第13話 あたしにしとかない?
「え、きも。そんな彼氏さっさと別れなよ」
菜乃花の話を聞いた飛鳥さんが発した一声目がこれだ。
話が結構長かったためか、テーブルに置かれた珈琲もすっかり冷めてしまっている。
「ちょっと、飛鳥さん……!」
確かに俺もこの話を聞いたときは鷺沼に対して似たような感情を抱いたが、もうちょっと菜乃花に対する気遣いというか、なんというか……。
「いやいや、だってキモいでしょ。寝取られ性癖っていうのはともかく、自分の彼女を実際に他の男に抱かせるとか信じらんないでしょ、さすがに。それに応じちゃう菜乃花ちゃんも菜乃花ちゃんだよ」
「そう、ですよね……」
「ていうか、もう玲くんの方が好きなんでしょ? 別れをためらう理由もなくない?」
「そうなんですけど……、でも、私だめなんです……。玲くんにあんなにもよくして貰って、好きって言って貰えて嬉しいはずなのに……まだ、穣くんに期待しちゃってて……、また、前みたいな関係に戻れるって」
そんなこと考えていたのか……。
確かに鷺沼は、顔も良いし、俺はあまり関わったことないけど、話を聞く限り男女問わず結構評判良いようだし。
菜乃花からしてみたら寝取らせさえなければ良い彼氏なのだろう。
少なくとも付き合って一か月の間は楽しく過ごせていたようだし。
「仮にさ、その彼氏くんの寝取られの趣味がなくなったとしてさ、菜乃花ちゃんは玲くんよりもその彼氏くんの方が好きになるの?」
「それは……分からないです……」
「ふーん。ねえ、玲くん。あたしにしとかない? この子めんどくさいよ」
「は? 何です、いきなり」
なにをいきなりぶっ込んできてるんだ、この人は。俺のこと男としてみてないくせに。
「そもそも飛鳥さん、彼氏いるでしょ」
「玲くんってば、いつの話してんのさ。前の彼氏なんか二ヶ月くらい前にとっくに別れてるんですけど」
「はあ、そうだったんですか」
「なあんかさぁ、あたしと玲くんが二人でいるのが気にくわないらしいよ。そんなんじゃないのにね」
そりゃあ、彼女が俺みたいな暴力を振るったって噂のある男と二人きりなんて嫌でしょ、普通。
「そんなんじゃないなら、いきなり交際持ちかけてこないでくださいよ」
「中学の時からそうなんだよね。みんな、あたしと玲くんが二人でいると浮気だのなんだの。だからさ、あたしは思ったわけよ。あれ、なら玲くんと付き合えばよくない? って」
「そんな理由で好きでもないのに付き合おうとか言われても困るんですけど。第一、俺が好きなのは菜乃花です」
「えー、あたし結構玲くんのこと好きだよ? 普通にかっこいいし、意外に可愛いところもあるし、わりと優しいし、料理めっちゃ美味しいし、それに、玲くんの良さはあたしだけが知ってるみたいな優越感も味わえるし」
「なんです、それ?」
「えー、菜乃花ちゃんなら分かってくれると思うけどなぁ。ね?」
俺と飛鳥さんの視線が菜乃花に向かう。
菜乃花もその視線に気づいて、小さく頷いた。
「分かります……! 玲くんは……その、仲良い人いないから、玲くんの良いところ全部私で独り占めしてる感じがして」
「そうそうそれそれ! ほらぁ、やっぱり分かる人には分かるんだよ」
「これは喜んでいいやつなのか……」
「ていうかさあ、玲くんもおかしくない? 普通あたしのこと好きになるよね。正直、玲くんの一番辛い時期支えてたのあたしだと思うんだけど」
「飛鳥さんには本当に感謝してますし、それに今となっては癪ですけど、……その、飛鳥さんのこと好きだったときもありますよ」
数年の付き合いの人にこんな告白をするのはなかなかに恥ずかしい。俺は顔を熱くしながら小さく呟いた。
「えっ⁉」
菜乃花が大層驚いたと言わんばかりに声をあげ、飛鳥さんはいつの間にか俺のとなりに座っており、俺の顔を至近距離で覗き込むように見つめる。
「うっそ、あたしそれ聞いてないんですけど」
「言ってないですし」
「なんでよー、玲くんならあたし普通に付き合ってたよ?」
「飛鳥さんその時彼氏いたし、言っちゃったらどっちに転がっても、もうもとの関係に戻れない気がしたので」
「……それって、要するにあたしと離れたくなかったってことだよね?」
「……まあ、飛鳥さんと一緒にいるの、結構好きですし……」
飛鳥さんはいつも底抜けに明るくて、まあ、なんというか、一緒にいるとすごく楽しい。
飛鳥さんからも俺のことを楽しませよう、みたいな気概を感じてなんだか微笑ましくなるし。
ちらりと、横目で俺の顔を覗き込む飛鳥さんの顔を見ると、紅潮させ、口を半開きにして固まっていた。
え、なにこの反応。
「玲くん……! なんか、あたしすごいドキドキしてる!」
「え? あ、はい、そうですか」
「すごいすごい! なにこれ⁉ こんなドキドキするの初めて!! もしかしてこれが恋⁉」
「なに言い出してんですか、急に⁉」
ていうか、なんで今まで何人も彼氏作ってたという設定のくせに、初めての恋みたいな反応してんだよ。
「ほんとにヤバイよ! 玲くんもほら、ヤバくない⁉」
「ちょっ⁉」
飛鳥さんが俺の手を掴み、自身の胸へと導く。
俺の手に広がる柔らかな感触。
菜乃花よりは小さいものの、確かな柔らかさ。
そんな柔らかな感触の下から、トクントクンと、通常よりも早く、かつ大きな鼓動を確かに感じる。
「ね! ヤバくない⁉」
「ヤバいっていうか、それ以前に──!」
「玲くん」
「ひっ……!」
肩に置かれた大きな手に、落ち着いた低音。そして、確かな殺気が背中からびしびしと伝わってくる。
ヤバイ。俺の心臓も命の危険に今までにないくらいに高鳴っている。
「残念だよ、玲くん。僕、君のことわりと気に入っていたんだけどね」
「これ俺悪くなくないですか⁉」
「そーだよ、お父さん。邪魔しないで」
「いや、しかしな、飛鳥。僕は君の父親として──」
「いいから」
「はい。もう邪魔しません」
とぼとぼとカウンターへと戻っていくマスター。そこに先ほどまでの威厳は欠片もない。
「ねえ、玲くん。あたし玲くんのこと好きになっちゃった。付き合お?」
「さっきからなに言って⁉ それに何度も言ってますが俺が好きなのは菜乃花で……!」
「でも、その菜乃花ちゃんは玲くんと彼氏くんの偶像の間でふらふら揺れてるじゃん。正直、玲くんのこと、都合の良い男としか思ってないよ、この子」
「……! 私はそんなつもりじゃ……」
「仮に違っていたとしても、あなたのそのどっち付かずが玲くんを停滞させる。あなたが結局彼氏くんを選んだとき、あまりにも玲くんが報われなさすぎる」
「それは……」
「要するに、玲くんは彼氏くんと以前の関係に戻れなかったときのためのキープでしょ? そんなんで玲くんが選ばれたところで玲くんは幸せになれない」
「…………」
「飛鳥さん! 俺が幸せかどうかは俺が──んんっ──⁉」
一瞬なにが起こったのか、理解できなかった。
ただ、目の前に飛鳥さんの顔があって、唇に柔らかな感触が残っているのみだ。
「玲くん、もう十八時半だよ? さっさと着替えてきな」
「いや、でも……」
「いいから。遅刻だよ?」
「……わかりました。でもこれだけは言っときます。俺は俺の意思で菜乃花のことを幸せにしたいって思ってる。菜乃花がまたあの笑顔を俺にむけてくれる。それが俺にとっての幸せです」
「玲くん……」
「ん。玲くんはそのままでいいよ。玲くんのそういうはっきり言ってくれるの、あたし前から好きだったし。さ、早く着替えに行った行った」
飛鳥さんが俺をテーブルから押し出し、俺は少し戸惑いながらもカウンターの裏の更衣室へと入る。
お客さんがいないから良いものの、実際バイトの開始時間は過ぎてるし、飛鳥さんの言っていることは正論だ。
しかし、今あの二人を二人きりにしてしまって良いのだろうか……。
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