9−2・投了【分析室】

 分析室が沈黙に包まれる。

 ネット画像の中で、SSTに押さえつけられた麗子が暴れながら何事か叫んでいる。その表情は、狂気に囚われているかのようだ。言葉は不明瞭で、音声も割れている。だが、画面は1分もたたずに真っ黒に変わった。

 冷凍車内の暗視カメラが排除されたのだ。

 分析室には、SST隊員が装着するカメラ映像が麗子の叫びと共に送られていた。荒い画面の中で麗子の姿が揺らぐ。

『――おまえら、ショウちゃんに騙されたんだよ! 冷凍車のドアを開けても大丈夫って言われたんだろう? ウッソピョーン! ムリやり開けると、カウントダウンが始まるんだよ、ヴァーカ! 死ねや! そこの時計、見てみろ! ここの爆弾は偽物だけど、都内には本物があるんだ! でっかいのが3個だよ! あ、ここで何してももう遅いから。起爆の信号はもう送っちゃったから! 解除は、爆弾の方でしかできないんだよ! 30分後には、お前らのせいで大勢が死ぬんだ! ざまあみろ!』

 その音声がマスコミやネットには漏れていないことは幸いだった。

 だが、岸本は不安を隠せない。

「これ……聞かれてたら、大ごとですよ……」

 高山が応える。

「ネットで彼女が見えたのは短時間だから……おそらく、大丈夫だろう」

「いや、爆弾とか死ねとか、そこそこ判別できましたよ」

「お前、聞き取れたのか?」

「分析やってるうちに、耳も敏感になっちゃいました」

 そこに背後のスタッフが駆けつける。

「記者クラブから要求です。麗子さんが何を言ってるのか公開しろ、って。爆弾とか言ってるんじゃないか、って」

「くそ……こんなことばっかり頭が回りやがって……」

「なんと答えますか?」

「しばらく待てと言え。対応策を練る」

 と、マジックミラーの向こうの中里も、回線が切れたラップトップから目を上げる。

『麗子さん、爆弾のこと言ったみたいですね』

 篠原も猿橋も怪訝な顔を見せる。

 高山がマイクを入れた。

「まずい。爆弾3個に起爆スイッチが入ったと言ってる。爆発は30分後だ」

 篠原が深呼吸をしてから中里を見つめる。

『麗子さんはあなたの仲間――狂言誘拐ということでいいですね?』

 中里は動じない。

『本人が捕まったんなら、とぼける意味はないですね。麗子さんに同行していた若者は、弓削翔也。彼は大学の同僚の孫でね……残念なことに、過激な左翼思想にべったり染まったお坊ちゃんだ。教育というものは恐ろしいものです。幼い頃から日本を憎むような環境で育つと、心の底にまで根っこを張ってしまう。どういうわけか、彼は麗子さんと付き合うことになった。たまたまなのか、麗子さんが厚労省幹部の娘と知って接近したのか、その辺は問いただしてもいませんがね。彼女も潜在意識下で父親に不満を抱いていたから、そこにつけ込まれたんでしょう。別れられないように肉体関係で縛りつけてから、洗脳を始めたらしい。麗子君は、今では立派な〝革命戦士〟です。小さな不満や弱みでも、そこをテコに洗脳されると、人は意外に脆いものですからね。洗脳のメソッドは、長い間共産国家で研究され、洗練されています。日本の箱入りお嬢様なら逆らうことなど不可能でしょう。麗子君はあっさりと常識を捨て去ってしまったようです。同時にご褒美として、弓削にたっぷり可愛がってもらったんでしょう――』

 猿橋が割って入る。

『教授、急に饒舌になったみたいですけど』

『そうですか? 計画が失敗に終わって、気が抜けたからでしょうか』

 岸本はしかし、バイタルの変化を見逃さない。

「サルさん、こいつの言葉は嘘だ。緊張上がってます! まだ何か企んでる!」

 篠原がうなずく。

『麗子さんは捕らえられました。その際、冷凍車のドアを無理やり破って突入したのですが……』

 篠原はじっと中里の表情をうかがっていた。

 中里は小さなため息をもらしただけだった。

『それが何か? 突入するなら、普通、ドアも破るでしょう』

『平気なんですか?』

『麗子さんは無事に保護されたんでしょう? 誘拐が狂言だとしても、警察は彼女に危害を加えたりはできない。私の計画の失敗以外に、何か恐れなければいけないことでも?』

 篠原はまたしても迷いに捉われた。

 中里は、冷凍車のドアと爆弾の連動を教えられていない可能性もあるのだ。

 誘拐が単独犯でないことは判明した。弓削たちが過激な左派であることも間違いない。事態の大きさを考えれば、実力を備えたテロ組織が裏で暗躍している恐れも高い。

 だとすれば、中里が知らない方法で3個の爆薬を起爆しようとしているかもしれない……。

 篠原の迷いを感じたかのように、猿橋が中里に向かう。

『それ、嘘よね?』

『何がです?』

『教授の計画が失敗したってこと』

『だって狂言がバレたんじゃ、失敗じゃないですか。こんなことで嘘つき呼ばわりは心外だな』

『でも教授は1つ、明らかな嘘をついてますよね』

『なんです?』

『単独犯じゃなかった』

『そんなことか。だって彼らは、仲間じゃありませんから。私の目的とは全く無関係な、ほとんど通りすがりの通行人のようなものです。私は誘拐なんか計画も実行もしていません。誘拐なんて、ただのお芝居。最初から存在しない茶番です』

『でも、誘拐がなければ教授はここに入れない』

『あなたがたが暴いたのは、極左の男に熱を上げてしまった南麗子たちの企みです。ですが、私の企みは、彼らの欲望を利用した先にあった。彼らが勝手に立てた狂言誘拐の計画を知って、私の都合で便乗しただけです。身代金の寄付とか、爆弾で脅すとかは、私も知恵を出しましたけどね。私の目的は世の中に溢れる不正の摘発です。計画は最後まで行けなかったけど……マスコミは動いたんだから、失敗だとも断定できないかな……』

『計画の〝アガリ〟って、なんなの?』

『寄付と不正摘発。それ以外に何が?』

 篠原が割って入った。

『まだ、3つの爆弾が残っています』

『ああ。あれ、フェイクです。爆弾なんて、もう爆発しませんよ。何度も言うけど、人が傷つくのは嫌ですから』

 岸本が叫んだ。

「嘘だ! こいつ、嘘を言ってる! 爆弾、生きてますよ!」

 同時に、高山の背後に来た部下が報告する。

「麗子の証言です。爆弾は弓削の仲間が作ったそうです。起爆装置の仕掛けも、です。タイマーは間違いなく起動していると主張しています。30分の時間差を作ったのは、パニックを起こして死者を増やすためだ、と……」

 高山がマイクに言った。

「麗子は本当に爆発すると言っている。どうするんだ⁉」

 篠原は覚悟を決めたようだった。マジックミラーを見て、賭けに出る。

『高山さん、記者クラブとの回線を切ってください』

 中里が身を乗り出す。

『やだな、最後まで見せてやりなさいよ。可視化が売り物なんでしょう?』

『記者に見せずとも、記録は残しています』

 中里の声の調子が荒っぽく変わる。

『見せてやれって!』

 篠原は動じない。

『なぜ? 警察がこれ以上犯罪者の要求に従う理由がありますか? そもそも、可視化と記者への公開とは無関係です』

 中里がマジックミラーに向かって叫ぶ。

『回線を切るな!』

『あなたに指示を下す権限はありません。全て終わったんです。誘拐は狂言で、爆発もない。それなら、あなたに従う必要もありません』

 中里が篠原をにらむ。

『終わっちゃいない! まだ爆弾がある。3個全部、本物だ!』

 篠原が重苦しいため息をもらす。

『やっぱりですか……。麗子さんも、爆弾は本物だと言っています。あなたも認めるんですね?』

『そう言ってるだろうが! もうすぐ爆発するぞ!』

『つまりあなたは、冷凍車と爆弾の関係も知っている?』

『扉を破壊すれば、起爆スイッチのタイマーが入る。時間は30分。すでに相当時間を失ってるぞ!』

『わざと時間を浪費させたんですか⁉』

『警察は、とことん追い込まれないと決断できないようだからな』

『何が望みなんです? どうすれば場所と解除法を教えてくれますか?』

『教えるかどうか、迷っている……』

『死傷者は出したくないんでしょう⁉ それも嘘なんですか⁉』

『嘘じゃない! だから迷ってるんだ!』

『叶えられる要求なら、受け入れます。だから早くしてください。爆弾の情報をください』

 中里は数回深呼吸してから、言った。

『分かった。爆弾の場所を教える。ただし要求がある』

『聞きましょう』

 中里はテーブルのカメラを指差す。

『この画像をどこかのテレビ局に繋いでくれ。私を画面に出させろ』

 篠原は悲鳴のような声をあげた。

『なぜそんなことを⁉』

『敗北者の、最後の意地だよ。私は犯罪者だが、悪人だとは思っていない。白旗を上げることも恥じていない。だが、その時はコソコソ隠れずに、自分自身を曝け出していたい。それだけのことだ。爆弾の場所は、テレビの中で明かす』

 篠原が叫ぶ。

『そんな勝手は許されません! 時間もない!』

『許されないなら、それまでだな。リミットは30分――いや、あと25分ぐらいしか残っていない。そろそろ、どこかのテレビがリークする頃だ。宮城の巨大爆発はすでに映像が流れてる。そいつが都内に3つも、しかも場所は不明。どこにいたって危ないが、人間はとにかく逃げ出そうとするものだ。あっちこっちでパニックが起きるぞ。さて、それでどれだけの人命が失われるかな』

『殺したくないんじゃないんですか⁉』

『殺すのは、決断しないあなただ。3つとも爆発したところで、ここにいる私に被害はない。幸い、テレビも見られる。警察の混乱と国民からの非難を、高みから見物させてもらう。あ、責任は警察が取ってもらえるね? 言い訳は不可能だよ』

 篠原が言葉につまる。

 中里の腹の中は読めない。爆弾の場所を教えると言いながら、さらなる混乱を引き起こそうとしているのかもしれない。そんな危険を、衆人監視の下で晒すわけにはいかない。

 だからといって、タイムリミットが過ぎれば多数の被害者が出る恐れがある。

 選択を引き伸ばす時間の余裕は、すでにない……。

 高山がマイクスタンドを握り締めながらうめく。

「こいつ、いまさら何をしようと……?」

 岸本はモニターから目を離せない。

「またバイタルが跳ね上がってます。なんだろう、これ……嘘を言ってるのか、ただの緊張なのか……ああ、くそ! 読みにくい!」

「落ち着け! 天才らしくないぞ」

「天才⁉ あいつ、その天才を嘲笑ってるんですよ!」

「今までとは違う反応なのか?」

「ええ。読みにくいんですけど、変化が出てることは確かなんです。今まで見せなかった反応です。だけど、なんだか分かんない!」

 シナバーが叫ぶ。

「初めての反応なの⁉」

「そう言ってるでしょう!」

「だったらこれが最後の目的よ!」

 高山にとっては、充分な情報だった。マイクに叫ぶ。

「これまでにない変化が出た! 何を考えているかは分からんが、最後の一手を打ってくる! こいつ、たぶん麗子さんが捕まることも計算していた。その上で、目的を叶えようとしている。乗れば、新たな局面に引き摺り込まれる。乗らなければ、人命を損なう恐れがある。――決断してくれ!」

 篠原は一瞬目を瞑って息を整えてから、カメラに向かって言った。

『記者の皆さんにお願いします。テレビ中継を始めてください。中里さんの姿をテレビに映してください。大至急!』

 記者たちが弾かれたように席を立ち、手にしたスマホで本社と連絡を取る。そして、取調室を写す大型モニターに走り寄ると、スマホのカメラを向けていく。

 高山が背後に叫ぶ。

「誰か、上がどうなってるか確認してくれ! 説明はしておかないと……」

 総監室でも記者たちと同じ画面が見られる。警視庁幹部と麗子の父親が揃ってモニターを凝視しているはずだ。

 篠原が追い込まれていることも分かっているはずなのだが……。

 しばらくして返事が返る。

「総監室、内線に出ません!」

「こんな時に何やってるんだ⁉」

「通話中なんです」

「一刻を争うのに! 直接誰かを行かせろ!」

「秘書室によると、ドアが閉まったまま開かないそうで……」

 高山が天を仰ぐ。

「バカども……全部篠原さんの責任にする気かよ……」

 岸本も自然に応えていた。

「官僚の処世術ってやつですか? 嫌なもの見ちゃったな……」

 高山がマイクのスイッチを押した。

「篠原さん、上はだんまりだ!」

 篠原はニヤリと笑ってうなずいただけだった。

 高山の悲鳴を無視するように、猿橋が中里を見つめる。

『中継は依頼した。これでいいんでしょう?』

『でも、教えるのはテレビ画面に私が映ってからです』

『だったら、先に爆弾の場所を書いておいて! わたしたちには見せなくても構わないから』

 猿橋は、スケッチブックと黒のクレヨンをテーブルに押し出す。

『分かりました』

 スケッチブックを受け取った中里はカメラの視界を気にしながら、体を捻って死角を作る。腕で紙面を覆って猿橋たちからも隠しながら、住所を記入していく。

 岸本はモニターを凝視しながらも、落ち着いている。

「サルさん、自信ありげですね。何か掴んだのかな」

「だったらいいんだがな……。また失敗したら、犠牲者がどれだけ出るか……。俺らが首を括ったぐらいじゃ責任を取りきれん……」

「あ、私は数に入れないでください。ただの分析官なので」

「俺だってあいつらと心中したくはねえよ……定年までもう少しだっていうのに……」

 と、猿橋がカメラの向こうの記者たちに問う。

『中継、出来そう⁉ 始められそうなら合図を送って!』

 画面の中の記者の数人が、指でOKサインを出す。テレビにも、変化が起き始める。

 猿橋はテレビの音量を上げた。

『あ、今、警視庁記者クラブから重大な発表がありました。現在捕えられている誘拐犯から、なんらかの情報開示があるようです。……え? 犯人、もう捕まってるの? ……あ、すみません、詳細は分かり次第詳しくお伝えしますが、警視庁からの緊急要請ですので、まずは中継画面をご覧ください――』

 その中の1つが中継画面を映し出す。篠原と猿橋の横顔と、住所を記入するジャージ姿の中里が映し出されている。大型モニター画面をスマホカメラで撮影し、さらに中継しているので画面は荒い。しかも、手振れが抑えきれていない。余計に、リアルな取調室の緊迫感が滲み出していた。

 アナウンサーが再び素になってつぶやく。

『ああ……これ、取調べの様子でしょうか……ええ? 何が始まるんでしょう……?』

 テレビを確認した猿橋が言った。

『始まったわよ。あなたの要求は満たされた。だから、まず私たちに先にその住所を教えて』

 テレビに中継される音声は不鮮明で、ほぼ聞き取れない。

 中里は、それでも構わないようだった。同様の中継が、他局でも開始される。

 中里は住所を記入し続ける。

『住所は住所でも、ネット上のURLです。それぞれ、架空の会社のサイトになっています。そこの住所が、爆弾を隠した場所です』

 中里は3つのURLを書き込み終える。

『でも書き終わったら、まずわたしたちに見せて』

 中里は、当然だと言うように応えた。

『ええ、先に内容を確認したいんでしょう? 分かってますって』

 そして書き終えると、ニヤリと笑った。

 猿橋はスケッチブックを受け取ろうとした手を宙で止め、虚を突かれたようにつぶやく。

『ダメ!』

 中里は笑顔を浮かべたまま、URLが記された紙面をいきなりカメラに向けた。荒い中継画像でも、3つのURLがはっきりと映し出される。

 篠原が立ち上がる。

『何をするんだ⁉』

 猿橋も身を乗り出して、スケッチブックを奪おうとする。

『嘘をついたの⁉』

 中里は身を引きながら、紙面を写し続ける。

『分かってるけど、従うとは言ってません。これが私の目的だから』

 猿橋が硬直する。

『これが本当の目的……なの? なんなの、それ……?』

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