいなものでしょう? 私は真剣です。あなたももっと真剣になってもらわないと」

「それは……ごめんなさい。でも、わたしに何をするの……?」

 中里の口調が厳しく変わる。

「まずは、君に命令させてもらう。メイド服を着てもらおうか」

 猿橋の表情が一気に曇る。

「はい? 何、それ?」

「メイド服。美少女アニメとかでお馴染みの、アレだよ。誰かを近所のメイド喫茶にでも行かせて、借りてきなさい」

「なんでそんなものを⁉」

「警察をおちょくるためだよ」

「ふざけてるの⁉」

「ふざけてますよ。でも、目的はある。君の恥ずかしい姿はクラブの記者たち全員が目にする。君はそこそこの美形でもあるから、記者さんたちへのサービスにもなるかな。そして、君の薄笑いを剥ぎ取る。本当の話を始めるのは、それからだ」

「だからって……」

「メイド服が嫌いなら、ビキニでもスク水でも構わないが?」

「バカにしないで!」

 篠原が口を挟む。

「本気でそんな無駄な時間を費やしたいわけではないんでしょう?」

「なぜ、あなたに私の本心が分かるんですか?」

「あなたの計画は緻密だ。悔しいが、僕らが追い付けないほど優れています。だったら猿橋さんを晒し者にしなくとも、計画は進められます。違いますか?」

「違いませんよ。言った通り、ただの思いつきですから。でも、緻密な私の計画に口を挟んだんですから、腹立ちも理解してもらわないないとね。私に何かを要求するなら、代償を差し出してください。あなたは代わりに、何を提供できるんですか?」

「それは……」

「何を提供できるんですか⁉」

「何を提供させたいんですか?」

「民間人を爆弾の危険に晒してまで猿橋さんを守りたい、と?」

「僕が守りたいのは、警察の威信です。あなたのような犯罪者に命じられてマスコミの晒し者にされたのでは、先達に顔向けできません」

「庶民の言葉に翻訳すると、『官僚仲間からバカにされて出世レースから転げ落ちるのが怖くてたまらない』――ってところでしょうか? それでも、ここまで正直になってくれたことは評価しましょう。これ以上猿橋先生をいたぶるのはやめますよ」そして記者たちが映るモニターを見つめる。「要求は、あなた方マスコミに出させていただきます」

 篠原が叫ぶ。

「彼らを巻き込まないで!」

 しかし言葉の強さに反して、その視線は冷静だった。

 中里は篠原の目をにらみ返した。

「そうはいきません。私の最初の計画では、マスコミは暴力的な捜査を抑止する監視役としか考えていませんでした。しかしあなた方はその計画を粉砕した。人質映像の公開も、権力を振りかざして高圧的に妨害している。ならば制裁として、マスコミを使って警察を――いや、官僚機構全てを破壊させていただく。せっかくチャンスを与えたのに、厚労省不正に切り込む覚悟も持てないようですしね」

「どういうことですか⁉」

「誘拐犯から脅されてなら、官僚の犯罪的行為を暴く口実には手頃じゃないですか。警察の中にも不正を憎んでいる人間はいるんでしょう? 官僚同士かばいあう風土があるから、口には出せないだけなんでしょう? 厚労省や政府から批判を受けても、人命には替えられないって主張すれば、非難は跳ね除けられるじゃないですか。『人の命は地球より重い』と言ってテロリストを解放した愚かな首相がいた国ですから。しかも、刑期を終えたテロ首謀者が、一部では公然とスター扱いされている。こんな国なんですから、〝超法規的措置〟といえば厚労省文書の公開や100億円の支払いだって許されるんじゃないんですか?」

「今時、そんな言い訳が通るはずがないでしょう⁉ 時代は変わってるんです!」

「だからって、官僚の不正を野放しにはできませんよね。特に今回の厚労省疑惑では、何人もの死者が出たって噂されているんだから」

「そんなものはただの噂です! 疑惑を裏付ける証拠はありません!」

「それが、警察の公式見解ですからね。ところが、〝官僚は互いに守り合っている〟っていうのが庶民の側の公式見解なんです」

「何が言いたいんですか⁉」

「言いたいのは、マスコミに対してです」再びカメラに顔を向ける。「プランBです。あなた方の所属する会社と今すぐ連絡をとってください。そして、南麗子さんが誘拐監禁され、殺される危機に瀕していることを報じてください。その素材提供ために、監禁映像を開示したんですから。まず画像を公開して、さらに以下の要求を実行するように。テレビで確認できれば、彼女を救う方法を提示します」

 篠原が間に入ろうとする。

「従わないで! 犯罪者の言いなりになってはいけません!」

 その姿を中里が嘲笑う。

「〝卑劣な犯罪者〟からの要求は以下のとおりです。まず、各社に視聴者からの告発を受け付ける窓口を開設してください。『公共機関の不正撲滅のための目安箱』ってところですかね。告発は基本的に、日本政府や公官庁、国会議員や政党などの公的機関の内部情報を扱うものとします。それらと企業の癒着や不公正な取引などの具体的な情報提供を求めます。内部告発をためらっている善良な公僕や市民の背中を押したいんです。『誘拐犯から人質を救うためだ』という理屈が付けば、手を挙げる者もいるに違いない。どの官庁の誰がどんな不正を行っている――とかいう、具体的な告発を望みます。贈賄、収賄、選挙不正、常識外の天下り、過重労働、他国への不正な情報提供、エトセトラ……内容は、特に規定しません。告発者の身分が確認されたものから、テレビや新聞で公表してもらいましょう。もちろん、告発者の秘匿や保護には万全を尽くしてください。ただし個人攻撃はNGで。ただし国会議員などが外国勢力のために不正を働いている場合は、その限りではありません。警察や所管組織には、持ち込まれた全ての内容について精査し、対処してもらうことを約束してもらいましょう」

「なぜそんなことを⁉ 国民を混乱させるだけです!」

「私は知りたいんです。日本国民がどれほどの理性と自制心を持っているかを。世直しができるヒーローになるのが夢だったので」

「ヒーロー、って……一体、何が望みなんですか⁉ ろくな検証もせずにそんなことを発表すれば政府の信頼は地に落ちるだけです!」

「公表されたらまずいことを抱えてる時点で、この国はすでに地べたを這っているんですよ」

「パニックを起こす気ですか……」篠原はカメラをにらんだ。「絶対に従わないで! マスコミがそんなあやふやな情報を発信したら、報道機関としての存亡に関わります!」

「おや、警察官僚がマスコミへの恫喝ですか? 記者の皆さん、ご心配なく。あなた方や所属企業は、一介の犯罪者の脅迫によって従わざるを得なかったのですから。『たかが人質1人のためにそこまで社会を混乱させるのか』という非難は受けるでしょうが、それも一瞬のことです。当面はパニックを避けるために秘匿していただきたいが、現実に3個の大型爆弾によって不特定多数の人命が危険にさらされています。事態が落ち着いた後で、爆発を止めるためには犯人の要求に従うしかなかったと発表すれば済むことです。マスコミの総意としての行動なら、1社だけが不利になることもないでしょう。その際には、私自身が取材を受けても構いません。責めは全て、私が背負います。あなた方の手は、綺麗なまま……そして視聴率や発行部数は爆上がり。もしも従わなければ、結果は明らかだ。麗子さんは死に、3箇所の大爆発によってさらに多数の死体が積み重なるでしょう。その原因が警察の浅はかな権威主義にあることは、すでに記者の皆さんが目撃しています。及び腰だったマスコミも、バッシングの嵐に投げ込まれる」

「いい加減にしてください! そんな犯罪者がヒーローだなんて!」

 中里は篠原をにらんで、不敵に笑う。

「私はもう老人といってもいい年齢です。夢なんて概ね叶わないものだって、嫌というほど経験しています。今はただの犯罪者で、これからも警察から解放されることはないでしょう。国民に対しての説明が求められるなら、この取調室からジャージ姿でさせてもらいます。そんなみすぼらしいヒーローなんて、誰も望まない」

 篠原は中里を見つめたまま、言葉を失う。

 話の成り行きを見守っていた猿橋がつぶやく。

「最初からこれが狙いだったの?」

 中里がため息をつく。

「これ、って?」

「政府への批判、日本の混乱、そのためにマスコミをコントロールして利用すること。こんなの、思いつきだなんてあり得ない」

「不正の排除、とは表現できませんか?」

「やはり計画の一部なのね?」

 中里は否定しなかった。

「大掛かりな外科手術、と呼ぶほうが相応しいかも」

「手術? 診断や方法が間違っていれば、患者を死なせてしまうことだってある。わたしの国を殺さないで」

「死ぬとは限らない。成功すれば、健康になって社会復帰できるじゃないですか」

「それって、たとえ死んでも構わないってこと? あなたが何かを憎んでいることは分かる。やっぱり娘さんの死が原因? ポーカーフェイスも感情のコントロールも、憎しみを隠すため? そのために日本をボロボロにしようというの?」

「犯罪心理学の帰結……ですか? ある意味ではそのとおりだ、と認めましょうか。100億円の身代金なんて、そもそも欲していません。だからこそ、全部寄付してしまう体制を整えていたんです」

「この国を憎む義賊様……ってこと?」

「なんとでも言ってください。でも、国民の誰もが幸せなわけじゃない。人々の不幸の上で富を貪っている連中がいることも確かだ。その不平等を少しでも平らにしたい。そう考えちゃいけないか?」

「考えるのは自由。行動を起こすのも自由。ただしルールはある。ルールを破ったらゲームは成立しない。犯罪は禁じ手です」

「反則的な不平等と戦うには、こんな手段も必要だ。今のところ私は、誰も傷つけてはいない。望みが叶えられれば、誰も傷つけずに終えられる」

「肉体的に傷つけないからと言って、全てが許されるわけじゃない。告発合戦が始まれば、不当な非難を受けて破滅する家族だって出てくるんじゃない?」

「正当な非難なら破滅しても構わない――あなたもそう考えていると理解しておきます」

「そんなことはありません!」

「だったら、私を法的に処罰すればいい。警察を恫喝してマスコミを従属させた極悪非道の悪党として、断罪すればいい」そして再びカメラを見る。「だが、タイムリミットは近づいている。それまでに大型爆弾の場所を探る手段もないだろう」

 篠原が叫ぶ。

「警察の能力をバカにしないでください!」

 中里は篠原を見ようともしない。

「バカになんてしてません。だからリミットがあるんです。期限内に見つけられるかどうか……知恵比べですかね」

「絶対に発見してみせます!」

「でも、爆弾が移動していたらどうするんですか? 止まっていてさえ困難な捜査が、何倍も難しくなりますけど」

「それじゃ起爆できないでしょう!」

「Wi―Fiが繋がりさえすれば、大概のことはできる世の中なんですよ。あ、これ、ヒントになっちゃいましたかね。だからって、難しいことに変わりはないですよ」そして中里はカメラを見据えた。「爆発を防ぐには、記者たちが私に従うしかない。マスコミには、近い将来生じるであろう死傷者を救う使命があるんだ。直ちに私の要求に従え。私が見ているワイドショーになんらかの変化が現れたら、タイムリミットを教えよう。そして実際の告発報道の経過を見ながら、爆弾の場所を教えていく。私が納得できる内容の告発が集まれば、全てを公表してこの茶番は終了だ。私は沈黙し、裁かれる。告発内容を検証し、適切な処罰を与える役目は君たちマスコミに委ねる。しっかり警察を監視してほしい。当然、その間は注目を集め続けられるだろう。罪は私が背負う。君たちは注目される記事を得る。損な取引ではないはずだ」

 モニターの中ではすでに、記者たちが活発に動き回っていた。もはや警察には、彼らを抑える意思すら見えなかった。

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