6−1・活路【取調室】

 篠原のイヤホンに高山の報告が入った。

『爆発、確認しました……コンテナハウス、ワゴン車とも完全に破壊されました。大爆発です。山の中にクレーターみたいな大穴ができたようで……。退避が遅れたSAT隊員が負傷しています。幸い、死者や重傷者はない模様。警告がなければ、確実に死んでいたそうです……』

 記者クラブにも変化が起きていた。制服警官たちも、もはや彼らを抑えることはできない。記者たちは皆、隠し持っていたスマホを堂々と手にして、叫んでいる。本社と情報を交換して、爆発警告の結果を確認しているのだ。

 南麗子誘拐事件は営利誘拐の枠を破り、大型のテロ事案に発展している。情報規制は完全に破綻した。

 モニターから目を離せずにいる篠原に、中里が言った。

「爆発、したんでしょう? 助言したのに」

 篠原が我に返る。

「麗子さんは無事でしょうね⁉」

「当然です」そして、席に戻ってラップトップを見つめていた猿橋に確認する。「映像、見えてるじゃないですか」

 暗視カメラ映像の中の麗子は、ベッドで上体を起こして辺りを見回していた。部屋の様子は何も変わっていない。爆発に感づいてはいるようだが、やはり視線は定まらない。

 猿橋が中里を見る。

「爆音が届く場所にいるの……?」

「違います。スマホから気配だけは伝わったんでしょう。真っ暗なんで、彼女、何も見えないんです」

「気配、って? お父さんとは会話ができていたのに……」

「手間を省くために、カラクリをお教えしましょう。お渡しした番号の電話は、コンテナハウスに置きました。すぐ横に、回線をつなぎっぱなしのスマホを並べ、それが麗子さんの監禁場所につながっています。突入時の小爆発で2つのスマホは完璧に破壊されたはずですが、ワゴン車や他の場所に何かしらの痕跡が残っているとまずいんで、改めて周辺ごと破壊しました」

「そんな仕掛け、教授が自分で作ったの?」

「もちろん。単独犯ですから」

「そんなこと、一体、いつ……?」

「爆発物は前もって仕掛けておいて、近くに逃走用の車を準備しておく。麗子さんを誘拐してから仙台に向かい、スマホをセットしてその車で東京に戻る。途中で麗子さんを監禁する。繋ぎっぱなしの電話料金も、通話無料のキャリアなんで気にする必要はなし。帰路は深夜ですから、5時間程度しかかかりませんでした」

 言葉通りなら、帰路5時間以内のどこかに麗子が監禁されていることを意味する。ただしその範囲は、広大だ。

 しかも『嘘は言わない』という中里の言葉が嘘である可能性も残る。

「爆発物の製作も1人で……?」

「こっちの細工は多少雑でも問題ないんで、自分でやりました。あなた方の慌てぶりからすると、相当の威力だったようですね。実験するわけにいかないので、結果は予測できなかったんです。ただし、死者を出すことは望みません。ですから、警告を差し上げた訳です。……まあ、大爆発そのものが警告なんですけどね」

 篠原の脳が正常に働き始める。同時に、背筋に寒気が走り抜ける。

「警告……? なんの?」

 中里も、篠原が恐怖を感じたことを嗅ぎ取った。

「爆発の規模は報告が入っているんでしょう? 映像で確認してください。同じものを複数、作りました。もしも私の要求が通らない場合、もちろん麗子さんの命は消える。加えて、監禁場所が爆発した際は、都内の数カ所に仕掛けた爆弾も起爆するように設定してあります。そっちは、多数の死人が出る恐れもあります」

 篠原の恐怖は、現実に変わった。

「誰も傷つけたくないんじゃないんですか⁉」

「私は、そうです。だから警察に、警告も選択権も与えています。結果の責任は、あなた方が負ってください」

「本気ですか……?」

「信じないのは、あなたの……いや、警察の自由ですけどね」

 記者クラブ内では、数人がモニターに向かってスマホを向けていた。情報統制が機能を失ったとはいえ、それでも緊迫した取調室の様子を撮影されるのはまずい。

 篠原がカメラを覗き込む。

「記者諸君にお願いします。あなたたちはすでに外部との情報交換を行なっているようですが、それは黙認しましょう。しかし、ここで得た情報は、パニックを起こさないように最大限の注意を払って取り扱っていただきたい。麗子さんの監禁画像も、公開は今しばらく待つようにお願いします。現在、鋭意公開許可に向けて検討中です。ただし、取調べの様子は絶対に外部には洩らさないように。この記録は法によって公開が制限されています。もしも映像や録音が外部に流出した場合は、あなた方自身のみならず、所属する企業体にも徹底した処罰を下します。最悪の場合、テロ行為への積極的な加担と判断して、最大限の制裁を行います。決して口先だけの脅しだとは思わないように」

 モニターの中で動揺が広がった。篠原は記者の間では変わり者だと評判だったが、温厚で冷静なキャリアとして歓迎されていたのだ。その篠原が恫喝まがいの発言を行ったことは、事の重大さを表している。

 この誘拐事件はすでに日本の警察組織の屋台骨を揺るがし始めている。〝警視庁の崩壊〟は、絵空事ではなくなっている。

 イヤホンに高山の声が入る。

『こいつ、嘘は言っていません。今度の爆発はとてつもなくデカい。宮城県警から報告が入りましたが、爆発音は山間盆地になっている川崎町全域に響き渡ったそうです。町内から噴煙や焦げ跡も目視できるといいます。もしも人口密集地で同じものが起爆されたら、どれだけ被害が出るか……』

 中里の視線がテレビの1つに向かう。情報バラエティー内で、速報が入っていた。

 それに気づいた篠原が、リモコンで音量を上げる。女性アナウンサーが手渡された原稿を読み上げる。

『ただいま、爆発事故の情報が入りました。8時45分ごろ、宮城県川崎町内のゴルフ場で、大きな爆発事故がありました。この爆発で、死者や怪我人は確認されていません……』と、アナウンサーが素に戻る。『あれ? 45分って……ついさっきですか?』

 お笑い芸人出身の番組MCが調子を合わせる。

『そうだね……5分前? 我が番組の情報収集力、ミラクルだね! でも、ゴルフ場で爆発ってどうして? ガス爆発とか? さっきの爆発といい、なんか物騒だね。詳しい続報が知りたいところです。では、先ほどの話題に戻って――』

 明らかに、警視庁から漏れ出た情報を元にマスコミが動き始めている。取材ヘリが現場上空を飛び交うのも時間の問題だろう。それは、誘拐事件と爆弾テロの関連が暴かれる危険を伴う。

 その先には、日本全土を巻き込むパニックが待ち構えている……。

 猿橋は、テレビ画面ではなく中里の表情だけを見つめている。

 篠原が再びカメラに向かう。

「もう一度警告します。この事件は、広域テロ事件となりつつあります。報道での取り扱いは、極めて慎重に行っていただきたい。興味本位の煽り報道を行うようであれば、厳正に処罰します。決して忘れないように」

 中里が言った。

「その通り。私は今、要求を通す手段として駒を進めました。さて、管理官はどう対応します?」

 篠原は中里をにらむ。

「あなたが欲しいのは厚労省の機密文書なんですか?」

「むろん、手に入れたいです」

「それがあれば、麗子さんを解放するのですか?」

「というか……文書が、身代金の代価になるんですが」

 篠原が再び困惑する。

「代価……? 身代金と人質との交換ではないんですか?」

 中里がわざとらしく肩をすくめる。

「どれだけ大切な人間でも、100億円にはならないでしょう? しかも、南氏が1人で調達することは不可能だ。分かりきったことじゃないですか」

「分かっていながら、誘拐を……?」

「機密文書と引き換えなら、100億円も夢じゃないでしょうから」

「もしや……あなたは日本政府を脅迫しようというんですか⁉」

「とんでもない。買ってもらいたいだけです。商取引ですよ」

「だから、誰に⁉」

「誰でも構いませんよ、金さえ出せるなら」そして、カメラを見つめる。「私が期待しているのは、特にマスコミの皆さんなんですけどね。あなた方は日本政府を憎んでいるんでしょう? 常日頃から政府を批判して、それが視聴率を支えている。憎んで余りある与党を叩きのめす素材なら、かなりの価値があるんじゃないですか? このネタ、苦し紛れに掘り出してきたような〝重箱の隅〟じゃありませんよ。不正のど真ん中ですから。新聞社でもテレビ局でも、独占スクープで売れます。ネットに押されて退潮気味のメディアに喝を入れるにも、格好のスキャンダルでしょう?」

 中里は、明らかに記者たちを蔑むような薄笑いを浮かべていた。

 モニターに見入る記者たちが、呆然と動きを止める。

 篠原がつぶやく。

「あなたは文書の中身を知っているんですか……?」

 中里はニヤリと笑っただけだった。

 高山の声がイヤホンに入る。

『総監から連絡。南氏は文書の実在を認めません。しらばくれているのではなく、そもそも存在しないという感触のようです。まあ、官僚同士のかばい合いという線は消えませんが』

 岸本が加わる。

『ブラフの可能性もあります。ありもしないスキャンダルでマスコミを揺さぶってるのかも。こいつ、煽ってばかりですから。100億円なんてばかばかしいし、誰かが支払ったとしても止めることはできます。どう考えても回収できない』

 篠原がわずかな沈黙の後に、中里を見る。

「いかにマスコミといえども、100億円は支払えないでしょう」

「分割購入していただいてもいいんです。私が用意した口座に100億円が入金されさえすれば、あとはどうでもいいんですから」

「ふざけているんですか⁉」

 中里は篠原の言葉を意に介さない。

「マスコミだけで不足なら、企業さんにも参加していただきましょうか。競売、というのも一興でしょうね。資金力という点では製薬会社の方が勝ると思うし、文書を手に入れたい強力な動機もあるでしょう。期限は、あらかじめ設定してあるタイムリミットまで。その間に一番多くの献金をしてくださった方に文書はお譲りします。むろん麗子さんも、解放します」

「あなたは誘拐が重罪であることを忘れていませんか? 犯罪に使える口座など存在しません。ただでさえ不正な金の移動は監視が厳しい。どこに移そうが、必ずバレます。今はタックスへイブンすらも否定されつつあるんです。不正利用の口座は法的に凍結されます。あなたは金を受け取ることはできません」

「それは、私の問題です。あなたは、文書の入手に全力を注いでください。それが、人質と市民の命を守る唯一の方法ですから」

「南氏は、そのような文書は存在しないと明言しています。巷で騒がれているスキャンダル自体が、根も葉もない噂話に過ぎません」

「不正な取引をやってました――なんて言えますか? だからこうして、警察を巻き込んだんです。南氏を『言い逃れできない場所』に追い詰めるために、ね」

「実在しなければどうにもならない⁉」

「だったら、それを証明してください。〝悪魔の証明〟って難問ですけどね」

 篠原は無表情だった。

「では、聞きます。タイムリミットは、いつまでですか?」

「それもまだ、私の切り札なんですよね。ただし、リミットはあります。すでに設定しているし、ここに閉じ込められている私には変更できません」

「だったら、我々にどうしろというんですか⁉」

「まず、全力で文書を探してください。南宗一郎氏があくまでシラを切るなら、厚労省にガサ入れでもするんですね。その結果をこっそり知らせてくれれば、リミットの延長も考慮しましょう。ただし、変更にはネット接続されたコンピュータが必要ですけど。文書が手に入れば、身代金の受け取りにかかります。リミットを解除して爆弾の場所も教えますし、麗子さんも解放します」

「警察を使い走りにする気ですか……?」

「国民を守るための機関なんですから、しっかり働いてください。繰り返しますが、私は誰も傷つけたくはない。誰1人、です。だから、私の要求には従ってください」

「せめて、爆弾の数は教えて欲しいのですが」

「その程度なら譲りましょう。全部で3個。すべて都内に設置してあります」

「人的被害を起こしそうな場所なんですか?」

「もちろん。ですから、一刻も早く解除させてください」

 マイクに岸本の声が入った。

『こいつ、本気みたいですね。ハッタリとかウソとかの反応は出ていません。文書の存在も確信しているようです』

 高山が付け加える。

『緊急のDNA検査の結果が届きました。こいつと麗子さんは無関係、麗子さんは取り寄せていた母親のDNAとは一致点が多い。ただ、宗一郎氏とは微妙なようです。まあ、時間優先の検査なので確度は低いですが。それでも50パーセントは確かだろうということです。家庭環境は複雑なようです。宗一郎氏は、娘に知られたくないのでしょう。親子の不和の原因も、そこにあるのかもしれません。その辺は改めて部下に確かめさせています。しかし……どうも、麗子さんと結託した狂言のような気がします。その可能性を考慮して部下の配置を変えさせてもらいました』

 しかし篠原は、もはやそれを重要視していなかった。麗子の誘拐は重大事案だが、すでにそれを超える状況に陥っている。実際に3個もの爆弾が仕掛けられている確証はない。それでも、中里が無差別殺人を可能にする爆発物を操れることは実証されている。

 無視できるはずがない。

 篠原がつぶやく。

「それでも文書が見つからなかったら……あなたはなんの関係もない人たちを殺傷できるのですか? 傷つけたくないというのは、ただの言い逃れじゃないんですか?」

 中里の返事は、あらかじめ用意されていたように素早い。

「代案がないわけではありません。でもそれ、文書を探すよりしんどいですよ。だからまず、徹底的に南氏を攻めてください」

「代案、とは……?」

「そう……30分待ちましょうか。そこから文書の入札を開始します。入札の期限は、金額を積算して100億円の満額に達するまで。一番大きな金額を出した方に全てのデータを渡し、その他の方には金額に応じたパーツを提供しましょう。あ、言い忘れました。入札には警視庁や日本政府が参加してくださっても全然構わないんですよ」

「リミットに間に合わなかったら⁉」

「30分経っても南氏から何も聞き出せなければ、プランBに移りましょうか。でもそれ、政府がもっと困ると思うんですけど」

 そして中里は、口をつぐんで目を閉じた。

 ずっと無言だった猿橋が不意に席を立つ。

「やだ、またトイレに行きたくなってきた!」

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