第14話 嘘だよ

「あ、あの……飛鳥さん……!」

「んー?」

「その、飛鳥さんは本当に玲くんのこと──」

「うん、好き」

「……っ」


 私の質問に、飛鳥さんは迷うことなく、真っ直ぐ私の目を見て頷いた。

 その真っ直ぐな瞳に私は耐えられなくなって目をそらす。

 飛鳥さんの目に映る私は、玲くんに対してさぞ不誠実な人間に見えていることだろう。


「……あたしはね、玲くんのことを小学生の頃から見てきてる。まだ、玲くんのお父さんが出ていく前の明るくて無邪気なサッカー少年だった頃から、玲くんのお父さんが浮気をして出ていった後の人を信じられなくなってしまった玲くんも、人を殴ってしまってサッカー部を退部させられた後の打ち込むものがなくなった無気力な玲くんも、全部全部見てきた」

「…………」

「だからこそ、玲くんには幸せになってほしい。そしてそれはあなたと付き合うことじゃない。今のあなたでは玲くんは幸せになれない」

「……っ」


 なにも、言い返すことができない。

 玲くんの幸せ。私は今まで玲くんの優しさに、好意に甘えるばかりでそれについて考えてこなかったから……。


「あたし、玲くんの小さい頃のキラキラした目が好きだったの。毎日が楽しそうで、一緒にいるとあたしまで楽しくなってきちゃう。サッカーしとるときはすごい凛々しくてかっこいいの。でも、玲くんは全部失った。お父さんに出ていかれてからはいつもどこか遠い目をしていて、今まで以上にサッカーに打ち込んで、そしてそのサッカーすら失った……。だから、あたしは玲くんを世界一幸せにしてやるんだ! って今まで頑張ってきた」


 …………え? ちょっと待って。それって──。


「ちょっ、ちょっと待ってください……! 話を聞く限り飛鳥さんは玲くんのことずっと前から──」

「うん。ずっと、ずーっと前から玲くんのことが好き」

「……でも彼氏がいたって……」

「ああ、あれ? 


 嘘……? でもどうしてそんなことを。

 だって、二人は両想いだったのに……。


「どうしてって顔してるね。どうしてだと思う?」


 どうして、どうして飛鳥さんは両想いなのにも関わらず、玲くんに彼氏がいると嘘をついたのか。

 飛鳥さんは玲くんのことを幸せにしたいって言っていた。

 玲くんは飛鳥さんのことが好きで、好きな人と結ばれるというのは幸せなこと、だと私は思う。


「分からない?」


 私は小さく頷いた。


「あのときの玲くんにとって味方はあたしと、あたしのお父さんと、玲くんのお母さんだけ。学校ではあたしだけだった。そんなあのときの玲くんとあたしが付き合ってたら、きっと玲くんはあたしだけに依存してしまう」


 依存。

 それが良いことなのか悪いことなのか、それが私には分からない。


「玲くんがあたしの彼氏になってたら、あたしのことだけを見てくれて、あたしだけに優しくしてくれて、あたしだけを愛してくれる。それはあたしにとってすごく幸せなことで、あたしも玲くんに同じように応える。玲くんもきっと幸せを感じてくれる。でもそれは。玲くんはきっといつまでたってもあたし以外の人との繋がりを持たなくなる」


 そのときだけの幸せ。きっと飛鳥さんは、玲くんにこれからの人生を不幸なものにさせないように今まで自分の気持ちを押し込めてきたんだ。

 付き合って一瞬の幸せを与えるのは簡単。でも飛鳥さんと付き合ったことで、玲くんが今後の人生で頼れる同年代の人が飛鳥さんだけになってしまうことを危惧した。


「それで、玲くんがあたしに好意を持っていたのに気づいたとき、とっさについた嘘が『彼氏がいる』だったの」


 この人は、どうしてここまで他人のために自分を捧げられるのだろうか。

 玲くんの不幸な日々を見てきた飛鳥さんにとって、玲くんの幸せな姿を見ることが飛鳥さんの悲願なのだろう。


「……それならどうして、さっき玲くんにあんなことを……?」


 飛鳥さんが嘘をついてまで隠していた、玲くんへの恋心。

 それを飛鳥さんは先ほど打ち明けた。


「だってああでもしないと、玲くんずっと菜乃花ちゃんの都合の良い男であり続けるでしょ。菜乃花ちゃんも彼氏くんと別れる気なさそうだし」


 穣くんと別れる。

 いつからか私は、穣くんのことをどうして好きになったのか思い出せなくなっていた。だというのに、私の選択肢の中に穣くんと別れるというものは存在しなかった。

 無意識のうちに除外していた……?


 あの日以降、私は確かに玲くんのことを好きになっていて、頭の中にあるのは玲くんのことばかり。

 今日の穣くんとのえっちも、すごく辛いものだったというのに、私は彼と別れようなんて考えていなかった。

 それどころか、ふらふらと玲くんに会いに行って優しくして貰って、心が満たされて……そっか。私、玲くんに慰めて貰えるのが気持ちいいんだ。


「うっ……」


 自覚するのと同時に訪れる自己嫌悪。

 私は飛鳥さんの言う通り、玲くんのことを都合の良い男としか考えていなかった。

 なんの見返りも求めず、私に優しくしてくれる男の子。

 私は、その優しさに甘えるどころか、利用していた。


「自覚した?」

「……はい」

「そ。まあ、あたしが言っときたいこととしては、彼氏くんと別れないなら玲くんをさっさと振ってあげてってことだけね。じゃあ、あたしもそろそろ仕事に戻るから」

「……相談、乗ってくださりありがとうございました」

「ほとんどあたしがしゃべってた気がするけどね」


 そう言い残して、カウンターへと戻っていく飛鳥さん。

 彼女に話して良かった。

 きっと飛鳥さんほど玲くんのことを思っている人、玲くんの母親の他にはいない。

 そんな彼女の、玲くんに対する思いを聞いて私も覚悟を決めた。


 私は玲くんのことが好きだ。

 穣くんよりも、ずっとずーっと好きだ。

 でも今の私は玲くんに対してとても不誠実。その事を飛鳥さんに気づかされた。

 いや、不誠実なんてものじゃない。玲くんの好意を利用して自分だけ気持ち良くなるだけなっといて、私は玲くんになにも返してない。

 今の私と玲くんの関係はとても歪。

 だからまずは正すことから。


 私は覚悟を決めた。

 穣くんと、玲くんとの歪な関係と、玲くんを利用する醜い私と、決別する、覚悟を決めた。

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