第12話 珈琲一杯で

 学校から帰り、しばらくゆっくりした後、俺はアルバイトの準備を始めた。

 高校を入学した頃から始めた、自営の小さな喫茶店でのアルバイト。

 この喫茶店は、俺が小学生の頃から親に付き添って通っていた所謂行きつけの店。

 母子家庭ということもあり家計の足しにでもなればと始めたアルバイトだが、お母さんはかたくなに使ってくれなくて、結局ここ半年ほどで高校生にしてはかなりの額の貯金ができてしまった。


 今日は十八時から二十一時まで。

 営業は二十三時までだが、高校生では二十一時以降は働かせて貰えない。


 準備を終え、時刻を確認するとおよそ十七時半。歩いて向かってもだいたい十分ほどで着くため、別に急ぐ理由もないのだが、何となく今日は早く行こうと思い、家を出る。

 外に出ると、真っ暗の中、街頭に照らされる見知った、だけどもいるはずのない人影。


「菜乃花? どうして」

「玲くん……? あれ、私こんなとこまで」

「なにか、あったの?」

「玲くんに会いたいなぁって思って……、本当に会いに来るつもりはなかったんだけど……。玲くんこそ、こんな時間に外に出てきてどうしたの?」

「俺はこれからバイトだけど……」


 菜乃花の表情はどこか暗い。

 何かあったのは確実だろうけど、それが何かは読み取れない。


「そういえばバイトしてるって言ってたね」

「うん。ここから歩いて十分くらいのところにある小さな喫茶店なんだけど……、よければ一緒に来る?」


 何となくだけど、このまま菜乃花を一人にはしておけない気がした。

 それに外ももう暗いし、ここから一人で帰すのは心配だ。


「いいの……? 迷惑じゃない?」

「夜はお客さんあまりこないから」

「じゃあ……行く」


 俺は彼女の手を取る。

 彼女の手は冷たくて、震えている。

 それが、彼女がこんなところにいるのになにか関係があるのか、それとも単に寒いからなのか、俺には分からないけど。


「辛いことがあったなら、いつでも頼ってよ」


 俺は彼女には笑っていてほしい。

 それはずっと変わらないから。


「ありがと、玲くん。……玲くんの手、温かいね」

「菜乃花の手が冷たいんだよ」

「そうかな? でも、これならすぐに温まるね」


 繋いだ手を掲げ、にこやかに笑う菜乃花。

 そんな菜乃花の笑顔に俺の頬は自然と緩む。


 二人でアルバイト先への道程を歩く。

 端から見たら俺たちはカップルに見えるのだろうか。

 すれ違う人たちが通りすぎる度にそんなことを考えていたら、あっという間に目的地にたどり着いた。

 菜乃花と一緒だと少し憂鬱なバイト先への道のりも楽しい。

 好きだなあと想いを馳せながら、喫茶店の扉を開いた。


◆◇◆


「こんばんわー」

「お、玲くん。今日はちょっと早い……誰⁉ 玲くんに彼女⁉」


 扉を開けると出迎えてくれたのは、この喫茶店の店主の娘であり、俺たちの通う学校の一つ上の先輩、皆越飛鳥みなごえあすかさんだ。

 飛鳥さんはお父さんが家を出ていって、一人の時間が増えた俺の遊び相手になってくれたり、中学に上がったときには俺がサッカー部に馴染めるようにマネージャーをしてくれていたり、退部したあとも一緒にいてくれたりと、なにかと俺のことをずっと気にかけてくれているお姉さんみたいな人だ。

 そんな飛鳥さんが俺と菜乃花の繋がれた手を見て叫ぶ。


「え、ちょ、ちょっとお父さーん! 玲くんが彼女つれてきた!!」

「店ではマスターと呼べと何度言わせ……今なんて⁉」

「玲くんが彼女つれてきたの!! しかもめっちゃ可愛い子!」

「いや、あの……」

「あの玲くんだぞ⁉ ぶっきらぼうででかくて目付き悪くて……というか、玲くんって学校では嫌われてるんじゃ……ほんとだ⁉」

「えっとマスタ──」

「だから言ったでしょ⁉ いやー、それにしても隅に置けないね! 玲くんも」

「だから! 話し聞いてくださいよ!!」


 あまりにも二人が人の話を聞いてくれないから、思わず大声を出してしまう。

 突然の俺の大声に、店は静まりかえって。幸いお客さんはいなかったが、菜乃花のことをすごく驚かせてしまっていた。

 俺は隣で固まっている菜乃花に「ごめん」と謝罪し、菜乃花はふるふると横に首を振る。

 それを見てから、眼前の二人に向き合う。


「あの、俺たち付き合ってないです」

「いやいや、無理あるでしょ、さすがに」

「事情があるんです。とりあえずいれてください」

「だめ、話してくれるまでいれたげない」

「じゃあ、今日はずっとここで立っていることになります。俺みたいなのがここで立ってるとお客さんも入ってこれないんじゃないですかね?」

「うん。その分は玲くんの給料から差し引いとくね」

「横暴だ……!」

「ふふ、あはははは! 玲くんがこんなにむきになってるの初めて見た!」


 俺とマスターと飛鳥さんの三人のやり取りを見て、菜乃花は笑い声を上げた。

 三人の視線が一斉に菜乃花へと向く。


「私たち、付き合ってはないですけど……ではあります。ね? 玲くん私のこと好きだもんね?」

「俺は……好きだけど、でも菜乃花にはさぎ──」


 動かそうとする唇を、菜乃花の人差し指によって押さえつけられる。

 その様子をにやにやと見つめるマスターと飛鳥さん。


「ふふー、いいものを見せて貰った! さ、入っていいよー、玲くん。それと……菜乃花ちゃんで合ってる?」

「あ、はい。綾野菜乃花です。玲くんとはクラスメイトで……」

「ってことはあたしの後輩だね! 初めまして! あたしは皆越飛鳥。うちの玲くんがお世話になってるようで!」

「飛鳥さんのものになった記憶はないんですけど」

「えー、あんなに面倒見てあげたのに! ぼっちの玲くんが頼むからわざわざ友達の誘い断ってたまに一緒にお弁当食べてあげてるのに!」

「それは……! 助かってますけど……」


 基本的には人のいない空き教室で一人で食べる昼食。

 それでもずっと一人というのはなかなかにしんどい。そういうときに飛鳥さんに頼んで一緒に食べて貰っていた。

 なんせ、そういうのを気軽に頼めるのが学校内に飛鳥さんくらいしかいないから。


「ふふん、分かればよろしい。ま、玲くんの作るお弁当美味しいし、あたしも普通に楽しんでるんだけどね」

「あ、あの! 二人はどういう関係で……?」


 菜乃花の言葉に、俺と飛鳥さんは首をかしげた。


「どういうって……先輩と」

「後輩?」

「仲良すぎない⁉」

「可愛い嫉妬だなぁ。それにしても水臭いじゃん、玲くん。こんな可愛い子と仲良いなら、菜乃花ちゃんとお昼ごはん食べれば良いのに。あ、さすがに寂しいからたまにはあたしと食べてほしいけど!」

「だからそういうんじゃないんですって。いろいろあるんです」

「いろいろ、ねえ」


 そう小さく呟く飛鳥さんの後ろを着いていき、俺たち三人は客席の一つに座った。

 テーブルを挟み、正面に飛鳥さん、横に菜乃花という配置だ。


「なんかわけありな感じ?」


 俺は、チラリと横に座る菜乃花に視線をむける。

 確かに俺たちの関係はわけありだ。

 菜乃花には彼氏がいて、俺とは所謂浮気相手みたいなものだから。彼氏公認のだけど。


 菜乃花が俺の視線に気づいたのか、俺の方に少し視線を向けた後、飛鳥さんに向き直ってコクりと頷いた。


「でも、二人は好き合ってるわけでしょ。それでも付き合えないなにかがある、と」

「そんな、感じ……です」


 菜乃花が頷く。

 ……え、菜乃花って俺のこと好きなの⁉ いや、だって彼氏がいるはずだし……。


「そっかそっかぁ。ま、ここは可愛い後輩たちのためにお姉ちゃんが一肌脱いで、恋愛相談と洒落込もうか。相談料はそうだなぁ……、珈琲一杯で」

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