第16話 薔薇とアネモネ


 数日後の昼下がり。


 (……セリーンはまだかしら)


 ヴィエラは部屋で一人、セリーンを待っていた。

 セリーンはというと、「アフタヌーンティーの準備をしてきますね」と言って部屋を出ていってしまったのだ。


(それにしても、やっぱりセリーンがかつてオズウェルの命を狙っていた元暗殺者だなんて信じられないわ)


 ヴィエラにとってセリーンは、歳が近くて話しやすいメイドだ。

 表情は主に似てかあまり変化がないが、ふとした時に微笑んでくれると癒される。

 使用人ではあるものの、はっきりとしたセリーンの物言いに、ヴィエラは好感をもっていた。


(まぁ、私にとっては今のセリーンがすべてだわ)


 ヴィエラは、セリーンの過去について詳しく知ろうとは思わなかった。

 興味がないわけではないし、もし知る機会があれば受け入れるつもりではある。


 だけれど、今の彼女はルーンセルンの皇帝陛下に仕えているメイドだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 それさえ分かっていればいい。

 

 ヴィエラがぼんやりとそんなことを考えていると、部屋の扉が軽くノックされた。


 (セリーンかしら)


「はい、どうぞ」


 セリーンが戻ってきたのだと思ったヴィエラは扉に向かって返事をする。

 しかし、部屋に入ってきたのはセリーンではなかった。


「お、お久しぶりです、ヴィエラ様」


「……あなたは」

 

 入ってきたのは男性の使用人だ。どこか緊張した面持ちをしている。何となく彼の顔に見覚えがあるような気がして、ヴィエラは記憶を辿った。

 

「もしかして……、ドレスを確認してくださった方?」


「は、はい、そうです! 覚えていてくださったのですね」


 ヴィエラがそっと尋ねると、使用人は顔を輝かせてピンと背筋を伸ばした。

 どうやら正解だったらしい。


「この間はドレスの確認をしてくれてありがとう。それで……どうされたの?」


 突然部屋にやってくるなんて、何か用事だろうか。

 しかし、それなら急ぎのものでもない限りセリーンを通して伝えられるのではないか。

 

 オズウェルから「必要以上に近づいてくる人間には警戒しておけ」と言われたこともあり、ヴィエラは内心どうしてもいぶかしんでしまう。

 

「……お、俺、どうしてもあなたに渡したくて」


 真っ赤な顔でそう言うと、使用人は一本の赤い薔薇を差し出した。

 薔薇を握る使用人の手は、ふるふると震えていた。


「まぁ、綺麗ね。ありがとう」


 なぜ花をくれたのか。使用人の行動の意味を汲み取れないヴィエラは、疑問を感じながらもとりあえず薔薇の花を受け取る。


「わきまえのない使用人で申し訳ありません。失礼いたします!」


 ヴィエラが受け取ったのを確認すると、使用人に早口でそう言って脱兎だっとのごとく部屋を出ていってしまった。

 ヴィエラが呼び止める暇もない。


「ええ……?」

 

 (この国の男の人は、意外にも花が好きなのかしら……???)


 ルーンセルンは、絶対零度の不毛な大地だ。緑豊かなメーベルとは違って、外で育つ植物は限られている。

 だからこそ、植物に惹かれるのだろうか……?


 残されたヴィエラは一人首を捻った。


 (そういえば、オズウェルも花が好きだものね)


 オズウェルはヴィエラがこの城に来た日からずっと、毎日欠かさずアネモネの花を一輪贈ってくれる。花の世話をしているオズウェルの様子を想像して、ヴィエラはくすと笑みを零した。


 (せっかく貰ったのだし、アネモネと一緒に飾ろうかしら)


 このままただ枯れさせるのも忍びない。

 ヴィエラはサイドボードの上に飾られた花瓶に、薔薇の花を挿した。


 (うーんやっぱり合わない……?)


 アネモネも薔薇も華やかな花ではあるが、華やかさの種類が違う気がする。

 ヴィエラが花を見つめていると、再び部屋の扉がノックされた。

 現れたのは、今度こそセリーンだった。

 

「遅くなって申し訳ありません、お茶をお持ちいたしました……って、あら?」


 部屋に入ってくるなり、セリーンは花瓶に目をとめた。

 訝しげに首を少し捻っている。


「そちらの薔薇はいかがされました?」


「ええと……。貰ったの」


 嘘をつくわけにもいかず、ヴィエラは正直に答えた。


「どなたに、ですか?」


「……分からないわ」


 ヴィエラの放った言葉は、まったくもって嘘ではなかった。

 使用人であることは分かる。しかし、肝心の名前がわからない。

 埒が明かないヴィエラの様子に、セリーンははぁとため息をついた。


「分からないとは……。無用心にもほどがありますよ、ヴィエラ様……」


「な、名前は分からないけど、この城の使用人よ、安心してちょうだい」


 ヴィエラはセリーンを安心させるためにそうつけ加える。


「なるほど……。使用人……」


 ヴィエラの言葉に、セリーンは少しの間顔を俯けて何かを考えているようだった。


「ですが、あなたは皇妃となるお方なのですよ? いつ誰に命を狙われるか分からない身の上です。警戒しすぎて損はありません」


 (それ、オズウェルの命を狙っていたあなたに言われたくないわ……)


 詳しい経緯は分からないが、セリーンは過去にオズウェルの命を狙っていた暗殺者のはずだ。

 そんな人物に一体何があって、今度は守る側へ立つことになったのだろう。とても不思議だ。


「ヴィエラ様、聞いていますか!? わたくしもオズウェル様も、ヴィエラ様のことを大事に思っているのですからね……!」


「ご、ごめんなさい」


 セリーンが心配してくれているのは十分すぎるほど伝わってきているから、説教されているというのに嫌な気分にはならない。なんなら心がとても温かい。


 (自分が好きな人に心配してもらえるのって、こんなにも嬉しいのね)

 

 ヴィエラはバレないように小さく微笑みながら、セリーンの小言を聞いていた。


 

 一通りの小言が終わったあと。

「こんな花がヴィエラ様の部屋にあれば、オズウェル様の機嫌が悪くなるだけですから」というセリーンによって薔薇の花は回収されていった。


 (まぁ、確かにそうね)


 一般的に赤い薔薇の花は大切な人に贈るものというイメージがある。

 そんな花を名前も知らぬ使用人から贈られたなどとオズウェルに知られたら、十中八九彼の機嫌損ねてしまうだろう。

 それはヴィエラとしても本意では無い。


 (あの使用人は、どうして私に薔薇なんてくれたのかしら)


 皇帝陛下の妻になることが決まっているヴィエラに薔薇なんて贈ってもしょうがないのに、とヴィエラは考えていた。

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