3−2・乱戦【分析室】

 取調室の中に3台の32インチテレビが運び込まれ、壁際に広げられた簡易テーブルに並べられていく。それぞれのリモコンが、篠原の前に置かれた。

 高山が、マジックミラー越しに取調室を見つめてつぶやく。

「こんなみっともない姿を記者どもに晒すなんてな……」

 テレビは署内の各所からかき集められたものだ。それぞれに長いアンテナコードが接続され、廊下へ出るドアは簡単には閉められない状態になっている。

 記者たちは、テレビが運ばれる様子を凝視している。新たな指示を知らない彼らには、その意味が分からない。静かな動揺が広がっていることが見て取れた。

 篠原は、その反応をモニターで確認していた。表情が暗いのも当然といえた。

 この先は記者クラブに何を伝えるか、慎重に判断していかなければならないのだ。その責任は全て背負うことになる。すぐに警察外部に情報がもれることはないとしても、事後に判断の間違いを糾弾される恐れは高い。

 人質たちが殺されれば、篠原は一生自責の念から逃れられないだろう。

 天才と言われる篠原が困惑を隠せないことを見て、岸本がつぶやく。

「この犯人、警察を小馬鹿にしたくてこんな真似してるんでしょうかね? わざわざ記者に見せつけるなんて……」

「マウントを取りたいだけか、本気で主導権を奪いに来てるのか……。篠原さんがこんなに苦しそうにするなんてな……。こんな姿、見たことないぞ」

 一方の猿橋が楽しそうに表情を緩ませていることが、高山には腹立たしい。

 中里は無表情のまま沈黙を保っているが、その視線も取調室の異変を凝視する七社会の記者たちに注がれている。

 3台のテレビに電源が入れられ、指定された局の映像が流れる。いずれも数時間スパンの枠を持った情報バラエティ番組だ。生放送がメインなので、画面の中には時刻も表示されている。

 と、内線が鳴る。背後で受話器を取った部下が、高山に言った。

「麗子さんの父親――南宗一郎が総監室に怒鳴り込んで来た、と」

 振り返った高山が舌打ちをする。

「ちっ、早すぎるな……」

「取調室に入れさせろって、ゴネているらしいですよ」

「入れられるわけがないだろう!」

「電話、替わってくださいよ!」

 高山が肩を怒らせて受話器を取る。

 いきなりの怒声だった。

『何をやってる⁉ 父親を押さえるのもお前らの仕事だろうが!』

 声で一課長だと分かる。

「すみません。相手が大物官僚ともなると、無理強いもできませんもので。南氏は総監室ですか?」

『高山か? お前には現場に目を配れと命じたはずだ』

「篠原管理官のご指名ですから。『犯人からの使いに対処するから、私が補佐しろ』と命じられました。予想外の展開に振り回されて申し訳ありません」

 課長の声が幾分穏やかに変わる。

『またあいつの独走か……しばらく大人しくしていたと思ったら……。で、篠原は仕切れているか?』

「敵が規格外です。……『警視庁を崩壊させる』と宣言したこと、お聞きになりましたか?」

『妄想狂のたわごとだ。人質解放に専念しろ』

「手探りですが、それでも管理官は奮闘しています」

『サポートを頼むぞ。退任間近なのに申し訳ないが』

「墓場に持っていく土産話には手頃です。記者クラブへの公開、力不足でした」

『お前の責任じゃない。総監が許可した以上、現場は従うしかない。官僚仲間だから厳しいことも言えないのだろう』

「総監室のモニターでも取調べは見られます。なんとかそこに閉じ込めて、出さないようにお願いします。現場をかき回されると、アレですので」

『で、様子はどうなんだ?』

「難航しています。記者クラブの件もそうですが、何かするたびに先手を打たれて、自分らがどこに向かっているのかも見えません」

『お前がそんな弱音を……?』

「管理官は、もっと苦しんでいます。まだ、人質の安否確認すらできない状況ですので……」

 課長にも、現場の苦渋は理解できていたようだった。すべての状況が前例がない上に、犯人が騒ぎの拡大を意図していることは疑いようがない。

 現場は、次々に開けられていく〝穴〟を塞ぐだけで手一杯なのだ。

『分かった。父親はこっちで抑えよう。状況は上も注視している。総監と一緒なら、官僚同士で文句も言えないだろう。個人的な知り合いでもあるらしいしな』

「ありがとうございます」

 電話の声がささやきに変わる。

『これは口外無用だが……南氏は、娘が余計なことを喋らないか恐れている感じがする。誘拐の原因に心当たりがあるのかもしれない』

 高山もつられて声を落とす。

「厚労省ですよね……マスコミが騒いでいた疑惑の関連でしょうか?」

『公には不正はないと抗弁しているが、実際はどうだかな』

 マスコミの一部には、ウイルスパンデミックに対するワクチン購入で不正があったのではないかという観測が再燃している。真偽はともかく、南宗一郎が疑惑の中心として取り沙汰されているのだ。

 しかも南はかつて、子宮頸がんワクチンの〝薬害〟を見逃したという濡れ衣をかけられたことがある。ワクチンの有益性に比べれば被害は許容範囲であるとか、副作用自体が過大に語られているなどの論争はいまだに続いている。しかも当時、南は問題のワクチンに関与できる部署にはいなかった。にもかかわらず、政党間の攻撃材料にされ、しかもマスコミに大きく取り上げられてしまった。

 法的な責任は全くなかったと直ちに証明されたものの、誤解が解消されたわけではない。いったん放映されてしまったフェイクニュース映像は、いまだにネット界隈で〝厚労省の不正事例〟として流通している。パンデミックによって再び脚光を浴びることとなった南が、疑いをかけられやすい立場にあることは間違いない。

「考慮しておきます」

『厳しい状況だが、一刻も早く有益な情報を引き出してくれ。記者に見張られている以上、絶対に人質の命は危険に晒せないからな』

 そして、内線は切れた。

 誘拐事件の最前線はこの取調室になりつつあるが、広域捜査を担う警察庁は総力を上げて体制を組み上げている。南麗子の誘拐に対応するために、全国の警察に特別捜査が命じられているのだ。

 と、受話器を置いた高山の近くで作業を続けていたデータ検索の担当者が声を上げる。

「写真の少女、マッチしました! これ、小役タレントです! 著作権フリーの写真素材です!」

 検索画面には、中里が持っていた写真の少女の画像がずらりと並んでいた。顔認証でヒットしたデータだ。

 高山がその意味を理解すると、岸本の横に戻ってマイクを取る。

「娘の写真は偽物です! タレントらしい。すぐに所在を確認します! それと、麗子さんの父親が署に来ています。総監が相手をしています」

 背後のスタッフたちは阿吽の呼吸で、現場に散っている署員へ捜査指示を放っている。

 高山の報告を受けた篠原が、中里をにらんだまま小声でつぶやいた。

『今のあなたは、依然として容疑者です。権利の説明は理解できましたよね? ここで偽証を行えば、それはあなたの立場を悪くするだけです』

 篠原は、娘が偽物だと判明したことを伏せたまま追い込もうと狙っているらしい。

 中里も、警戒したように答える。

『それ、脅迫か何かですか? 私も被害者なんですけど』

 岸本はモニターから目を離さず、マイクに語りかける。

「怒りは見えません。心拍数も正常の範囲。娘がさらわれているっていうのは、やっぱり嘘です」

 篠原が穏やかに、しかし高圧的に続ける。

『脅迫? とんでもありません。おせっかいな助言ですよ』篠原は、カードを1枚晒す決意をした。『実は僕、高山さんの部下ではないんです。この誘拐捜査に全責任を持つ立場の管理官でして。その立場から助言しているんです。あなたが誘拐事件に加担しているなら、持っている情報を残らず明かしていただきたい。それが今後のあなたの立場を左右することになりますので』

 中里が記者クラブのモニターに目をやる。記者たちの間に動揺が感じられた。若い篠原が管理官だと知らない者も多かったのだろう。管理官が直接取調べに当たるという状況も、異例だ。

 中里が篠原に目を戻す。

『お偉いキャリア様がこんな現場にいていいんですか?』

『管理官だからこそ、最も重要な参考人と対峙しているんです。あなたが真実の情報を明らかにするなら、それに応えます。僕には、それができる権限が委ねられていますので』

『さて、なんのことでしょうか? 私はすでに全面協力していますし、情報は全部開示しています。繰り返します。私の娘は誘拐の被害者なんです』

 篠原は中里をにらんで、あえて口をつぐんだ。管理官の権限は理解できているという確信があったからだ。

 中里は、自ら警視庁に乗り込んできた。詳細な情報収集を行っていなければ不可能なことだ。当然、命令系統も把握しているはずだ。

 同時に〝暗黙の威圧〟が、取調べ上の違法行為とはならないことも熟知している。篠原は暴力的な言葉は発していない。司法取引を申し出ているわけでもない。

 ただ権限を明確にし、無言でにらんでいるだけだ。

 取調べを記者に監視されている以上、限度を超える圧力を加えることはできない。

 そのまま、しばらくにらみ合いが続く。

 だが、中里が〝娘の安否〟に関心を示さなくなったことは確かだった。

 その間に、高山のもとに小役タレントの情報がもたらされていた。高山は、受け取ったメモを見てニヤリと笑う。

「早かったな。ヤツめ、警察をあなどっていたってことか」そしてマイクのスイッチを押す。「子役のデータが来ました」 

 高山の報告を聞いた猿橋がうなずく。そして、中里に向かって身を乗り出した。

 自然に役割の交代が行われていた。

『あなた、嘘をついてましたね。わたしたちを嘲笑ってたの?』

『はい?』

『大庭栄ちゃん――っていうんですってね』

『誰です、それ?』

『知らないんですか? あなたの娘さんですよ、財布に入っていた写真の子……あれ? 芸名もご存知ない?』

『何を言っているのか……』

『著作権フリーの写真素材だってすぐに分かったんで、所在を確かめていたんです。栄ちゃん、今、小学校で体育の授業を受けてます。あなたの偽装、10分も持ちませんでしたね』

 岸本がモニターに向かって身を乗り出す。

「いい感じで動揺が広がってますよ……」

 高山がつぶやく。

「細かい変化も見逃すなよ」

「誰が分析してると思ってるんですか……」軽口を叩きながらも、視線はモニターに釘付けになっている。「自分、FBIが認めた男ですよ。なのに、警察が土下座してきたから――。東京は安全だし、アキバ通いが忘れられないから戻ってきましたけど、待遇は格段に落ちたんですから。信頼ぐらいしてくれてもいいでしょう?」

「だよな……さて、こいつはどんな正体を現すのか……」

 と、岸本が奇妙な声を上げる。

「あれ……?」

「どうした⁉」

「なんでだ? 急激に心拍数が落ちてます……。なんだか、してやったり――って反応です……」

「どういうことだ?」

「子役だってバレるの、分かってたようです……」

「は? これも、罠か……?」

 高山の声が聞こえたかのように、中里が沈黙を解く。

『嘘……通じないみたいですね。確かに写真の女の子は、私の娘じゃありません。犯人が用意してた、どこの誰とも知らない子です。でも……娘は本当に捕らえられているんです……』

 反応したのは猿橋だ。

『何度も騙されてるのに、信用しろって?』

『事実、ですから……』

『だったら、娘さんの氏名を教えてください。でなければ、警察でも守れません』

 中里の視線が記者クラブのモニターに向かう。

『それは……無理です。私にはできません』

『やっぱり嘘なのね』

『話すわけにはいかないんです!』

 篠原が穏やかに言う。

『だったらどうやって守れというんですか?』

 中里が目を伏せて、口をつぐむ。

 岸本が首をひねる。

「やっぱりです……バイタルが平静に向かってます。なんででしょう? 言葉じゃ、追い込まれて困ってる感じなのに……」

「嘘なんだよ!」そしてマイクのスイッチを押す。「サル! こいつ、バイタルは穏やかだ。騙されるんじゃないぞ!」

 篠原が先にダメ押しをした。

『センサーは正直ですよ。あなた、全然動揺してないそうですね。娘さんが心配とか言いながら、なんで平静なんですか?』

『嘘じゃありません……』

『あくまでも、娘さんが捕らえられている、と?』

『そう言ってるじゃないですか……』

『嘘です。最先端の心理分析アルゴリズムがそう告げています。警察を舐めないでください』

 中里の声のトーンが、急に沈む。

『娘は捕まっているんだ……捕まっているんだよ……』

『人質は麗子さんだけなんでしょう? どうしてそんな嘘を――』

 と、猿橋が声を上げる。

『まさか、娘さんって――』

 中里は顔を上げて叫んだ。

『言わないで!』そしてすぐに目を伏せ、声から力が失せる。『記者の前で言わないでください……』

 その姿をしばらく見つめていた猿橋は、篠原に顔を寄せて何かをささやいた。重要な可能性に気づいたようだった。

 篠原の表情に驚きが浮かぶ。3人は、さらに沈黙した。

 岸本が問う。

「は? ……これ、どういうことです?」

 成り行きをじっと見守っていた高山が説明した。

「仮説だが……麗子さんは、本当は中里の娘なのかもしれない。不倫の子なら、バレれば母親の立場がない。お偉い官僚を脅す人質であり、同時に中里を操る駒にもなる。だとすれば、人質が1人しかいない理由も分かるが……」

「は? そんなアクロバティックな……」

「だが、それも嘘かもしれない。見ろよ、サルはその先を読んでいるみたいだな。嘘を暴いて、ヤツの本性に迫ろうとしてるんじゃないか? サルをしっかりサポートしてくれ。データの見極めが決定打になりそうだ」

「騙し合い……ですか?」岸本が、さらにモニターに目を近づけた。「確かに……中里の方は緊張が拡大してますね……」

 高山は振り返った。

「中里の過去データ、家族環境の情報は揃ったか?」

「たった今届いたところです! そっちのモニターに送ります」

「篠原さんたちのタブレットにも送ってくれ」そしてマイクに向かう。「サル! 中里のデータが来たぞ。もう手加減はなしで頼む!」

 それを受けた篠原がタブレットに目を通し、さらに事前に用意されていたいくつかのデータを照合する。

 そして、かすかに笑みを浮かべる。

『中里さん、あなたは長年東帝大学で心理学ゼミを持っていますね。麗子さんの母親である美春さんは、そのゼミの出身だ――』

 すかさず中里が割って入る。

『知り合いだから、麗子さんのカウンセリングを依頼してきたんです。密かに行うには、私を頼るしかないから』

 中里の口調は、何かに焦っているかのようだった。まるで篠原の口を封じたいかのように。

 そして、それを記者に聞かせたくないかのように。

 高山がうなずく。

「篠原さん、名調子だな。うまく証言を誘ってる」

 しかし岸本は不思議そうだ。

「でも、データは違いますよ。また平静に戻りました。こいつ……言ってることと感じてることがチグハグだな……」

 高山がニヤリと笑う。

「やっぱり嘘か?」

「判断に迷います……この人、役者ですか? 表情とバイタルが一致しなくて、傾向がつかめません……」

「なんだよそれ。お前、何年この仕事やってんだ⁉」

「自分だって万能じゃないし」

「AIがあるんだろう⁉」

「高度なAIだからこそ、迷うことができるんです。とにかくこの人、何か特別な心理抑制法を訓練しているみたいです。単純な犯罪者と同列には扱えない」

「なんだってそんな技を……」そして気づいた。「心理分析を騙すために訓練してきた――ってことか?」

「まさか」

「だが、あっちも心理分析を実務にしているプロだ。助教なら、普通じゃ手に入らない裏技だって調べられるんじゃないか?」

「もしそうなら、きっと何年間も修行したんでしょう。そんな超人スキル、たやすく身につくはずないですから」

「警察を欺くために……?」高山がマイクに向かう。「バイタルの数値が読みにくくなってる。こいつ、AIさえ騙す訓練をしている可能性がある」

 猿橋は岸本のスキルを信頼している。自身も、中里の反応には違和感を感じ続けていた。納得がいく見解だった。

 心を抑制する技術には、ヨガや座禅などの訓練が一般的だ。だが、それも一朝一夕で効果が出るものではない。中里が時間を費やして技術を習得した上で行動を起こしたなら、それ自体が犯人の一味だと証明している。

 中里が築いた〝心理的障壁〟を崩さなければ正体は暴けない。問題は、その方法だ。しかも、時間は限られている。

 猿橋は、直感でその方法を選び出した。

『麗子さんは、本当はあなたの子供だと知っているの?』

 その質問が、記者たちに聞かれることは分かっていた。

 その意味を察して、記者たちが沸き立つことも分かっていた。

 中里がそれを狙っている可能性があることも、分かっていた……。

 危険な賭けだが、人質の命がかかっている以上、1秒でも早く核心に迫らなければならなかったのだ。

 中里はハッと顔を上げて猿橋をにらむ。

『なんだってそんなデマを⁉』

『そうなんでしょう? 美春さんの経歴を見ると、一度社会に出てから結婚し、再び大学で心理学を学び直しています。再度大学に入るというのは、現状を変えたいという願望の現れです。つまり、結婚生活だけでは満たされなかった。教授は、美春さんのゼミを担当していた。深い関係になる要素は揃っているのでは?』

 中里は視線を記者クラブのモニター画面に送った。音声はなくとも、激しい動揺が渦巻いていることは見て取れる。それほど衝撃的な指摘だったのだ。

 中里は画面を横目で見ながら言った。

『なんの証拠になるんですか⁉ 単に私たちが知り合いだというだけじゃないですか!』

『南宗一郎さんは今、署に来ているそうです。今の会話も聞いています。さて、どう思うでしょうね――』

『やめてください! 美春さんに迷惑がかかります! 絶対に秘密にしてください!』

『それって、自白と一緒ですよ』

 中里は懇願することで、麗子が実の娘であることを認めたのだ。

 記者クラブにさらなる動揺が広がる。と、記者たちの中に制服警官が飛び込んでいくのが見えた。1人の記者の腕を捻じ上げ、そこからスマホを奪おうとしている。

 それに気づいた篠原が、マジックミラーをにらんで叫ぶ。

『スマホを取り上げなかったんですか⁉』

 高山も振り返って、部下に命じた。

「どこの記者だ⁉ 情報をもらしたのか⁉ すぐに調べろ!」

 記者たちも、もはや抑えが効かなくなっていた。スマホやパソコンを取り上げても、2台目を隠し持っていた猛者も多かったようだ。次々にスマホを取り出し、メールを打ち始めていた。彼らの間に入っていく警官が増え、混乱が増していく。

 報道規制は有名無実になりつつあった。

 だが、意外なことに、中里は無表情にその混乱を見守っていた。そして一瞬だけ、ニヤリと笑った。

 岸本がAIの警告表示に気づく。

「あれ……今、〝笑った〟って……」

「笑った? 誰が?」

 岸本は映像を逆再生し、確認しながら叫ぶ。

「中里です!」

「なぜ? 記者に秘密がバレたのに――」

「データにも出ています! 確かにあいつ、笑いました!」

 その意味に気づいた高山が、マイクに叫ぶ。

「全部デタラメだ! こいつ、笑ってる! 罠だ!」

 猿橋も中里の変化を見ていた。そして、確信した。

 中里は嘘を駆使して記者たちを煽り、また1つ、障壁を破ったのだ。猿橋はその手助けをさせられてしまったことになる。

 だが、賭けには勝っていた。失点に見合う以上の収穫は、すでに得ている。

 猿橋がつぶやく。

『何かおかしいですか?』

 中里が猿橋を見る。

『おかしいって?』

『笑いましたよね、今』

『なんで私が笑うんです? 娘が大変な時だっていうのに……』

『でも、笑いましたよね。つまり、娘さんとか美春さんのことって、作り話なんでしょう?』

『そんな、失礼な……何が作り話だっていうんですか?』

『全部。わたし、人の表情は読み違えたことはないんだ。分析室のデータも裏付けてます』

 だが、中里はもう一度記者クラブの様子を確認する。混乱はもはや収拾不可能な状況に陥っていた。

 中里は大きなため息をついて、今度は明らかな笑いを見せた。悪びれずに言う。

『ああ……またバレちゃいましたね。先生のような有能なスタッフがいるとは意外でした』

『認めるの?』

『何を?』

『被害者だというのが嘘だっていうこと』

 中里はあっさりと言い放った。

『ええ、認めますよ。笑ったのは失敗でした。もう少し簡単だと思っていたんだけど……。感情を隠すのには自信があったから。そこそこ狙い通りに進んでいたので、気が緩んだようです』

 中里自身が嘘を認めれば、記者たちも扇情的な憶測は広められなくなる。同時に、今後も御涙頂戴の作り話は通用しなくなる。中里の策略を封じ、記者たちを警察の味方に留めておくことが可能になるのだ。

 それならまだ、報道規制は維持できる。

 それこそが大きな収穫だった。猿橋は、警察の肉を切らせて中里の骨を絶ったのだ。

 思わず安堵のため息がもれる。

『やっぱり、ね……』

 だが、中里は依然として笑っていた。

『とはいえ、想定内ですけど』

 猿橋の表情に厳しさが戻る。

『見破られるのも計画の内なの……?』

『先に嘘を見抜いたのは先生の観察眼ですか? それともセンサーのデータ?』

『両方とも……。で、何がおかしかったの?』

『おかしいというか……やっと正体を現せるなって、ちょっと安心したから。もう間に合わないかな――ってヒヤヒヤしてたんです』

『間に合わないって? 何が、何に』

『もうすぐ分かりますよ』

『あなたは被害者じゃない。つまり誘拐の共犯者、ってことでいいんですね?』

『言った通り、私が誘拐犯です。でも、共犯者なんかじゃない。単独犯ですから』

『単独犯……? だったらなぜここに……?』

『次の一手を見れば、分かるかも。ギリ、間に合ったんで』

 そして中里は、テレビ画面の1つを指差す。

 バラエティー番組内の天気予報の時間だった。社屋屋上からの生中継が売りの枠だ。荒天時は社内の大きな窓を背景にして、背後の風景を見せている。晴天の今日は、売り出し中の女子アナウンサーの背後にスカイツリーの姿も映り込んでいた。

 中里が小声で言った。

『バン』

 その声にやや遅れて、画面の中に小さな黒煙が上がる。アナウンサーが爆音に身をすくめ、振り返る。視線の先のビルの屋上で、爆発が起きていた。

 画面を見た猿橋が青ざめる。

『何、あれ……爆発⁉』そして中里に視線を戻す。『まさか……教授が仕掛けたの⁉』

『タイマーで、天気予報の時刻に合わせました。時間ぴったり――でしたね』

『そんなことまで……』

『武器はあるって、言いましたよね』

 テレビ画面の中のアナウンサーが言葉を失う。

 もう1つの局の定点観測カメラも、郵便ポストの屋根を吹き飛ばす爆発を捉えていた。投函されていた封書が路上に舞い上がる。驚いた通行人が逃げ惑う……。

 中里が、呆然とする篠原に説明する。

『複数の同時爆発。爆薬は硝酸アンモニウム――つまり肥料とディーゼルオイルの混合物です。ごく少量ですから、被害は少ないでしょう。画面で見ても、怪我人はいないようでした。ただし、もっと大量の――何年か前にベイルート港を吹き飛ばした量には及ばないでしょうが、それでも充分な爆薬を監禁場所に仕掛けてあります。そしてタイマーは、今も進み続けています。もちろん、麗子さんは爆弾のことは知りませんがね』

『あなた……何がしたいんですか……?』

 中里は穏やかに微笑んだ。

『警視庁を崩壊させる、と宣言したはずです。……崩壊は、今から始まるんです』

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