第24話 あの日の悪夢


 周囲が再び暗くなって、空間に静寂が訪れる。

 次に明るくなった時には場面が変わっていた。


「それじゃあ、行ってくるわね」

 

「ヴィエラ、すぐ戻ってくるからな」


「お父様、お母様、どちらへ行かれるの? 私はついて行っては行けないの?」


 幼いヴィエラが玄関先で両親にそう尋ねると、二人は顔を見合せた。

 なんと伝えたものかと考えあぐねているようだった。

 やがて、父はヴィエラの肩を手を置き、目線を合わせるように屈んだ。


「いいか、ヴィエラ。私たちは、今からロレーヌ公爵様と話し合いがあるんだ。これは、温室栽培に関する大事な話し合いだ」


 父がいつになく真剣な表情をしていて、幼いヴィエラは思わず息を飲む。


「ロレーヌ……って」


 オズウェルの婚約者であるレミリアの家だということは、当時のヴィエラも知っていた。ただし、ヴィエラもとレミリアの交流はほとんどなかったが。

 

 ロレーヌ公爵家は、古くからルーンセルンに貢献してきた薬研究の名家だ。

 だが、同時にロレーヌ家にはきな臭い噂があった。

 

 自分たちが名誉を得るためなら手段を選ばない。

 障害になるものがあれば、お得意の薬で邪魔者を排除し、疑ったものさえも消している、と。


 事実、ロレーヌ家に意を唱えたものや、対立していたものたちは、一人残らず不遇の死を遂げているようだった。


「もしもだ。もしも、私たちが屋敷へ戻らなかったら……、皇帝陛下へ連絡をしなさい。あのお方は、きっとお前を助けてくれる。いいな?」


「……はい」


 父はヴィエラの返事を聞くと、母を連れ立って屋敷を出て行く。

 その後ろ姿が、ヴィエラが見た生きている両親の最後の姿だった。


 再度空間に暗闇が訪れる。

 一瞬の後、開けたヴィエラの視界の先には、冷たい墓石が佇んでいた。


 (あのあと結局、お父様とお母様は帰ってこなかった)


 帰ってこない二人の代わりに届いたのは、両親が乗っていた馬車が帰り道に横転し、そのまま崖下へ落ちたという報せ。

 その後しばらくして戻ってきた二人は、物言わぬ状態となっていた。


 憔悴しょうすいしきったヴィエラを気遣ってか、葬儀は教会の人間によって進められた。

 埋葬が終わり、周囲の人間が帰っていく中、幼いヴィエラは墓石の前に膝をついた。


 ぽたりぽたりと、ヴィエラの薄紫の瞳から雫がこぼれ落ちて雪に染みていく。

 声も出なかった。

 もし、あの日二人が出ていくのを止められていたら何か変わっただろうか。

 ただただそんなことを考えていた。

 

 その時だった。背後から、くすくすと笑い声が聞こえてきたのは。


「ああ、ざーんねん。やっぱりあなたは生き残っちゃってたのね。お父様ったら、わたくしのお願いをちゃんと聞いていたのかしら」


 振り向けば、そこには白いアンティークレースの扇子を片手にほうとわざとらしくため息をつく令嬢の姿があった。


「あなたは……」


 ヴィエラは慌てて目元を手で拭いながら尋ねる。


「こうやって直接お目にかかるのは初めてかしら。わたくしは、レミリア・ロレーヌ。誇り高きロレーヌ公爵家の長女ですわ」


 レミリアは幼いながらも人を惹きつける容姿をしていた。

 手入れの行き届いたピンクブロンドの髪に、華奢な手足、鈴がなるような声。一見守ってあげたくなるような見た目をしているが、いかんせん目つきがきつい。

 口元は笑っているのに、瞳の奥は一切笑っていないのだ。

 琥珀の瞳でじろりと見据えられて、幼いヴィエラは身動きが取れなくなってしまった。

 

「それにしてもいい気味だわ。あなた、ひとりぼっちになっちゃったのね。わたくしのオズウェル様に手を出した罰ね」


 ヴィエラの様子に気をよくしたのか、レミリアは口元を扇子で隠して笑い声を上げている。


(私が生き残っていて残念ってどういうこと?)


 それではまるで、両親とともにヴィエラも死ぬはずだったみたいではないか。

 レミリアの物言いには、何か引っかかるものを感じる。嫌な予想をしてしまって、ヴィエラは恐る恐る尋ねた。

 

「もしかして……、お父様とお母様を殺したのは……」


「……ええそうよ。馬車に細工して、横転するようにしたのはわたくしたちの指示によるもの」


 ヴィエラが疑いながら発した問いに、レミリアはあっさりと笑顔で答えを返す。

 その瞬間、ヴィエラの目の奥がかっと燃えるように熱くなった気がした。


「どうしてそんなことを……!」


 咄嗟にヴィエラは立ち上がって詰め寄りかけたものの、レミリアの従者と思われる男性に止められる。

 

「だって、あなたのご両親はお父様と意見が合わないみたいだし、あなたはわたくしからオズウェル様を取るしで目障りだったのよね」


「と、とってなんていないわ!」


 両親のことはヴィエラには分からないが、少なくともオズウェルとのことは分かる。

 ヴィエラはオズウェルに好意を抱いてはいたが、決して想いを伝えたりはしていない。

 オズウェルはよくヴィエラに会いに来てくれてはいたが、当時の関係としてはそれ以上のことはなかった。


 しかし、ヴィエラの言葉にレミリアはさらに目をいからせた。

 

「何寝とぼけたこと言ってんのよ!! こっちはあなたのせいで婚約破棄されてんだから!!」


「……っ!?」

 

 言葉の勢いそのまま、レミリアは扇子でレミリアの頬を強く叩く。

 一瞬、何が起きたのか分からなくて、ヴィエラは呆然と目を瞬かせた。

 レミリアは震える息を吐き出している。

 

「ついでにあなたも殺しちゃっていいんだけど……。でも、それだけだと面白くないわ。死よりも苦しんでもらわなきゃ」


 レミリアは低く言うと、従者に短く指示を出す。

 ヴィエラの後ろにいた従者の男は、背後からヴィエラの顎を無理に掴むと、小瓶に入っていた液体を口の中に流し込んできた。

 甘くて苦い、とろみのある液体が、口から溢れそうなほど注がれる。


「ン……ッッんぅ……!」


 吐き出せないように上を向かされて、苦しくてたまらない。逃げ場のなくなったヴィエラは液体を飲み込んでしまった。


「……けほっ!」


 飲んだのを確認して、従者の男がヴィエラから離れていく。

 ヴィエラは喉を押さえたまま、墓石の前に崩れ落ちた。

 

「それじゃあホワイトリーさん、さようなら。すべてをなくして、わたくしたちと関わらない場所で生きればいいわ」


 ヴィエラが意識を失う直前に聞いたのは、嘲笑うレミリアの声だった。


 

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