第一章(六)


 さてこれは、少女・アリアの一件が起る前へ遡ること数十時間前、とある人々の会話である。


「ねーねー、シェルー! サガミ見なかったー?」

「見てないが」

「えー、本当? どこにいってるか知らない? サガミの部屋を見たら、本が崩れてるだけで誰もいなくてさ」

 幾つもの淡い電灯に照らされた真っ白な廊下で、分厚い紙束と本片手に歩く長髪の青年のもとへ、蜂蜜色の髪をあちこちハネさせた青年がぴょこぴょこ飛ぶように追いかけ声をかける。

 長い廊下——大きく連なる窓の外には、小さな無数の銀が散らばった黒の世界に、輝く大きな蒼い球体が見える。彼らがいる場所はその、真っ暗なソラに浮く船の中、宇宙連邦所属の戦艦【カズサ】である。

 蒼き星より、船が少人数のクルーを乗せて飛び立ったのはほんの数分前。

 それも任務に赴くためにソラを行くわけでもなく、クルー全員まとめて長期休暇を貰ったと、艦長であるサガミ・エデル・ラスティから言われ、浮かれて出た船旅。

 なのだが、今は嬉しさ半分不安半分の気持ちがクルー達の心を占めている。「全員で長期休暇だよ~」と微笑む艦長。

 今思い返すと怪しかった、それはもうとても怪しかった。あの満面の笑みで休暇を告げた艦長の笑みに何故、食いつかなかったのか。

 その笑みを思い出し、蜜色の髪の青年は身震いする。と、シェルーと呼ばれた長髪の青年、シェルー・ノア・フィグラッドは立ち止まり振り返ると首をかしげた。

「……いや、どうかしたのか?」

「ちょっと聞きたいことがあってというか、うーんなんかさ、船が飛び立つ前に見送りに来てくれたリーデッヒのおじさんが青い顔して「気をつけてな、土産とか気にすんなよ! ちゃんと帰ってこいよ!」って言って、悲壮な顔して立ち去ってったんだけど」

「レイチェル、あれほど大佐殿をおじさんと呼ぶなと」

 リーデッヒ、フルネームはケイト・ロー・リーデッヒ。宇宙連邦第3艦隊の大佐であり隊長で恰幅の良い中年の男性である。誰に対しても面倒見がよく、優しく気さくな性格と下の者にも砕けた話し方をすることから、軍の中では気のいい人と上からも下からも好かれた人物で、厳しい規律と上下関係ある軍にしては珍しいタイプの人ともいえる。だからと言って、本人がそう呼んでほしいと言ったからと、その言葉に甘えるのもどうか。

 シェルーが苦い顔をすると蜂蜜色の髪の青年、レイチェル・ロレイヌ・アガットは頬をふくらました。

「えー? だって、リーデッヒ大佐って呼ぶと「なんだか家族に疎外されたお父さんみたいな気持ちになるから、おじさんって呼んで」って涙目で言うんだよ? いいんじゃない?」

「……そうか」

「うん」


 あの体格で涙ぐまれるのを見たら微妙な気持ちだ。シェルーは一瞬眉をひそめたが、すぐに頭を振るう。


「しかし、気をつけてか」

 どうしてこの船に乗っていると、こうもろくなことがないのだろうか。

 そうそうない長期休暇場と聞いてどれだけ不安を感じたか。

 いや、なにより。

 その休暇先は決まっていて、あそこだというのだから。

 もう、結果は見えていた。

「おーい、シェルー?」

 レイチェルの呼びかけに答えることなく、シェルーはため息をつく。

 すると。

 恐る恐るな様子で、レイチェルが顔を覗きこんできた。

 きっと彼とて何となくは予感してただろうに、まだ信じたくないのだ。

「? シェルー?」

「……レイチェル、保険にはちゃんと入ってるか?」

「え?」

「保険は」

「えーと、なななに、なんでそんな話になの?! なんか今回の長期休暇聞いて嬉しさ半分不安半分なんだけど、え、やっぱり何かあるの! まさか、休暇先になるとこに何か出るとか?!」

 深緑の瞳を白黒させ、一気に顔を青ざめさせるレイチェルに返事することなく視線を外すと、シェルーは踵を返す。

「今更だが一応、乗組員に保険のことを確認しておこう」

「ちょっと、シェルー!? 無表情にそんなこと言わないでー! なんなのさ、大体、休暇先ってどこー!」

 そのレイチェルの叫びに、シェルーは今日やっと碧眼を細め、笑みを浮かべた。

「……知らないのか? 惑星レア。ソラの怪物が一つ、七つの首の怪物が住む星といわれてるそうだ」

「ああああの、船、おりまあぁぁす!」

「無理だ」


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