第11話 元婚約者


 翌日。

 

「はぁ……」


 ヴィエラはベッドに体を起こして頭を抱えていた。


 (どんな顔でオズウェルに会えばいいのよ……)

 

 オズウェルにキスをされたのは昨日のことだ。

 結局あの後、部屋に他の使用人が来たおかげでヴィエラは解放された。

 オズウェルの怒りもどうにか静まったようではあるが……。


 (私……。嫌じゃなかった)


 ヴィエラは無意識のうちに自分の唇をなぞっていた。

 誰かと……、それも男の人と唇を触れ合わせたのは初めてだった。

 驚きこそはあったが、嫌悪感はない。

 胸にあるのは、戸惑いと気恥ずかしさ。


「……オズウェル」


 ヴィエラが小さな声でオズウェルの名前を呟いたその時、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。


「ヴィエラ様、お目覚めでございますか?」


 ノックとともに、扉の向こうから声をかけられる。

 少しハスキーな女性の声だ。誰の声なのか、ヴィエラはすぐにわかった。


「セリーンっ?」


 セリーンはヴィエラの専属メイドを命じられているだけあって、ヴィエラと共に過ごす時間が一番長い。馴染んだセリーンの声を聞くと、ヴィエラはほっとするようになっていた。

 

 静かに部屋へ入ってきたセリーンは、ヴィエラの様子を気遣わしげにうかがった。


「……昨日は申し訳ありません。私が陛下をお呼びしたばかりに、結果的に陛下を怒らせてしまいました」


 深々と頭を下げ謝罪をしてくるセリーンに、ヴィエラはぎょっと目を見開いた。

 彼女の口ぶりから、大方何があったのかは知られているのだろうとヴィエラは察する。


「ちょ、ちょっと、セリーン! やめてちょうだい! あなたは何も謝る必要なんてないわ!」

 

 セリーンは良かれと思ってオズウェルを呼びに行ってくれただけだ。彼女は何も悪くない。

 ヴィエラは慌ててセリーンの頭を上げさせた。

 

「ですが……」


「私は大丈夫だから、気にしないで」


 セリーンがこれ以上気負わないように、ヴィエラ努めて明るく言った。

 

「ヴィエラ様……なんとお優しい。あなたが陛下の奥方様で本当に良かった」


 感動したとでも言うように、セリーンは濃紫の瞳をうるませている。

 セリーンの言葉に、ヴィエラの頬がつい赤くなった。


「ま、待ってセリーン! 私はまだ奥方ではないわ!」


(奥方、だなんて)


 婚約話が上がってから今までヴィエラはずっと、『の妻になるのだ』と考えていた。オズウェルの妻、ではなく。

 だが、ここにきてようやく『皇帝陛下の妻』と『オズウェルの妻』がヴィエラの中で重なる。


(私は……あの人の妻になるんだ)


 冷酷で氷の皇帝だと名高い、オズウェル・ウォード・ルーンセルンの妻に。


(でも、ぜんぜん冷酷には思えないけど……)


 ヴィエラには、オズウェルが冷酷な人間だとは思えなかった。


(だって、オズウェルは私に優しい)


 ヴィエラの知るオズウェルは、花を大切に育てていて、あまり自分からは喋らないが婚約者に優しい男性だ。

 穏やかな群青の瞳の奥には、冷静さと思慮深さを感じる。

 オズウェルが冷酷だなんて思えない。


「この城に来た時点で、ヴィエラ様はもう奥方様ですよ」


 にこにこと微笑んでいるセリーンの言葉に、ヴィエラの顔へさらに熱が集まる。

『奥方様』と呼ばれるのは、まだ心構えができていないのもあってか気恥ずかしい。

 

「あ、ありがとう……」


 まっすぐにセリーンの顔が見られなくて、ヴィエラは部屋の絨毯に視線をさまよわせていた。

 


 ◇◇◇◇◇◇



 その日の午後。

 オズウェルはどうやら今日は夕刻まで、領地を納める貴族たちと会談をしているらしい。

 ヴィエラはというと、書庫を目指してセリーンと共に廊下を歩いていた。

 王城に併設へいせつされている書庫には、国内で発行された全ての書物が収められている。

 ヴィエラの目的は、ルーンセルン国内で発行された過去の新聞だった。


 (オズウェルは思い出さなくてもいいって言ってくれたけど、やっぱり私は思い出したいわ)


 書庫に行きたいと告げると不思議そうにされたので、セリーンには過去の記憶が無い事情を伝えた。

 記憶を探すことにセリーンが協力してくれるのは、大変ありがたい。


「ねぇ、セリーン。あなたは私についてなにか知っていることは無い?」


 書庫に向かいがてらそう尋ねてみると、セリーンは申し訳なさそうに眉根を下げた。


「申し訳ありません。わたくしは数年前にルーンセルンへと流れ着いた身なのです。ですから、ヴィエラ様の事件については存じ上げておりません……」


「そう……」


 ヴィエラが少し肩を落としたその時、廊下の曲がり角からドレス姿の女性がゆったりと歩いてきていた。

 長いピンクブロンドの髪をくるくると巻いた、気の強そうな目つきの令嬢だ。片手に持ったアンティークレースの扇子が美しい。

 彼女の後ろには従者と思われる壮年の男性が付き従っていた。


 (……? 誰かしら)


 疑問には思うが、この城は皇族の居住空間であり、国の政務を司る場所だ。

 許可されたものしか立ち入れないとはいえ、それなりに人の出入りがある。

 この令嬢も、きっと政務関係者かなにかなのだろう。

 今日は各領地の貴族が登城しているはずだから、その子女である可能性もある。

 

 そう判断したヴィエラは、令嬢とすれ違おうとする。

 しかし、廊下ですれ違うその一瞬、令嬢はヴィエラに話しかけてきた。

 

「あら、びっくりした。噂では聞いていたけれど、本当にこの国に舞い戻ってきたのね。ホワイトリーさん」


「……っ!?」


 皮肉びた口調に、ヴィエラは驚いて足を止めた。

 令嬢は扇子で口元を隠してくすくすと笑っている。

 その様からは、ヴィエラはあまりいい印象を受けなかった。

 なぜなら、彼女の目元は一切笑っていない。琥珀の瞳を細め、ヴィエラを見定めるように見下ろしている。


「すみません、どちら様でしょうか……?」


 なぜ冷たい目線を向けられるのか心当たりがないヴィエラは、いぶかしみながら令嬢に尋ねた。


「ああ。忘れたままなの。とんだお笑いぐさね。わたくしは、レミリア・ロレーヌ。誇り高きロレーヌ公爵家の長女ですわ。……そして、オズウェル様の本来の婚約者」


 (本来の婚約者……!?)


 目を見開いたヴィエラに、レミリアはふんと鼻で笑う。

 そして、持っていた扇子でヴィエラの肩を軽くはたいた。

 

「あなたは、わたくしからオズウェル様を取った泥棒猫でしょ? ホワイトリーさん?」


「……レミリア様。ヴィエラ様は皇妃となるお方。いくら公爵家と言えども無礼にも程があります」


 見かねたセリーンが、驚きで声が出ないヴィエラに代わって反論する。

 レミリアは再び扇子で口元を隠して、わざとらしく目を瞬かせた。

 

「あら怖い。でもそうね……。またお会いしましょう?」


 そういうと、レミリアはピンクブロンドの髪をなびかせながら軽やかな足取りで去っていく。

 ヴィエラは、ただその姿を見送ることしか出来ない。

 ヴィエラの頭の中では、レミリアから告げられた言葉がぐるぐると回っていた。

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