3−1・乱戦【取調室】

 篠原とともに取調室に戻った猿橋は、中里の目を見据えて言った。

「改めて確認します。教授も被害者の父親――ってことなの?」

 中里の返事に迷いはない。

「ええ、娘が危険にさらされています」

「娘さん、あなたと同居しているんですか?」

「不倫の子だと言ったろう⁉ それでも、娘なんだ!」

 猿橋のイヤホンに高山の声が入る。

『サル、なんとかして言質を引き出せ。犯人だと自白させろ』

 猿橋は分析室を飛び出す前に、『やはり中里は誘拐犯に違いない』と主張していた。根拠は、直接目にした〝落ち着きよう〟だ。

 仮に娘が誘拐されて取調室での演技を強要されていたなら、表情やバイタルに緊張が現れるはずだ。記者の注意を惹きつけたことを確認してから主張を変えたのも、わざとらしい。急に語気を強めたのも、芝居がかっている。誘拐犯が中里の口を借りて『警視庁を崩壊させる』と宣言する意味も理解できない。

 単独犯ではないとしても、中心的な共犯者である可能性は濃厚だった。

 電子機器やAIを駆使して中里の感情を数値化している岸本も、全面的に猿橋に同意した。少なくともデータからは、娘を案ずる父親の内面は読み取れない。

 だとすれば、中里が働きかけようとしているのは、取調べの目撃を許された記者たちだ。誘拐事件を公開し、騒ぎを警視庁の外に拡大しようとしている。

 それが取調室の中継を要求した理由だ。

 だが、事件を拡大した先にある〝真の目的〟が不明のままだった。

 通常の誘拐事件なら警察の介入そのものを嫌うだろうし、マスコミに報道されれば不利になる。爆弾ジャケットを準備したことから考えれば、計画性の高さは疑いようがない。騒がれること自体を楽しむ劇場型の愉快犯なら、自ら逮捕されに来ることなどない。〝警視庁の崩壊〟という、一見馬鹿馬鹿しい言葉の真意も掴めない。

 猿橋の困惑を尻目に、中里の目がカメラに向かう。口調は冷静だが、一気にまくし立てる。

「記者の皆さんに改めてお願いします。御社の新聞紙面やテレビ局で、どうかこの事件を報道してください。私は警察に来て犯人を演じるように強制されました。こうして取調べの様子をマスコミに公開させるよう、命じられたんです。それができれば娘は解放するし、できなければ殺すと脅されました。しかし、身代金は要求されていません。そもそも私は金なんか持っていない。つまり、娘はもう無用なんです。言葉通りに解放される可能性は低い……。だったら、少しでも娘が助かる方に賭けたい。あなた方のお力を貸してください。日本中に事件を知らせて、娘を見た人を探してください。警察の捜査に協力するように全国に訴えてください――」

 たまりかねた篠原が身を乗り出す。

「ダメです! 南さんの誘拐はまだ報道規制が敷かれているんです!」

 中里が篠原をにらんで叫ぶ。

「娘は関係ない! 麗子さんのことは隠しておけばいい!」

「そんなことはできません。犯人を警戒させてしまう。誘拐は失敗だったと思い込んでしまったら、麗子さんまで殺されかねない」

「私の娘なら死んでもいいのか⁉」

 中里の語気の粗さに、篠原がたじろぐ。迷いも生じていた。

 犯人に脅されて記者を巻き込むことを強要されたのが真実なら、その状況を逆用して娘を助けようとするのも無理はない。だが中里が犯人側なら、同情を買って報道規制を破ろうとしていることになる。

 そのどちらかだと示す確実な証拠は、まだない。

 篠原の逡巡を察したかのように、イヤホンに高山の言葉が届く。

『中里の狙いはこれかもしれません。麗子さんの件は報道できないが、中里の娘はまだ規制の了解が取れていない。どこかの社が先走ってリークする恐れが出てきました……。こいつ、報道規制を力技でブチ破る気でしょう。警視庁をぶっ壊すっていうのは、このことなのかも。これで中里は犯人だと断定していいんじゃないですか? 記者どもの手綱を締めておいて良かった』そして付け足す。『篠原さん、つまらない事件ばっかりで勘が鈍ったんじゃないですか? 迷う必要はありません。直感、まだ降りてきませんか?』

 高山はすでに、中里は犯人の一味だと確信している。

 猿橋も同様だが、それを表情には現さない。中里に穏やかに語りかける。

「そうじゃないの。誘拐事件の捜査には、人質救出の可能性が一番高くなる定石があるの。警視庁が積み重ねてきた経験則ね。あなたの娘さんが麗子さんと一緒に誘拐されたのなら、麗子さんを助けることが、すなわち娘さんを救うことになるのよ」

「麗子さんには価値があっても、娘はもう意味がないんだ!」

「それでも、殺人が絡めば罪も重くなる。誘拐犯だってそれぐらいは知ってる。もしも娘さんが殺されたら、麗子さんの誘拐と一体の事件として裁かれる。あなたが証人なんだから、逃れようがない。だから、不必要な殺人は犯しません」

「断定できるのか⁉」

「犯人には緻密な計画があるようです。ジャケットに爆弾を仕込むほどですから。知能的な犯罪者は、手間と時間をかけた計画を狂わせかねない行動には出ません」

 イヤホンに高山の言葉が入る。

『処理班が到着した。危険がないと判断したら、こっちで爆弾を解体する。本物かどうか、この場ではっきりさせる』

 岸本が続く。

『今の言い合い、かなり感情の起伏が高まっています。もう少し怒らせてもらえませんか』

 猿橋が言った。

「――とはいえ、断言はできないけど……」

 篠原がすかさずアシストする。言葉遣いは丁寧だが、口調が高圧的だ。

「我々警察は、常に全力を尽くしています。あなたは最も犯人に近づいた人物です。この件に巻き込まれた状況を詳しく思い出していただきたい。些細なことでも、犯人を追い詰める手がかりになるかもしれないのです」

「それより報道を! 娘の顔をテレビで流してください! 誰かが見かけていないか、情報を集めてください! 最近の写真が財布に入っています。それを新聞記者たちに渡してください!」

 そして、テーブルの上の財布に手を伸ばそうとする。

 篠原がそれを取り上げる。

「ダメです! まだ報道はできません!」

「どうして⁉ 麗子さんなら身代金が手に入るまで殺されない! でも娘は、いつ殺されてもおかしくない!」

「大丈夫。警察が全力で探しますから」そして財布から女児の写真を抜き出すと、戸口の井上に手渡す。「この娘さんを探すように」

 中里が腰を浮かせる。

「そんな悠長な! 写真を返せ! 記者に見せるんだ!」

 立ち上がった中里がテーブルを回る。猿橋も立って、行く手を塞いだ。

「落ち着いて!」

「邪魔だ!」

 その間に井上は取調室を出ていた。

 中里がぐったりと肩を落とす。

 猿橋に軽く押された中里は椅子に戻った。

「警察を信じてください。座っていてください」

 篠原がトゲを含んだ口調で言った。

「感情的になっても人質は取り返せません」

〝悪い警官〟を演じている。

 中里がにらみつける。

「他人の子だと思って!」

 席に戻った猿橋がすかさず割って入る。

「お子さんを救けるためにも、協力してください。何か犯人の素性に思い当たることなどありませんか?」

「それはもう話した。私は奇妙な命令を受け取っただけだ」

「記者クラブに取調べを見せろとも命じられたんでしょう?」

「そっちは口頭の命令だった。郵便受けを見た後に、電話がかかってきたんだ」

 イヤホンに岸本の声。

『そんな通話記録、残ってません』

 猿橋が声を落とす。

「あなたのスマホには、そんな記録はないって」

「あのスマホは犯人がUSBと一緒に用意していたんだ!」

「でも、そんな命令があったのなら相当慌てたでしょう? 教授のご家族も気づいたはずですけど、今はどうしているんですか?」

「妻とは離婚して1人暮らしだ。『娘を学校に行く途中でさらった』と言われた」

「不倫の子――と言いましたよね。お相手の方は誰? 結婚してるんですか? お子さんはあなたが父親だと知っています? 定期的に会ったりしてるんですか?」

「そんなこと、記者の前で話せるか!」

「それでも、お子さんの写真は報道したいと? 情報も一緒に渡さなければ記者だって探せませんよ。お子さんのご家族は、誘拐のことを知っているんでしょうか?」

「私に分かるはずがないだろう⁉」

「なのに、そんなに慌てるって――」

「娘なんだから当然だ! 何が言いたいんだ⁉」

 猿橋の口調は穏やかだ。中里の言葉の矛盾にこだわることもなく、自分の土俵に引き摺り込む作戦を開始する。

「ということは、誘拐犯は教授の電話もSNSも知っている。娘さんの家族のことやライフサイクルも知っている。たぶん、麗子さんのことも……。全てを調べられる共通の人物に心当たりはないですか?」

「そんなこと知るか! 麗子さんのことを調べていれば、私の患者だったことも分かるかもしれない。探偵とかを使って私を調べれば、娘のことだって……」 

 イヤホンで岸本が叫ぶ。

『今のは嘘っぽい! 声の変化は不鮮明ですが、心電図は乱れてます!』

 猿橋が軽く息を整える。

「質問を変えましょう。というより……手伝ってもらえません?」

「手伝う?」

「警察への協力です。教授は臨床心理士ですから、その立場からの意見を聞きたいの」

「犯罪の知識なんかありません」

「一般的な見解が聞きたいだけです。それが娘さん発見の手助けになるかもしれません」

「なんの意味があるんだ⁉」

「ない、とも言えないでしょう?」

 中里はやや落ち着きを取り戻したようだった。

「どんなことでしょう……」

「犯人はどうしてマスコミを巻き込もうとしているんでしょうか? 犯罪者なら、普通は避けるでしょう?」

「そんなことは知りません! 犯人じゃないんだから!」

「臨床心理士としての経験から、何か気づくんじゃないかと――」

「犯罪には、あなたの方が詳しい」

「詳しいからこそ見逃す――ってこともあります。わたし、さっきから前例のことばかり考えちゃって、頭の中が堂々巡りなんです。新鮮な意見が欲しくて」

「そう言われても……ここで騒ぎを起こして捜査の目をくらまそうとしているのでは?」

「それ、考えられますよね」

 岸本の声が入った。猿橋は考え込むフリをする。

『データ、急速に鎮静化しています。ほぼ正常に戻ってますね。これ、どうなんでしょう。本当に娘さんのことを心配してるなら、これほど急激に安定するとは思えないけど……』

 篠原が中里を見つめる。

「もう1つ、解せないことがあります。麗子さんの動画、1人で写ってましたよね。なぜ1人で監禁してるんでしょう?」

 篠原が話し始めたことで、猿橋が黙る。連携ができ始めていた。

 中里は篠原を見返した。

「……どういうことですか?」

「あなたの娘さんも誘拐しているなら、一緒にしておけばいい」

「なぜって……? 意味が分からないけど」

「2人の娘さんを別々の場所に置いておく理由です。手間も監禁場所も余分に必要になります。無駄じゃないですか」

「画面に写っていないだけでは?」

「写っていてはいけないでしょうか?」

「はい?」

「犯人は警察にあなたを送り込むことはできても、何を話すかまでは強制できない。いくら娘さんを殺すと脅迫しても、従う保証はない。犯人と警察のどちらに協力するか……決めるのはあなた次第です。実際、記者たちに事実を暴露してしまった。あなたには盗聴器も仕掛けられてないし、犯人が取調室の中を知る術はない。だったら、娘さんの姿を見せた方が確実に裏切りを防げませんか?」

「私を刺激しないため、かも……」

「普通は、映像を見せた方が強制力が強くなると考えます。そもそも、脅す目的で誘拐したんですから」

 と、中里は何かに気づいたようだ。

「だって私は犯人を演じろと命じられたんだ! 犯人の子供が人質と一緒じゃおかしいじゃないか!」

 イヤホンが言った。

『必死に言い訳を考えてるフシがあります! こいつ、冷静に頭を使ってますよ!』

 篠原はその情報を得たことを感じさせない。

「たとえ未知の人質がいても、警察はあなたとの関係を知らない。誘拐時にたまたま居合わせた目撃者だと考えるかもしれない。その子が誰かを知っているのは、あなただけです。だったら、より強く拘束する手段になりませんか?」

「そんなことを聞かれても……まさか、もう殺されている⁉」

「それはないでしょう。あなたの役目がすでに終わっているなら、無意味な重罪を重ねることになります。割に合わないです」

「そこまで計算しているでしょうか……」

「用意周到な犯行ですから。だから逆に、不自然なことに思えます。あなたの役割が誘拐事件を公開させることなら、その先に何を企んでいるのか……。これでは身代金だって簡単には奪えなくなる」

「身代金の要求はあったんですか?」

「南氏個人では難しいような、高額な要求です。その上に、常識外れな行動……犯人の意図はどこにあるんでしょう?」

 要求は、100億円だ。その法外な金額は記者にはまだ秘匿されている。

「世間を騒がせることが狙いなら……私は『警視庁を崩壊させる』と言えって命じられましたから」

「愉快犯だとすると、手が混みすぎています。フェイクの爆弾まで用意したのなら、テレビ局とかに送りつければいい。それだけで大騒ぎになります。誘拐なんて重罪を犯す必要はないでしょう」

「警視庁へテロ攻撃を企んでいる――とか?」

「あんなちっぽけな爆弾1つで? 背後にテロ攻撃が可能な組織があるのなら、予告なしでいきなり実行した方が成功率が高いはずです」

「だったら、これから別の要求を出してくるのでは?」

「新たな要求を出すには、僕らへのコンタクトが必要です。警察は当然、臨戦体制を整え終えています。電話1本、メール1つだって発信場所は見逃しません。しかもマスコミに報道されれば、国民全員から監視されかねない。わざわざ目撃者を増やして、自分の行動を縛るようなものです。誰に何を要求するんだか……。何か思いつくことはありませんか」

「そんなことより私は――」

「むろん、あなたの娘さんも全力で捜査を始めます」

「麗子さんの片手間では⁉」

「これは別々の案件ではありません。麗子さんを探せば、娘さんにたどり着きます。その逆も然り。ですから、ここは落ち着いて僕たちに協力してください」

 中里が不意に叫ぶ。

「誘拐を隠したいための言い訳じゃないのか⁉」

 篠原が言い放つ。

「記者たちの同情を引いても無駄です。僕たち警察は、威信にかけても犯人の言いなりにはなれません。あなたには事件が終わるまでここにいてもらいます」

「そんな! 私たちは巻き込まれただけなのに!」

 篠原は、あえて冷たい口調を演じて反応を引き出そうとしていた。

「だがあなたは、一度は自分が誘拐犯だと証言しています。その言葉、軽く考えないでください」そして表情を和らげる。「理不尽な待遇はしませんから、安心してください。だが、僕たちは娘さんがすでに殺されていることも視野に入れて捜査を進めます」

「もう殺されてる……と?」

「可能性の1つです」

 イヤホンに高山の言葉が入る。

『爆弾を解体している。爆薬はC4に見せかけた粘土だが、起爆装置は緻密な作りで部品は本物、しかも動作可能だ。どこかに本当に爆弾を仕掛けているという脅しだな。起爆装置の中に、別の要求が入っていた――』

 篠原の猿橋も、その言葉を聞いて演技を続けることはできなくなっていた。驚きを隠せない。

 猿橋が思わずつぶやく。

「要求って……?」

『取調室に3台の地上波テレビを用意して、中里に3種類の情報バラエティ番組を見させろ――だと。サル、目的が分かるか? 俺はお手上げだ。なんかもう、ぶっ壊されてる気分になってきた……』

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