4−2・奇手【分析室】
分析室に入った高山は髪の毛を部下に渡し、命じる。
「震災後のカウンセリング記録、まだ手に入らないのか?」
「受けたという記録は見つかりましたが、肝心の内容が発見できないらしんです」
「は? 正式な診療記録だろう? 医者が庇っているのか?」
「いいえ、コンピューター内のファイルが丸ごと消去されているらしくて……。担当医の話では、中里が自分で消去したのではないか、と。同じ病院の臨床心理士ですから、やろうと思えば簡単らしいです。今、担当医の記憶を聴取しているとのことです。医師は協力的だといいます」
「調べられることを予期していたか……。仕方ないな。できるだけ急がせてくれ」そして付け足す。「別れた妻のその後も精査するように。死因はただの交通事故ではないかもしれない」
「手配してあります。でも、この事件に関係があると?」
「あいつの人間性に関わることだからな。サルにはできるだけ多くの情報を与えておきたい」
高山はコンソールに向かった。猿橋とのやりとりを見つめながら、タブレットで中里の過去を記載したファイルを開く。
「やはり娘の死は重要なポイントだな。わずかだが、ようやく人間らしい反応を見せてくれた……」
岸本はモニターから目を離さない。
「確かにバイタルの揺らぎは、今までで一番大きいですよ。かなり気にしているようです……っていっても、すぐに正常範囲に戻っちゃうんですけど。ホント、内面が見極めにくいヤツだ。どんな訓練を積んできたんだか……篠原さんまで、へし折ろうとするなんて……」
だが、高山は断言した。
「おかげで、目に光が戻った。これからが篠原さんの本領発揮だぞ」
「だといいんですが……。それにしても、中里って難物ですね」
「警視庁に喧嘩をふっかけるようなタマだからな。手強いのは仕方なかろう。だからサルもあんなに攻撃的になるんだろう」
「そうしないと、頭をこじ開けられないみたいです。サルさんって、あんなに強気になることあったんですね。これだけ振り回されても、全然凹んでないし」
「凹んでないわけじゃないだろう。今は弱みを見せられない。せっかく先手を取れたかと思った途端にこれだからな……。だがあいつ、強気というか、趣味に走ってないか?」
「理由はともかく、情報は取れましたよ、わずか、ですけど」
「ゼロよりは数段の進歩だ。だが、身代金の要求は当然としても……どうやってここから受け取る? 記者に手の内を晒して、しかも取調室に閉じ込められているのに」
「なんらかの手段を準備してるんでしょうね」
「それはそうだろうが……俺には想像もつかない」
岸本も首をひねる。
「単独犯――なんですよね?」
「それもフェイクだろう。外に共犯者がいなければ金は受け取れん」
「そもそも要求は100億円でしょう? そんな大金、どうやって奪うんですか?」
「現金ではあり得ない。金塊とか宝石とかっていう手段はあるが、簡単に手配できるものじゃない。二課の予測では電子的な送金手段を使うということだ。そっちの追跡体制もそろそろ整う。金が準備できたとして、だが」
岸本が、さも今思い付いたとでもいうように言った。
「これ……狂言の可能性ありませんか?」
高山が即座にうなずく。
「むろん、考慮している。金額が大きすぎるし、受け渡しが可能だとも思えない。何より、犯人が桜田門に乗り込んでくることが異常だ。目的が身代金じゃないなら、人質と組んだ芝居かもしれない」
「だったら、目的ってなんでしょう?」
「そこが見えないから、篠原さんも腰が据わっていなかったんだろう。まずは、それを探り出すのが仕事だ。はっきりしているのは、ヤツがしきりにマスコミを巻き込みたがっていることだ。だからその手に乗らないように注意していたが、結果はこれだ。それよりお前こそ狙いを暴けないか?」
「データ分析やアルゴリズム解析なら負けるつもりはありませんが、犯罪者の心の中には入れません」
「やっぱりサルの領分か……」
「篠原さんだって天才なんでしょう?」
高山は肩をすくめて篠原の表情を伺う。
「篠原さんは理系脳で、人間は苦手だって認めてるぐらいだからな……。公平なゲームなら負けないだろうが、相手が勝手にルールを作るなら話は別だ。キングを取ったら負けるゲームだったら、どうする?」
「理系脳が弱点だなんて……」
「ここはサルに期待だな。やっぱりあいつ、笑いを堪えてる」
「ですよね……」
少なくとも、猿橋は 困った顔はしていない。
篠原が沈黙を破って最初に問題にしたのは、身代金の件だ。
『今、金策を行っているそうです』
中里がニヤリと笑う。
『金策? 南氏がいかに実力派の高級官僚でも、私の要求は満たせないでしょう。だって、100億円ですよ』
モニターの中で、記者たちの動揺が広がる。要求された金額については、まだ秘匿されていたのだ。
篠原の頬が一瞬引きつる。記者たちの前で金額を公言させたのは、明らかな失策だ。マスコミが沸き立つのが目に見えている。
中里はそれを知っていて、記者に聞かせるために言葉にしたのだ。
しかし篠原はすぐに反応した。ルールを決めるのが中里なら、その土俵で戦うしかないと覚悟を決めたようだ。
『その金額、本気なんですか?』
『むろん、本気です。そんなバカな……って顔をしてますね』
『非常識な金額だってことは自覚しているんですね? それほどの大金が揃えられると思っていないのなら、なぜ要求を?』
『値引きはしませんが、金額の件はひとまず置いておきましょう。それは私の問題です。まずは人質の安否確認――でしょう?』
篠原がため息をもらす。
『教科書に従えば。できますか?』
『当然。宗一郎氏も警視庁に来ているんですよね? ちょうどいい、お父上ご自身に確認していただこうじゃないですか』
篠原の表情が厳しく変わる。
『取調室に入れるわけにはいきません』
『なぜ? 大事な娘さんの生存を確認しなくていいんですか?』
『スマホとかで話すだけなら、入る必要はないでしょう?』
『父親の姿を記者の前に晒すのは忍びない……ってところですか。官僚仲間の麗しき友情ですね』
『あなたの目的は、南氏を矢面に立たせることなんですか?』
高山がつぶやく。
「うまい! ヤツの真意が暴けるかも!」そしてマイクのスイッチを入れる。「もっと突っ込んでください! 厚労省を巻き込みたがっているなら、政権批判が目的かも。思い切り掻き回してください」
中里は余裕を見せるように背もたれに体を預ける。
『いいえ、身代金が手に入りさえすれば、他はどうでも構わないんですけどね』
岸本がマイクにつぶやく。
「嘘の反応、かすかに出ました」
篠原が身を乗り出す。
『100億円もの大金、すぐに調達できる官僚がいると思いますか?』
『ですから、その話は後で。安否確認はどうします?』
篠原はしばらく考えるフリをしてから、言った。
『どうやって確認するんですか?』
『電話で話してもらいます』
『番号を教えてもらえるのでしょうか?』
『紙とペンをもらえれば。記者には知らせたくないでしょう?』
『だったら、僕がそれを南氏に渡します。南氏がここにくる必要はありません』
『それじゃあ、私が会話を聞けないですよね』
『聞きたいんですか?』
『何を話したところで監禁場所は分からないでしょうけど、私も内容は知りたいので。コソコソ罠を仕掛けられると、困りますから』
『会話が聞けるなら、南氏はここに呼ばなくていいのですね?』
『会話が聞けるなら、ね』
篠原がマジックミラーを見る。
『可能ですか?』
岸本が即答した。
「中里にイヤホンを渡せば、できます。通話をこちらで傍受して、イヤホンに流します。どのイヤホンに流すかは、選べます」
篠原がうなずく。
『あなたにイヤホンを渡します。南氏の通話だけは聞けるようにしましょう。それでどうですか?』
『記者たちは不満でしょうが、私はいいですよ。譲りましょう。ただし、嘘はつかないように。機材の不調で音が届きません、とかの〝事故〟が起きたら、監禁場所は絶対に明かしませんから』
『分かりました』そして中里にメモとペンを渡すと、マジックミラーに命じる。『高山さん、イヤホンを持ってきてもらえますか? しばらく交代してください』
高山は岸本が差し出すイヤホンを取って、取調室に戻った。
交代で、電話番号を記したメモを持った篠原が分析室に入って岸本に命じる。
「番号です。傍受と位置特定を」
「位置は割り出せますけど、それぐらいは承知でしょうに……」
「当然、何かしらの防護策をとっているでしょう。その前提で、対応策を考えましょう」
岸本がキーボードに番号を打ち込むと、篠原が言った。
「僕は総監室に行きます。麗子さんとの会話中は付き添うことになるでしょう。DNAサンプルも採取しますので、科捜研から誰か寄越してください。傍受はいつ頃開始できますか?」
「2分ください」
「分かりました。5分後に南氏が会話を開始します」
そして篠原は、メモを持って出ていく。
その間に、中里がイヤホンを装着する。そのイヤホンは南氏以外の通話は中継しないようにセッティングされた。
岸本がマイクに言った。
「通話開始は5分後」
同時に、背後のスタッフからメモが渡される。
〝コンビニ監視画像確認。犯人の証言と一致。拉致に使用したワゴン車をNシステムで追跡中。SSBCも解析進行中。南麗子が使用のタクシーも発見、現在聴取中なるも新情報は無し〟
SSBCは捜査支援分析センターの略称で、全国に設置されている民間の保安カメラ映像などを集めて犯人の行動を追う部署だ。Nシステムは車のナンバーを自動的に読み取る装置で、全国1500箇所以上に取り付けられている。
岸本が内容を伝えると、高山が中里に説明した。
『今、篠原管理官が南氏に番号を伝えに行っている。麗子さんの拉致現場も君の証言と一致した』
『私を信用していただけますね?』
『内容による。だが、君が麗子さんを拉致したことは確認できた』
岸本は、高山が狂言の可能性を微塵も見せていないことに気づいた。そして、疑問を口にする。
「バイタルは正常に戻っています。人質との通話を許せば位置特定できると分かっているはずですが、何を考えているんでしょう……なんか、こいつ気持ち悪いな……」
猿橋が我慢しきれなくなったように身を乗り出す。
『それで、身代金はどうやって受け取るの?』
中里は平然と答えた。
『ですから、それは後で。南さんが麗子さんと話をしないと、駒が進められないかもしれないんで』
その間に、背後からメモが渡される。
〝Nシステムで該当車検出。仙台南インターで高速を下車〟
岸本が高山に伝える。
「拉致に使用したワゴンは高速で仙台へ」
追加メモが入る。
〝ネット記事に『テレビ中継中の爆発事件』の速報。事件の背後関係として厚労省幹部への脅迫の可能性をほのめかす〟
岸本は早速検索を開始する。記事はすぐに見つかった。
リベラル系のニュースサイトだが、大手新聞社の資金が支えていることは周知の事実だ。斜め読みで、概略を掴む。誘拐事件が進行していることは明言していないが、警視庁の対応が異常だと強調している。改めて関連情報を確認し、統合する。
「ヤマさん、まずいです……ネットに情報が漏れ始めました。抜け出した記者たちの情報が入ったようですね。爆発もテレビで中継されちゃいましたからね。あっちこっちの所轄からも問い合わせのメールが来てます。テレビ局のスタッフが押し寄せているそうです。記者クラブに連絡取ろうとしている連中も玄関に押しかけています。誘拐との関連がバレたら、協定がいつまで保つか……」
高山が軽く舌打ちをする。
どこか1社でも抜け駆けすれば、堰を切ったように他社が追従する。特ダネを拾うよりも特落ちを嫌う新聞社の体質を、高山は何度も体験している。彼らの注目は、すでに警視庁本部に集まっている。
誘拐事件が公にされるのも、時間の問題だ。
と、中里が言った。
『そろそろ、いい時間ですかね』
猿橋が問う。
『いい時間? 何に?』
『親子の会話が始まる頃合いでしょう?』
高山が腕時計を見る。
『あと1分ほどだ』
『では、記者の皆さんにもその様子を見ていただきましょうか。私のゼミ、一般向けの公開サイトもあるんです。閲覧数なんて、年に数10件ですけど。今朝、そのリンク先に「肥田ログ工房」という架空の会社を加えました。そこで、麗子さんのリアルタイム映像が見られますよ』
『なんだと⁉ 会話も聞けるのか⁉』
『ご自分で確かめてはいかがですか?』
高山がマジックミラーを見つめる。
猿橋は弾かれたようにラップトップでサイトを検索する。ページを表示すると同時に、中里にも確認できるように向きを変えた。
岸本はすでにリンク先を開いていた。
そこには、中里が最初に持ち込んだ動画と同じ狭い部屋が写っていた。ログハウスの屋根裏のような場所だ。同様の赤外線暗視カメラの映像だった。
大写しのベッドに、南麗子が座っている。両腕をロープで縛られ、ロープの先はベッドに結ばれているらしい。危害を加えられた様子はない。起きて目は開いているが、視線は定まっていない。おそらく、室内は真っ暗なのだろう。
岸本がうめく。
「こんなもんまで見せるのかよ……」
岸本はすでに、中里が誘拐事件の詳細を広く公開することを望んでいると確信していた。だが、親子の会話まで暴かれるとは予期していなかった。
コンソールの傍に置いてあったスマホが振動する。画面に篠原からのメールが表示された。
〝総監からの指示だ。通話を開始する〟
総監室でも中里の〝仕掛け〟は確認できる。激しい議論があったはずだ。だが結局は、人質の姿が公開された以上、隠し事は意味が薄いと判断したようだ。
岸本はマイクのスイッチを入れた。
「上から指示が届きました。通話、始まります。中里のイヤホンにも会話を中継します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます