第20話 きな臭い
オズウェルがヴィエラの部屋を訪れたのは、その日の夜のことだった。
「ヴィエラ」
控えめなノックと扉の外から聞こえてきた低い声に、ヴィエラはベッドから慌ててはね起きる。
扉を開けると、部屋の外には寝る前だからか軽装姿のオズウェルが立っていた。
「ど、どうしたの、こんな夜更けに」
今日はもうオズウェルとは会えないだろうと思って、ヴィエラは寝ようとしていたところだったのだ。
「こんな時間になってしまってすまない。少し話してもいいだろうか」
「え、ええ」
一体どうしたのだろうかとヴィエラは戸惑いながらも、オズウェルを部屋に招き入れる。
オズウェルは部屋に入った途端、 ヴィエラを強く抱きしめた。
「きゃ……っど、どうしたの……?」
抱きしめられるのは嬉しいのだけれど、さすがに驚いてしまう。
そっとオズウェルの背中に手を回しながら尋ねると、ヴィエラの肩口に絞り出すようなオズウェルの声が降ってきた。
「セリーンから、レミリアとのことを聞いた」
「あ、ああ、そうなの」
「怪我はなかったか?」
オズウェルは、少し不安の色を滲ませて尋ねてくる。
(もしかして、心配して来てくれたのかしら)
「それは大丈夫よ」
ヴィエラは安心させるように、意識的に明るい声で告げた。
目の前で花瓶が割れたとはいえ、幸い破片がヴィエラの方へ飛んでくることはなかった。
ヴィエラの言葉に安心したのか、オズウェルの体から力が少し抜けていった。
「ロレーヌ公爵家には、今回のことを理由にしばらくの登城を禁じ、自領に
「……ロレーヌ公爵家に?」
レミリアだけならまだ分からなくもないが、公爵家自体に命じたということは、その家族も丸ごとということだろうか。
不思議に感じて首を傾げるヴィエラに、オズウェルは言葉をつけ加えた。
「ここ数日、ホワイトリー家の7年前の事故を処理した関係者に話を聞いていたのだが……。ロレーヌ公爵家がこの事故に関わっている可能性が高い」
「え……」
「引き続き調査はするが、今回のようにまた何かあれば私にすぐに知らせろ。いいな?」
「……ええ」
(どういうこと? ロレーヌ家が、事件に関わっている?)
オズウェルに頷きを返すが、理解が追いつかない。
ヴィエラの両親は馬車の事故に遭ったらしい、ということはオズウェルから聞いて知っていた。
しかし、それはただの事故ではないということか?
水に垂らしたインクのように、自分の心へ不安が広がっていくのをヴィエラは感じていた。
◇◇◇◇◇◇
レミリアがヴィエラの部屋へ押しかけた日の翌日。
日が沈み薄暗くなりつつある城下町を、黒いコートを着た一人の男が足早に歩いていく。コートの中からは、城で働く使用人の制服が覗いていた。
ただでさえルーンセルンは寒いのに、日が暮れると余計に冷える。
町を歩く人影はまばらで、みな家路へと急いでいるようだった。
男は町の外れに佇む古びたバーへ入ると、カウンターの隅へ座る女性の隣に座る。
店内には、その女性以外客が数人いるだけだった。
「こんなところに俺を呼び出して、どういうおつもりですか。
「あら、その名前で今は呼ばないでちょうだい。あの女のせいでうちは謹慎処分になっているのだから」
ひそりと男が声をかけると、レミリアはフードを少し持ち上げた。
レミリアは赤茶のフードを被っているものの、溢れ出る華やかなオーラは隠せていない。
姿を隠すように布を羽織っているが、隙間から質の良いドレスが覗いていた。
「あなたをわざわざ呼び出したのも、あの女のせいで、城に入れないからに決まっているじゃない」
「……あの方の悪口を仰るようでしたら帰らせていただきます」
レミリアの発言は男の機嫌を損ねたのか、男は立ち上がろうとする。
レミリアは男のコートをつかんで引き止めた。
「悪かったわよ。あなたにいいものを渡したくて呼んだのだから、機嫌をなおしてちょうだい」
そう言うと、レミリアは男の前に小さなガラス瓶を置いた。
一見すれば、香水瓶のようだ。
華奢な小瓶の中には薄桃色の液体が揺らめいている。
「……これは?」
「惚れ薬」
訝しげに尋ねた男に、レミリアは涼やかな顔で答えた。
「惚れ……っ!?」
ぎょっとした男が椅子から立ち上がりかける。
レミリアは気にした素振りもなく言葉を続けた。
「うちで作った特製品なの。これを飲ませれば、どんな相手もイチコロよ。報われない恋をしているあなたにプレゼントするわ」
それだけ告げると、レミリアは椅子から立ち上がった。
「それを使うも自由。使わずに、そのままホワイトリーさんが皇帝陛下のものになるのを指をくわえて見ているのも自由。あなたの決断を、楽しみにしているわ」
店内に控えていたらしい従者らしき男が、レミリアの後を慌てて追いかけていった。
残された男は一人、ただ小瓶を握りしめていた。
◇◇◇◇◇◇
「んふふ、愉快だわ」
バーを出たレミリアは、鼻歌を歌いながら夜道を歩く。
あの男は、きっと薬をヴィエラに飲ませるだろう。
そう考えたら、レミリアは笑いを止めることが出来なかった。
「お嬢様、いいんですか? あんな嘘をついて。あれは惚れ薬ではないでしょう」
後ろをついてくる従者が、溜息をつきながら苦言を呈してくる。
レミリアはちらりとだけ視線を向けた。
「あら、さすがに目が
「分かりますよ。これでもロレーヌに仕えて30年ですからね」
「いいのよ。わたくしは、皇妃になるためなら何でもするわ。……そう、何でもね」
レミリアは再び前を向いて歩き出す。
月が照らす夜道に、レミリアのくすくすと笑う声が怪しく響いていた。
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