1. 私の救世主
第1話 俺の彼女と寝てほしい
「那波。少し話があるんだけど、今いいか?」
いつものように、一人で昼食を取ろうと弁当を鞄から取り出していると、クラスメイトの鷺沼から声をかけられる。
もう11月の末。この学校に入学して同じクラスになってから7ヶ月という期間が過ぎているが、彼とは一度も話したことがない。
いや、彼に限らずこのクラスのほとんどの人と話したことはないが。
しかし、そんな彼がいったいなんのようだろうか。
俺はとりあえず頷き、彼についていく。
教室を出て、階段を登り、廊下を歩いて人気の少ない空き教室へと入っていく。
俺も続いて教室へと入っていくと、そこにはもう一人。
「綾野……?」
綾野菜乃花。最近明らかに暗い表情をしている少女。俺の知る彼女は、花火のように華やかによく笑う少女だった。
しかし、ここ半年ほどその笑顔は鳴りを潜めている。
どうして彼女もここにいるのだろうか。
もしかして、今のこの状況に関係しているのだろうか。確か、この二人は4月の末ごろから付き合っているという話を聞いた。
聞いたといっても俺に友人はいない。ただ、そのようなことをクラスメイトが話しているのが耳に入っただけだ。
今まで俺には真偽を確認する術はなかったが、この状況を見るにそれ自体は間違いないのだと思う。
……しかし、であれば、なぜそんなにも暗い表情をしているのだろうか。
状況を理解できず、扉の前で立ち尽くしていると、鷺沼がこちらに視線を寄越し、口を開く。
「単刀直入に言う。俺の彼女と寝てほしい」
「……は?」
思考が停止する。
こいつ、今なんて言ったのだろうか。
自分の彼女を他の人に抱かせようとうしている? なんで? 最近綾野の顔が暗いのはこれのせい? ということは、綾野はこれを望んでいない?
「俺の彼女を寝取ってほしい」
「寝取……は? いやいや、そんなん綾野は……」
寝取られ。彼女や配偶者が、他の人と性的関係になることに性的興奮をおぼえる人に向けたジャンル。
寝取られにもいろいろあるが、彼がしようとしているのは所謂寝取らせ、というプレイだろう。
「菜乃花には納得してもらってるし、別に那波が初めてって訳じゃない。那波に断られても他の人にあたる」
納得した。最近の綾野に笑顔が見られない理由。
もう何度も、彼氏に頼まれ彼氏ではない人に抱かれている。
鷺沼は綾野も納得しているというが、綾野が望んでヤっているとはとても思えない。彼女の表情がそれを物語っている。
俺が断っても他の人に頼むというのなら……。
「綾野は俺でいいの?」
「うん。誰でも一緒だから」
無表情で頷く綾野。
誰でも一緒。きっと綾野は今までの相手にまるで道具のように扱われてきたのだろう。彼氏公認で好きなだけヤれる女として。
このように抱かれる度に彼女の心は壊れていったのだろう。
俺に彼女の笑顔が取り戻せるかは分からない。
でも、俺は彼女には笑っていてほしいと思う。
だから、俺にできることならなんでもしよう。
──だって俺は、彼女のことが、綾野菜乃花のことが好きだから。
◇◆◇
綾野と始めて話したのは、高校に入学してすぐの頃。
移動教室へ向かうのに、道が分からなくなっていたときのことだった。
俺には友達がいない。
中学の頃、暴力沙汰を起こしたことが、入学したときには既に学校中に知れ渡っていたからだと思う。
無駄にでかい見た目も相まって、みんな怖がって俺に話しかけてくることはない。俺から話しかけようとしても逃げられる。
暴力沙汰に関しては、言い分はあれど、言い訳はしない。
人を殴ったのは事実だから。
しかし、そんな俺が廊下で迷子になっていたとき声をかけてくれたのが綾野だった。
一緒に移動教室まで移動してくれて、教室での席も近かったため、時々話しかけてくれた。
そして、「噂ってやっぱり噂だね。那波くんと話してるとすごく楽しい」、そう言って花火のように華やかに笑いかけてくれた。
彼女のその言葉に、その笑顔に俺は救われ、そして恋におちたのだ。
そんな彼女から今、笑顔が失われている。
俺を救ってくれた彼女の笑顔が、彼女の彼氏によって失われている。
俺に何ができるのかは分からない。
そもそも、本当にこの寝取らせが原因かどうかも分からない。
それでも。
俺はまた彼女に笑ってほしい。
彼女は俺を救ってくれたのだ。今度は俺が彼女のことを救いたい。恩を返したい。これは俺のエゴかもしれないけど。
彼女の笑顔を取り戻すために、力を尽くしたいと、そう思う。
◆◇◆
鷺沼からの寝取らせの提案を受けてから五日経った土曜日。
集合場所に指定された、高校の最寄りの駅で待っていると、二人は付かず離れずの距離でやっていた。
そこに恋人らしい雰囲気はない。
「悪い、那波。待たせたか?」
「いや、そんなに」
「そっか。じゃあ、今日はよろしく。一応これだけ守って貰えれば、あとは菜乃花に任せればいいから」
それから俺に条件を告げ去っていく鷺沼。
告げられた条件は、要約するとゴムはつけろというものと、他言しないこと、連絡先を交換しないことというものだった。
避妊と他言しないというのは、当たり前のことだ。彼女を傷つける結果になりかねない。
連絡先の交換については、鷺沼が本当に綾野を寝取られることを懸念してのことだろうか。
寝取ってほしいといいつつも、彼女が本当に取られるのは嫌だということか。
「えーっと、綾野?」
「ん?」
心ここにあらずといった様子の綾野に声をかけると、やっと綾野の目がこちらに向いた。
「昼はもう食べた?」
「まだ。でもあとで食べるから早く終わらせよ」
「そう……。よければ一緒に食べたかったんだけど、嫌かな?」
「…………」
綾野が俺の顔をじっと見つめる。値踏みをするように、じっと。
やがて、綾野は口を開いた。
「いいよ。どこで食べるの?」
「そこのファミレスなんてどう?」
「いいよ。じゃあ、行こ」
歩き出す綾野の横にならび、俺もついていく。
綾野にかつてのような笑顔はなく、たんたんと無言で無表情。
心を開いてもらえていないのか、心が壊れてしまったのか。それは俺には分からないけど。
でも、さっき見つめられたのが値踏みだとしたら、とりあえず俺は合格したということでいいのだろう。
こうして少しずつ歩み寄って、彼女から俺を頼ってほしい。彼女にとって俺がそのような存在になれるように、今日は頑張ろう。
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